第17話 応急処置と本処置
楔入れは、月曜の閉場後に始まった。
第四の二番柱の基部に、作業灯が四つ。
支持部の遊びに、樫の楔と、鋼の当て金を組みで打ち込んでいく。
打つのは、班の若い人だ。
俺の仕事は、聴くことだった。
「打ってください」
こん、と木の鳴る音。
「もう半打」
こ、と短い音。
「止め。次、隣」
楔の打音は、締まり具合で高さが変わる。
緩ければ鈍く、締まれば澄んで、締めすぎれば割れた音になる。
ちょうどいい音は、一箇所ごとに違う。
図面には書けない音だ。
だから、耳で止めるしかない。
打っていた若い人が、手の甲で汗を拭いて、聞いてきた。
「灰田さん。ちょうどいい音って、どんな音なんですか」
「その柱が、いちばん楽そうにしてる音です」
「……分かんないっすねえ」
「打ってれば、そのうち分かります」
「何年ですか」
「十年です」
「先に言ってくださいよ」
若い人は笑って、次の楔に木槌を構えた。
構え方が、一本目より良くなっていた。
途中で、木槌が一本、俺の足元に転がってきた。
拾って、渡すついでに、一箇所だけ自分で——と柄を握り直したところで、三方向から声が飛んだ。
「「「顧問はそこで」」」
大久保さんと、若い人二人の唱和だった。
木槌は、没収された。
「……音だけ、言います」
「最初からそうしてください」
作業の合間に、大久保さんが楔の一本を手に取って、しげしげと眺めた。
「しかし、木の楔に鋼の当て金ねえ。俺は三十年やってて、この組み方は見たことがないですよ。マニュアルにも載ってない」
「載ってないです。前任の人——南雲さんの記録にあった方法です。木は季節で膨らんで、締まり直すので」
「へえ。……その南雲さんってのは」
「俺も、記録でしか知らないです」
会ったことのない人の手順で、俺の十年は組まれている。
そのことを不思議と思ったのは、ずいぶん久しぶりだった。
夜半前に、十六組が入り終わった。
最後にもう一度、柱に耳を澄ます。
唸りの底の、支持部の遊びの音が、消えている。
濁りは、まだいる。
でも、揺れの逃げ場は、塞いだ。
「これで、どのくらい保ちます」
「進みが今のままなら、年単位です。ただし応急は、治療じゃないです」
俺は、打ち終わった楔の列を見た。
「順番待ちの列に、並ばせる技術です。列の先で本処置をしてやらないと、いつかまた抜けます」
「列、ね」
大久保さんは、手帳に何かを書いた。
たぶん、今の言葉だった。
◇
翌日は、第七の詰所で、猪狩さんと工程会議だった。
久しぶりの詰所は、封鎖中でも、ちゃんと詰所の匂いがした。
俺が使っていた机は、猪狩さんの書類の山になっていた。
それでいい、と思った。
机は、使う人のものだ。
机に、紙を一枚広げる。
「市内の結界柱を、数え直しました」
第七が九本、うち稼働が八本。
第四が六本。
第九が十二本。
「台帳の上では、二十七本です。生きて鳴っているのは、第三を引いて、二十六本」
「二十六の首か。……そう並べると、多いな」
「多いです。だから、順番です」
紙に、列を書いていく。
一番前。
第七の四番、本処置続行。
工期ひと月の、もう折り返しが見えている。
二番目。
第七の七番、資材の二本目が入り次第、着工。
三番目。
第四の二番、応急済み。
列に並ばせた。
本処置の資材は、七番の後に回す。
「第四の残り五本と、第七の残りは、定期の聴取で監視。今のところ、列に入れる音はしていません」
猪狩さんは、紙を覗き込んで、それから、俺の手帳に目を留めた。
開きっぱなしのページに、三本の柱の記録が並んでいた。
「……灰田さん。この、並べてあるやつは」
隠す相手ではなかった。
第三柱と、四番と、二番。
下がり方の形が似ていることを、そのまま話した。
猪狩さんは、聞き終わって、長いこと黙った。
「……それ、上に言わないんですか。市内で三本、同じ形って、相当な話でしょう」
「言いません。まだ」
「なんで」
「線を引くには、点が三つ要ります。生きている点が」
俺は、手帳の一本目を指した。
「第三柱は、もう聴き直せません。瓦礫の下です。記録は残ってますけど、俺の耳の記憶で、検証のしようがない。生きて鳴っている柱で数えると、四番と二番の、二本です」
「二本じゃ、駄目なんですか」
「二本は、偶然でも引けます。線は、三本目が乗って、初めて線です」
「……三本目が出るのを、待つんですか」
「待ちません。探します。それに——」
もう一つの理由も、正直に言った。
「生ログです。公開のページに出るのは、年度で締めた過去の分までです。いま動いている分に、俺はまだ触る権限がない。形が似てる、は俺の耳の話で、耳は書式に載らない。上に出すなら、いまのログの裏付けを揃えてからです」
十年前から、何も変わっていない理屈だった。
変わったのは、いつか書式を作れる場所に、俺が近づいていることだけだ。
猪狩さんは、頭を掻いた。
「……分かりました。けど、一個だけ言わせてください」
「はい」
「三本目が見つかるってことは、市内のどこかの柱がまた病んでるってことです。あんたの探し物が、外れることを祈ってますよ」
「俺もです」
これは、本当だった。
◇
木曜の朝、二番柱の前で、差分を取った。
楔を入れて、三日。
濁りの進みは、さらに落ちていた。
排水路で半分、楔でまた半分。
元の速さの、四分の一。
これなら、列に並んで待てる。
「効いてますか」
大久保さんが、後ろから聞いた。
「効いてます。列に並びました」
「そりゃよかった。……で、灰田さん。並んでるあいだ、あんたは次にどこへ行くんです」
答える前に、事務室の奥で、電話が鳴った。
若い人が取って、すぐに、変な顔でこちらを見た。
「班長。第九の保全班からです。……灰田顧問はそちらか、って」
大久保さんが受話器を取り、二言三言話して、俺に差し出した。
「あんたにだそうです」
受話器の向こうの声は、初めて聞く声だった。
初めて聞く声なのに、聞き覚えのある種類の声だった。
数字に出ないものを抱えて、どこに言えばいいか分からなくなった人の声だ。
三週間前の、俺と同じ声だ。
『第九保全班の、班長の瀬川といいます。突然すみません。その……うちの柱も、聴いてもらえませんか』
即答しかけて、手元の紙を見た。
四番の本処置。
七番の着工。
二番の経過観察。
列は、もう詰まっている。
「行きます。ただ、今週は動けません。来週の頭に伺います」
「それまでに、一つだけ教えてください。——どの柱の、どの音が、気になっていますか」
受話器の向こうで、息を呑む気配がした。
『……気になる音がある前提で、聞いてくれるんですね』
「あなたの声が、そういう声だったので」
電話を切ると、大久保さんが呆れた顔をしていた。
「来週の頭って、灰田さん、休みはどこに入れたんです」
「並んでます」
「何がです」
「休みも、列に」
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