第17話 同じ名前のパーティ
鐘が五つ鳴る前に、ティモは宿を飛び出した。
まだ空は青黒く、大通りの石畳は夜露で冷たかった。
それなのに、迷宮の入口の前には、もう人だかりができていた。
宿屋のおかみさん。
パン屋の親方。
ギルドの夜番の職員。
ホルガーの爺さんまで、杖をついて最前列に陣取っている。
「坊主、遅いぞ」
「爺さんが早すぎるんです」
人垣のあいだに、ティモはフィネたちを見つけた。
フィネは背伸びをして、耳をぴんと立てている。
オルフは、眠そうに目をこすっている。
ジルケは、腕を組んで、黙って入口のほうを見ていた。
やがて、人垣がざわりと割れた。
シュトルムの六人が、大通りを歩いてきた。
先頭は、エーリカだった。
腰に、古い真鍮のランタンを提げている。
誰かが「頼むぞ」と叫んだ。
エーリカは、片手を上げて、笑った。
ティモには、その笑い方が、いつもより少しだけ柔らかく見えた。
六人は、入口の暗がりに、一人ずつ吸いこまれていった。
最後のゲルトの盾が見えなくなると、人垣から、ふう、と大きなため息が漏れた。
*
その日、ティモたちは潜らないことにした。
潜っても、たぶん、気もそぞろで地図を描きまちがえる。
フィネがそう言い出して、誰も反対しなかった。
「それに、今日はやることがあるでしょ」
フィネが、胸を張った。
「パーティの名前! ギルドに登録するの!」
四人でパーティを組んで、もうずいぶんたつ。
けれど、名前はまだなかった。
ギルドの帳簿には「ティモほか三名」と書かれている。
フィネは、それがずっと不満だったのだ。
四人は、ゆうべ宿の食堂で、夜更けまで話し合って、ひとつの名前に決めていた。
ギルドの扉を開けて、カウンターに身を乗り出す。
「イルザさん! パーティ名、登録したいです! アイマーで!」
イルザが、ペンを持ったまま、固まった。
「……アイマー?」
「マグダさんの店の、看板の名前です。必要なものを汲み上げる釣瓶。わたしたち、ずっとあの店に助けてもらってるから」
フィネが、得意げに言った。
イルザは、困ったように眉を下げて、帳簿を一枚めくった。
「ごめんなさい。それ、ついさっき、別のパーティが登録したばかりなの」
「えっ」
そのとき、後ろで、ギルドの扉が開いた。
「すみません、さっきの登録、綴りを確認したくて……あれ?」
入ってきたのは、真新しい鎧を着たヒューマンの青年だった。
後ろに、同じくらい新しい装備の仲間が三人。
青年は、ティモたちを見て、きょとんとした。
ティモは、どこかで見た顔だと思った。
それから、思い出した。
店でロッテに「いちばん強い剣をください」と言って、方眼紙を二束買っていった、あの青年だ。
*
話し合いは、ギルドではまとまらなかった。
「うちが先に登録したんだ」
青年――カスパーは、譲らなかった。
「僕らだって、あの店に助けてもらった。剣を買いに行ったら、方眼紙を勧められて。そのおかげで、初めての潜りで迷わなかったんだ」
「こっちは、靴を売ってもらって、命拾いしたんです」
ティモも、譲らなかった。
イルザは、二つのパーティの顔を見比べて、ため息をついた。
「ギルドとしては、先に出したほうを受けつけるしかないの。でも……」
イルザは、窓の外の、隣の建物を見た。
「名前の持ち主に、聞いてみたらどう?」
そういうわけで、八人は、ぞろぞろとマグダの店に押しかけた。
扉の鈴が、ちりん、と鳴った。
カウンターの奥で、マグダが顔を上げた。
八人分の、真剣な顔を見て、マグダは、目を細めた。
「あら。今日は、ずいぶんにぎやかね」
*
事情を聞くと、マグダは、くすくす笑った。
「看板の名前を覚えていてくれる人が、二組もいるなんて。うれしいわ」
「笑いごとじゃないです!」
フィネが、尻尾をぶんぶん振った。
「どっちが名乗るか、決めてください、マグダさん」
マグダは、首をかしげた。
「わたしが決めることじゃないわね。名前は、名乗る人のものだもの」
それから、カウンターの下から、方眼紙の束を出した。
「そうね。じゃあ、決め直し大会にしましょうか」
