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ダンジョン点検員、リストラされる。〜「何もしてない」と切られた俺の巡回ルートで、翌週から事故が止まらない〜  作者: 更田遅筋


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第20話 第九、封鎖前夜

約束の月曜から、二日遅れた。


水曜の朝、第九ダンジョンのゲート前で、瀬川さんは立って待っていた。


「灰田さんですか。……本当に、来てくれた」


「遅れてすみません。新人が来まして」


「二日なんて、誤差です。五年、こういう話の持って行き場がなかった口ですから」


持って行き場、の意味は、その日の午後に分かることになる。


第九は、海の匂いがした。


湾岸の埋立地に、貨物線の引き込みと、魔石の集積場と、ゲートが並んでいる。


第七は専用の敷地で、第四は駅前の地下だった。


第九は、工場だ。


探索者の姿は数えるほどで、行き交うのは作業服とヘルメットばかり。


地下四十五層。


柱は十二本。


市で一番深く、一番うるさいダンジョンだ。


うるさい、というのは比喩ではない。


ゲートをくぐった瞬間から、搬出コンベアの駆動音が、床と壁の全部から鳴っていた。


魔石を層から層へ運び上げる主コンベアが、全層を斜めに貫いている。


これが第九の背骨で、市の産業の背骨でもある。


瀬川さんが、ポケットから耳栓を差し出した。


「どうぞ。うちの見学者には全員渡してます」


「要らないです」


「工場ですよ、ここは」


「耳が、仕事道具なので。塞ぐと、今日の第九の音を覚えられません」


瀬川さんは、しばらく俺の顔を見てから、耳栓をしまった。


「……騒音まで覚えるんですか」


「騒音の中に、柱の音が埋まってるので。埋まり方から覚えます」


「灰田さん、これじゃ柱の音なんて聴こえないでしょう」


「聴こえないですね。今は」


「深夜一時から、保守停止帯が四十五分あります。コンベアが全部止まる、一日で唯一の時間です」


「止まる以外に、遅くなる時間はありますか」


「……朝のシフト交代の十分だけ、半速に落としますが。止まりはしませんよ」


「半分なら、聴けます。では、今夜の一時と、明日の朝に」


「……徹夜になりますよ」


「柱の音は、柱の都合のいい時間にしか聴けないので」


現場ごとに、聴ける時間は違う。


第七は朝が静かで、第四は閉場後で、第九は深夜の四十五分。


耳の時間割は、街の側が決める。



昼のあいだ、事務所で瀬川さんの話を聞いた。


「電話で聞かれたでしょう。どの柱の、どの音が気になるか」


瀬川さんは、机に紙の束を置いた。


自分で印刷した、振動値の生ログだった。


「音じゃ、ないんです。俺は削岩上がりで、耳より手なんですよ。半年前から、六番柱の近くの岩盤だけ、削ったときの跳ね返りが変わった。硬いはずの返りが、こう、一枚布を挟んだみたいに鈍い」


岩の返事で気づく人だった。


大久保さんは鼻で、瀬川さんは手のひらで、それぞれの現場を読んでいる。


「それで、ネットの検証スレ、読みまして」


「検証スレ」


「灰田さんの、崩落のやつです。あそこの連中が、市内三つのダンジョンの十年分のログを表にしてたでしょう。ドリフトの始点、ってやつ。……あの表の中に、うちの五年前の事故も入ってたんです」


瀬川さんの声が、少しだけ平らになった。


「搬出コンベアの支持梁が、落ちました。下にいた二人が、大怪我をした。片方は、今も現場に戻れていません。……で、スレの表によると、生ログには四十日前からズレが出てたそうです。四十日。誰も読まなかった四十日です。読み方があると、誰も知らなかった」


