第6話 壁の貼り紙
フィネは、しゃべりだすと止まらない。
自分でもわかっている。
わかっているけれど、止まらないのだから仕方がない。
狐系の獣人は、だいたいそういうものだと、故郷の村では言われていた。
耳と尻尾が先に動いて、口があとからついてくる。
ギルドの掲示板は、広間の奥の壁一面を占めている。
大人の背丈の倍ほどもある板に、募集や依頼や注意書きの紙が、うろこのように重なって貼られていた。
いちばん目立つ真ん中には、五十階より下の募集が並ぶ。
新人向けの紙は、たいてい下の隅で、ほかの紙に半分隠れている。
フィネが三日前に貼った紙は、今朝見たら、もうどこにもなかった。
それで、隣の店に来たのだった。
「――というわけで、ここの壁に、貼り紙をさせてもらえないかなって思って。ギルドの掲示板はもういっぱいで、わたしの紙なんか三日で上から別の紙を貼られちゃうし、そもそも深層の募集ばっかりで、新人同士で組もうって紙はすぐ埋もれちゃうんです。でもここなら、新人がいっぱい来るじゃないですか。だから」
一息で言い終えて、フィネは大きく息を吸った。
カウンターの向こうで、銀髪のエルフが、面白そうに目を細めていた。
「いいわよ」
「え、いいんですか」
「ええ。そこの壁、空いてるでしょう」
マグダが指したのは、入口の脇、小人族の爺さんがいつも座っている丸椅子の、その上の壁だった。
確かに、何も掛かっていない。
フィネは、あらためて店の中を見回した。
表の窓から斜めに差しこむ朝の光が、右の壁の瓶を透かして、床に赤や青の小さな影を落としている。
左の壁には、ロープの束と松明と、方眼紙の束。
干した薬草と蜜蝋の匂いが、ほんのり混じり合う。
ここなら、紙をゆっくり読んでもらえそうな気がした。
「ロッテ、枠を作ってあげて。裏に古い板があったでしょう」
「はいっ」
十歳くらいの女の子が、ぱたぱたと奥へ走っていった。
しばらくして、女の子は木の板と小さな金槌を抱えて戻ってきた。
細い板を四本、壁に打ちつけて、四角い枠を作る。
その真ん中に、フィネが昨夜書いた貼り紙を、鋲で留めた。
――仲間募集。新人同士で、浅い階から一緒に潜りませんか。斥候志望、狐系獣人、十六歳。前衛と、癒し手を探しています。フィネ。
女の子が、枠の上の端に、小さな字で何か書き足した。
――掲示板。
「これで、掲示板です」
女の子は、少し照れくさそうに言った。
丸椅子の爺さんが、髭をなでながら言った。
「わしの頭の上に、掲示板か。こりゃあ、毎朝ここに座っとれば、街の新人の顔ぶれが全部わかるな」
*
最初に貼り紙を見て声をかけてきたのは、茶色い髪の、日に焼けた少年だった。
「前衛、俺でもいいかな。剣、ギルドの借り物だけど」
少年はティモと名乗った。
二週間ほど前から、一人で一階をうろうろしているのだという。
真新しい、いい靴を履いていた。
「一人で潜ってたの? 危なくない?」
「危ない。すごく。だから、仲間がほしかった」
ティモは、正直に言った。
フィネは、この少年が少し好きになった。
二人目は、その翌日に来た。
ノームの青年で、オルフといった。
丸い体に丸い顔、背中に木の棍棒を背負っている。
寺院で癒しの呪文を習っている見習いで、刃物は持たない主義なのだという。
「僕でよければ。浅い傷くらいなら、なんとかなります。それから、お金の計算は得意です」
おっとりとした声だった。
フィネが三言しゃべるあいだに、オルフは一言しかしゃべらない。
ちょうどいい、とフィネは思った。
これで三人。
斥候と、前衛と、癒し手。
けれど、前衛が一人では心もとない。
ティモが前で魔物を引きつけているあいだに、横から回りこまれたら、後ろのオルフが危ない。
浅い階でも、それくらいのことは起きる。
もう一人、剣の使える前衛がほしかった。
けれど、その一人が見つからなかった。
三日待っても、五日待っても、貼り紙の前で足を止める前衛はいなかった。
剣の腕に覚えのある新人は、たいてい、もっと強そうなパーティに誘われていく。
「どうしよう」
六日目の昼、フィネは店のカウンターに突っ伏した。
ティモとオルフも、両脇で同じような顔をしている。
女の子――ロッテが、三人に茶を出してくれた。
三毛の子猫が、カウンターの上を、三人の頭を順番に踏んで歩いていった。
「心当たりなら、あるわ」
マグダが言った。
三人は、そろって顔を上げた。
「本当ですか!」
「ええ。ただ、本人が首を縦に振るかどうかは、わからないけれど」
そのとき、扉の鈴が鳴った。
入ってきたのは、背の高い少女だった。
頭の両脇から、小さな角が後ろへ伸びている。
首筋に、薄青い鱗。
金色の瞳。
腰に、使いこまれた片手剣を提げている。
ドラゴニートだ。
少女はカウンターの前まで来ると、三人には目もくれずに、低い声で言った。
「いつものを」
マグダは棚から、小さな紙包みを取った。
フィネは、その包みに見覚えがあった。
酔い止めの薬だ。
馬車に酔う人が買っていく、安い粉薬。
「ジルケ」
マグダは包みを渡さずに、少女の名前を呼んだ。
「これで四つ目ね」
