5.
「か、母さん!」
とても大きくなったわたくしの愛しい息子。こうして会える日がやってくるなんて思いもしなかった。
そして、わたくしと息子を包み込むように抱きしめてくれる最愛の夫。
「ああ私のフェケテ。やっと会えた。長い間苦労をかけたね。これからはもう離さない!」
「ズワルト…。エンリケも。愛しい貴方たちにやっと会えたわ。長い間留守にしてしまってごめんなさいね。抜け出す術がなかなか見つけられなくて。」
家族の再会に、屋敷中の者が涙している。
だが。
「出してっ!出しなさいよっ!わたくしを誰だと!」
ああうるさい。ドンドンとガラスの檻を叩いて泣き叫んでいる。
憎しみの眼差しで睨みつけるズワルトとエンリケを宥め、わたくしは檻に近づく。
「五月蝿いわよ。羽を毟ったら少しは静かになるかしら?」
その言葉に静まり返る。
「餌だって、水だって充分やってるじゃない。ふかふかの芝でごろごろしてるだけの癖に。」
「しかも!こんな立派なガラス製の檻まで建ててやったのに!この恩知らず!」
やっとうるさくするのをやめた。
彼女も漸く理解したのだろう、今いる場所、待遇、投げかけられる言葉。
「貴方がわたくしのためにしてくれた事を再現しただけよ?森に住む妖精には過ぎた待遇なんじゃなかったの?」
妖精さん
いけない、ズワルトとエンリケがものすごい顔をしているわ。
お腹も空いてきたし、一度仕切り直しね。
「ねえ、ズワルト。わたくしこの10年ほど木の実と水しかお腹に入れてないの。久しぶりに我が家の味が食べたいわ。」
「!そうだな。料理長に言って用意させよう。」
「さあ!エンリケ!わたくしとどちらがたくさんパイを食べられるかしら?」
「母さん!僕もうそんな子供じゃないよ!」
「ふふ。そうね。じゃあわたくしは体を綺麗にしてから向かうわ。先に戻っていて。」
そう言って二人を先に戻らせた後、事態が飲み込めず動けなくなっていた伯爵夫人と息子をじっと見つめる。
「…どうやら貴方たちは本当に知らなかったようね。随分と上手く隠したものね、伯爵。」
その言葉に飛び上がった伯爵を兵士に命じてガラスの檻に入れる。
「木の実と水があれば生きていけるわよ?産まれてからずっと人間と同じ食事をしてきたわたくしでも、10年死なずに生きてこられましたもの。」
まだ唖然としている夫人と子息には
「丁重にね。客間にお連れして。」
そこまで指示してから。
10年ぶりの温かい湯に浸かり身体の汚れを洗い流した。
わたくしが温かい湯で寛いでいる間にズワルト達が経緯を説明したのであろう、夫人と子息は額を床に擦り付けるようにして謝罪していた。
「知らないで済ませられるものではありません!なんの咎もないのに、種族が違うというだけで拐かして監禁するなんて!」
「ズワルト、この方たちは嘘偽りなく知らなかったのよ。エンリケ、貴方にだって分かるでしょう?」
「はい、母上。私にも真実の眼が遺伝したようです。」
「真実の眼…?」
そう、妖精に嘘をつく事はできない。だって見抜く眼を持っているから。
だから、というわけでもないだろうが子息が意を決して話し出した。
「奥さまの人生を10年も奪ったのです。妹と父には相応の罰を与える必要は充分にわかっております。」
「ただ、まだ私は伯爵子息でしかなく事を成すための権限が著しく不足しております。つきましてはまず」
"奥さまそして侯爵、ご子息のご意向を伺い、処罰を与えるために必要な権限を私に移譲させる所から始めさせていただきたいのです"
夫人も共に頭を下げる。
「二人に相応の処罰を与えたのち、伯爵位は返上いたします。」
わたくしたちみな、何も言うことができなかった。
夫人たちが夫と娘が起こしたとんでもない事態を知ったのはつい先ほど。
客間を与えられ待機していたあの短い間にここまで話し合っていたなんて。
「社交界ではお二人のことを"澄んだ水の中でしか生きられない弱い魚"などと揶揄する者もいるが。」
ここまで覚悟を決められる者たちの、どこが弱いというのか。
「お申し出は確かに受け取りました。…この度の件、表沙汰になれば貴方のおっしゃる通り爵位の返上も待ったなしとなるでしょう。でも…。」
「奥さま。奥さまは赦しを与える必要はないのです。今後このような不埒な真似をするものが出ないよう、厳罰を。」
その日の話し合いはそれ以上進まなかった。
だって、料理長が怒鳴り込んできたんだもの!
