第35話 全問正答の夜
十二問目の答えを書き終えて、秋津さんが顔を上げた。
封が切られる音がして、国の人が順番の紙を読み上げた。
照合には四分かかって、そのあいだ会場は誰も咳をしなかった。
十二問すべてで、書いた欄と実物が合っていた。
外れは、なかった。
録音でやった三問だけは、途中までで止まっていた。
会場は、思ったより静かだった。
拍手が起きるまでに、たぶん十秒くらいあった。
その十秒のあいだに、俺は目隠しを外した。
外した瞬間の光が、思ったより痛かった。
最初に目に入ったのは長机の上に並んだ部材で、次が秋津さんの手だった。
十二枚の答案をその手が順番に揃えていくのを、意味も分からずに見ていた。
一時間ぶん、音しかなかった世界に、急にものの形が戻ってきたせいだと思う。
◇
答案の写しが配られたのは、そのあとだ。
十二枚の様式第一号が、そのままの形で場内に回り、配信の画面にも出た。
下がり幅の欄。
濁りの欄。
速さの欄。
備考の欄には、「推測を書くときは、推測と書きます」と印刷されていた。
写しを見た人たちが、しばらく黙って読んでいた。
紙をめくる音が六十人ぶん重なると、雨のような音になった。
配信の画面には、答案が一枚ずつ大きく映されていたらしい。
立ち見の人たちは、隣の人の紙をのぞき込んで、指で欄をたどりながら小さい声で何か話していた。
前のほうにいた記者の人が、手を挙げた。
「一つ、いいですか」
「はい」
「どうやって聴いたのかが、どこにも書いていないんですが」
「書いていません」
「書き忘れではなく」
「その欄が、ありません」
会場のざわめきの質が、そこで変わった。
「三つの欄に書けるのは聴いた結果です。聴き方のほうは、この紙のどこにも入りません」
言いながら、自分でも整理がついていくのが分かった。
「だから、この紙を読んでも、真似はできません」
「……逆に、できないほうがいいということですか」
「はい」
そこは、はっきり言った。
「聴き方が書ければ、俺は書いています。書けないものを、書けるふりで渡すほうが危ないので」
日曜に入った三人の顔が浮かんだが、その話はしなかった。
紙の話をしている場所で、人の話をしても仕方がない。
記者の人は、答案の余白に何か長いことを書き込んでいた。
書き終わってから顔を上げて、もう質問はしなかった。
◇
拍手が長く続いたので、何か言わなければいけない空気になった。
俺は立ち上がろうとして、失敗した。
膝から下が、自分のものでない感じがする。
一時間、同じ姿勢で座っていたせいだと思った。
秋津さんが肘を支えてくれて、二度目でようやく立てた。
入口の脇では、火村が壁にもたれたまま、こちらを見て笑っていた。
笑い方が、いい笑い方ではなかった。
あとで何か言われるやつだ。
国の人は、封を切った紙を封筒に戻してから、会場を出ていった。
最後まで一度も、結果について何も言わなかった。
「すごくないです」
マイクの前で、そう言った。
「毎日聴いてれば——」
そこで、言葉が止まった。
前から三列目の、中年の女の人が立っていたからだ。
会場の全員が、その人を見た。
その人は、自分でも立つつもりがなかったらしく、困った顔をしていた。
それでも、はっきりした声で言った。
「その毎日が、誰にもできないんですよ」
俺は、返事を探した。
十年のあいだ、俺はその毎日を誰にでもできることだと思って続けてきたので、その言い方は初めて聞くものだった。
「……はい」
結局、それしか出てこなかった。
拍手が、さっきより長かった。
◇
帰りの電車で、窓に自分の顔が映っていた。
目のまわりが、目隠しの跡で赤くなっていた。
耳のほうは、まだ鳴っている感じが残っていた。
電車の走行音が、いつもより粒に聞こえた。
一日じゅう細かい音を拾っていた耳が、まだ切り替わっていないらしい。
北公園には、それでも寄った。
四番は、昨日と同じに鳴っていた。
家に着いてから手帳を開いて、いつもの三行を書いた。
書いてから、その下に一行だけ足した。
『三つの欄で足りる。足りないものは、書かない』
書いた字が、震えていた。
その震えは、たぶん、疲れのほうだ。
◇
日曜の夕方、ルカさんから電話が来た。
『おじさん、いま平気ですか』
「平気です」
『登録者、百万いきました』
数字の言い方が、報告のそれだった。
通知のスクリーンショットを送ってきたわけでもない。
「おめでとうございます」
『……ありがとうございます』
声が、おめでとうを受け取る声ではなかった。
『昨日の切り抜き、また回ってて。それで一気に増えたんです』
「そうですか」
『あの』
電話の向こうで、息を吸う音がした。
『この数字の中に、あの三人の視聴も入ってたんだよね、って、思っちゃって』
その先を、彼女はしばらく言わなかった。
『私、これからも配信していいんですかね』
いい質問だ、と思った。
俺には答えられない質問だ、とも思った。
それでも、事実なら知っている。
「崩落の日に、ルカさんが中継を続けてくれました」
『……はい』
「あの日、ゲートの外にいた人たちは、中に誰がいるか分からないまま待っていました。名前が読み上げられるまで、六時間ありました」
『……はい』
「あの六時間、百三十五人の家族が、生中継を見られました。あれは、ルカさんの数字がやったことです」
電話が、静かになった。
『数字が、やった』
「数字は、使い方です」
使い方を決めるところから先は、俺の仕事ではない。
『……考えます』
「はい」
『考えてから、決めます』
「それがいいと思います」
決めるのは彼女で、決めたことの責任も彼女のものだ。
俺が言えるのは、あの六時間に起きた事実までだった。
電話を切って三十分ほど経ってから、通知が一つ鳴った。
彼女の新しい配信の告知だった。
タイトルは『今日は数字の話をします』だった。
◇
――同じ夜。匿名掲示板・第七ダンジョン検証スレ
702:名無しの探索者
答案の写し、全部読んだ。速さと濁りが別の欄なのがやっぱり効いてる
705:名無しの探索者
>>702
そこより「聴き方の欄がない」だろ。あれで真似が死んだ
707:名無しの探索者
書けないものを書けるふりで渡すほうが危ない、な。役所の文書でこれ書ける人が実在するのが怖い
711:名無しの探索者
録音の三問だけ止まってるの、逆に信用できる。全部当たってたら仕込みを疑ってた
714:名無しの探索者
ところであの人の職業なんて呼べばいいんだ。点検員だと軽すぎる
716:名無しの探索者
柱の音を聴いて、どこが悪いか言い当てるんだろ
719:名無しの探索者
それ医者じゃん
722:名無しの探索者
聴いて診るんだから、あれはもう聴診だろ
723:名無しの探索者
聴診
725:名無しの探索者
聴診な
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