4.
頭が重い。あれ?ここはどこかしら?
昨日はわたくしの婚礼の日で、夜エンリケさまと寝室で…
……なのに、なぜ?
「あの妖精の檻にいるのかしら?」
そう。閉じ込めていた妖精の檻の中で目覚めた。
四方八方ガラスで作られた檻。森の中を再現した大きな大きな檻。
野生の環境を再現していたから、木々の合間から漏れる陽射しだってとても気持ち良い。
妖精の飼育にはとても気を遣ってやっていたのだ。
「やあ、お目覚めかい?」
エンリケさまが檻の前にやってきた。
「エンリケさま?っ!エンリケさまが何故檻の前にいらっしゃるの!」
穏やかに笑うエンリケさま。
「やあやあ、僕の妖精さん?君のお父上に倣って妖精さんのおうちを作ったんだよ。」
彼は少し甲高い、少女を思わせる声色でこう言った。
「お前はわたくしのものよ?生意気しなければ餌をちゃんとあげるわ。」
「いやあ、エンリケ殿の愛情がとても重いようでしてな、もう2ヶ月も経つというのに侯爵家から一歩も出してもらえないのですよ。」
ここまであの男の執着が凄まじいとは思っていなかった。
あの婚礼の夜以降、娘とは会えていない。時折エンリケの愛がとても重くて離れる事を許してもらえない、という愚痴なのか惚気なのかわからない手紙が来るだけだ。
まあ、まだ婿殿は侯爵家を継いだ訳ではない。今焦ったところで仕方がないからな。私はそう思い鷹揚に構えていた。
まさか、まさかその頃。自分の娘が。
ガラスの檻の中に再現された森で。
令嬢とはかけ離れた、最低限の衣類と。
"妖精の餌ならこんなもんだろ?"
と適当に選んだ木の実を主食に、ため池の水で喉を潤し、日が暮れれば寝具など何もない、ただふかふかなだけの芝の上で眠りについていたなんて。
考えてもいなかった。
そもそも妖精のことなんて娘も嫁いだ今、興味なぞかけらもなかった。バレずに処分するにはどうすればいいか、頭を悩ませていた所だった。
そんな時に娘から招待状が来たのだ。
「是非会いに来て。」
と。エンリケ殿からの
"是非ご家族揃っていらして下さい"
という添え書きに甘えて、妻と息子も連れて伺ったのだった。
「やあ、お久しぶりですな。エカルラット伯爵。ご家族もお元気なようで何よりです。」
「ズワルト侯爵もお変わりないようで。エンリケ殿もご活躍は耳にしておりますぞ。」
お互い当たり障りのない挨拶を交わすが…
「ところで、娘はどこにおりますのかな?」
そう、娘がいないのだ。
「娘?ああ、私の妖精さんの事ですね。」
「彼女に会いに行きましょう。こちらですよ?今、彼女は大事な時期ですからね。」
大事な時期、と言う言葉に妻がまあ!と期待を込めた小さな声を上げた。
そして連れて行かれたのは…
「ガラス…の檻?」
我が家にある檻と寸分違わぬ檻が。
侯爵家の裏に建っていた。
「なかなか口の固い連中でね、良い人材を集めましたね。おかげでなかなか全容が掴めなくて、再現するのはとても難しかったんですよ?」
妻も息子も我が家の温室と同じものを訝しげに見ている。
「これは…これは父上?父上が10年ほど前に新たな薬草事業の為に、と言って建てた温室と同じものですか?」
「ええ、毒性のあるものも栽培するから、と言ってわたくしさえ近づけさせて貰えないあの温室とまったく同じに見えますわ。」
侯爵の目がきらりと光った。
「そうか、奥方とご子息はこれを温室と思ってらしたんですな。…ではちょうどいい。このガラスの檻の中を覗いてご覧なさい。」
侯爵に勧められて中を覗く。
「ん?人影…?」
「ええ、実際には人ではないですけどね。あれは妖精です。ここは妖精が暮らしている森を再現した檻なんですよ。」
「妖精?」
「ええ。妖精の飼育は難しくてね。何せ餌は木の実しか食べないし、水はため池から掬って飲むらしいのですよ。そして夜寝る時には寝具も使わないらしくてね。ふかふかの芝を再現するのは本当に苦労しました。」
「へえ、そうなんですね。でも…」
清廉潔白な息子と、息子にも負けず淀みを知らない妻は。
「妖精を独りで閉じ込めておくのは寂しいのではないですか?家族…というのか分からないけれど、仲間はいるはずでしょう?森に帰してあげることはできないのかしら。」
侯爵とエンリケ殿はその言葉に目を瞠る。
「そうですね。その通りだ。やはり、妖精は森に返してあげるべきですね。…伯爵は同意なさいますか?」
背中を冷たい汗が伝う。
「ああ、ああそうですな。本来あるべきすが…」
その時、檻の中の妖精が私たちに気づいた。そして駆け寄ってきた。
ドンドン!ドンドン!
必死の形相で檻を叩き続ける。
涙と汚れでぐちゃぐちゃな顔で。
「何か叫んでいるわ!どうしたの?!」
妻は優しい性格だ。息子も。捕らえられ、ひとりぼっちの妖精の取り乱した様子に同情し、叫んでいる言葉を聞き取ろうと檻に近づく。
「あっ!お前たち!」
あの妖精は!あの妖精は!
「……エーティリア?」
「こ、侯爵!あれは妖精ではありませんよ!私の妹の!エーティリアです!」
「いいえ?彼女が自ら言っていましたよ?彼女は幼少期に人間の世界に迷い込んだ妖精の子で、貴方達に大切に育ててもらったと。」
「ええっ!あの子は、正真正銘わたくしがお腹を痛めて産んだ子です!」
「そうだ!私も!妹が産まれるまで何度も母のお腹に語りかけてっ、産まれた時はとても嬉しくてっ」
「…へえ。では娘さんは何か勘違いなさっていたのかな?」
「そうです!何かの間違いです!」
「そうですか。娘さんは人間なんですか。ならば…」
侯爵とエンリケ殿の鋭い目がこちらに向いた。
「ならば、伯爵が仰っていた」
"娘が妖精である事は秘密にしたい、産んですぐ亡くなってしまった娘の生まれ変わりだと思い家族みんな大事に育ててきたのです"
「あの説明とは齟齬が生じますね。」
妻と息子から信じられないものを見る目が向けられる。
「あなっ、貴方!どういう事なのっ!」
どう答えたものか、もう分からない。
気が遠くなりかけた時、侯爵家の鎧を着けた者達が走り込んできた。
「ズワルト様!奪還してまいりました!」




