38.熟成されたワイン
春を迎え、私は四歳になった。
冬の間は去年と同じく、ブドウの木の剪定に明け暮れ、畑の手入れを続けていた。そしてもう一つ、欠かさなかったのが貯蔵庫のワインの管理だ。
地中の貯蔵庫に、私は毎日のように足を運んだ。ミリアたんの力を借り、それでワインを鑑定していく。どんな些細なことも見逃さなかった。
軽く飲むためのワインは、状態の確認にとどめる。無理に手を加えれば、せっかくの繊細な風味を壊してしまうからだ。
一方で、高級志向のワインには、時間経過の能力を付与し、ゆっくりと熟成を促していく。
温度の変化、樽の状態、わずかな風味の違い。そのすべてを見逃さないよう、細かく記録し、調整を重ねた。
その積み重ねが実を結び、日を追うごとにワインは確かな変化を見せていった。角の立っていた味は丸くなり、閉じていた香りはゆっくりと花開いていく。
そして春先の今。貯蔵庫に並ぶワインは、どれも見違えるほどに仕上がっていた。間違いない。今が、最高の状態だ。
ひと樽ずつ、屋敷へと持ち込む。鑑定では最高の状態になっているけれど、実際に味を見てみないことには分からない。
私はまだ子供のため、自分で試飲が出来ない。だから、ここはワインの味を知っている、お父様とお母様に確かめてもらうのが一番いい。
ダイニングには緊張した面持ちでお父様とお母様が待っていた。
「とうとう、出来たのか……。なんだか、緊張するな」
「このワインの味でモンベルト騎士爵家の命運が変わるんですから……」
「大丈夫。鑑定の結果は最高だって出ていたから、味も期待できるよ」
そう言いながら、樽を開ける。すると、芳醇なワインの匂いが部屋に充満した。
「おぉ、これは凄い! なんとかぐわしい匂いなんだ!」
「こんなに良い匂い、嗅いだことがないわ」
「時間にして三年分は熟成させたから、今までとは訳が違うよ」
この異世界の技術水準は、現代でいう中世よりもやや進んだ程度だ。だがことワイン造りに関しては、まだ発展途上にある。温度管理も保存方法も未熟で、熟成できる期間はせいぜい数か月、長くても一年ほどに過ぎない。
そのため、ワインの品質は安定せず、発酵が途中で止まって甘さが残ったり、逆に酸化して酸味が強く出たりと、当たり外れが激しい。雑味の混じる酒になることも珍しくなかった。
だが、このワインは違う。
ブドウの木の選別から始まり、一本一本を見極めて剪定を行い、細心の注意を払って育て上げた。収穫の時期も見極め、製造過程においても無駄な雑菌が入らないよう徹底する。
さらに、保存に用いる樽にもこだわり、外気の影響を抑えるために地中深くへ貯蔵庫を設けた。年間を通して温度が安定する環境を整え、ゆるやかに、確実に熟成を進めていく。
積み重ねてきた工程、そのすべてが違う。このワインは、この時代の常識では到底たどり着けない領域にある。
「まずは軽い飲み口のワインからどうぞ」
樽からグラスに注いで、二人に渡す。二人は匂いを嗅いだ後、恍惚に顔を緩ませて一口飲み込んだ。
二人の喉がごくりと鳴る。次の瞬間――。
「……っ、これは……!」
お父様が目を見開いたまま固まる。その隣で、お母様も言葉を失っていた。やがて、ゆっくりと息を吐き出す。
「……美味い。なんだ、これは……」
「ええ……信じられないわ……。こんなに澄んだ味……初めて……」
二人は顔を見合わせ、もう一口、今度は確かめるようにゆっくりと含む。
「香りが……こんなにもはっきりと立っているのに、きつくない。すっと入ってくる……」
「雑味がまったくないわ。それに、変な酸味もない……。なのに、ちゃんと果実の味が残っている……」
「軽いのに、薄くない……。こんなワイン、聞いたこともないぞ……」
驚きと戸惑いが入り混じった声。それでも、評価は明確だった。大成功だ。
「これは軽めのワインだから、飲みやすさを重視してるの」
そう言うと、二人は何度も頷いた。
「ああ、誰でも飲める。しかも、この美味さだ……。貴族どころか、王族でも喜ぶぞ」
「ええ、本当に……。これだけでも十分すぎるほどだわ……」
その言葉を聞いて、私は小さく頷く。
「じゃあ、次はこっち」
もう一つの樽に手をかける。こちらは、ミリアたんの力で長期熟成させたものだ。栓を抜いた瞬間、空気が変わった。
「……っ!?」
「な、なに、この香り……!」
先ほどとは明らかに違う、重く、深く、広がる香り。二人は思わず息を呑む。
「さっきのとは……まるで別物だ……」
「ええ……同じワインとは思えないわ……」
グラスに注ぎ、手渡すと、二人は慎重に香りを確かめる。そして、ゆっくりと口へ運んだ。
「――――っ!!」
今度は、言葉になる前に表情がすべてを物語っていた。驚愕。それ以外に表しようがない。
「……深い……なんだ、この味は……」
お父様が震える声で呟く。
「重厚なのに……引っかからない……。滑らかで……どこまでも広がっていく……」
「アルコールもしっかり感じるのに、きつくない……。それどころか、心地いいわ……」
「雑味がない……酸味も荒れていない……。それなのに、この濃さ……」
二人は、しばらく言葉を失ったまま、ただワインの余韻に浸っていた。やがて、お父様がゆっくりとグラスを置く。
「……こんなもの、飲んだことがない」
その一言に、お母様も静かに頷く。
「ええ……これはもう、良いワインなんて言葉じゃ足りないわ……」
「間違いない。これは――」
一瞬の沈黙の後、お父様ははっきりと言い切った。
「この領地の命運を変える、酒だ」
その言葉に私はニヤリと笑った。最高のワインが出来た!




