言えなかった「友達」の言葉
涙を流し尽くしたあと、仁は直が出してくれた温かいお茶を一口すすった。
自分の部屋のアパートにはなかった、静かで満たされた空気。直の部屋のソファに深く腰掛けながら、仁の意識は再び、あの高校時代の残像へと遡っていった。
*
あの文化祭の翌日。
ふたりで夜遅くまで修復した「冒険の森」は大盛況となり、クラスのアトラクションとしては大成功を収めた。
だが、祭りの熱狂が去った後の教室には、どこか冷ややかで重苦しい空気が残っていた。
『あいつ、結局1人で直してカッコつけただけだよな』
『まあ自分が壊したんだから当たり前だろ。ヒーロー気取りかよ』
クラスメイトたちの間に流れる、微妙な浮き立ちと気まずさ。
みんな心のどこかで「自分たちも作業を手放して帰ってしまった」という後ろたさを抱えていた。けれど、それを認めたくない罪悪感の裏返しから、仁を「勝手にカッコつけた悪者」に仕立て上げることで自分たちの正当性を保とうとしていたのだ。
「みんなを守るために」と泥をかぶったはずなのに、前以上に浮いてしまった自分。
仁は自分の不器用さに落胆し、教室でますます小さくなっていった。
そんな重苦しい雰囲気を、一瞬で突き破ったのが直だった。
「仁ー! 昼飯食おうぜ!」
ガラッと扉を開けて入ってきた直は、クラスの冷ややかな視線など一ミリも気にしていない様子で、当たり前のように仁の席の前に椅子を引き寄せた。
「直……お前、俺といたら周りから何か言われるぞ」
心配して声を落とす仁に、直はフッと鼻で笑った。
「言いたい奴には言わせておけば? 俺は仁とメシ食いたいからここにいるだけだし」
直はクラスのムードメーカーでありながら、陰口や噂話の輪には絶対に加わらなかった。誰に媚びることもなく、周りの空気に流されることも一切ない。
仁と接するときも特別ぶるわけではなく、一点の曇りもないいつものまっすぐな笑顔を見せるのだ。
周囲は最初、怪訝そうな目を向けていた。だが、どれだけ日数が経っても、周囲がどれだけ冷ややかな視線を送っても、直の仁に対する態度には何一つブレがなかった。
(直は、あんなに普通に仁と笑って話している)
(あいつは誰を責めるわけでもなく、ただ自分の意志でそこにいるんだ)
(……本当にダサくてカッコ悪いのは、責任を押し付けて逃げた俺たちの方じゃないのか?)
直が言葉で誰かを咎めるわけでもなく、ただ「自分にとって仁が大切な存在である」という揺るぎない態度でそこに居続ける。その一点の曇りもない姿勢が鏡となって、クラスメイトたちは自分たちの浅はかさと向き合わざるを得なくなっていった。
誰が説教したわけでもない。直の姿勢によってクラスのギスギスした空気は少しずつ毒気を抜かれ、一人、また一人と自然に仁へ声をかけるようになっていったのだ。
仁の孤立は救われ、クラスとも穏やかに打ち解けることができた。
それでも——仁にとって直は、大勢の中の誰かではなく、いつだって「唯一無二の特別な親友」であり続けた。
2人で買い食いしながら歩いた夕暮れの帰り道。
テスト前にファミレスで並んで勉強した無言の安心感。
直といる時だけ、仁は飾らない自分でいられた。この温かい関係が、大人になってもずっと続いていくのだと、仁は疑っていなかった。
——あの日が来るまでは。
高校の卒業式。
式が終わり、夕暮れ色の光が差し込む誰もいない教室。
「直、俺たち卒業してもさ……」
仁はまっすぐな目で、生涯の親友へ最大の誠意を伝えようとした。
「……これからもずっと、良い友達で——」
『——あー、仁。そういう重いの、俺たち柄じゃないだろ』
途中で、直の声がその言葉を遮った。
直はへらっと、いつものように軽く笑ってみせた。けれど、その笑顔はどこかつくられたように硬く、視線は仁の顔を避けるように窓の外へ向けられている。
『友達とかさ、いちいち言葉にしなくても分かってんよ。……じゃあな』
直はどこか慌てた様子で自分の鞄を掴むと、仁が何か言い返す隙すら与えずに、背中を向けて教室を飛び出していってしまった。
ポンと軽く肩を叩かれたあとに残されたのは、乾いた沈黙だけだった。
(あぁ、そうか……)
仁の胸に、冷たい痛みが広がった。
直は笑っていた。いつものお調子者の顔で、軽く流すようにあしらった。
だからこそ、仁にはそれが「これ以上踏み込んでくるな」という直なりの大人な拒絶に見えてしまったのだ。
(直にとって俺は……高校時代の『ちょっと気の合うクラスメイト』だっただけなんだ)
(卒業してまで『ずっと友達でいよう』なんて重い言葉を押し付けて、困らせちゃったんだな……カッコ悪いな、俺)
『直に迷惑をかけたくない』『嫌われたくない』。
その不器用すぎる遠慮と大きな誤解から、仁は卒業後、二度と直に自分から連絡を入れることができなくなった。
直にとっても自分にとっても、あの高校時代だけの限定的な関係だったのだと、自分に言い聞かせながら。
*
「……俺さ」
直の部屋のソファで、仁は小さく呟いた。
「卒業式の日、直に『友達でいよう』って言おうとして……軽く流されちゃっただろ。あの時、俺『あぁ、直にとって俺は高校だけの奴なんだな』って思っちゃってさ。……だから、自分から連絡できなくなっちゃったんだ」
ポツリと漏らされた仁の告白。
隣で話を聞いていた直が、かすかに息を呑む気配がした。
直は何も言えず、固まったように仁を見つめている。
「柄じゃない」と笑って誤魔化したあの夕暮れ、本当は仁を抱きしめてしまいたいほどの衝動を必死で抑えていたのだということ——その瞳の奥に渦巻く切ない真実を、今の仁はまだ知る由もなかった。




