第11話 S級の同期
崩落から四日目の夜も、俺は北公園にいた。
換気塔の点検口に耳を当てて、八本の音を、一番から順に仕分けていく。
四番の歪みは、昨夜より、ほんの少しだけ深い。
進みは遅い。
第三柱の八日とは、明らかに速さが違う。
それでも、同じ種類の音だ。
猪狩さんには、四番が先、とだけ伝えてある。
歪みの正体をどう言葉にするかは、まだ決めかねていた。
似ている、というだけでは、報告にならない。
報告する先も、正確には、まだない。
足音が、聞こえた。
芝ではなく、園路の砂利を、まっすぐこちらへ来る音。
歩幅が広くて、着地が静かだ。
腰のあたりで、金属が触れ合っている。
いい音だった。
留め具にも、鞘にも、遊びが一つもない。
毎日手入れをしている装備は、歩くだけで分かる。
「……あんたか」
振り向く前に、声がした。
「探すのに三日かかった。公社の受付は口が固いし、住所もどこにも出てない。最後は、犬の散歩の人の書き込みだ。夜の北公園の煙突に、変な男がいるって」
振り向くと、大きな男が立っていた。
俺より、頭半分高い。
探索者の防具を、着たままだった。
こんな時間まで潜っていたのか、これから潜るのか。
「どちらさまですか」
「火村だ」
それで通じる、という顔だった。
通じなかったので、黙っていた。
「……S級探索者の、火村剛。テレビとか、見ないのか」
「すみません。持ってないので」
火村と名乗った男は、なぜか少し、嬉しそうな顔をした。
◇
「十二年前だ」
彼は言った。
「探索者試験の、実技会場。順番待ちの列で、隣の受験生がいきなり言った。——その剣、鍔の中で音が濁ってます。目釘に罅が入ってるかもしれません、って」
「……ああ」
思い出した。
「よく鳴る剣の人だ」
「顔じゃなくて剣で思い出すのか」
「顔は、音がしないので」
火村さんは、変な咳をした。
笑いをどこかへ逃がした音だった。
「俺はあのとき、因縁をつけられたと思った。本番前に相手を動揺させる作戦か、ってな。試験が終わって、受かって、一週間して、それでもなんとなく気になって、研ぎ屋に持ち込んだ」
彼は、腰の柄頭を親指で叩いた。
「目釘に、髪の毛みたいな罅が入ってた。研ぎ屋が言ったよ。次に本気で振ったら、飛んでたなって」
「間に合って、よかったです」
「刃が飛ぶってのは、自分が死ぬか、隣で振ってる誰かが死ぬかだ。実技は二人並んで振る。隣にいたのは、お前だ」
そこまでは、考えたことがなかった。
隣の剣が飛ぶ場面を、俺は一度も想像しないまま、音の話だけをして、落ちて、帰ったのだ。
「十二年、忘れたことがない。名前も知らない男の一言に、命を拾われたのをな。……で、先週だ。画面端のおじさんとかいう切り抜きが、ギルドの詰所で回ってきた。配信の嬢ちゃんが、あんたの金具の直しっぷりを語ってる動画だ。手に取って振って、中のバネのへたりを当てた、ってな」
「はあ」
「言い回しに、聞き覚えがあった。それで、崩落の夜の動画を見た。あんたが全部答えてるやつだ。声と、言い方で分かった。十二年前と、まったく同じ言い方だった。……ついでに思い出したこともある。あの会場で、実技の途中で教官に笛で止められた受験生がいただろう」
「三回とも、止められました」
「三回受けたのか」
「筆記は三回とも満点でした」
「……そこは張り合うところじゃない」
「実技の点は、聞くな」
「聞いてないです」
「俺が会場で一番だった」
「聞いてないです」
◇
火村さんは、点検口の横まで来て、換気塔を見上げた。
「単刀直入に言う」
見上げたまま、言った。
「お前の耳は、普通じゃない」
「よく言われるようになりましたけど、実感がないです」
「だろうな。その顔だ」
「毎日聴いてれば、誰でも」
「それだ」
彼は、こちらに向き直った。
「俺は十二年、毎日自分の剣の音を聴いてる。手入れの前と後で音が変わるのも分かる。それでも、鞘に入った他人の剣の、目釘の罅は聴こえん。十二年やって、聴こえん。——毎日やれば誰でも、は嘘だ。少なくとも俺という反例が、ここに一人立ってる」
言い方に、怒りに似た熱があった。
でも、俺を責めている熱ではなかった。
どう受け取ればいいのか分からなくて、俺は正直に言った。
「……俺は、南雲さんの記録どおりにやってるだけです」
「誰だ、それは」
「前任の点検員です。俺が配属される前の」
火村さんは何か言いかけて、やめて、その名前を胸のどこかへしまう顔をした。
「まあいい。今夜の本題は、そっちじゃない」
◇
「公社は今、国の調査団と、残り八本の段取りで揉めてる。連日、会議だそうだ」
彼は、砂利を一度、踏み鳴らした。
「ギルドの緊急会合で、おたくの保全課の主任が頭を下げてた。四番と七番を先にやらせてくれ、根拠は勘だ、ってな。……で、通った。誰も笑わなかった。あんたの勘は、もう勘の扱いを受けてない」
「猪狩さんが、そこまで」
「その答えを昨日の夜に即答した男は」
火村さんは、俺を指さした。
「無職で、夜の公園で、煙突に耳を当ててる」
「事実ですね」
「腹が立たんのか」
「立たないです。封鎖現場に無資格者は入れないので。猪狩さんが正しいです」
「……お前のそういうところに、俺は腹を立ててるんだ」
彼は、大きく息を吐いた。
「街で一番耳のいい男が、客席にいる。俺が言いたいのはそれだけだ。明日、S級の連名で公社に要望書を出す。生還者の会も動いてる。あの配信の嬢ちゃんの視聴者も、署名を集めてるらしい。外堀は、放っておいても埋まるぞ」
「俺は、別に、肩書が欲しいわけじゃ」
「知ってる。だから質が悪い」
火村さんは、換気塔の点検口を顎で指した。
「欲しいかどうかの話はしてない。——お前は今、柵の外から八百円で聴いてた男だ。あれの続きをやってる。俺が言ってるのは、点検口の鍵を正面から持たせろ、って話だ。それだけだ」
鍵。
その一語は、まっすぐ腹に落ちた。
「……鍵は、あったほうが、聴こえます」
「だろうな」
彼は初めて、はっきり笑った。
「三日で決めてやる。迎えが来たら、断るなよ」
「断ったら、どうなりますか」
「俺が毎晩ここへ通って、隣で素振りをする」
「……聴き分けの、邪魔になります」
「知ってる」
本気の顔だった。
返事を待たずに、砂利を鳴らして帰っていった。
いい音の装備が、遠ざかっていく。
俺は、点検口に耳を戻した。
四番の歪みが、今夜も、底のほうで鳴っている。
昨日より、半歩だけ、深く。
欲しいものを聞かれたら、答えはもう決まっていた。
肩書ではなく、鍵だ。
この音の正体を確かめに行くための。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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