↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
迷宮攻略にはサポートショップが必要です ~迷宮より古いエルフの店で、今日も新人が欲しかったものとは違うものを買っていく~  作者: 奇木 尋


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/14

第12話 見たことのない傷

七十階から戻って、三日。

ピムは、まだ地図が描けずにいた。

宿の部屋の机に方眼紙を広げ、羽根ペンをインク壺に浸す。

六十九階までは、すらすら描ける。

階段を下りて、七十階。

広い部屋だった。

それは覚えている。

天井がやけに高くて、壁がざらざらしていた。

それも覚えている。

けれど、その先がない。

気づいたら、床に倒れていた。

隣でエーリカが、青い瓶の封を歯で噛みちぎっていた。

覚えているのは、それだけだ。

「斥候が、見張ってた場所の地図を描けないなんてな」

ピムはペンを置いて、天井を仰いだ。

窓の外では、ブルンネンの朝が始まっている。

宿の前の通りを、荷車ががらがらと通りすぎる。

向かいのパン屋から、焼きたての匂いが二階まで上ってきた。

腹は減る。

こういうときでも、腹は減るのだ。

*

「店で会議をするわ」

エーリカがそう言い出したのは、その日の昼だった。

「会議? ギルドの部屋を借りればいいだろ」

「ギルドだと、聞き耳を立てる人が多すぎるの」

それに、とエーリカは付け加えた。

「文句の続きも、言い足りてないし」

というわけで、シュトルムの六人は、また井戸の広場を横切った。

昼の広場は、日差しが白くて、まぶしかった。

井戸のまわりでは、近所のおかみさんたちが洗濯物を絞りながら、何やら熱心にしゃべっている。

ピムたちが通りかかると、話し声がぴたりと止まり、それから、さっきの倍の勢いで再開した。

聞かなくてもわかる。

七十階の話だ。

マグダの店の扉を開けると、カウンターの女の子――ロッテが、ぱっと顔を上げた。

「い、いらっしゃいませ」

それから、店の奥のほうを、おろおろと振り返った。

そこには、すでに先客がいた。

入口脇の丸椅子に、例の小人族の爺さん、ホルガー。

カウンターの端に、ギルドの受付のイルザ。

棚の前に、新人の四人組。

そして、なぜか、ギルドで新人に呪文を教えている魔術師のベルントまでいた。

「……なんで、いるんだ」

ピムが言うと、狐耳の娘が、元気よく手を挙げた。

「シュトルムが会議するって、ギルドで聞いたので!」

「聞き耳を立てる人が多すぎるから、ここに来たのよね」

エーリカが、天井を仰いだ。

カウンターの奥で、マグダがくすくす笑っていた。

*

結局、会議はそのまま始まった。

追い返す気力が、誰にもなかったのだ。

ゲルトが、背中の盾を下ろして、カウンターの上に置いた。

前に継いだ、稲妻の形の銀色の線。

その横に、新しい傷があった。

細い溝が、三本。

まっすぐ平行に、盾の表を斜めに走っている。

「爪痕か」

ホルガーが、身を乗り出した。

「爪にしちゃ、浅い」

ゲルトが言った。

「受けたとき、重さがなかった。羽根で撫でられたみたいだった。それなのに、盾が鳴った」

店の中の全員が、盾をのぞきこんだ。

ピムも、のぞきこんだ。

三本の溝は、どれも同じ深さで、同じ幅だった。

こんな傷をつける魔物を、ピムは知らない。

六十八階まで潜ってきて、魔物の図鑑なら頭の中に一冊ぶん入っているのに。

「はい、はい! わたし、七十階の中ボスの噂、十五通り知ってます!」

狐耳の娘――フィネが、また手を挙げた。

「言ってみなさい」

エーリカが言った。

半分は、やけになっていた。

「一つ目、見えない大蛇! 二つ目、影に隠れる黒豹! 三つ目、実は中ボスなんかいなくて、七十階そのものが眠り薬の霧でできてる!」

「最後のは、ちょっと面白いな」

ホルガーが髭をなでた。

「四つ目、透明な巨人の――」

「フィネ」

ノームの青年が、穏やかに言った。

「十五通りは、たぶん時間が足りません」

フィネは、しゅんと耳を垂れた。

それから、ベルントが咳払いをした。

「爪痕の三本が平行ということは、少なくとも、指のある魔物ではないだろう。指なら、開き方に癖が出る」

「さすが先生」

イルザが言った。

ベルントは、少し得意そうに胸を張った。

それから、ちらりとマグダのほうを見て、なぜか胸を張るのをやめた。

この二人のあいだに何があったのか、ピムは知らない。

*

話は、なかなか進まなかった。

窓から差しこむ光が、カウンターの上をじわじわと移っていく。

