39.ワインの出荷
最高のワインが、出来た。そう確信できる仕上がりだった。
となれば、次にやるべきことは一つ。これを世に出すことだ。もっとも、売り先に困ることはない。昨年の干しブドウで築いた伝手が、すでにあるのだから。
ワイン造りを始めたことは、前もって知らせてある。あれほどの干しブドウを作るのだから、ワインもまた上質に違いない。そんな期待の声は、以前から各所で上がっていた。
だから私たちは、迷うことなく手紙を書いた。ワインが完成しました。ぜひ、一度お試しいただけませんか――と。
返事は、驚くほど早かった。以前から興味を示していた貴族や商会から、次々と問い合わせが届く。内容はどれも似たようなものだ。
まずは試飲用に一本ずつ、譲ってほしい。その一文に滲むのは、明らかな期待と好奇心だった。
……まあ、最初はこんなものだろう。本番は、その先だ。
一口でも飲めば、あの味は忘れられない。きっと、もっと欲しくなる。
そう確信しながら、私たちは試飲用のワインを丁寧に梱包し、送り出した。
木箱が運び出されていくのを見送りながら。胸の奥で、静かに期待が膨らんでいくのを感じていた。
そんな時、遅れて届いた手紙があった。あのセロスフィア王子からの手紙だ。
「シア、王子から手紙が来ていたぞ」
「もしかして、試飲用のワインを届けて欲しいっていう内容かな?」
お父様が手紙を受け取り、中身を確認する。そこには簡単な挨拶の後に――各百本を買いたいという文言が書かれていた。
「えっ……試飲なしで各百本!?」
あの王子は掴みどころがないと思っていたけれど、急にそんなことを言われて驚いた。普通は試飲をしてから買うのに、それすら通り越している。
やっぱり、あの王子はただ者じゃない。
「どうしたんだ、シア」
「王子が百本ずつ欲しいって」
「なっ!? まだ、試飲をしていないのにか!? ど、どうする!?」
「買うって言っているんだから、売らないと失礼だよ。この際、王子の思惑は置いておいて、早く出荷の準備をしよう」
私はそういうと、出荷の準備をし始めた。そうして、一日がかりで準備をして、無事出荷をした。
◇
それから、数週間後。静かだった屋敷に、変化が訪れた。
「お嬢様、また手紙が……!」
使用人の慌てた声とともに運び込まれたのは、各地から届いた返書の山だった。机の上に積み上げられていく封筒は、あっという間に小さな山を作る。
最も早く反応を寄越したのは、近隣の領地を治める貴族だった。封を切ると、几帳面な筆跡でびっしりと感想が綴られている。
かつて口にしたどの葡萄酒とも異なる芳醇さ。グラスに注いだ瞬間から立ち上る香りが、すでに別格。口に含めば、甘みと酸味が見事に調和し、余韻が長く続く。
そこまで読み進めたところで、思わず小さく息を吐いた。大げさではない。本気で感動した者の言葉だ。
さらにページをめくる。
ぜひ、我が屋敷でも常備したい。可能であれば、定期的に融通していただけないだろうか。
要するに、「もっと欲しい」ということだ。同様の内容は、他の手紙にも見られた。商会から届いた書状は、さらに分かりやすい。
これは売れる。間違いなく、高値でも買い手がつく。ぜひ独占的に取り扱わせてほしい。条件については相談したい。
中には、すでに具体的な金額を提示してくるところまであった。しかも、こちらの想定を上回る額で。どの手紙にも共通しているのは、絶賛と、そして強い欲求。
自分たちで飲みたい。自分たちの手で売りたい。そんな声が、次々と押し寄せていた。
机の上に積まれた手紙の山を見下ろしながら、私たちは認められた喜びで笑顔になった。
「やったな、シア。これはシアの成果だ」
「ううん、みんなが頑張ってくれたお陰だよ」
「いいや、シアが先導してくれなかったら人を感動させられるワインは出来なかった。これは確かに、シアの成果だ」
そう言って、お父様は私の頭を撫でた。褒められるのは恥ずかしいけれど、嬉しい。
「これからはもっと忙しくなるよ。頑張ろうね」
私の言葉に家族が強く頷いた。この美味しいワインを届けるために、出来るだけ早く行動に移そう。
そんな風に、私たちが注文対応に追われ始めた頃。また一つ、無視できない知らせが舞い込んできた。話はお母様から聞いた。
「王宮で、他国の使節を招いた大規模なパーティーが開かれたそうよ」
報告を聞いた瞬間は、ただの社交の話だと思った。だが、続く言葉に思わず顔を上げる。
「そこで振る舞われた酒が……その……私たちのワインだった、そうよ」
「……は?」
一瞬、意味を理解するのに時間がかかった。王宮のパーティー。各国の要人が集う場。そこで出される酒など、伝統ある名品か、長年の実績を持つものに決まっている。
それが、私たちのワイン? にわかには信じがたい話だった。だが、情報はそれだけでは終わらない。
その場に同席していた商人経由で伝わってきた話によれば、会場は最初、いつも通りの穏やかな空気だったらしい。料理と共に、各地の酒が振る舞われ、談笑が続く。
そんな中で、問題のワインが供された。グラスに注がれた瞬間、まず香りにざわめきが走ったという。果実の甘やかさと、熟成された深みが混ざり合った芳香。思わず顔を見合わせる者もいたらしい。
そして、一口。それまで穏やかだった空気が、明らかに変わった。驚きに目を見開く者。言葉を失う者。慌ててもう一度口に運ぶ者。
こんなワインは飲んだことがない。どこの産だ? なぜ今まで知られていなかった? そんな声が、その場で次々と上がったという。
各国の要人たちは、味だけでなく、その未知に強く惹きつけられた。そして当然のように、問いは王宮へと向けられる。このワインはどこから来たのか、と。
それに対する王宮の答えは、実に簡潔だったらしい。我が国の、新たな産品である。その一言で、場の空気は決定づけられた。
自国でこれほどのものを生み出せるのか。それをいち早く用意し、もてなすことが出来るのか。その事実は、そのまま国力と余裕の証明になる。
結果として、その日の会談は終始和やかに進み、いくつもの交渉が滞りなくまとまったという。中には、当初難航すると見られていた案件まで、驚くほどすんなりと合意に至ったものもあったそうだ。
たかが酒、では終わらない。一杯のワインが、場の空気を変え、相手の心を開かせ、交渉の流れすら左右する。それを、王宮は見事にやってのけた。
他の領地がまだ様子見をしている中で、この一手。完全に出し抜かれた形だ。
「……あの王子、ただ者じゃないとは思っていたけど」
思わず、ぽつりと呟く。ここまで計算していたのだとしたら――正直、末恐ろしい。
とはいえ。そのとんでもない有能さに、私たちもまた乗せられた形になる。王宮で振る舞われ、各国の要人が絶賛したワイン。その事実が広まらないはずがない。
モンベルト騎士爵領で作られたワイン。その名には、もはや明確な箔がついた。
ただ美味しいだけの酒ではない。王宮が認め、外交の場で用いられた特別な一品。そうして、その価値は一段――いや、二段も三段も跳ね上がることになる。
机の上に積まれた注文書の山を見つめながら、私は小さく息を吐いた。
さて。これは、嬉しい悲鳴では済まなくなってきたかもしれない。




