第46話 窮地と交代(1)
「魔法陣の近くが騒がしいと思えば、虫が三匹寄り集まりやがって……。さっさと他の虫を潰さないからそういう目に遇うんだよ、図体だけデカい役立たずが!」
杖を持つ手にバチバチと稲妻の残滓を纏わせながら、モノクルの男は悪鬼のような表情を浮かべ兵士達の方へ近付いてきていた。
雷を浴びた大柄な白銀騎士は、最早ピクリとも動かず泥沼の深みへと沈んでいく。焼け焦げたその鎧からは、相変わらず細く煙が上がり続けていた。
残されたブロンドの白銀騎士は、肩を怒らせ杖をガツガツ突きながら近付いてくるモノクルの男に向けて剣を構える。
どうやら大柄な白銀騎士はあの男の魔術を浴びたらしかった。
その物言いからして、暗殺を完遂出来なかった騎士を始末しに来たようだが……。
しかし現れた魔術師は、大柄な騎士を葬ってそれで終わりにする様子ではなかった。
残された騎士と兵士の方へひたすら突き進んでくるモノクルがギラリと光る。
明らかに魔術師の殺意はウィンフレッド達にも向いていた。
「次から次へと……」
迫る魔術師を眺めるウィンフレッドは、今まで以上に渋い顔を隠せなかった。
敵はまだ遠いが、ある意味大柄な騎士に裏切られたとき以上の窮地だ。
となりに立つブロンドの騎士の顔にも焦りが浮かぶ。
鉄剣では魔術に対抗できない。最初から勝ち目がないのだ。
「雷よ!」
杖を振り上げ、モノクルの男はウィンフレッド達の方へ雷を放ってくる。
今度は天から降り注ぐのではなく、横向きに空気を這ってくるような雷撃が騎士と兵士に迫った。
これはもう森の奥へと逃げることで躱すしかない。
甲冑を鳴らし、二人は逃げる方向が一直線にならぬようジグザグに木々の間を抜けていく。しかし、
「……ぐっ!」
ウィンフレッドの斜め前を逃げていたブロンドの白銀騎士の背に、モノクルの男の雷の鞭が届く。
騎士は一度体を大きくのけぞらせると、バタリと泥の中に伏せてしまった。
残る相手の標的はウィンフレッド一人となった。
「……!」
他に術もなく、立ち止まる暇もなく、兵士はさらに木々を躱し、ぬかるんだ泥の上を走り続ける。
雷撃に追われ、ウィンフレッドはいつの間にか、再び湖岸の近くまで出てきてしまっていた。
岸に近くなるにつれ森が開け、やがてその前方に、何か……。水晶のような角柱が何本か突き刺さった、円形の陣が地面に描かれている場所が見えてきていた。
あれは……魔法陣か?
状況を整理する間もなく、兵士の背へ雷の鞭が迫る。
雷撃に追われながら、ウィンフレッドがその魔法陣の脇を抜けようとしたとき……。
「……あれ? この魔法陣の近くにいるはずだと思ったけど、何やら取り込み中だったかな」
不思議な円陣の内側から、そう涼しげな声が聞こえてきたのだ。
はっとして、ウィンフレッドは己の斜め後ろ、例の魔法陣を振り返る。
そこにいつの間にか人影が現れていた。
霧の中でも存在感を放つ黒のローブ、垂れ込めた白の中でもうっすら輝く淡い色の髪。その手に持った立派な杖。
一瞬そこだけ光が当たったかと思うほど、否応なしに目を引くその姿。
「あんたは……」
ウィンフレッドの呟きが届いたのか、整った唇が微笑む。
兵士を捕らえようと飛んできていた雷の鞭を前に、『彼』はただ一つ息をついた。
その一息だけで、黒衣の魔術師の目の前に現れた透明な防壁がその身を守る。
青く輝き散っていく雷撃の前で、魔術師は幽霊船の上で会ったときと変わらない、実に穏やかな微笑を浮かべてみせた。
黒衣の魔術師レオン。
魔女ピエドラと下級兵士ウィンフレッドに協力を申し出てくれた、どこか読めないドジで柔和な魔術師。
しかし今の彼は……。
ウィンフレッドを追ってきていたモノクルの男を視界に入れると、黒衣の魔術師はどこかほっとしたように微笑む。