棚の瓶が、赤や青の影を、盾の表に落としていた。

ピムは、その光の中で、ふと目を細めた。

溝の底が、かすかに光っている。

「……何か、入ってる」

ピムは、盾に顔を近づけた。

三本の溝の底に、ほんのわずか、灰色がかった粉のようなものが残っていた。

角度を変えると、光を受けて、銀色にちらちらと瞬く。

「粉、ですね」

いつの間にか、ロッテが隣に来ていた。

小さな体で背伸びをして、盾をのぞきこんでいる。

そして、首をかしげた。

「これ、裏庭に来る蛾の、羽の粉みたいです」

店の中が、しんとした。

「夏の夜に、ランプのそばに来る大きな蛾がいて。触ると、指にこういう粉がつくんです。銀色っぽくて、きらきらしてて」

ロッテは、そこまで言って、急に全員の視線に気づいたらしかった。

みるみる顔が赤くなっていく。

「あ、あの、わたしなんかが、すみません。蛾なんて、関係ないですよね」

「いや」

ピムは、ゆっくりと言った。

頭の中で、七十階の部屋が、少しずつ形を取り戻していく。

ざらざらした壁。

高い天井。

そして、気を失う直前。

松明の光の中に、空気がちらちらと光っていた気がする。

埃だと思っていた。

「壁が、ざらざらしてたんだ」

ピムは言った。

「灰色で、まだらで。……あの壁に、羽を広げて張りついてたら」

「見えないな」

ゲルトが、低く言った。

「羽ばたいて、粉を撒く。粉を吸えば眠る。傷に入れば毒が回る」

エーリカが、ひとつずつ確かめるように言った。

「姿が見えなかったのも、眠りと毒が同時に来たのも、それなら説明がつくわね」

「蛾なら!」

フィネが、勢いよく立ち上がった。

尻尾が、ぴんと逆立っている。

「蛾なら、灯りに寄ってくるよね!」

一瞬の沈黙のあと、店じゅうが、どっとわいた。

獣人の勘を馬鹿にしてはいけない、とピムは心の中で思った。

ホルガーが、膝を叩いて笑っていた。

イルザが、なぜか拍手をしていた。

ベルントは、腕を組んで、ううむとうなっていた。

*

その騒ぎのあいだに、マグダは何も言わず、カウンターの下から品物を出して並べていた。

目の細かい麻の口布が、六枚。

油を引いた、薄い紙の包み。

それから、ふだんは店の奥に吊るしてある、古いランタンを三つ。

ランタンの真鍮の枠が、窓の光を受けて鈍く光った。

エーリカは、並んだ品を順番に見て、それからマグダを見た。

「理由は、聞かないほうがいいのかしら」

「品物を出しただけよ」

マグダは、茶を淹れながら言った。

「口布は、水で濡らしてから使うの。乾いたままだと、細かい粉は抜けてしまうから」

エーリカは、ふっと笑った。

それから、ランタンのひとつを持ち上げて、ゆらゆらと揺らした。

「ピム。荷の計算、やり直しよ」

「了解」

ピムは、帳面を取り出した。

それから、方眼紙を一枚、カウンターの上に広げた。

七十階。

広い部屋。

高い天井。

ざらざらした、灰色の壁。

今なら、描ける気がした。

ピムは羽根ペンを走らせて、部屋の輪郭を描いた。

その壁ぎわに、小さな字で書きこむ。

――壁に注意。何かいる。

カウンターの向こうで、ロッテが、まだ赤い顔のまま、そわそわとこちらを見ていた。

ピムは、ペンの先で、その子を指した。

「おい、店の子」

「は、はいっ」

「お手柄だ」

ロッテは、目をまん丸にした。

それから、どうしていいかわからないというように、カウンターの後ろにしゃがみこんで隠れてしまった。

その足もとで、三毛の子猫が、満足そうに尻尾を揺らしていた。

*

店を出ると、空はもう茜色に染まりはじめていた。

井戸のまわりの洗濯物は取りこまれ、代わりに、迷宮から戻った冒険者たちが、泥のついた顔を洗っている。

ギルドの石段の脇では、夜番の職員が、篝火の薪を積み上げていた。

大通りの屋台に、ぽつりぽつりと灯りが入っていく。

その灯りに、小さな羽虫が、もう何匹か寄ってきていた。

ピムは、足を止めて、それを眺めた。

ちらちらと、光のまわりを回る、小さな影。

「なるほどな」

ピムは、つぶやいた。

隣を歩いていたゲルトが、髭の奥で、ふっと鼻から息をもらした。

「次は、殴られる前に見つけろよ、斥候」

「言われなくても」

ピムは、ランタンをひとつ、ゲルトの背中の荷に押しこんだ。

大通りの突き当たりで、夕日を背にした岩山が、黒く静まりかえっていた。

七十階は、まだ、その奥にある。

けれど、もう、白紙ではなかった。


2話投入、1話目です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。