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ダンジョン点検員、リストラされる。〜「何もしてない」と切られた俺の巡回ルートで、翌週から事故が止まらない〜  作者: 更田遅筋


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第38話 国が数えた事故の数

茶封筒の中身は二つに分かれていた。


厚いほうが表で、薄いほうが集計だった。


夜のうちに一度、通して見た。


見るだけなら二時間で足りると思っていたが、朝の四時までかかった。


指が黒くなった。


役所の印刷はこすると指につく紙を使うらしい。


台所で二度洗っても、爪のふちに残った。


金曜の朝、綾坂さんは十時ちょうどに来た。


「読まれましたか」


「読みました」


「感想の前に、こちらから一つだけ確認させてください」


秋津さんが、綾坂さんの椅子を出してから、部屋の隅の自分の席に戻った。


綾坂さんは表の束をめくって、あるページを開いて机に置いた。


「この行を見てください」



表は、基ごとに三十年分が縦に並んでいた。


横が年で、縦が施設だった。


数字は、設備が原因で人が死んだ事故の件数だった。


柱だけでは、なかった。


昇降機も、搬送設備も、換気も、給水も入っていた。


柱が原因のものには、右端に印がついていた。


三十年で、印のついた行は三十一件あった。


数えるのに二度かかった。


一度目と二度目で数が合わなかったので、三度目に印だけを指で追った。


掲示板の人たちが公開情報から拾った二十四件より、七件多い。


多い七件はどれも古い年に固まっていた。


公開の記録が、電子化される前の年だった。


「あちらの二十四件は、正確です」


綾坂さんは俺の指の先を見ながら言った。


「拾える範囲を、全部拾っておられます。私が言った載っていないものは、拾えなかったもののほうです」


「紙のままの年ですか」


「はい。倉庫にあります」


倉庫、という言葉が、その日いちばん重く聞こえた。


紙のまま眠っている事故が、どこかの棚にある。



綾坂さんが開いたページは、市内の三基が並んだところだった。


第四の行に、二十六年ぶんの数字が並んでいた。


第九の行にも、数字が入っていた。


どちらも、多い数ではなかった。


三十年でいくつか、という並びだった。


その下に、第七の行があった。


直近の十年が、全部ゼロだった。


指で、その行をなぞった。


左から右へ、十個のゼロを順番に触っていった。


紙のわずかな凹凸で、印刷の位置が指に分かった。


触ってみるまで、数字に手ざわりがあるとは思っていなかった。


ゼロというのは、印刷すると小さい。


十年、俺はこの十個を作るために毎朝歩いていた。


正確には、作っていた自覚はない。


何も起きなかった日を、十年ぶん並べただけだ。


だが、この紙の上では、それは十個の数字になっていた。


「十年連続のゼロは、四十七基で、ここだけです」


綾坂さんの声が遠くに聞こえた。


「統計をやっていると、こういう点は普通、疑います。報告漏れか、集計の誤りか」


「調べたんですね」


「調べました。それで、あなたに会いに行きました」


初めて会った日の話だった。


「起きなかった事故は、誰にも数えられません」


俺は言った。


査定の席で言われたことの、こちらの言い分だった。


十年、この言い分は誰にも通らなかった。


「数えられていましたよ」


綾坂さんは、表を指で軽く叩いた。


「起きなかったほうを、この紙は数えています。ゼロという形で」


そこで、何を言えばいいのか分からなくなった。


「……ありがとうございます」


出てきたのは、それだった。


礼を言う場面ではなかったかもしれない。


綾坂さんは、それには何も返さなかった。


表のページを、静かに一枚戻しただけだった。



薄いほうの束は、率の集計だった。


年ごとに、全国の施設数で割った数字が並んでいた。


前のほうのページは、上下しながら、ゆっくり下がっていた。


安全になってきた三十年だ。


設備は良くなり、規制は増え、人は慎重になっていく。


最後の五年で、線が向きを変えていた。


大きくはない。


三十年の振れ幅から見れば、誤差だと言われれば、そうかもしれない程度だった。


それでも、五年続けて同じ向きに動いていた。


「上がってますね」


「上がっています」


綾坂さんは、そこだけ声の調子を変えなかった。


「設備の高齢化、でしょうか」


俺は聞いた。


三十年やってきた大久保さんの言い方を借りただけだ。


「その説明が、いまのところ一番よく当たります」


綾坂さんはページを繰った。


「柱は、全国ほぼ同い年ですから」


同い年、という言い方で、なるほどと思った。


同じ年に作られたものは、同じ頃に古くなる。


第四の二番も、第九の十一番も、うちの四番も、みんな古い。


そこまでだった。


古いものが古くなっている、という話は、俺の仕事の外にはならない。


俺は、目の前の柱を一本ずつ聴くだけだ。


綾坂さんもページを戻して、話は次に移った。


古い設備の話は、この国のどこでも同じようにされている話だ。



もう一度、表の作りを見直した。


読んでいて、朝方から気になっていたことがあった。


「一つ、いいですか」


「どうぞ」


「事故の欄はあるのに、直した記録の欄がないですね」


綾坂さんの手が止まった。


「この表だと、先月うちが四番の支持部を替えたことは、どこにも残りません。第九の六番を十一日で直したことも、載る欄がありません」


「……ありません」


「事故が起きなければ、何もなかったのと同じ形になります」


綾坂さんは、しばらく表を見ていた。


それから、はっきりした言い方で答えた。


「国は、直った話を数えてこなかったので」


謝る言い方ではなかった。


事実を言う言い方だった。


「数える理由がなかったんだと思います。予算は、起きたことに付きますから」


「はい」


「起きなかったことに予算をつけるには、起きなかったことを数える仕組みが要ります。仕組みがないので、数えていません」


順番が逆になっている話だ。


数えないから仕組みがなく、仕組みがないから数えない。


十年、俺の査定がゼロだった理由も、たぶん同じところにあった。



こちらからも紙を出した。


保全室で作った、市内二十七本の一覧だった。


歪み型の三本の、音が下がり始めた週を揃えて並べてあった。


「これは、うちで取った記録です。数え方の説明を、二枚目につけました」


綾坂さんは一枚目を見て、二枚目を見て、それからもう一度一枚目に戻った。


戻り方が、昨日ペンを構え直したときと同じ速さだった。


「持ち帰ります」


「はい」


「これは、こちらの表には載らない形の紙です。載る場所を、こちらで作ります」


秋津さんが、ノートに何か書いた。


書いてから、こちらを見ずに小さくうなずいた。


たぶん、載る場所を作る、と書いたのだと思う。


綾坂さんは茶封筒に自分の束をしまって、うちの紙は別の封筒に入れた。


それから、椅子を戻す前に言った。


「灰田さん」


「はい」


「四十七基、全部聴いてもらうことは、できますか」


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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