第18話 【閑話】S級火村・潜れない日
――火村剛視点
S級になって七年、こんなに潜っていない月は初めてだ。
第七は封鎖。
第四は浅層規制で、深層アタックの申請が通らない。
深層へ降りる順路が、規制中の区画の脇を通るんだそうだ。
応急処置は入ったらしいが、規制の解除は、経過を見てからだそうだ。
直した、と、直ったのを確かめた、は別の手続きらしい。
あの男の流儀だな、と思う。
残るは第九だが、あそこは採掘優先で、攻略枠がもともと細い。
ギルドの詰所で、俺は三日続けて、装備の手入れだけをしていた。
例の要望書に名を連ねたS級は、俺を入れて五人いる。
五人とも、今は暇だ。
一人は釣りに行き、一人は後進の指導と称して昼から酒を飲み、残りは俺と同じで、詰所で装備を磨いている。
市内のS級が全員手持ち無沙汰というのは、考えてみれば、街が静かだということでもある。
悪いことじゃない。
ただ、体が鈍る。
手入れは好きだ。
だが、手入れした装備で潜らない日が続くと、剣がだんだん、不機嫌な音になる。
気のせいだと、先月までの俺なら言った。
今は、言わない。
「火村さん、公社から指名依頼です」
受付の姉ちゃんが持ってきた紙には、こうあった。
第七ダンジョン・四番柱補修班の護衛。
期間、本処置完了まで。
備考の欄に、こうも書いてあった。
「これまでB級二名で対応。灰田顧問の聴取により湧きの荒れの拡大が予測されるため、護衛等級を引き上げる」
つまり、あの男の耳が、俺を指名したようなものだ。
隣の席で、若いA級が笑うのが聞こえた。
「S級に護衛って。しかも工事現場の」
悪気はないんだろう。
先月までの俺も、同じことを思ったはずだ。
俺は依頼書に判を押した。
「受ける」
「え、受けるんですか。火村さんが?」
「守るために潜るのが本業だと、最近教わったんでな」
誰に、とは言わなかった。
言っても、まだ通じない。
◇
翌朝、第七のゲート前で、当の男が待っていた。
灰田は、紙を一枚、俺に渡した。
手描きの図だった。
第七の断面。
柱の位置。
そして、赤い印が三つ。
「今日、湧きが荒れる場所です」
「……予言かよ」
「予測です。第三柱が抜けてから、残りの八本は九本ぶんの仕事をしています。崩落直後の半日は、人が逃げるための猶予でした。今は、過負荷が続いている限り、荒れも続きます。だから封鎖しているんです」
「荒れる場所まで分かるのか」
「圧の甘い場所から荒れます。圧の甘い場所は、音で分かります。今朝の時点で一番甘いのは、ここ」
灰田は、赤い印の一つを指した。
十四層、北側の、風の合流点。
「時間は、昼過ぎ。数は、六から十。中型です。補修班の作業場所からは二区画離れてますが、音に釣られて寄ってきます」
「数まで分かるのか」
「幅でなら。崩落からこっち、毎晩、換気塔越しに荒れの足音を数えてきたので。ただ、塔越しの数は概算です。だから幅で言っています」
「昼過ぎって、なんで時間まで」
「換気の風向きが昼に変わるので。風が変わると、圧の甘い場所の空気が動いて、湧きが立ちます」
俺は図を見た。
退路が二本、青い線で引いてあった。
作業停止の合図、集合点、負傷者を上げる順路まで、余白に小さい四角い字で書き込んである。
「この図、公社の図面より詳しいんじゃねえのか」
「図面に載ってない場所も、あるので」
さらりと言うが、その台詞の意味を、この街の人間はもう全員知っている。
十二年前、順番待ちの列で剣の音を当てた男は、今、ダンジョン一つ分の未来を紙一枚に描いて寄越す。
「あんたは来ないのか」
「行きません。詰所の無線にいます」
知ってた。
聞いただけだ。
◇
補修班は六人だった。
