40.他領のパーティー
さて。これは、嬉しい悲鳴では済まなくなってきたかもしれない。そう思った直後から、私たちの毎日は一変した。
届いた注文書は、もはや一枚一枚目を通して喜んでいられる量ではない。誰にどれだけ割り当てるのか、どの順で出荷するのか、価格はどうするのか。ひとつ判断を誤れば、信頼にも今後の関係にも関わる。
「シア、こっちはどうするの?」
「その商会は優先度を一段下げて。代わりに、先に注文をくれた家を優先してあげて」
「分かったわ」
家族総出での対応だった。帳簿と睨めっこし、倉庫を行き来し、時には夜遅くまで明かりを灯す。使用人たちも含め、屋敷中が休む暇もなく動き続けた。
それでも、不思議と苦ではなかった。求められている。その実感が、何よりの原動力になる。
出荷された木箱が減るたびに、代わりに積み上がる注文書。その山が少しずつ低くなっていく頃には、最初の混乱もようやく落ち着きを見せ始めていた。
そして――。
「……最近、また手紙が増えてきたね」
机の上に並ぶ封筒を見て、私はぽつりと呟いた。ただし、今度は注文書ではない。中身は、どれも似たような内容だった。
お茶会への招待。夜会への招待。晩餐会への招待。差出人の顔ぶれを見れば一目瞭然だ。名のある貴族家や、有力な商会の主ばかり。いずれも、今までなら到底縁のなかった相手たちだった。
「……すごいわね。こんなに」
「モンベルトが、ここまで注目されるとはな……」
お父様とお母様も、感慨深げにそれらを見ている。理由は分かりきっている。王宮で振る舞われた、あのワイン。その話題性。そして、それを作った家。
かつては、ただの地方の小さな家。正直に言えば、貴族社会の中ではほとんど顧みられることもなかった存在だ。それが今や、各所から声をかけられる立場になっている。
人は変われば変わるものだ、なんて他人事みたいに思いながらも、これは紛れもなく現実だった。
……これは、チャンスだ。静かに、胸の内で呟く。ただ招かれて終わりではない。顔を売る。関係を築く。今後に繋げる。そして、ミリアたんの布教。
ふふ、と小さく笑みが漏れた。ここまで注目を集めている今なら、人の話を聞く余裕もあるし、興味も持たれやすい。ワインという入口がある以上、そこから自然に話題を広げることも出来る。
つまり、信者を増やす絶好の機会だ。
「お父様、お母様」
私は二人に向き直った。
「出来る限り、招待は受けようと思うの」
「ほう?」
「断る理由がないものね。でも……大丈夫? かなり忙しくなるわよ?」
お母様の言葉に、私はしっかりと頷いた。
「大丈夫。それに、今だからこそ会える人たちも多いと思う。ここで関係を作っておくのは、絶対に無駄にならないから。それに、ミリアたんの布教が出来る」
少しだけ、本音も混ぜる。お父様は腕を組んで少し考えた後、やがてゆっくりと頷いた。
「……いいだろう。確かに、今が好機だ」
「ええ。せっかくの縁だもの、大切にしないとね」
二人の承諾を得て、方針は決まった。招待は、可能な限り受ける。
そうして私たちは、次々と届くお茶会や夜会の誘いに応じていくことになった。
お父様、お母様、そしてお兄様。四人での外出は、これまでになく増えていく。馬車に揺られ、領地を越え、時には王都へ。訪れる先はどこも華やかで、洗練されていて。そして何より、視線が集まっていた。
モンベルトの者だ。あのワインを作った家だ。そんな無言の囁きが、空気の中に満ちている。
だが、緊張している暇はない。会が始まれば、すぐに人が集まってくるのだから。
「ぜひ、お話を伺いたいのですが」
「どうやって、あのような味わいを……?」
「原料はやはり、特別な葡萄を?」
どこへ行っても同じだった。話題は、すべてワイン。お父様とお母様は微笑みを浮かべながら、そのひとつひとつに丁寧に応えていく。
「特別なことをしている、というよりは……一つ一つを大切にしている、という感じですね」
「それに、この子のお陰でワインが出来たと言ってもいいでしょう」
土の状態を整え、ブドウの木を管理し、収穫の時期を見極める。語れることは、惜しみなく語った。隠して独占するよりも、正しく評価される方が、今は大切だ。
それに――。
「それと、もう一つ。これは、私たちが信仰している神様のおかげでもあると思っています」
そこで、自然と会話の流れが変わる。
「神、ですか?」
「初めて聞きますな……どのような神で?」
来た。内心で、そっと頷く。
「ミリア様、という神様です」
一瞬の間。聞き慣れない名前に、相手は必ずと言っていいほど首を傾げる。
「ミリア、様……? それは……ワインの神、ということですかな?」
予想通りの問いに、お父様は軽く首を横に振った。
「いえ、そういうわけではありません。特定の何かを司る、というよりは……」
言葉を選ぶ。ここが肝心だ。
「祈れば、その人の望みに対して、良い形で応えてくださる。そういう神様、ですね」
曖昧に、しかし印象に残るように。すると、相手の表情がわずかに変わる。興味と、少しの懐疑。そして――期待。
「ほう……願いに応える、ですか」
「ええ。私たちも、そのおかげで良い葡萄に恵まれ、それが結果として、このワインに繋がったと考えています」
嘘ではない。少なくとも、私はそう信じている。だからこそ、言葉にも自然と力が乗る。相手は顎に手を当て、しばし考え込む。そして――。
「……もしや、その祈りというのは、特別な作法があるのですかな?」
来た。さらに一歩踏み込んだ問い。今度はお母様が柔らかく微笑んだ。
「難しいことはありませんよ。ただ、心から願うこと。それだけです」
そう答えると、多くの人が小さく頷く。完全に信じたわけではないだろう。それでも、無視は出来ない。そんな微妙な位置に、ミリアたんの存在が入り込んでいく。
それでいい。むしろ、それがいい。疑いと興味が混ざった状態こそ、人は一番深く関わろうとするのだから。
気が付けば、お父様やお母様、お兄様もそれぞれの場で同じように話をしていた。ワインの話から自然に、ミリアたんの話へ。
四人で、少しずつ。確実に。そうして、いくつもの会を渡り歩くうちに、変化は確かに現れ始めていた。
「実は、先日……少し祈ってみたのですが」
「ほう、それで?」
「……商談が、驚くほど上手くいきましてな」
そんな声が、ぽつりぽつりと聞こえ始める。偶然かもしれない。思い込みかもしれない。それでも、一度でも「効いた」と感じた者は、もう無視出来ない。
ワインがきっかけで生まれた縁。そこに、ミリアたんという存在が静かに入り込む。目に見えないけれど、確実に広がっていく何か。
夜会の帰り、馬車の中で私はそっと息を吐いた。
「……順調だね」
誰にともなく呟くと、向かいに座るお兄様が苦笑する。
「ワインの話だけじゃなかったからな」
「ちゃんと広めてたね」
「当然だよ」
ふふん、と胸を張る。お父様とお母様も、どこか楽しそうにしていた。
新しい繋がり。広がっていく関係。そして、少しずつ変わっていく周囲の目。モンベルト騎士爵家は、もはやただの地方貴族ではない。
ワインと共にその名は広まり、ミリアたんの名もまた、世界へと広がり始めていた。




