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遅すぎた真実と、冷めた紅茶

週末の午後。直が買い物に出かけている静かな部屋で、仁のスマートフォンが震えた。


画面に表示されたのは、実家の母親の名前だった。

離婚の際、元妻の泣き落としに混乱し、息子を心配するあまり一方的に落胆していた母親からの連絡。仁は一瞬躊躇したが、意を決して通話ボタンを押した。


『……仁? 仁なの?』


受話口から聞こえてきたのは、詰まるような母親の泣き声だった。


『ごめんね……仁、本当にごめんなさい……!』


取り乱した様子の母親から告げられたのは、思いもよらない出来事だった。

一昨日の夜、元妻・美咲の両親が血相を変えて仁の実家を訪ねてきたという。美咲の隠していた巨額の浪費、そして不貞の証拠を突きつけられた両親は、深く頭を下げ、涙を流しながら謝罪してきたのだそうだ。


『美咲さんのご両親、土下座までして……「自分たちの育て方が間違っていた」「仁さんに全部押し付けていた」って……。仁、あんた、なんで黙ってたの? どうして一人でそんな泥をかぶってたのよ……!』


母親の声は動揺と後悔で破裂しそうだった。

親族の間にも真相は広まり、あんなに仁を心配しつつも「不甲斐ない」と失望していた連中が、今や一転して元妻への憤りを募らせ、仁に謝罪と同情の声を寄せているという。


『近いうちにみんなで謝りに行きたいって言ってるの。仁、一度実家に帰ってこられない?』


母親の言葉を聞きながら、仁はふと自分の胸に手を当てた。


(……不思議だな)


あんなに欲しかった「無実の証明」。

自分が黙って泥をかぶったことで、世間からどう見られていたか。あの暗闇の中で喉から手が出るほど欲しかった「自分は悪くない」という事実。


なのに、いざそれが明かされてみると、仁の胸に広がったのは安堵でも快感でもなく、ただ薄寒いほどに冷めた感情だった。


「……おふくろ」


仁の声は、自分でも驚くほど静かだった。


「もう、いいよ」


『え……?』


「俺が自分で選んで黙ってたんだ。誰のせいでもないよ。……ただ、今さら謝られても、何かが変わるわけじゃないんだ」


『仁、でも……』


「責めてるんじゃないんだよ。ただ……もういいんだ。あの家も、過去のことも。俺はもう、手放したから」


静かに告げて、仁は電話を切った。


自分が黙っていたのだから、周りが真相を知らなかったのは当然だ。誰かが悪いわけじゃない。

けれど、自分が必死で泥をかぶって守ろうとしたものの虚しさ、そして真相が分かった途端に掌を返して騒ぎ立てる周囲の狂騒に、仁は心底疲れてしまっていた。


真相が明かされたところで、傷つきすり減った月日が消えるわけではないのだ。


部屋に、再び静寂が戻る。


(俺を救ってくれたのは……『無実の証明』なんかじゃなかった)


仁は、テーブルの上に置かれた二つのマグカップを見つめた。


自分が無実だから救われたのではない。

自分がどれだけ不器用で、一人で勝手に泥をかぶって自爆していようと、あの嵐の夜に駆けつけ、何も聞かずに隣にいてくれた人がいたから、自分は今こうして息をしているのだ。


カタリ、と玄関のドアが開く音がした。


「ただいま。仁、スーパーで美味そうなパン買ってきたぞ」


大きめの買い物袋を抱えた直が、いつもの眩しい笑顔で入ってくる。


その姿を見た瞬間、仁の胸の奥がじんわりと熱くなった。

遅すぎた周囲の謝罪や同情よりも、目の前で「ただいま」と言ってくれるこの男の存在が、今の仁にとっての全てだった。


「……おかえり、直」


仁は小さく微笑むと、温かい紅茶を淹れるためにキッチンへ向かって歩き出した。

ずっと抱え込んでいた過去の重荷が、スッと体から削ぎ落とされていくのを感じながら。

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