十四層の四番柱の基部で、支持部の交換をやっている。
古い金物を切って、新しいのを入れて、締める。
火花と、削る音と、点検の声。
いい現場だった。
誰も無駄口を叩かず、誰も急がない。
急がない現場ほど、早く終わる。
護衛の仕事は、待つことだ。
俺は作業場の風上に立って、通路の暗がりに耳と目を配った。
昼、休憩の輪から、班長が湯呑みを一つ持ってきた。
「探索者さんに現場の茶を出すのは、初めてですよ」
「俺も現場で茶をもらうのは初めてだ」
茶は、濃くて、熱かった。
工事現場の茶の濃さで、この班が夜勤続きなのが分かった。
十二年、自分の剣の音だけは毎日聴いてきた耳だ。
他には何も聴こえない耳だが、剣が鞘の中で立てる小さな音の変化くらいは分かる。
昼過ぎ。
換気の風が、向きを変えた。
頬で分かるくらい、はっきり変わった。
三十秒後、無線が鳴った。
『火村さん。北の合流点、立ちました。そちらへ流れます。数は——』
「もう聞こえてる」
暗がりの奥から、爪が石を掻く音が近づいていた。
一つじゃない。
重なって、数えられない。
「班長、作業止めて、柱の裏へ! 合図があるまで出るな!」
補修班が、打ち合わせどおりに火を消して下がる。
俺は通路の狭まりまで歩いて、剣を抜いた。
抜いた剣は、機嫌のいい音がした。
久しぶりだな、と思った。
来たのは、牙走りの群れだった。
中型の、脚の速いやつだ。
普段は二十層より下にいる。
それが、目を血走らせて、十四層を駆けてくる。
先頭が跳んだ。
一匹目。
斬った。
二匹目、三匹目は、着地の位置が読めたから、置いた剣に勝手に当たった。
通路の狭まりを選んだのは、横に並ばせないためだ。
一列でしか来られない敵は、数がいても、一匹ずつだ。
四匹目は、天井を走ってきた。
天井を走るのは知っている。
だから上段は最初から空けていない。
五、六、七。
腕が温まってきた頃には、もう終わりが見えていた。
八匹目は、群れの最後で足を止め、迷った。
迷った獣は、引く。
引く前に、詰めて、終わらせた。
引かせて他の層に流すほうが、あとが面倒だからだ。
静かになった通路で、俺は剣の音を聴いた。
いい音のままだった。
「班長、もういいぞ!」
柱の裏から補修班が出てきて、何事もなかったように火花を再開した。
いい現場だ。
帰り支度の前に、ギルドの討伐報告を書いた。
種別、牙走り。
数、八。
数というのは、書いた先で誰かの役に立つものらしい。
最近、覚えた。
◇
夕方、地上に戻ると、無線から灰田の声がした。
『火村さん。お疲れさまでした』
「おう。あんたの図のとおりだった。風が変わって、三十秒で来た」
『よかったです。それで』
「なんだ」
『今の、何匹でした?』
……こいつは。
労いの次が、数か。
「八だ。八匹」
『六から十の、真ん中ですね。明日の予測に使います。ありがとうございます』
無線の向こうで、紙をめくる音がした。
今日の八匹も、あの四角い字で、どこかの帳面に並ぶんだろう。
俺は無線に向かって、言うつもりのなかったことを言った。
「灰田。俺はもう、お前が整備した階層しか、潜りたくないんだがな」
『第七は、当分封鎖ですよ』
「そういう意味じゃねえよ」
『どういう意味ですか』
「いい。切るぞ」
通じないのは知ってた。
言いたかっただけだ。
ゲートを出ると、西の空が赤かった。
明日も護衛だ。
S級の名折れだと、先月までの俺なら言った。
今は、こう言う。
いい仕事だ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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