「奥様!奥様のための料理が冷めてしまいます!」
って。それを聞いて張り詰めていた夫人たちも少しだけ気が抜けて。
「とりあえず面倒なことは明日にしませんか。流石に一緒に食卓を囲むのは気を使うでしょうから。」
そう言って客間で寛いでもらう事にした。
※※※
その後話し合いは3日も続いた。
檻の警備をする者からの報告は
「呆れて何もいうことがないわ。」
同じ檻に放り込まれた父を見て娘は。
「何よ!役に立たないわね!救い出すならともかく同じ檻に入れられるなんて!この能無し!」
あまりの言われように呆気に取られた伯爵は、目に入れても痛くないと豪語していた娘に向かって。
「この疫病神が!お前が何か欲しがるたびに叶えてやったというのに!妖精のフリくらいやり遂げられんのか!」
と、怒鳴り返し。掴み合いの大喧嘩をしていたそうだ。
だがそれも長くは続かず、翌日には腹を空かせて元気が無くなり…。
「おいっ!お前は父親を差し置いて独り占めしていたのか!」
先に監禁されていただけあって、餌場を熟知していた娘に全て奪われ、取り返すために散々殴りつけ。娘も遠慮なくやり返し…
醜い争いを続けた親娘はたった二日の間にボロボロになっていた。
「………」
その姿を見て、夫人も子息も最後の情さえ消え失せたようだ。
爵位の返上まで申し出た親子だったが、わたくしたちにとってはそれもまた都合の悪い事で。
「爵位は…返上しなくてもよろしいのですか?こんなとんでもない事を伯爵自ら犯したというのに?」
「ええ。返上となると、わたくしの出自も含め全てが詳らかになるでしょう?それはわたくしたち誰も望んでいないの。ですからわたくしたちの作る話に合わせていただければ。」
「ああ、もちろん元凶の二人にはそれなりに処罰を受けてもらいますよ。私から妻を、息子から母を奪った事は到底許せませんからな。」
※※※
ある晴れた、春の日差しが柔らかく降り注ぐ日。
侯爵家から発表があった。
「我が息子の妻となったエーティリア嬢についてだが…」
"彼女は本当に妖精の姫であった。
迷子になって泣いていた所を伯爵に保護された。
その頃伯爵夫人は第二子であるご令嬢を出産したが、すぐに亡くしてしまった。
夫人と幼かった子息は泣き暮れる日々を送っていたが、そこへ。"
「それにしても、伯爵とあの女が立てた筋書きがこんな時に役に立つとはな。」
そう。あの女が妖精のフリをするために作った、俺を納得させるための筋書き。
幼い頃に伯爵に拾われ、ちょうど娘を亡くした伯爵家に娘として迎え入れられた。
そのまま設定を生かしてお涙頂戴のストーリーを作ったのだ。
"人間の令嬢として暮らしてきたが、侯爵との婚姻により妖精の里に近づき…"
"妖精の里での記憶を取り戻し、里に戻る事を強く願った"
「ねえ。人間の子が、しかも妖精にあんな事をした子が。」
妖精の里のそばで、心穏やかに暮らせるとは思わないけど。
この後彼女は1年ほどかけてあのガラスの檻の中で。
「妖精の暮らしに慣れさせてから森に帰してあげましょう?」
そう、森に放たれる。彼女の希望を叶えるために。
「伯爵…ではなく前伯爵だな。彼も本当に送るのか?」
彼はしばらくの間伯爵家で軟禁される。一応引き継ぎが必要だから。
1年を目処に引き継ぎを終わらせたあとは。
溺愛した娘と会えぬ日々に塞ぎ込み、とうとう家督を息子に譲るのだ。
「あの子が森に放たれる時に一緒について行って森で暮らす、のよね?」
実際には森に小さな小屋を建て、二人とも放り込む。
「ああ。君のご両親とも話したが、お怒りは凄まじくてね。小屋の周りに幻惑の粉を撒いて、逃げようと思っても小屋にしか戻ってこられない仕組みを作るそうだ。」
放たれるのは二人とももう少し先のこと。それまでに身の回りの事を少しでも覚えてくれると良いのだけれど。
侯爵家から新妻に関する驚きの発表があった日から数年。
「ねえ、少し前にね、侯爵家に嫁いだご令嬢が妖精の里に帰った、という発表があったでしょう?」
夜会でのたわいのない雑談。夫人たちの声は絶えない。
「ええ、あれはビックリしたわね。本当に妖精なんているのね!って。」
「エンリケ様の妄想じゃなかったと知って本当に驚いたわ!」
「でね、ここだけの話よ?まだ絶対に言わないでね?」
「エンリケ様のお母さま、事故で亡くなったと言われていたでしょう?」
話し出した夫人が小さな声で何やら話している。
「ええっ!妖精の里で保護されていたの⁈」
「もう、声が大きいわよ!でもそうなのよ!長い間記憶が戻らなくて妖精の里で過ごしてらした時に。」
ご令嬢の口からズワルト家の話が出て、アスワド様とエンリケ様のお名前を聞いた途端に!
「記憶が戻ったのね!なんて感動的なお話かしら!」
「そうなのよ!あ、でも!でもまだ誰にも言わないでね!もう少ししたら侯爵様が発表されるから、それまでは、ね?」
それからしばらく経った頃。
夜会の度に
「今日は私がエスコートの番だぞ!」
「父上は先週もエスコートしたじゃないですか!」
「もう!二人ともいい加減になさい!」
ある家族の可愛らしい口喧嘩が周囲を優しく微笑ませる日々が始まる。
最後までご覧いただきありがとうございました。
どうにかこうにかハッピーエンドになったのですが、最初はもっとドロドロした物語になる予定だったのになあ。なんで?なんで?