少女――ジルケの肩が、ぴくりと揺れた。
「……だから、何」
「今日は、いらないかもしれないわ」
マグダは、カウンターの横の三人を、手のひらで示した。
「この子たち、前衛を一人探してるの」
ジルケは、初めて三人のほうを見た。
フィネは、思わず背筋を伸ばした。
ジルケの目が、ティモの上で止まった。
ティモも、ジルケを見ていた。
「あ」
ティモが、小さく声をもらした。
ジルケの顔が、さっと赤くなった。
「わたしは、一人でいい」
ジルケは早口で言って、マグダの手から紙包みを取ろうとした。
マグダは、包みを渡さなかった。
「誰かと組むと、足を引っぱるから」
ジルケは、吐き捨てるように言った。
「わたしは……入口で、弾かれる。三回、弾かれた。だから、誰とも組まない。組んだって、入口の前で置いていかれるだけだ」
店の中が、しんとした。
フィネは、何と言えばいいのかわからなかった。
しゃべりだすと止まらないはずの口が、ひとことも出てこなかった。
最初に口を開いたのは、ティモだった。
「俺も、弾かれた」
ジルケが、ティモを見た。
「最初の日。あんたの隣で。俺、あのとき、あんたが先に帰っちゃったから、ちょっと悔しかった。一緒に悔しがれる奴がいたのに、って」
ティモは胸当ての内側に手を入れて、四つに折った紙切れを取り出した。
くたくたになって、角が丸くなっている。
「二回目の朝の過ごし方。マグダさんに書いてもらった。俺は、これで通れた」
ティモは、それをジルケの前に差し出した。
「あんたに効くかは、わからないけど」
ジルケは、紙切れを見つめた。
長いあいだ、見つめていた。
それから、そっと受け取って、開いた。
フィネは、横からのぞきこみたいのを、必死でこらえた。
ジルケの目が、紙の上を下へ下へと動いていく。
そして、いちばん下で止まった。
「……靴ひも」
ジルケは、小さくつぶやいた。
それから、自分の足もとを見た。
ジルケのブーツは、ひもで編み上げる長靴だった。
マグダは、手の中の紙包みを、そっと棚に戻した。
「これは、しばらく預かっておくわ。要るようになったら、また取りにいらっしゃい」
ジルケは何も答えなかった。
けれど、紙切れを握ったまま、店を出ていこうとはしなかった。
フィネは、ようやく声が出るようになった。
「あの、明日の朝、鐘五つに、入口の前で。わたしたち、待ってるから」
ジルケは、ほんの少しだけ、うなずいた。
*
翌朝。
鐘が五つ鳴った。
四人は、入口へ続く大通りを並んで歩いた。
朝の大通りは、もう目を覚ましていた。
両側には、石を積んだ低い古い家と、木組みの三階建ての宿屋とが、肩を寄せ合うように並んでいる。
パン屋の窓から湯気が流れ、鍛冶屋の奥では、もう槌の音がしていた。
軒先には、方眼紙や松明や干し肉を並べた屋台が、迷宮へ向かう冒険者を待ちかまえている。
通りの突き当たりには、岩山が、朝日を背に黒く盛り上がっている。
フィネは、昨日の夜からずっとしゃべり続けていた。
オルフは、ずっと相槌を打っていた。
ティモは、ときどき笑った。
ジルケは、ひとことも口をきかなかった。
入口の前の列に並ぶと、ジルケは、その場に片膝をついた。
長靴のひもを、いちばん下からほどいていく。
ゆっくりと、丁寧に。
一段ずつ、締め直して、結ぶ。
左。
それから、右。
ティモも、隣にしゃがんで、自分の靴ひもを結び直した。
オルフも、なぜか一緒にしゃがんだ。
フィネも、つられてしゃがんだ。
四人そろって列の中でしゃがみこんでいるのを、前に並んだ冒険者たちが、不思議そうに振り返った。
顔を上げると、もう自分たちの番だった。
若い係員が、ティモを見て、それからジルケを見て、眉を上げた。
「四人か。……ゆっくりな」
ティモが、最初に石の縁をまたいだ。
フィネが続いた。
オルフが続いた。
フィネは、振り返った。
ジルケが、入口の前に立っていた。
拳を握って、一歩、踏み出す。
二歩。
三歩。
ジルケは、立ち止まらなかった。
四歩目で、フィネの隣に並んだ。
「……通れた」
ジルケが、かすれた声で言った。
金色の瞳が、薄暗い通路の灯りを映して、揺れていた。
一階の通路は、大人が三人並んで歩けるほどの幅で、ゆるやかに下りながら奥へ続いている。
壁も床も、灰色の石だ。
ギルドが掛けたという小さなランプが、十歩ごとに壁で揺れていた。
外より、ひと息ぶんだけ空気が冷たい。
土と、雨上がりの石のような匂いがした。
ティモが、何も言わずに、ジルケの背中を軽く叩いた。
フィネは、やっぱり何か言わずにはいられなかった。
「ねえ、今の、すごくない? 靴ひもだよ? 靴ひもで通れたんだよ? あとでマグダさんに報告しなきゃ。あ、そうだ、パーティの名前も決めなきゃだし、それから」
「フィネ」
オルフが、穏やかに言った。
「うん?」
「とりあえず、一階を歩きましょう」
ジルケが、ふっと笑った。
フィネが初めて見る、ジルケの笑い顔だった。
新連載です。無理なく更新します。
当面、2話追加予定です。
感想、コメントが執筆の原動力です。
「こういう話が読みたい」もありです。
よろしくお願いいたします。




