表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョン点検員、リストラされる。〜「何もしてない」と切られた俺の巡回ルートで、翌週から事故が止まらない〜  作者: 更田遅筋


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/25

第25話 保全室長・灰田

月曜の朝の窓で、六番の差分を取った。


残り四日、予定どおり。


支持部の処置は、最後の金物の仕上げに入っている。


「昼から、公社に呼ばれてます。夕方には戻ります」


「例の、あれですか」


瀬川さんが、ボードにマグネットで俺の行き先を貼った。


行き先を貼られる身分に、いつの間にか戻っていた。



公社の受付で、鶴見さんが顔を上げた。


「灰田さん。お待ちしてました」


カウンターの上に、俺宛ての書類が、もう揃えて置いてあった。


辞令の綴りと、入構証の更新と、判を押す場所に付箋。


「更新の面談、終わりました」


書類を差し出しながら、彼女は言った。


「五分で終わりました。次の一年も、ここに座ります」


「よかったです」


「それで、これは受付からの連絡事項なんですけど」


彼女は、少しだけ声を改めた。


「保全室の書類は、全部、受付を通りますから」


どの部屋で仕事をしても、紙の通り道は一つですから、と彼女は言った。


座る場所を、また自分で選んだ人の言い方だった。



所長室で、辞令を渡された。


辞令は、一枚の紙だった。


十年を終わらせたのも書類七枚で、部屋を一つ始めるのも紙一枚だった。


「設備保全室の設置と、灰田さんの室長就任です」


「室長、ですか」


「はい」


「点検員では、駄目ですか」


臨時顧問のときと同じ交渉を、俺はもう一度試みた。


所長は、今度は引かなかった。


「室長の名がないと、予算と人事の権限が持てないんです。点検の順番を決めて、人を動かして、金物を買う。灰田さんが十年、一人でやってきたことを、今度は書類の上でやってもらうための名前です」


権限、という言葉を、頭の中で転がした。


書庫の施錠をやめた人が、権限の話をしている。


「……権限は、鍵の親戚ですね」


「そうです。開けるほうの鍵です」


呑むことにした。


肩書は、道具だ。


道具なら、使えばいい。


辞令と一緒に、端末の権限証を渡された。


「市内二十七本の生ログ、今日から全部閲覧できます。第七も、第四も、第九も」


画面に、二十七本の名前が並んだ。


四番と二番の生ログが、初めて同じ画面の中にいる。


並べて読むのは、第九が終わってからだ。


今週の俺の耳は、六番のものだった。



保全室は、書庫の隣の小部屋だった。


長机が一つ、椅子が三脚、総務から借りた丸椅子が一つ、壁に市内三基の系統図。


ドアには、印刷したての紙が一枚、貼ってあった。


設備保全室。


紙の看板は、部屋より先に仕事を始めている気がした。


椅子の一つに、猪狩さんが座っていた。


「兼務辞令、もらいました。週の半分は、こっちです」


「第七は、いいんですか」


「崩落のあと、うち、公社預かりの出向って形になりましてね。もともと半分、公社の人間なんですよ」


猪狩さんの足元には、やけに厚い鞄が置いてあった。


聞く前に、彼は鞄を椅子の下へ押し込んだ。


もう一つの椅子には、秋津さんがいた。


「今日付で、異動になりました。……大久保班長が、うちの見習いを取るのか、って、電話口で三十分渋ったそうです」


渋ってもらえる見習いに、なった、ということだ。



室の最初の仕事は、決めてあった。


書式だ。


聴音点検の結果を書き込める、公文書の様式。


数値に出てない憶測で臨時点検は組めない、と言われた日から、ずっと欠けていたものを、言われた側が作る。


紙に、枠を三つ引いた。


音程の変化。


音色の濁り。


進行の速さ。


「別々の欄なんですね」


秋津さんが、覗き込んだ。


「別々の病気なので」


夕方、様式の決裁を取りに、総務の担当の人が来た。


俺は欄の説明をした。


「音程が下がる速さと、倍音の崩れは、独立に動きます。速いが濁らない例と、遅いが濁る例が、両方あります。だから欄を分けないと、順位が」


担当の人は、書類と俺の顔を、三往復した。


伝わっていない顔だった。


俺が言い直す前に、横から秋津さんが言った。


「熱の欄と、咳の欄です。熱が高い順に診るか、咳が悪い順に診るか、両方見ないと決められないので、別の欄なんです」


「……ああ! なるほど」


担当の人は、二つ返事で決裁欄に判を押した。


一度で、通った。


通したのは、俺の言葉ではなかった。


隣で秋津さんが、今の説明をノートに書き留めていた。


自分の言葉を、自分で記録する係でもあるらしい。


「あの、ついでに伺いますけど」


判を押した担当の人が、様式を眺めて言った。


「音程って、機械で測って数字にできないんですか。そのほうが早くないですか」


「監視盤は、周波数を録っていません。三十年前の設計のままなので」


「録るように直せば」


「録れても、柱ごとの地声の癖と、劣化の濁りのあいだに、線が引けません。マイクを立てても、倍音の層が落ちます」


「じゃあ、当面は、耳なんですね」


「当面は、耳です」


だからこの様式には、耳が聴いた結果しか書けない。


書けるのは結果だけで、聴き方は書けない。


書きながら、そのことばかり考えていた。


聴き方を渡す方法は、この紙の外に、まだ丸ごと残っている。


数字が書式で出たら、戻ります、と言った人がいた。


この紙は、ああいう人の机まで届く形をしている。


届く形で書くのが、公文書だ。



十九時、様式の清書が終わった。


右上の欄に、様式番号を振った。


保全室様式、第一号。


一号と書ける日が来るとは、保全課の島で頭を下げていた頃の俺は、思っていなかった。


俺は上着を取った。


第九の夜の停止帯まで、まだ間がある。


その前に、第七の換気塔を、久しぶりに一本だけ——


「室長」


ドアの前で、秋津さんに捕まった。


「今日、この椅子に一回も座ってません」


「座ってましたよ」


「それ、総務から借りてる丸椅子です。返す椅子です。室長の椅子は、そっちの、まだ誰も座ってないやつです」


言われて見ると、長机の奥の椅子だけ、梱包のビニールが掛かったままだった。


「……明日、座ります」


「絶対ですよ」


椅子は逃げないが、音は逃げる。


そう言いかけて、やめた。


時計を見ると、押し問答のあいだに、寄り道のぶんの時間が消えていた。


換気塔は、突貫明けの順路に足す。


俺は第九に戻った。



深夜一時すぎ、第九の事務所で仮眠していたら、内線が鳴った。


停止帯の見回りに出ていた、瀬川さんからだった。


『灰田さん、すみません、起こして』


「いえ。どうしました」


『今、停止帯で……灰田さんの真似して、聴いてたんです。毎晩横で見てたんで、つい』


瀬川さんの声が、一度、途切れた。


『俺の耳なんで、自信はないです。ないんですが』


「はい」


『——六番じゃない柱の音が、変です』


最後まで読んでいただきありがとうございます。

続きが気になったら、評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