メッキの剥がれる嘘
仁が直の部屋で少しずつ「心のゆとり」を取り戻し始めていた頃。
仁の知らない場所で、運命の歯車は静かに、けれど確実に動き始めていた。
仁と離婚し、全てを仁のせいにして実家へと戻った元妻・美咲。
彼女は当初、「夫の冷たさに耐えかねて逃げ出してきた可哀想な娘」として、両親から手厚く保護されていた。
『仁さんがあんな冷酷な人だとは思わなかったわ。美咲、よく耐えたわね』
『あんな男、別れて正解だ。慰謝料だってもっと請求してやればよかったんだ』
娘の涙ながらの訴えを鵜呑みにした両親は、仁や仁の実家に対して激しい憤りを覚えていた。
しかし、そんな哀れなヒロインの劇は、長くは続かなかった。
最初の違和感は、日常のふとした瞬間に表れた。
実家に戻ってきてからというもの、美咲は家事を手伝うわけでもなく、昼近くまで寝起きの生活を続けていた。そればかりか、スマートフォンを肌身離さず持ち歩き、誰かと頻繁にメッセージをやり取りしては、ニヤニヤと笑ったり急に不機嫌になったりを繰り返していた。
「美咲、少しは部屋の片付けでもしたら? 仁さんと別れてショックなのは分かるけど……」
「お母さんは黙っててよ! 私が今どれだけ傷ついてるか分かってないくせに!」
心配して声をかけた母親に対し、美咲はヒステリックに怒鳴り散らした。
今まで見せたことのない、あまりにも身勝手で情緒不安定な感情の爆発。両親は困惑しながらも、「離婚のショックのせいだろう」と自分たちを納得させようとしていた。
だが、決定的な破綻は、郵便ポストに届いた一通の封筒から始まった。
クレジットカード会社から届いた、美咲宛ての督促状。
不審に思った父親が、不在の美咲の部屋に入り、机の上に放置されていた利用明細や書類の山を目にしたのだ。
「……なんだ、これは」
そこに記されていたのは、仁と結婚していた時期からの、毎月数十万円にのぼる高級ブランド品や美容サロン、そして見知らぬ居酒屋やホテルの利用履歴だった。
仁の給料だけでは到底払えない額の請求。仁が「自分が至らないから」と必死で残業し、切り詰めていた生活の陰で、美咲は身の丈に合わない浪費を重ねていたのだ。
さらに、父親の目を疑わせたのは、ゴミ箱から見つかったテーマパークのチケットの半券と、手帳に挟まれた数枚の写真だった。
そこには、仁以外の見知らぬ若い男と仲睦まじく身を寄せ合い、笑顔を見せる美咲の姿が写っていた。チケットの日付は、仁とまだ結婚生活を送っていた半年前のものだった。
「……美咲、これはどういうことだ」
夜、帰宅した美咲を待ち構えていた両親は、テーブルの上に明細と写真を叩きつけた。
父親の顔は蒼白になり、母親は震える手で口元を押さえている。
美咲は一瞬で顔を跳ね上げ、動揺を隠すように叫んだ。
「な、なに勝手に人の部屋に入ってんのよ! 最悪!」
「誤魔化すな! この男は誰だ! この借金は何なんだ!」
父親の怒号がリビングに響き渡る。
「お前は『仁に冷たく追い詰められた』って俺たちに嘘をついていたのか!? 仁さんと結婚している間から、他の男と遊んでいたんじゃないのか!?」
「ち、違うわよ! これはただの友達で……仁が私に構ってくれないから! 仁が冷たいから私が寂しくて——!」
「いい加減にしなさい!」
母親が、涙を流しながら叫んだ。
「仁さんはね、あんたが実家に帰ってくるときも、一度だってあんたの悪口を言わなかったのよ! 『自分の不徳の致すところです』って頭を下げて……全部自分で泥をかぶって、身一つで出て行ったのよ!」
「……っ」
「あんたは仁さんが冷たいって言ったけど……仁さんは自分の口座の貯金を全部あんたの口座に残していったじゃない! それなのにあんたは……自分の浮気と借金を隠すために、仁さんを悪者にしたの!?」
真実を突きつけられ、退路を断たれた美咲は、その場にへたり込んだ。
言い訳の言葉はもう出てこなかった。ポロポロと涙を流し始め、やがて大声で泣き叫び出した。
「だって……仁は何を言っても怒らないし! 私がかばってくれって言ったら、『分かった』って言ったんだもん! 仁が良い人ぶるから悪いんじゃない!!」
最後まで自分を正当化し、仁の不器用な優しさに付け込んで悪者にしたことを自白した娘。
その醜い姿を目にした両親は、激しい羞恥と、仁に対する取り返しのつかない罪悪感で、その場に崩れ落ちた。
自分たちが責め立て、追い詰めてしまった、あの心優しい婿の姿が脳裏に浮かぶ。
「なんて……なんてことをしてしまったんだ……」
父親は頭を抱え、絶望的な呻き声をあげた。
仁の無実と、仁が背負わされていた残酷な嘘が、ついに白日のもとに晒された瞬間だった。