「ああ、良かった。やっと会えた」
「お、お前はまさか……」
突如として現れた黒衣の魔術師の顔を見て、モノクルの男は兵士を攻撃していた手も止めて魔法陣の外に立ち止まる。
その場の空気が震えるのを、ウィンフレッドは確かにその肌で感じた。
「そんな……どうしてお前がこんな所に……」
モノクルの男の弱々しい呟きに、黒衣の魔術師は一層笑みを深める。
真正面から彼と向かい合うモノクルの男の顔から、すべての表情が消えていた。脂ぎった額からまた一筋、汗の雫が流れ落ちる。
そんな男の様子など知らぬげに、レオンは親しみを込めながら言葉を重ねた。
「こんにちは。君がアラリコくんだよね?」
「……!」
しかしその微笑みがさらに男の肝を潰したらしい。
モノクルの男……黒衣の魔術師が言うにはアラリコなるその人物は、その場でひっと喉を鳴らして固まってしまった。
そうだ。あの目……。
黒衣の魔術師の斜め後ろで、ウィンフレッドも思わず鳥肌の立った己の腕を甲冑の上からさすりそうになる。
斜で見ているだけでも、震えが来るほどの狂気の光。
どんなに笑っていても、あれは狩人が獲物を見る目だ。
その視線の正面にいないウィンフレッドでさえ、まるで肉食獣の前肢にかかった小動物になったような気分になる。
恐らくモノクルの魔術師もウィンフレッドも及びもつかない、常軌を遥かに逸した暗い世界を覗いているだろう青い相眸に。
だからこそ、正体不明の片眼鏡の魔術師に追われる絶体絶命の窮地に、救いの手が差しのべられたとは決して思わなかった。
人間相手に身の毛がよだつのは久しぶりだった。どちらかというとモノクルの男より、少し見知っているはずのあの黒衣の方に剣を向けたくなる。
幽霊船で初めて会ったとき、感じていた違和感がほどけていくようだった。ようやく彼の本性にたどり着いたのだと、速まる胸の鼓動が告げている。
そして。肉食獣の視界にいる獲物のうちの一人……モノクルの男の方にまっすぐ顔を向けると、黒衣の魔術師は再び穏やかに言葉をつむいだ。
「君を探してたんだ、導師アラリコ。君が『協力』してくれればようやくこの森での俺の役目も終わる。安心して自分の旅に戻れるよ」
その言葉に合点がいくことがあったのか、アラリコなる男はわなわなと唇を震わせた。
「ま、まさか、お前がやったのか? 突然魔導機構達が俺の言うことを聞かなくなったのは……」
黒衣の魔術師は少しだけ瞳を開き、面白そうに首を傾いだ。
「この森で、ずいぶん楽しい夢を見ていたみたいだね」
「……っ!」
「闇に紛れて白銀騎士を狩る報酬として、王宮での魔術師としての地位を確立する。……だけど自分がその夢を見る資格のある人間だと、本気で信じていたのかな?」
アラリコの肩が、ウィンフレッドからも分かるくらいガクガクと震え始める。
黒衣の魔術師はただ、モノクルの男の額から絶え間なく流れ出す汗をじっと観察していた。
そして今までと打って変わって硬質な声音で、自分の言葉にこう付け足した。
「……与えられるままに人の命を啜ってきた君に、魔術師としての栄光が約束されると、本気で思っていたのかな?」
最早遠慮なく自分を刺す視線に、モノクルの男は大きく息を飲む。
相変わらず肩をガクガク震わせながら、男は一歩後ろに下がろうと足を動かしかけた。
そしてようやく己の身を捕らえる異変に気付いたらしい。
「……!? 動けない……! どうして!?」
流れる汗で片眼鏡のレンズを曇らす男は、震える上半身をよじりながら叫ぶ。
端からその様子を眺めているウィンフレッドもまた、置かれた状況はその男と同じだった。
魔力のない人間には、魔力を感じとることは出来ない。それでも己の足が何か大きな力によって、地面に縫い付けられる感覚だけは魔力の有無に関わらず共通のものであるらしい。