「……」


「俺はあの日、梁の下から二人を引きずり出した側です。だから、スレを読んでから、見よう見まねで六番のログを引きました。これです」


言いながら、瀬川さんは机の引き出しを開けて、紙の上に、小さな金物を一つ置いた。


曲がったボルトだった。


「落ちた梁の、支持ボルトです。処分するとき、一本だけもらいました。……忘れそうになったら、見るんです」


ボルトは、根元から素直に曲がっていた。


一気に折れたのではなく、長い時間をかけて、疲れて、曲がった形だった。


この曲がり方になる前に、音は、何十日も鳴っていたはずだ。


聴いた者が、いなかっただけで。


紙の束を、俺の前に滑らせる。


閾値のはるか下で、細かいズレが、確かに始まっていた。


「上に言う根拠には、なりません。数字は規定の中だ。それは五年前と同じです。……でも、今度は、先に言う側になりたかった。それで、あんたに電話しました」


三週間前の俺と同じ声、だと思っていた。


違った。


この人は、俺より重いものを持って、同じ場所に立っている。


「聴きます。今夜」


「……お願いします」



深夜一時。


コンベアが、止まった。


止まる瞬間は、音が消えるというより、床が一枚、軽くなる感じだった。


四十五分だけの、第九の静寂。


近くの詰所で、夜勤の作業員たちが、声を落として休憩に入るのが分かった。


止まっている機械の横で、人も静かになる。


工場の礼儀みたいなものだと思った。


静寂といっても、耳の中ではまだ駆動音の残響が鳴っている。


三分待って、耳から工場を追い出した。


それから、六番の柱身の点検口で、聴いた。


基部の音は、柱そのものを伝って、上がってくる。


速い。


唸りの下がり幅が、一日単位で分かる速さだ。


第三柱の、あの崖を思い出す速さ。


でも。


倍音の層を、上から順に確かめる。


二層目と三層目の境目。


立っている。


滲んでいない。


第七の四番とも、第四の二番とも、違う。


これは、あの形じゃない。


「……どうです」


停止帯の終わりに、瀬川さんが聞いた。


「速いです。かなり。ただ——第三柱とは、濁り方が違います。というより、濁ってない。音色は崩れてないんです。速いだけです」


「速いだけ、って」


「速いのには、たぶんこの現場の理由があります。六番の区画を、主コンベアの桁が貫通してますね」


「……ええ。設計のときから」


「二十何年ぶん、桁の振動が支持部に入り続けてます。振動疲労です。岩の返りが鈍いのも、支持部の緩みが岩盤に逃げてるからだと思います」


「半年前から兆候があって、なんで今、こんな速さに」


「緩みが、線を越えたんだと思います。支持部の遊びは、ある大きさまでは、ゆっくりしか育ちません。線を越えると、遊びが遊びを削って、加速します。半年かけて線まで来て、最近、越えた」


理由の輪郭が見える劣化は、怖いが、戦える。


理由の見えない濁りとは、別の敵だ。


残りの時間で、隣の五番と七番、それから対角の柱を数本、聴けるだけ聴いた。


十二本ぶんの「昨日」を、今夜から作り始める。


十一番の倍音が、少し賑やかだった。


癖か、濁りか。


初対面の柱は、まだ分からない。


たぶん、で止めておく。



翌日の夜、二度目の停止帯で、六番の差分を取った。


一日ぶんの下がり幅が、数字になった。


逆算する。


「瀬川さん。今夜を基準に、十六日です」


「じゅう……」


「十六日で、六番の支持部が保たなくなります。ただしこの数字は、毎朝引き直します。ずれるなら、前に、です」


瀬川さんは、その場で所長に電話をかけた。


電話の声は、五年待った人の声ではなく、五年ぶんを一晩で取り返す人の声だった。


夜明け前、事務所の机で、俺は紙を二枚書いた。


一枚目。


全面封鎖案。


安全で、確実で、市の産業が止まる。


二枚目。


部分封鎖と、集中修繕の案。


六番の受け持ち区画、三十一層から下だけを閉じて、上を生かしたまま、十六日以内に支持部を処置する。


会議は、土曜だ。


机の上の二枚が、朝日で白くなっていくのを、瀬川さんと二人で見ていた。


「灰田さん。どっちが通ると思います」


「通したいほうを、通しに行きます」


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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