「決め直し大会?」
「どちらのパーティも、アイマー以外に、自分たちらしい名前を考えてみるの。それでも、どうしてもアイマーがいいほうが、名乗ればいいわ」
丸椅子のホルガーが、膝を叩いた。
「面白い。審判は、わしがやろう」
「わたしもやります」
いつの間にか、昼休みのイルザが店に来ていた。
「ギルドの登録係として、責任がありますから」
ロッテは、カウンターの陰から、そわそわと顔を出していた。
方眼紙が、一枚ずつ配られた。
八人は、店の床に車座になって、うんうんうなりはじめた。
*
フィネの紙は、すぐに字で埋まった。
「迷宮の星」「黄金の尻尾」「七十階の向こう側」。
「最後のは、今日はやめとけ」
ホルガーが言った。
オルフは、紙の端に、小さな字で「財布」と書いて、すぐに消した。
ティモは、何も思いつかなかった。
鉛筆を持ったまま、店の中を見回した。
靴の棚。
忘れ物の棚。
壁の貼り紙。
いちばん目立つところに、「シュトルム 七十階突破 祈願」の紙が貼ってある。
その下に、ティモ自身の、ぎこちない字も並んでいる。
シュトルム。
嵐、という意味だと、前にピムが教えてくれた。
嵐みたいに、深いところまで駆け抜けるパーティ。
自分たちは、まだ、そんなふうにはなれない。
向こうでは、カスパーたちも、頭を抱えていた。
カスパーの紙には、大きく「方眼紙」と書いて、二重線で消してあった。
ティモは、少しだけ、親近感をおぼえた。
ふと横を見ると、ジルケの紙には、ひとことだけ書いてあった。
ティモは、その字を読んだ。
――モルゲン。
「……朝?」
ティモが言うと、ジルケは、ぷいと横を向いた。
それから、小さな声で言った。
「二回目の朝」
ティモは、はっとした。
入口の選別で、ティモは一度、弾かれた。
ジルケは、三度、弾かれた。
二人とも、それでも、別の朝にもう一度、入口に立った。
そして、通った。
「……いいな、それ」
ティモが言うと、フィネとオルフも、紙をのぞきこんだ。
フィネは、しばらく黙ってから、自分の紙をくしゃっと丸めた。
「いい。それがいい」
オルフが、にこにこしながらうなずいた。
*
結局、決め直し大会は、それで終わりになった。
カスパーたちは、少し拍子抜けした顔をしていた。
「本当に、いいのか。アイマーを、僕らが名乗っても」
「うん。俺たちには、俺たちの朝があるから」
ティモが言うと、カスパーは、照れくさそうに頭をかいた。
「方眼紙のこと、店の子に、ちゃんと礼を言いたかったんだ」
カスパーは、カウンターの陰のロッテを見た。
ロッテは、びくっとして、それから、真っ赤になって頭を下げた。
そのとき、窓辺で寝ていたミケが、のそりと起き上がった。
床に散らばった方眼紙のあいだを、ゆっくり歩いていく。
そして、ジルケの紙の上で、くるりと丸くなった。
「審判の判定も出たな」
ホルガーが、笑った。
イルザは、二枚の登録用紙に、すらすらとペンを走らせた。
「アイマー、カスパーほか三名。モルゲン、ティモほか三名。……はい、受けつけました」
フィネが、両手を上げて歓声を上げた。
ジルケは、そっぽを向いたまま、耳の先まで赤くなっていた。
*
夕方の鐘が鳴った。
ティモは、店の前に出て、大通りの先を見た。
岩山が、夕日を背に、黒く沈んでいる。
入口の前には、まだ何人か、人が残っていた。
シュトルムは、二日の予定で潜っている。
今日は、戻らない。
わかっていても、つい、見てしまう。
隣に、ジルケが来て立った。
二人で、しばらく、黙って岩山を見ていた。
「……明日の朝も、来る?」
ティモが聞くと、ジルケは、短く答えた。
「来る。モルゲンだから」
背中の窓の向こうで、ロッテが、帳面に何か書きこんでいた。
ペンを動かして、止めて、少し迷って、また動かす。
何を書いているのかは、ティモにはわからなかった。
けれど、たぶん、自分たちの名前も、そこにあるのだろうと思った。
モルゲン。
ティモは、口の中で、もう一度その名前を転がしてみた。
悪くない、と思った。
2話投稿の2話目です。
次もお楽しみに。




