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ダンジョン点検員、リストラされる。〜「何もしてない」と切られた俺の巡回ルートで、翌週から事故が止まらない〜  作者: 更田遅筋


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第14話 第四の柱は正常値のまま濁る

一日おいて、第四に来た。


朝一番で、六本を順に聴き直す。


初日に覚えた音と、今日の音の、差分を取る。


一番、三番、五番、六番。


差なし。


四番。


倍音の薄さは、初日とぴったり同じだった。


進んでいない薄さは、劣化ではなく、癖だ。


たぶん、が一つ消えて、確定に変わった。


こういう空振りが、点検の大半を占める。


空振りをちゃんと空振りと確かめるのが、仕事の半分だ。


最後に、二番。


柵に手をかけて、耳を澄ます。


濁りは、進んでいた。


倍音の二層目と三層目の境目が、初日より、ほんのわずかに溶けている。


二日で、これだけ。


遅い。


第三柱の崖とは、比べものにならないくらい、遅い。


このままなら、年単位で保つ計算になる。


急がなくていい、という意味ではない。


坂の傾きが緩くても、坂は坂だ。


そして、この濁り方の形は、緩い坂の形をしていない。


計器盤を見た。


二番の欄は、今日も全部、緑だった。


応急の段取りは、初日のうちに大久保さんが組んでいた。


ただ、楔に使う資材の入りが、週明けになる。


それまでの二番に、計器の代わりはない。


濁りの進みを知っているのは、市内でたぶん、俺の耳だけだった。



昼、ゲートの前で、見覚えのある機材とすれ違った。


「あーっ、おじさん!」


ルカさんだった。


撮影機のランプは、まだ点いていない。


「なんで第四にいるんですか」


「仕事です。ルカさんこそ」


「引っ越しです、引っ越し。第七、当分入れないから。今日から『第四編』始めるんですよ」


彼女は撮影機を担ぎ直して、少し笑った。


「おじさんが直した金具、まだ現役です」


「そうですか」


それで、と言いかけて、先に言われた。


「浅層にしとけ、って顔してますね」


「……はい。当分、第三層より上で」


「またそれだ」


ルカさんは、大げさにため息をついてみせた。


ついてから、あっさり頷いた。


「わかりました。浅層編スペシャル。前もそれで助かったからなあ、私」


「助かります」


「そのかわり、理由ができたら、ちゃんと教えてくださいね」


理由なら、今探している。


そう思ったが、口には出さなかった。



午後、事務室で、大久保さんに頼みごとをした。


「湧出記録を見せてもらえませんか。できれば、十年分」


「湧出記録? ……魔物の、ですか」


大久保さんは、目をしばたたかせた。


「柱の点検に、魔物の帳簿が要るんですか」


「要ると思います。たぶん」


「たぶん、ね」


大久保さんは笑って、倉庫から段ボールを三箱、運んできてくれた。


討伐報告の綴りだった。


日付、層、区画、種類、数。


探索者が持ち帰る報告を、ギルドと公社が二重に付けている。


几帳面な帳簿だった。


几帳面な帳簿は、それだけで半分、答えを持っている。


実際、半分どころではなかった。


綴りの各月の頭に、層と区画ごとの集計表が付いていた。


十年分は、この集計表で拾える。


全件を引き直すのは、直近の一年だけでいい。


「で、これをどうするんです」


「地図に、割り付けます」


第四の断面図を机に広げた。


六本の柱には、それぞれ受け持ちの区画がある。


柱は、自分の区画の魔素圧を抑えている。


だから、区画ごとに湧きの数を数え直せば、それは柱ごとの成績表になる。


「大久保さん、読み上げてもらえますか。俺が地図に印を付けます」


夕方から、二人で帳簿をめくった。


日付と区画を読み上げる声。


地図に正の字を刻む音。


途中から、班の若い人が二人、手伝いに加わった。


お茶が二回、配られた。


窓の外が暗くなって、地図の上だけが、正の字で黒くなっていった。



夜九時に、十年分が終わった。


四人で、地図を覗き込んだ。


正の字は、六つの区画に、ほぼ均等に散らばっていた。


去年までは。


「……最近の一年だけ、見てください」


最後の一冊から付けた、赤い印。


赤だけが、偏っていた。


二番柱の受け持ち区画。


そこだけ、赤い正の字が、目に見えて多い。


「数えます」


若い人が電卓を叩いた。


「他の区画の平均に対して……二番区画、この一年で、三割増です」


三割。


計器は、緑。


音は、濁っている。


そして魔物は、三割、増えている。


「どういうことです、灰田さん」


大久保さんが、地図から顔を上げた。


「柱が痩せると、抑えている魔素の圧が、その区画だけ甘くなります。圧が甘くなると、湧きが増える。数字になるほど、増える」


俺は、赤い正の字の群れを指した。


「魔物は、柱の悲鳴の翻訳です」


事務室が、静かになった。


「……うちの班は、この一年、二番区画の討伐が増えたのを、探索者が増えたからだと思ってました」


「入場者数は、確認できますか」


「横ばいです。それは月報で知ってる」


大久保さんは、自分で言って、自分で顔をしかめた。


「入りが横ばいで、討伐だけ三割増えてたのか。……数字は、ずっとここにあったのにな」


帳簿は十年、棚にあった。


読み方が、なかっただけだ。


それは誰の落ち度でもない。


俺だって、耳がなければ、この帳簿を開こうとは思わなかった。


「大久保さん。この増え方が続くなら、一つ、気になることがあります」


「なんです」


「湧きの数が増える次の段階は、数じゃなくて、質です。圧が甘い区画には、本来その深さに出ないものが、上がってきます」


一昨日、通気口で聴いた、あの重い気配。


さざなみの底の、床を擦る音。


「……この増え方が柱のせいなら、浅層は今、設計より重いってことですか」


「はい。出ないはずのものが、出る前に、手を打ちます」



手は、その夜のうちに打った。


打てる手は、湧きを止める手ではない。


湧きは、柱を直すまで止まらない。


打てるのは、出たときに、誰も死なない手だ。


第四の断面図に、大久保さんと線を引いた。


二番区画を通らずに、浅層から地上へ抜ける道。


東側の連絡通路を使う、遠回りの退避線。


「明日の朝までに、順路の掲示を東回りに替えます。誘導灯の向きも」


「無線の合図も決めましょう。『東回り』の一言で、全員がこの線に乗れるように」


「探索者への周知は、受付とギルド掲示で」


「上への報告は、朝一で俺が上げます」


大久保さんは、そう言ってから、少し笑った。


「昔なら、報告が通ってから動いたもんですがね。今は、動いてから報告しても、灰田さんの名前で通る」


通る名前になった覚えはないが、通るなら、使ってもらえばいい。


決めることを決めて、地図を畳んだ時には、日付が変わりかけていた。


大久保さんが、缶のお茶を投げてよこした。


「灰田さん。あんた、こういう夜、多いでしょう」


「多くないですよ」


十年で、こういう夜は、そんなになかった。


一人で決めて、一人で直せば済んでいたからだ。


四人で地図を囲む夜は、慣れていないだけで、悪くなかった。


帰りの地下通路で、通気口の前を通った。


足を止めて、耳を澄ます。


さざなみ。


換気扇の羽根。


その底に。


いた。


ず、と床を擦る、あの重い音。


一昨日より、少しだけ、はっきり。


方角は——二番の区画のほうだ。


三十秒で、また消えた。


赤い正の字の偏りと、同じ場所で、同じ音が鳴っている。


翻訳は、もう始まっている。


東回りの線を、頭の中でもう一度なぞってから、俺は地上に出た。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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