第22話 徹夜明けの朝礼
工程表が書き上がったのは、明け方の四時だった。
第九の事務所の机で、瀬川さんと二人、班割りと退避線と笛の取り決めを、一晩かけて紙にした。
深夜一時の停止帯には、二人で六番の音を聴きに出た。
四十五分の静寂の底で、六番の唸りは、嫌な感じに低かった。
気がした、では数字にしない。
それに、差分は、同じ条件の窓同士でしか取れない。
昨日の基準が朝の窓なら、今日の答えも、朝の窓で取る。
そう決めて、机に戻った。
仮眠は、椅子で一時間だけ取った。
朝のシフト交代、コンベアが半速に落ちる十分間。
騒音の底から六番の唸りを引き上げるのに、昨日の倍かかった。
騒音のせいだけでは、なかった。
徹夜の耳は、鈍る。
耳は、目より先に壊れます——秋津さんに言った言葉が、そのまま自分に跳ね返ってきた。
だから、差分は二度取った。
一度目と二度目が同じ数字を指すのを確かめてから、顔を上げた。
「瀬川さん。予定どおりなら、残り十三日のはずです。——十二日です」
瀬川さんの喉が、上下した。
「一日、食われた」
「夜のあいだの進みが、読みの上を行きました。ずれるなら、前に、と言ったとおりです。悪い報せですが、驚く報せではないです」
「……朝礼で、そのまま言いますか」
「そのまま言います。丸めた数字は、現場に信じてもらえないので」
◇
朝礼は、ゲート脇の資材置き場でやった。
第一陣の補修班が十二人。
護衛のS級が二人——四人が、二人ずつの交代で回すのだそうだ。
第九の保全班が三人、第四から応援に来た大久保さんの班が三人。
第一陣は、これで二十人。
昼から入る第二陣が十四人で、今日の名簿は、合わせて三十四人になる。
朝日の中に、ヘルメットが並んだ。
「今朝の測定で、期限は残り十二日です。昨日より、一日縮みました」
小さいざわめきが走って、消えた。
「この数字は、毎朝、俺が引き直します。縮むことはあっても、伸びることはないと思ってください」
それから、決めごとを順番に言った。
コンベアの緊急停止は、各層の赤い引き綱。
引いたら、戻るまで動かない。
迷ったら、引く。
止めた責任は、全部こちらで持つ。
三十一層から下は、北から風が回り込んで、粉塵が滞る。
火花の作業の前に、必ず風を確かめる。
笛は、短く二回が退避、長く一回が集合。
無線の通らない場所では、笛だけが声になる。
「最後に一つ。湧きの気配があれば、俺の無線で作業を止めます。三分止まったら、そういうことだと思って、手を止めて、音を立てないでください」
出た質問は、二つだった。
「引き綱を引いて、何もなかったら、どうなります」
「何もなかった、が一番いい報告です」
解散のとき、大久保さんが横に来た。
「灰田さん。あんた、寝てないでしょう」
「一時間、寝ました」
「顔に、徹夜って書いてありますよ」
大久保さんは、俺の顔をしばらく見た。
「前にも言いましたがね。こういう夜、多すぎやしませんか」
「今日は、特別です」
「特別が続くんですよ、あんたの場合」
返す言葉がなかったので、黙っておいた。
昼まで仮眠、の約束をさせられた。
備品じゃない、と言った人に、備品より丁寧に管理されている。
◇
昼、事務所の仮眠室で目を覚ますと、弁当が届いていた。
三十四個。
数えてから、入坑のボードを見た。
規制区画の中にいるのが二十六人、地上と浅層に八人、合わせて三十四。
数が、合っている。
ボードの正の字は、秋津さんの字だった。
今朝から、規制区画に入る人と出る人を数える係を、彼に頼んである。
「これ、崩落のときのあれですよね。資料で読みました」
「型は、同じです。中に何人いるかは、いつでも言えるようにしておきます」
秋津さんのノートは、初現場の半日で、もう真ん中まで来ていた。
弁当を配りながら、大久保さんが言った。
「そういえば、おたくの会議で、保険が降りたそうで」
「降りました。正しい降り方でしたけど」
「うちにも先週、査定の人が来ましてね。静かな人でした。第四は応急と規制が入っているので、通常の扱いです、って。それだけ確かめて、帰っていきました」
応急が入っていて、規制が効いていて、実害が出ていない。
だから、通常。
期限つきの柱を抱えたまま掘り続ける第九とは、扱いが違う。
正確な人だ、と思った。
◇
午後は、六番の柱身の点検口にいた。
作業の打撃音が、柱を伝って上がってくる。
打つ、返る、打つ、返る。
いい調子の音だった。
三時前、返りの底に、砂を撒くような足音が混ざり始めた。
小物の群れが、振動に寄ってくる音だ。
数は多いが、足が軽い。
「作業、三分止めてください」
無線に言うと、地の底の打撃音が、すっと消えた。
足音の群れは、寄る先を失って、散り始めた。
散り切らずに残った一群れだけが、作業場のほうへ流れた。
三分きっかりで、無線が鳴った。
『こちら護衛。片付いた。怪我人なし』
姿勢のいい、あの仏頂面のS級の声だった。
『数は五。……聞くんだろう、あんた。同業から聞いてる』
「助かります。明日の読みに使います」
ボードの端に、秋津さんがメモを書き足すのが見えた。
五、と書いてあった。
◇
夜、公社から報せが届いた。
事務所のファクスが吐いた紙を、瀬川さんが持ってきた。
国の調査団の中間報告が上がり、理事会が招集された、とある。
日付は、水曜。
議題は、二つ。
「第七ダンジョンにおける設備事故ゼロの真因について」
「当該職員の解雇の経緯について」
真因なら、俺も知りたい。
そう思ってから、一拍おいて、気づいた。
当該職員というのは、俺のことか。
自分が議題になる感覚は、どうにも実感が湧かなかった。
俺の期限は、理事会ではなく、十二日のほうだ。
紙を畳んで、明日の朝の窓の時間を、頭の中で確かめた。
◇
――同じ夜。第七の詰所。
保全課の島に、猪狩だけが残っていた。
机の上には、第七の八本ぶんの生ログの打ち出しと、情報公開ページから落とした、年度締めの古い綴り。
ノートには、ネットの検証班がやっていた並べ方が、書き写してある。
ドリフトの始点で、揃える。
八本ぶんを並べ終えて、猪狩は首の後ろを揉んだ。
「……第七だけじゃ、足りんな」
市内の柱は、二十七本。
残りの十八本の、いま動いているログは、猪狩の権限では見られない。
横断で見られる人間は、今のところ、市のどこにもいない。
そういう部署が要るんだろうな、と思いながら、猪狩は打ち出しの束を、鍵のかかる引き出しにしまった。
形になるまでは、言わない。
形になっていないものを、あの耳の横に置くのは、失礼な気がした。
◇
夜十時前、スマホが鳴った。
鶴見さんだった。
「灰田さん。夜分にすみません」
声は、いつもどおりだった。
いつもどおりに聞こえるように話しているのが、電話越しでも分かった。
「理事会の件、ご存じですか」
「今日、報せが来ました。水曜だそうですね」
「はい。それで、私」
短い息継ぎが、一つ。
「——呼ばれました。証人として」
何を証言するのか、とは聞かなかった。
日付と、見たこと。
あの人が言うのは、いつだってそれだけだ。
「鶴見さん」
「はい」
「いつもどおりで、大丈夫です」
電話の向こうで、少しだけ間があって、それから、笑う気配がした。
「……受付が慌てたら、みんなが慌てますから」
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