第4話 六十八階のひとたち
ピムは、自分たちが少しばかり有名だということを知っている。
迷宮ブルンは、全部で百の階層があると言われている。
十階ごとに、その階を守る大物がいる。
冒険者たちは中ボスと呼んでいる。
ブルンが今の大きさに育ってから十二年と少し。
そのあいだに、冒険者たちは中ボスを一体ずつ越えて、少しずつ深く潜ってきた。
いま、いちばん深いところにいるのは、ピムたちのパーティ「シュトルム」だ。
六十階の中ボスを越えたのが去年の秋。
そこから一年かけて、八階分を地図に起こした。
最深到達、六十八階。
七十階の中ボスには、まだ誰も会ったことがない。
だから、六人そろって街を歩けば、だいたいの人が振り返る。
それ自体は悪い気はしない。
ただ、ピムは小人族なので、振り返った人の目線が、たいてい自分の頭の上を素通りしていくのが、ちょっと面白くない。
「ここだ」
先頭を歩いていたゲルトが、井戸の前で足を止めた。
ギルドの隣の、こぢんまりとした店。
釣瓶の絵の看板。
「マグダの店じゃないか」
ピムは言った。
「新人向けの店だろ。俺たち、ここで買うもの、あるか?」
「ある」
ゲルトは短く答えて、さっさと扉を開けた。
背中に、布でくるんだ大きなものを背負っている。
例の、ひびの入った盾だ。
昨日、ゲルトが一人でどこかへ出かけて、帰ってきたら妙にすっきりした顔をしていた。
そして今朝、「準備の買い物は、あの店でする」と言い出したのだ。
リーダーのエーリカが、面白そうに眉を上げた。
「ゲルトが店を選ぶなんて、初めてね」
「初めてだ」
ゲルトは、それ以上何も言わなかった。
*
店に入ると、六人で中はいっぱいになった。
カウンターの向こうで、十歳くらいの女の子が目を丸くしている。
入口脇の丸椅子では、白髭を三つ編みにした小人族の爺さんが、茶碗を持ったまま固まっていた。
ピムと目が合うと、爺さんは「おお」と言って、同族のよしみか、軽く杯を上げてみせた。
「いらっしゃい」
奥から、銀髪のエルフが出てきた。
年齢のわからない顔をしていた。
エルフはだいたいそうだが、この人は特にわからない。
ゲルトが背中の盾を下ろし、カウンターに置いた。
「昨日の。頼む」
「ええ」
エルフ――マグダは、布をめくって盾を見た。
二十年使いこまれた、分厚い鉄の円盾。
その真ん中から縁に向かって、稲妻のような細いひびが走っている。
マグダは指先で、ひびの上をすうっとなぞった。
ずいぶん長いあいだ、そうしていた。
ピムは、少しだけ居心地が悪くなった。
まるで、盾の中から何かを聞き取ろうとしているみたいだった。
「五日、ちょうだい」
やがて、マグダは顔を上げた。
「それで間に合うかしら」
「間に合う」
答えたのはエーリカだった。
「七十階に挑むのは、十日後の予定。ゲルトが盾を替えると言わなかったのは、こういうことだったのね」
エーリカは、ゲルトのほうを見て小さく笑った。
ゲルトは、髭の奥で何かもごもご言っただけだった。
*
それから、買い物になった。
シュトルムの補給は、いつもはギルドの売店と、大通りの大きな道具屋で済ませている。
品ぞろえも多いし、深層向けの高価な品もある。
だから、こんな小さな店に何があるのか、ピムは正直あまり期待していなかった。
エーリカが、慣れた口調で注文を並べた。
「業火弾の巻物を三本。氷結界を二本。それから、上等の傷薬を二十」
マグダはうなずいて、カウンターの下から品を出していった。
出しながら、ふと手を止めた。
「毒消しは、いくつ持っていくの」
「毒消し? 五本くらいかしら。六十階台は毒を使う魔物が少ないから」
「三十」
エーリカが、まばたきをした。
「……三十?」
「気付けも三十。業火弾は一本でいいわ。その分、軽くしなさい」
店の中が静かになった。
後衛のエルフの魔術師が、何か言いかけて、口を閉じた。
ノームの僧侶は、首をかしげている。
ピムは、マグダの顔をまじまじと見た。
冗談を言っているようには見えなかった。
「理由を聞いても?」
エーリカが言った。
声は穏やかだったが、リーダーの声だった。
このパーティは、誰かに言われたからといって荷を変えたりしない。
