第13話 槌の音が足りない
グレタは、マランからの乗合馬車を降りたとたん、思わず鼻をつまみそうになった。
焼けた鉄の匂いがしない。
鍛冶師の街で生まれ育ったドワーフにとって、それは、朝ごはんの匂いがしない台所みたいなものだった。
ブルンネンの停車場は、大通りの南の端にある。
馬車から降りた冒険者たちが、荷物を担いで、北へ北へと流れていく。
その先に、岩山が見えた。
あれが迷宮の入口なのだろう。
通りの両側には、宿屋の看板がずらりと並んでいた。
「空き部屋あり」「朝食つき」「レベル上げにぐっすり」。
三軒に一軒は宿屋だ。
残りは、酒場と、道具屋と、食べ物の屋台。
鍛冶屋もあるにはあった。
大通りに面した、立派な店構えの二軒。
店先には、同じ形の剣が、ずらりと何十本も吊るされている。
奥では、若い職人たちが、型に流した鋼を、流れ作業のように叩いていた。
「……なるほどね」
グレタは、背中の工具袋を背負い直した。
親方が言っていたとおりだ。
この街には、新しいものを打つ鍛冶屋はある。
けれど、古いものを継ぐ鍛冶屋が、ひとつもない。
*
マグダの店は、すぐにわかった。
井戸の広場の、ギルドの隣。
釣瓶の絵の看板。
親方の言ったとおり、少し遠慮したように建っていた。
扉を開けると、ちりん、と鈴が鳴った。
店の中は、薬草と蜜蝋の匂いがした。
それから、ほんのかすかに、灯し油の匂い。
カウンターの奥から、銀髪のエルフが顔を出した。
「いらっしゃい。……あら」
エルフは、グレタの顔を見て、目を細めた。
「ブラントのところの子ね」
「グレタです。親方の代わりに来ました」
グレタは、背筋を伸ばして名乗った。
「代わりというか、その。親方が、もう年だから、ブルンネンの継ぎ仕事はおまえが行けって。マグダさんに相談しろって」
「そう。あの盾を継いだのは、あなたね」
グレタは、どきりとした。
ひびの入った、二十年ものの円盾。
親方の工房に持ちこまれたとき、親方は一目見て「おまえがやれ」と言ったのだ。
五日、ほとんど寝ずに継いだ。
ひびを消すことは、できなかった。
ただ、もとの盾の音だけは、絶対に変えないように打った。
「わかるんですか」
「継ぎ目の銀の線が、ブラントより、少しだけ真面目だったもの」
マグダは、くすりと笑った。
グレタは、褒められたのかどうか、よくわからなかった。
*
問題は、場所だった。
「工房を開けるところが、ないんです」
カウンターの前の丸椅子に座って、グレタは言った。
座ってから、隣にもうひとつ丸椅子があって、そこに白髭を三つ編みにした小人族の爺さんが座っていることに気がついた。
爺さんは、茶をすすりながら、興味深そうにこちらを見ていた。
「さっき、大通りを全部歩いてきました。空いてる建物は、ぜんぶ宿屋が押さえてる。やっと見つけた空き家も、隣の宿のおかみさんに、槌の音がうるさいって追い返されて」
「そりゃそうだろう」
爺さんが言った。
「この街の宿屋はな、レベル上げの客で食っとる。客をぐっすり眠らせるのが商売だ。朝から晩まで、かんかんやられちゃたまらん」
「わかってます」
グレタは、膝の上で拳を握った。
「でも、継ぎ仕事は、冒険者のそばじゃないとだめなんです。マランまで持っていくと、往復で一日かかる。その一日で、迷宮の中で死ぬ人がいる」
言ってから、グレタは少し恥ずかしくなった。
初対面の人の店で、何を熱くなっているのだろう。
けれど、マグダは笑わなかった。
爺さんも、笑わなかった。
爺さんは、茶碗を置いて、髭をなでた。
「ホルガーだ」
「え」
「わしの名前だ。……マグダ、あそこはどうだ。ブルンの頃の、ヨッヘンの鍛冶場」
マグダは、ちょっと首をかしげた。
「まだ、残っていたかしら」
「残っとるとも。誰も借り手がおらんからな。迷宮の入口に近すぎて、宿屋には向かん。岩山の陰で、昼でも薄暗い」
ホルガーは、杖をついて立ち上がった。
「来い、お嬢ちゃん。案内してやる」
*
その鍛冶場は、大通りを北へ歩いて、迷宮の入口の少し手前、脇の細い路地を入ったところにあった。
岩山の影が、路地の上に斜めに覆いかぶさっている。
両側の家は、どれも古い石積みで、屋根が低い。