そうだ。あのとき幽霊船の上で味わったのと同じ感覚だ。自分の意志と裏腹に、体をその場に無理矢理固定されるような……。
今まで何度か強力な魔力の持ち主と対面したことはあるが、これはウィンフレッドが過去経験したことのないほど絶対的な力だ。
魔力を感知できないはずの人間が、ほとんどその場から動くこともできない。
あの幽霊船の上で、レオンの真ん前に立った魔女は何故か平気そうな顔をしていたが、これは万人を絡めとる大きな惑星の引力と同じだ。
彼は垂れ流す魔力の重さだけで、周りの人間を自分の檻に捕らえてしまう。
そういう人間は魔術師の中でもほんの一握りのはずだ。まさか……。
黒衣の魔術師の作り出す檻に今まさに捕らえられているモノクルの男は、口から泡を吹く勢いでレオンに向かってわめいた。
「お、俺をどうする気だ? 一体俺にどうしろって言うんだ?」
囚人の焦りに一切構うことなく、強大な魔力を持った魔術師は己の杖をゆっくり地面に突き直した。
「何もして欲しいことなんてないさ。黒銀騎士の陣地で勝手な夢想に徹し、この後発覚する『失敗』をただ自分の責任だと受け入れてくれたら、今ここでの身の破滅までは免れることが出来たかもしれないが……」
「し、失敗?」
「ああ。白銀騎士は黒銀騎士団の内通者以外死んでない。ネバード卿も無事だ」
「……!」
モノクルの男の顔から血の気が引いていく。
黒衣の魔術師はただ、ここに現れたときと寸分変わらぬ穏和な微笑みとともにそれにとどめを差した。
「君の操る魔導機構達は、敵味方の判別がうまく出来ていなかったらしい。標的を潰すどころか、自分の雇い主の協力者達を消すとは……。例えここから無事に帰れたとしても、君の雇い主はこの失敗を許さなかっただろう」
それまで震えながらレオンの言葉を聞いていたモノクルの男は、彼の口から重ねて告げられる『失敗』という単語に段々と瞳の光を取り戻していく。
一度血の気の引いた顔を真っ赤にして、拳を握り唾を撒き散らしながらレオンに抗弁した。
「で、でたらめだ! 全部お前がやったんだろう!? お前が仕組んだんだ! 自分の代わりに俺が閣下のもとで活躍するのが気に入らなかったんだろう!?」
空気を割るような吠え声に、黒衣の魔術師はただ微笑みながら首を傾いで髪を流す。
先程アラリコに向けた冷たい言葉が嘘に思えるくらい、優雅な仕草だった。
そして彼のその様子に、モノクルの男の恐怖と怒りの沸点は限界を超えたようだった。
「う、うわあ!!」
恐慌状態に陥った男は最後の手段に出た。
気合いの声にもならないめちゃくちゃな悲鳴とともに、アラリコはその場で勢いよく己の杖を振り回す。
景色を透かすように弱々しい炎の塊が、次々レオンの方へと飛んでいった。
しかし黒衣の魔術師は、最早その攻撃を魔術を使って防御しようともしない。
ただアラリコの繰り出す炎をわずかに後ろに下がりながら避けていくだけだ。
すべての攻撃が躱された後には、焦るモノクルの男だけが残されていた。
魔術で彼を下すことは不可能と改めて悟らされたのか、アラリコは流れる汗を撒き散らしながら再びレオンに吠える。
「な、何故だ! どうしてこんなことをお前が!? これは閣下に対する裏切りだぞ!? ヴィクトル殿だって許されるわけが……」
焦るモノクル男の言葉の途中で、レオンの杖から生まれた火の玉が三つほど当の男に向かって飛んでいく。
「ひい!」
それは威嚇……否、相手の恐れを煽る遊戯のつもりだったのか、モノクルの男の脇をきれいに避けて飛んでいったが、された方はもう冷静ではいられないようだった。
アラリコは吹き出す汗の隙間できっと目を剥く。そして懐から何かを取り出した。
豆粒ほどある大きな石を台座に付けた、銀の指輪だった。