自分たちで決めて、自分たちで潜って、ここまで来たのだ。
マグダは、カウンターの上の盾を指先で軽く叩いた。
「このひびの入り方を見たら、そうしたくなったの」
それだけだった。
エーリカはしばらくマグダを見つめ、それからゲルトを見た。
ゲルトは、盾から目を離さなかった。
ピムは、ふと思い出した。
六十八階で、ゲルトの盾が鳴ったとき。
ピムは斥候として、通路の先を見張っていた。
けれど、何も見えなかったのだ。
魔物の影も、罠の気配も。
ただ、ぎん、という音がして、振り返ったら、ゲルトが片膝をついていた。
あのとき、ゲルトは「つまずいた」と言った。
ピムは、それを信じたふりをした。
「……毒消し三十、気付け三十」
エーリカが言った。
「業火弾は一本。荷の重さは、ピム、計算し直して」
「了解」
ピムは帳面を取り出した。
エーリカは、マグダに向き直った。
「助言には礼を言うわ。でも、もし七十階で毒も眠りも使ってこなかったら、帰りにここで文句を言わせてもらう」
「ええ、どうぞ」
マグダは微笑んだ。
「文句を言いに、帰ってきてちょうだい」
エーリカは、一瞬だけ言葉に詰まったように見えた。
それから、ふっと笑った。
「ずるい言い方ね」
*
荷の計算をしながら、ピムは店の中をぶらぶらと見て回った。
左の壁の棚に、方眼紙の束が積んである。
何気なく一枚抜いて、ピムは手を止めた。
升目が細かい。
線が、端から端まで、まっすぐに引かれている。
紙の目も詰まっていて、湿気の多い階でもにじみにくそうだった。
「これ、どこで仕入れてる?」
思わず聞くと、カウンターの女の子がびくりと肩を揺らした。
「あ、あの、それは、マグダさんが線を引いてて。わたしも、ちょっとだけ手伝ってて」
「手で引いてるのか。これを」
ピムは紙を光にかざした。
升目の大きさが、どこを見ても揃っている。
地図描きにとって、升目が揃っていることは、命綱が切れていないことと同じくらい大事だ。
大通りの店の方眼紙は、束の真ん中あたりで、いつも少しずつ升目が歪んでいる。
ピムは、それが気に入らなくて、毎回自分で線を引き直していた。
「十束くれ」
「じゅ、十束ですか」
「ああ。六十八階から先の地図は、これで描く」
女の子は、顔を真っ赤にして、うなずいた。
入口脇の爺さんが、「新人向けの紙で深層の地図か。こりゃあいい」と笑った。
ピムは肩をすくめて、紙の束を受け取った。
言い返す言葉は、特に思いつかなかった。
*
勘定のとき、ピムは驚いた。
毒消し三十本と気付け三十本を足しても、大通りの店で業火弾の巻物を三本買うより安かった。
「本当にこれでいいのか」と聞くと、マグダは「新人向けの店だもの」と言った。
さっきの自分の言葉を聞かれていたのだと、ピムは気づいて耳が熱くなった。
*
五日後。
継ぎ直された盾が、店から戻ってきた。
ひびは消えていなかった。
細い銀色の線が、稲妻の形のまま、盾の表に残っていた。
けれど、叩いてみると、前と同じ音がした。
ゲルトはその音を聞いて、長いあいだ黙っていた。
それから、盾を背負い直して、ピムの肩を叩いた。
「行くか」
さらに五日後の朝。
六人は、迷宮の入口へ続く大通りを歩いた。
沿道には、いつの間にか人が集まっていた。
七十階に挑むという噂は、もう街じゅうに広まっていたのだ。
その人だかりの中に、ピムは、真新しい靴を履いた新人らしい少年の姿を見つけた。
少年は、目を輝かせて、こちらを見ていた。
まるで、自分もいつかあそこを歩くのだと、決めてしまった顔だった。
ピムは、ちょっと手を振ってやった。
少年は、びっくりしたように飛び上がって、それから、ぶんぶんと手を振り返してきた。
マグダの店の前を通り過ぎるとき、軒先に、銀髪のエルフと女の子と、三毛の子猫が並んでいるのが見えた。
その横に出てきた小人族の爺さんが、髭をなでながら、誰に言うともなくつぶやいていた。
「七十の壁は、そう簡単じゃないぞ」
ピムは聞こえないふりをした。
背中の荷の中で、毒消しの瓶が、かちゃかちゃと鳴っていた。
初回投稿、4話目です。
あと1話です。