ここだけ、街が大きくなる前の時間が、取り残されているみたいだった。
「ここだ」
ホルガーが杖で示したのは、黒ずんだ石造りの小屋だった。
木の扉は、半分外れかけている。
屋根の上に、煤けた煙突が一本。
グレタは、扉を押した。
ぎい、と軋んで、扉が開いた。
中は、埃と、蜘蛛の巣と、古い炭の匂いでいっぱいだった。
けれど、グレタは息をのんだ。
奥に、炉があった。
煉瓦を積んだ、大きな炉。
その前に、鉄の金床が、どっしりと据えられている。
壁には、錆びたやっとこや、柄の朽ちた槌が、まだ掛かったままだった。
グレタは、金床に近づいて、手のひらで表面の埃を払った。
その下から、黒く光る鉄の肌が現れた。
何十年も、何千回も叩かれて、真ん中がわずかにくぼんでいる。
「ヨッヘンは、ブルンでたった一人の鍛冶屋だった」
ホルガーが、戸口に寄りかかって言った。
「わしの剣も、仲間の鎧も、みんなここで継いでもらった。迷宮が大きくなる前に、年で引退してな。それきり、誰もここで槌を振っとらん」
グレタは、腰の工具袋から、自分の小さな槌を取り出した。
金床の縁を、こん、と軽く叩く。
澄んだ音が、小屋じゅうに響いた。
いい音だった。
まだ、ちゃんと生きている音だった。
「ここ、借ります」
グレタは振り返って言った。
「家賃、いくらですか」
「さあな。大家は、もう死んどる。今は、たぶんギルドの持ち物だ」
「じゃあ、ギルドに行きます」
*
ギルドの受付のイルザという人は、話を聞くなり、帳簿を三冊ひっくり返して、半日で貸し出しの書類を作ってくれた。
「ずっと困ってたんですよ。武器の継ぎ直しの相談、受付に毎日来るんです。マランを紹介するしかなくて」
それから三日、グレタは小屋の掃除をした。
驚いたことに、手伝いが次々にやって来た。
最初に来たのは、ずんぐりしたドワーフの盾役だった。
「ゲルトだ」
とだけ名乗って、黙って煙突の煤を落としはじめた。
あの盾の持ち主だと、グレタはすぐにわかった。
背中の盾に、自分の打った銀色の線が光っていたからだ。
次に来たのは、新人らしい四人組だった。
狐耳の娘が、蜘蛛の巣を払いながら、ずっとしゃべり続けていた。
ノームの青年が、炭の値段を、大通りの三軒で比べてきてくれた。
ドラゴニートの娘は、黙って重い金床を一緒に動かした。
茶色い髪の少年は、壁に掛かっていた古い剣を、目を輝かせて眺めていた。
「それ、売り物じゃないよ」
グレタが言うと、少年は慌てて手を引っこめた。
「いや、あの、まだ買えないんです。マグダさんに、靴が擦り切れるまでは剣より靴って言われてて」
「靴?」
グレタは、少年の足もとを見た。
焦げ茶色の、くるぶしまでの革靴。
縫い目が細かくて、底がしっかりしている。
いい靴だった。
継ぐ人間には、わかる。
ずっと履いて、手入れをされて、持ち主の足の形になりかけている靴だ。
「いい靴だね。大事にしな」
グレタは、少年の肩を叩いた。
「それが擦り切れたら、うちにおいで。剣を打ってやる。ただし、一生継いで使う覚悟があるならね」
少年は、ぱっと顔を輝かせて、何度もうなずいた。
*
四日目の朝。
グレタは、炉に火を入れた。
炭がぱちぱちと爆ぜて、橙色の火が、煉瓦の奥で息をしはじめる。
ふいごを踏むと、火は白く、高くなった。
鉄の匂いが、小屋に満ちていく。
ようやく、朝ごはんの匂いがした。
グレタは、ギルドから回ってきた最初の仕事、刃こぼれした手斧を金床に載せた。
槌を振り上げる。
かん。
澄んだ音が、路地に響いた。
岩山の壁に跳ね返って、迷宮の入口のほうまで、遠く転がっていく。
入口へ向かう冒険者たちが、何人か、足を止めて振り返った。
小屋の戸口に、いつの間にか、ホルガーが立っていた。
杖に両手を重ねて、目を閉じている。
かん。
かん。
「……ああ」
ホルガーが、小さくつぶやいた。
「ブルンの音だ」
グレタは、聞こえないふりをして、槌を振り続けた。
ほんの少しだけ、口もとがゆるんでいた。
2話投稿のうち、2話目です。
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