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ダンジョン点検員、リストラされる。〜「何もしてない」と切られた俺の巡回ルートで、翌週から事故が止まらない〜  作者: 更田遅筋


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第39話 全国四十七基の健康診断

月曜の夕方、綾坂さんが段取りの紙を持ってきた。


一枚に、行き先と時間と、先方の担当者の名前が書いてあった。


「まず一基、行ってみましょう。隣の県です」


「どこを選んだんですか」


「近くて、中くらいで、柱では何も起きていない基です」


理由が三つとも意外だったので、顔に出たらしい。


「悪いところから行くのが普通だと思われましたか」


「はい」


「悪いところは、こちらが探すまでもなく報告が上がってきます」


綾坂さんは紙の端をそろえた。


「柱の報告が上がってこない基が、四十七のうち、いくつあるかを知りたいので」


報告が上がってこない理由は、二つしかない。


何もないか、誰も聴いていないかだ。



翌朝の始発に乗った。


秋津さんは駅の売店で、行きの飲み物を三人ぶん買った。


「灰田さん、麦茶でいいですか」


「はい」


「綾坂さんは、お茶と、水と、コーヒーだと、どれです」


「水を」


秋津さんは三本を並べてから、一本ずつ袋に入れた。


電車で一時間半、そこからバスで二十分かかった。


車内で、綾坂さんは先方の資料を読み、秋津さんは窓の外を見ていた。


県境を越えたあたりから、田んぼの色が濃くなった。


第二十三ダンジョンは、県の名前と同じ駅から少し離れた丘の下にあった。


建物は市内のどれよりも新しく、そして小さかった。


第七の管理棟のように継ぎ足した跡がなく、最初に建てたままの形をしていた。


看板の字も、まだ日に焼けていなかった。


入口で待っていた地元の保全班は五人。


班長さんは五十代に見えた。


人の齢の見立てがあてにならないことは、先週知ったばかりだが。


全員、作業服の襟がまっすぐだった。



事務室に通されて、湯呑みが出た。


湯呑みは五人ぶんと客の三人ぶんで、柄が全部違った。


自分の湯呑みを職場に持ってきている職場だ。


出された茶は、湯の温度が低めだった。


熱すぎると飲めない人がいるからだと思う。


「灰田さんに来ていただくような、大したものはうちにはないんですが」


班長さんの手が、湯呑みの縁を何度も撫でていた。


前日の夜に何を思ったのか、想像がついた。


十年、俺は査定の前の日に同じことを考えていた。


何もありませんでした、と言うために一年ぶん歩いてきて、それをどう言えばいいのか分からない。


この人は昨日の夜、たぶんそれを考えていた。


「一巡、させてください」


俺は言った。


「順番は、こちらの巡回の順でお願いします。いつもと同じ順で歩けると、こちらも助かります」


班長さんの肩が下りた。



七本を、二時間半かけて一巡した。


搬入口の扉が一つだけ建て付けが悪く、開けるときに下から持ち上げる必要があった。


班長さんは何も言わずに持ち上げ、俺が通ってから、また同じ手つきで閉めた。


毎日その扉を開けている人の手つきだった。


一番から順に基部で足を止めて、目を閉じた。


一本目。


下がり幅、なし。


濁り、なし。


速さの欄も、書くことがない。


二本目も同じだった。


三本目も同じだった。


書くことがない、という記録が三枚続くのは、俺にも久しぶりだった。


第七の九本でさえ、いまは四番の欄が埋まる。


四本目の前で、班長さんが小さい声で言った。


「四番だけ、去年から音が大きい気がしてまして」


聴いた。


大きいのは送風機のほうだ。


「柱ではないです。上の送風の羽根が一枚、当たりかけてます」


班長さんが天井を見上げた。


「……それ、去年から気になってたやつだ」


「柱は、なんともないです」


班長さんが、天井から俺のほうへ視線を戻した。


見つけてもらったのに柱ではなかった、という顔と、柱ではなくてよかった、という顔が、順番に出た。


保全班の一人が、その場で手帳に書いていた。


送風機、と書いたのだと思う。


書いた人は、いちばん若い人だった。


五本目、六本目、七本目。


どれも、書くことがなかった。


七本とも同じ年に建って、同じだけ古い。


古いまま、どれも普通に鳴っていた。



戻る途中で、浅層の入口の脇を通った。


通路の窓から、探索者が四人ばかり見えた。


若い人たちが、慣れた足取りで奥へ歩いていった。


その先で、床のあたりが一度ざわついた。


湧きだった。


一人が振り向きもせずに片手で処理して、それから会話に戻った。


会話は途切れていなかった。


秋津さんが窓に近づいた。


「あれ、危なくないんですか」


「危なくないです」


見ていて、そう思った。


「湧きは、あのくらいで、あの間隔なら、普通です」


綾坂さんが手帳を開いた。


「うちで危なくなるときは、もっと数が寄ります。音が一か所に集まります」


言ってから、窓の外をもう一度見た。


散らばったまま、湧いて、消えていく。


数が寄らないので、音も寄らない。


この基の下では、柱が痛がっていないということだ。


「健全な柱の下では、湧きも、こういう顔をしています」


綾坂さんは、それを書いた。


秋津さんは書かずに、しばらく窓の外を見ていた。



事務室に戻った。


五人が並んで立っていた。


俺は七枚の様式を机に置いた。


「異常なし、です」


班長さんが息を吸って、それから吐いた。


吐くほうが長かった。


後ろの若い人が、隣の人の腕を軽く叩いていた。


「……それだけ、ですか」


班長さんが聞いた。


聞き方が寂しそうだった。


来てもらったのに何もなかった、という顔だった。


「それが、一番いい言葉です」


俺は言った。


「悪いところが見つかった日は、そこから何日で直すかの話になります。今日は、その話がありません」


「はい」


「あと、四番の送風はお願いします。柱ではないですが、放っておくと羽根が一枚では済みません」


班長さんが笑った。


笑ってから、目のふちを指で押さえた。


見なかったことにした。



帰りの駅で、秋津さんが駅弁を買った。


「三つでいいですよね。……三つですよね」


秋津さんは棚の前で二度数えてから、三つ持ってきた。


車内で、綾坂さんは食べる前に手帳を開いた。


秋津さんは駅弁の掛け紙を丁寧に外して、畳んで鞄に入れた。


何かを集めているのかもしれない。


俺も手帳を出して、今日のぶんを書いた。


七本、健全。


始点の欄、全部空欄。


何も書いていない紙が、七枚。


いつか、この空欄が何かの役に立つのかどうかは分からない。


分からないので、そのまま書いておいた。


窓の外が暗くなり始めていた。


綾坂さんが、水の蓋を開けながら言った。


「残り、四十六基です」


数えていたらしい。


四十七から一を引いた人の言い方だ。


「灰田さん」


「はい」


「……回りきるのに、体はひとつですよ」


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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