その付いている石というのが何とも変わったものだった。赤に近い橙色の石が、無骨な形でそのまま台座にはまっている。
だからそれが指を飾るための装飾品の類いでないことは、ウィンフレッドにもすぐに察せた。
あれは多分、魔術師達が使う特殊な道具だ。
よく分からないがここから逃げた方がいいと、兵士の勘がここへ来て一層鋭くウィンフレッドの頭に警告する。
お前の目の前にいる魔術師達は尋常ではない。今すぐ遠くへ走れと。
足さえ動けばその勘に従うのだが、残念ながら未だレオンの魔力は兵士の体を捕らえたままだ。
動けぬウィンフレッドの視線の先で、先程取り出した指輪を握りしめながら、アラリコはレオンの方を睨んでぶつぶつ何か言っている。
「俺は……俺はまだこんな所で終わるわけにはいかないんだ。俺は、俺にはお前を超える大きな力が隠れてるんだ。俺はお前にも、他の魔術師にも負けない。……そうだ。俺が一番なんだ」
「……? まさかその指輪……」
未だ口の中でモゴモゴ呟きながら、モノクルの男は己の指に例の指輪を装着する。
すぐにその不思議な道具の正体に気付いたのか、レオンは優雅に傾げていた首を元に戻した。
「……とんでもない玩具を与えられたな」
黒衣の魔術師の微かな囁きが、霧の中に溶ける。
モノクルの男が再び攻勢に出たのは、その言葉の後だった。
その指輪を着けた前後で心境の変化があったのか、まだ恐怖に顔をひきつらせながらも、アラリコは再び怒涛のように黒衣の魔術師に向けて魔術を繰り出した。
火の玉やら氷の塊やらが、次々レオンに襲いかかる。
「おおっと」
魔術師は杖を下ろしたまま、やはり魔術で対抗せずただ鼻先でその攻撃を避けていく。相手が攻勢に転じたのに涼しげなその様子といったら……。
ヒラリヒラリと魔術を躱されるたび、モノクルの男の顔は憤怒と焦りに赤く染まっていった。それこそ敗北の兆候と知らないで、焚き付けられ煽られ冷静さを失っていく。
モノクルの男があの不思議な道具を使って何をしたのかは知らないが、万に一つもレオンの負けはなさそうに見えた。
「クソ! クソ……!」
魔力の底が近いのか、アラリコの顔が疲弊に歪む。
終わりだな。この戦いが終われば、レオンの次の標的は自分だろうか……。
そう思いながら、ウィンフレッドは決着を迎えそうな二人の魔術師達の争いを眺めていた。しかし――。
モノクルの男が最後の一撃とばかり、雷の鞭をレオンに向けて放つ。今までの雷撃を超える、大蛇のような稲妻が霧の中を走る。
その稲妻を躱し、とうとう己の杖を掲げたレオンの姿に、アラリコの口角がわずかに上がった。
……何だ?
あの黒衣の魔術師に杖で狙われたということは、もう負けは決まったようなもんだろうに。
レオンも相手の意味深な笑みに気付いたのか、一瞬杖を振ろうとするのを躊躇ったように見えた。しかしアラリコの方をまっすぐ見据えるとそのまま杖を掲げる。
――これから何が起こるのかと、ウィンフレッドが端から固唾を飲んだときだった。
モノクルの男に向けて杖を振ろうとしていたレオンの腕。その腕が彼の背のすぐ後ろに迫っていた、魔法陣の中央に生えている水晶の角柱に触れる。
そして。
「!?」
レオンの黒いローブの背が、魔石に引き寄せられるようにぴったりと角柱の正面にくっつく。
青い瞳が、ここへ来て初めて大きく見開いた。
そして驚くことに、彼の肩はそのまま角柱の内側へと吸い込まれ始めたのだ。
まるで水面の向こうに引っ張られるように、レオンの体が魔石の中に埋もれていく。
彼の体が完全に柱に飲まれる前に、辺り一帯が目も開けられないような真っ白な光に包まれた。
そしてその光がおさまった後には――。
「……何がどうなったの?」
聞き覚えのある声に、ウィンフレッドは思わず、まだ眩む瞳を魔法陣の方へと向けていた。




