第26話 三基目の異音
火曜の朝の窓で、六番の差分を取った。
残り三日、予定どおり。
窓のあと、十一番の柱身点検口に寄った。
瀬川さんの言った柱だ。
コンベアが半速のうちに、騒音の底へ耳を沈める。
唸りの底のほうに、聴き覚えのある気配が、薄くいた。
気配、で止めておく。
確かめるには、深夜の停止帯の静けさがいる。
浅いことだけを、先に確かめた。
二番よりも、まだ浅い。
浅いなら、順番を待てる。
今週の俺の耳は、まだ六番のものだ。
手帳の新しいページに、十一番、とだけ見出しを書いた。
見出しの下は、停止帯まで空けておく。
◇
二日後の木曜、昼すぎに、最後の金物が締まった。
期限の、一日手前だった。
打ち込みの音が止んで、地下から工具を担いだ列が上がってくる。
補修班の人たちの顔は、煤と埃で、全員同じ色になっていた。
「終わり、ですか」
瀬川さんが聞いた。
「処置は終わりました。終わったかどうかは、明日の朝の窓が決めます」
「……そういう言い方すると思ってました」
その夜、深夜一時の停止帯に、瀬川さんと二人で降りた。
四十五分の静寂。
まず、六番。
唸りの底に、あのうねりの種が、いない。
半月あまり、毎晩そこにいたものが、いなくなっていた。
いない音を確かめるのは、いる音を確かめるより、時間がかかる。
三度聴き直して、手帳に書いた。
それから、十一番へ移った。
停止帯の見回りの順路は、十一番の柱身点検口の脇を通る。
毎晩、六番を聴き終えた俺の隣から、瀬川さんはこの順路で詰所へ戻っていた。
その帰り道で、拾ったのだ。
点検口に耳を当てて、唸りに沈む。
基音、倍音、揺れ。
底に、あの歪みがいた。
四番で聴いて、二番で聴いた、同じ種類の崩れ方。
まだ浅い。
二番よりも、二回りは浅い。
でも、同じ音だ。
初めての夜は、賑やかな倍音だと思った。
賑やかに聴こえたのは、溶けかけた境目から、音が漏れていたからだ。
「……当たっちゃいました?」
瀬川さんが、小さい声で聞いた。
「当たりました」
手帳に、日付と、聴いたことを書いた。
「当たってほしくなかったですね」
「はい」
「瀬川さん。耳、いつの間に」
「毎晩、灰田さんの隣にいたので。……何がどう変かは、全然言えないです。いつもと違う、が分かっただけで」
いつもと違う、が分かる耳は、いつも、を持っている耳だ。
毎晩の停止帯が、この人の中に、いつも、を作っていた。
「十一番は、急ぎ側の列に並べます。六番の工程を、人ごと横に移せるかどうか、朝、組合と話します」
「……また、始まるんですね」
「始まる前に、始めるんです」
◇
金曜の朝の窓で、六番の差分は、ゼロだった。
「六番、止まりました。四十一日の側に、戻っています」
瀬川さんが、ボードの残り日数の欄を、ゆっくり消した。
数字の消えたボードの前で、誰も拍手はしなかった。
代わりに、息を吐く音が、あちこちで揃った。
護衛のS級は、その日で任が明けて、最後の組も定時で潜って定時で上がり、律儀に帰っていった。
遊びのない留め具の音が、二人ぶんずつ、順に遠ざかっていった。
組合の代表の人が、ヘルメットを脱いで、俺と瀬川さんに順番に頭を下げた。
下げられた分だけ、こちらも下げ返した。
頭の下げ合いに、言葉は要らなかった。
十二日と宣告した枠は、一日を残して閉じた。
数字の帳尻は、合った。
合わせたのは俺ではなく、地下で金物を締め続けた人たちだ。
◇
昼、突貫明けの保全室に出た。
室長椅子のビニールを、剥がして、座った。
絶対ですよ、と言われてから、四日目だった。
座り心地を確かめる前に、立って、壁の系統図の前で二人に言った。
「第九の十一番に、四番と二番と同じ歪みが出ました。三本目です」
秋津さんのペンが止まって、猪狩さんの眉が動いた。
「六番は、速さの病気でした。四番と二番と十一番は、音色の病気です。様式の欄で言えば、別の欄です。その別の欄が、三つの別のダンジョンで、揃って埋まりました」
一度、息を吸った。
四番の夜から、ずっと、これを言わずに数えてきた。
「市内の柱が、揃って下がり始めています。別々の理由では、説明がつきません」
部屋が、静かになった。
猪狩さんは、しばらく黙って、それから、椅子の下から例の厚い鞄を引き出した。
「……実は、あれから、生ログを見る癖がついてるんですよ」
机の上に、打ち出しの束が積まれた。
第七の八本ぶんの生ログと、情報公開の年度アーカイブと、並べ方を書き写したノート。
「ネットの連中がやってた並べ方があるんです。ドリフトの始点で揃えるやつ。……市内二十七本で、やってみませんか。権限、もう、あるでしょう」
形になるまで黙っていた人の、形が、机の上に載っていた。
「やりましょう」
午後いっぱい、三人で並べた。
三人と椅子四つの部屋が、紙で初めて狭くなった。
俺が端末から、第三柱を入れて、残りの十九本を引き、秋津さんが打ち出し、猪狩さんが各柱の始点に赤鉛筆で印をつけていく。
夕方、壁の系統図の下に、二十七本ぶんの紙が横一列に並んだ。
ほとんどの柱の赤い印は、ばらばらの場所にいた。
年の単位で、散っている。
六番の印も、三本からは離れた場所に、一つだけ立っていた。
速さの病気は、速さの病気で、勝手に始まっていた。
四番。
二番。
十一番。
三本の赤い印だけが、同じ週の中にいた。
定規を当てるまでも、なかった。
秋津さんが、ノートから顔を上げた。
「この週って」
言いかけて、やめた。
やめた続きを、俺が引き取った。
「第三柱の、始まった週です」
検証班が特定した、生ログのドリフトの始点。
俺が最後の巡回で、いつもの音を聴いた日の、その午後。
四本目は、もう立っていない柱だった。
猪狩さんが、赤鉛筆を置いた。
置いた音が、部屋で一番大きい音だった。
「……これ、上に言うと大事になりますよ」
「大事なので」
◇
夜、保全室に一人で残って、報告書を書いた。
様式第一号の、最初の一枚は、十一番の記録になった。
作った紙を、作った本人が最初に使うことになるとは、思っていなかった。
その一枚を隣に置いて、報告の用紙に、事実だけを並べていく。
日付と、聴いたことと、二十七本の紙の示すこと。
推測は、一行だけにした。
「市内三基の結界柱に、同一時期を始点とする同種の劣化進行が認められる」
書き終えて、宛先の欄で、ペンが止まった。
公社の所長宛てでは、この紙は市の中で止まる。
市の中で説明のつかないものは、市の外へ運ばないと、説明できる相手に届かない。
市の上は、国か。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
続きが気になったら、評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




