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ダンジョン点検員、リストラされる。〜「何もしてない」と切られた俺の巡回ルートで、翌週から事故が止まらない〜  作者: 更田遅筋


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第10話 【閑話】受付嬢は知っている

――鶴見奏視点


受付の仕事は、数えることだ。


入った人を数えて、出た人を数えて、届いた書類を数えて、受け取った記録を綴じる。


十年やっていると、数えたものの癖まで、覚えてしまう。


提出物を出すときの、手つき。


判子の押し方。


書類を揃えるとき、机で角を叩くか、叩かないか。


受付は、人がいちばん素になる場所だ。


誰も、受付を見ていると思っていないから。



崩落から三日、公社は上を下への大騒ぎのままだ。


国の調査団、報道、保険会社、探索者ギルド。


受付には一日中、誰かが詰めかけている。


質問は、だいたい同じだ。


あの人は、今どこにいるのか。


連絡先を教えてほしい。


教えられません、と答えるのが、今週の私の主な仕事になっている。


今日は報道の人に、あの日の場内放送は誰が流したのかと聞かれた。


放送室の職員です、と答えた。


放送の原稿を書き取って、放送室まで走って届けたのが誰かは、聞かれなかったので、答えなかった。


受付は、放送設備に一番近い。


あの人に言ったとおりのことを、しただけだ。


私が出した進言の顛末書の話は、崩落の日を境に、誰もしなくなった。


処理されたのか、忘れられたのか、教えてくれる人はいない。


契約更新の面談だけが、来月の日付のまま、手帳に残っている。


宙ぶらりんというのは、案外、落ち着かないものだ。


それでも、後悔は一度もしていない。


指を三本立てた人の側に付いた自分を、私はたぶん、一生ほめる。


昨日は、名刺を三十枚受け取った。


全部、日誌の袋に入れてある。


いつか本人が要ると言ったら、渡せるように。



私は、灰田誠という人を、ほとんど知らない。


好きな食べ物も、住んでいる町も、休みの日に何をしているのかも。


十年、ほとんど毎日顔を見ていたのに、知っているのは「お疲れさまです」の言い方くらいだ。


でも、この公社の誰よりもよく知っていることが、一つだけある。


あの人の、記録だ。


巡回記録の提出は、毎日、十七時四十二分。


十年間、一分もずれなかった。


最初は、時報か何かで合わせているのかと思っていた。


違った。


巡回の順路と、歩く速さが、一分もずれていないのだ。


一度、第二昇降機の更新工事で、順路が変わった月があった。


その月だけ、提出は十七時四十五分になった。


翌月、順路が戻ったら、四十二分に戻った。


その月のあいだ、十七時四十五分は、一日もずれなかった。


狂う時さえ、狂い方が毎日同じだった。


時計ではなく、足で書かれた時刻なのだ。


記録の字は、小さくて、四角い。


疲れている日も、雨の日も、字の大きさが変わらない。


台風で午前閉場になった日も、記録は十七時四十二分に出た。


閉場で巡回が半分になった日は、報告も半分の行数で出た。


書くことを、盛らない人なのだ。


一度だけ、記録に感嘆符がついていたことがある。


五年前の夏だ。


「第二昇降機、主索交換。作業完了!」


次の日には、いつもの句点に戻っていた。


何がそんなに嬉しかったのかは、今も分からない。


私はその一枚だけ、綴りの中で、こっそり覚えている。


もう一つ、覚えていることがある。


記録の隅に、たまに、小さな図が描いてあった。


配管の枝分かれや、階段の断面。


図面を見ればいいのに、と思っていたけれど、あの人は図面を、いちいち開かなかった。


頭の中のほうが、たぶん、正確だったからだ。


崩落の日の「図面にない部屋」の話を聞いたとき、私は真っ先に、あの小さな図を思い出した。


綴りは、一年で三センチの厚さになる。


十年で、三十センチ。


受付で一年預かったあと、綴りは書庫に移る。


書庫で、九年。


今年の春、その三十センチを、査定部がまとめて取り寄せていった。


貸出台帳に、受け渡しをした私の判子が残っている。


あのときは、何の取り寄せかも知らずに、判を押した。


十年で、あの人が休んだのは、四日。


その四日分の記録も、翌日、まとめて提出された。


提出は、翌日の十七時四十二分だった。


休んだ日のぶんまで、時刻はずらさない人なのだ。


休んだ日の分まで書くことがあるのかと思って、一度だけ、中を見た。


「換気系統の音、乱れなし(自宅療養中につき、川沿いの換気塔にて確認)」


有給の届けには、「私用」とだけ書いてあった。


私用の中身が煙突なのは、たぶん、あの人だけだと思う。


熱を出して寝込んでいる日に、川まで歩いて、煙突の音を聴きに行っていた。


私はそのとき、この人は少しおかしいのだと思った。


今は、みんなが知っている。


あの崩落の日、受付のスピーカーから流れてくる無線を、私はカウンターを握って聞いていた。


北三番隔壁、赤いハンドル、左に十八回転。


十回転目で固くなるが、壊れていない。


淀みなく流れてくる指示を書き取って、放送の原稿にして、私は放送室へ走った。


走りながら、思っていた。


——ああ、あの十七時四十二分が、いま、百三十五人を歩かせている。


放送室から受付へ戻る廊下で、私は一度だけ、壁に手をついて息を整えた。


受付に戻ったら、いつもの顔で座った。


受付が慌てたら、みんなが慌てる。


それも、あの記録から教わったことだ。


慌てている字を、十年で一度も、見たことがないから。



昨日の夜、残業で、査定部のフロアに決裁の綴りを届けに行った。


フロアには、皆木部長が一人だけ残っていた。


部長は、私に気づかなかった。


机の上に、一冊の綴りが開いてあった。


遠目にも、分かった。


あの、小さくて四角い字。


灰田さんの、点検報告の綴りだった。


春に、私の判子で貸し出した、あの三十センチのうちの一冊。


部長はそれを、しばらく眺めて、閉じて、それから机の一番下の引き出しを開けて、奥のほうへ、しまい込んだ。


書類の山の、一番下に。


鍵の、回る音がした。


夜のフロアは静まり返っていて、小さな音ほど、遠くまで届いた。


フロアの時計は、二十二時を指していた。


十七時四十二分に判を押し続けた人の綴りが、残業の引き出しに沈む時間だった。


私は、声をかけなかった。


届け物を無言で棚に置いて、受付に戻って、日誌を開いた。


日付と、見たこと。


それだけを書いた。


灰田さんの話を最初に書き留めたのと、同じ日誌の、少し先のページに。


ページの間が、五日しか空いていないことに、書いてから気づいた。


世界がひっくり返るのには、一週間も要らないらしい。



私は、計器のことは分からない。


柱のことも、共振のことも、分からない。


ただ、記録のことなら、分かる。


記録は、書いた人間を裏切らない。


十年分の十七時四十二分が、あの日、百三十五人を歩かせたように。


だから、いつか、あの引き出しの綴りが要る日が来たら。


私は、貸出台帳の判子の日付と、昨日見たことを、言える。


それが受付の仕事だと教えてくれたのは、あの人だ。


本人は、教えたことも、知らないだろうけれど。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
順回路と歩く速度が同じでも、途中でこなす作業によって完了時刻は変わると思うのだけども。
部長、封印しちゃったかー 組織の財産なのに
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