第47話 窮地と交代(2)
聞き覚えのある声に、ウィンフレッドは思わず、まだ眩む瞳を魔法陣の方へと向けていた。
そこにその姿が……見知ったその姿があるように見えるのは、まだ己の瞳が眩んでいるせいだろうか。
「……何がどうなったの?」
兵士の視線の先には、呆然とした表情でふらふらと首を巡らす、みすぼらしい格好の魔女の姿が。
そう。白い杖を左手に、そして解毒薬の瓶を右手に持った魔女、ピエドラがそこには立っていた。
ちょうど先程までレオンが立っていた場所に。まるで入れ替わるように。
さっきまでこの場を支配していた、黒衣の魔術師の魔力はきれいに消えていた。
驚く魔女の後ろで、さらにスパンと、先程レオンが飲み込まれていった角柱に横向きに亀裂が入る。柱はそのまま、亀裂から斜めに折れて半分に崩壊してしまった。
魔女と兵士同様、何が起こったのか未だ飲み込めない様子のアラリコが、その場であんぐり口を開けている。
しかしその瞳に再び怒りの炎が燃え盛るのを見て、ウィンフレッドはようやく動くようになった足で魔女のとなりまで走り寄り剣を構えた。
「……感動の再会だな。今すげえいい所だったんだ」
その言葉に、魔女は未だポカンとした表情で首を巡らす。
そしてすぐに怒りに燃える魔術師が視界に入ったのか、険しい表情でその首を止めた。
その横でモノクルの男に向けて鉄剣を構え直しながら、ウィンフレッドの目も今は少し焦燥を滲ませていた。
目映い光が去って、レオナルドはその柱の外へ背中の方から押し出された。まるで誰かに後ろから肩をつかまれ、その人のいる方向へと強く体を引っ張られるように。
魔術師はそのまま、引っ張られた世界の地面に尻もちをつく。
水面から体が空気の外へ出るように、一気に視界が開けた。
目の前には自分を後ろから吸い込んだあの魔石の角柱が。しかしこれは……。
「何が起きた……?」
真顔で宙に向けて呟けば、後ろからガシャガシャと、鎧を着た誰かがこちらに駆けてくる足音が聞こえた。
「レオナルド? 一体どうしてここに?」
「ネバード卿……」
背中側から近付いてきた鎧の誰か……旧知の老騎士の姿に、魔術師はぼんやりと顔を上げる。
老騎士の背の向こうを見渡せば、自分が尻もちをついているのがやはり魔法陣の中だということが分かる。
しかしネバードがいるということは、ここは『深層一』の幻覚の世界……老騎士の姿を隠すために作った浅い幻覚の世界のはずだ。
先程までアラリコを追い詰めていた『深層二』の世界ではない。
ここに何故自分が……。
アラリコが何かしたのか? いや、そんな気配はなかった。
そうだ。何かをしたのはアラリコではなく……。
「あのお嬢さんは? さっきまでここに魔女がいたんだが、突然彼女の姿が光に包まれて、代わりにお前がここに……」
老騎士のその言葉に、黒衣の魔術師はゆっくりと己が出てきた角柱の方を振り返る。
魔法陣の中心に座す魔石の表面には、うっすらと、あのみすぼらしい魔女のものと思われる背中が映っていた。
「彼女と俺の位置が入れ替わったのか? 俺が自分の意志と関係なくこの場所に……」
呟きながら、レオナルドは柱に映る魔女の背へと指を伸ばしかける。
しかし。
「……」
魔石に手を触れようとしたレオナルドの目の前で、その柱石が真ん中からボキリと折れた。
手を伸ばした格好で静止する魔術師の前で、綺麗に斜めに切れ目の入った柱の半分がすーっと地面へ滑り落ちる。
同時に消えてしまった魔法陣からの気の流れに、魔術師はその場で静かに目を瞬いた。
そのまま押し黙ってしまったレオナルドを怪訝に思ったのか、老騎士がその背へと歩み寄る。
「……参ったな」
「何だ? どうしたんだ、レオナルド?」
「すみません、ネバード卿。しばらくここから出られないかも知れません。あなたの言う魔女は多分、導師アラリコの前にいるのに……」
最早何も映さない、半分に折れた魔石の柱を見下ろし、魔術師はほんのわずか目蓋を落として瞳を険しくさせた。
アラリコが土壇場で取り出した、不思議な石の付いた指輪。あの歪な輝きを頭に思い浮かべながら。
「簡単に倒せる相手と思っていたが、与えられた道具は一級品か。あれがある限りアラリコは……」
そして魔術師は、静かに己の頭の上を仰ぐ。
「どこまでも底意地が悪いのですね、閣下……」
王城の近くに建てた自らの邸宅で、宰相イクリプスは午睡の時間をとっていた。
背を深く沈められる豪奢な椅子の上で、獅子の国の頂点に登ろうという男はゆったりと息をつく。
開いた窓から見えるテラスの外には、背の高いヤシの木に囲まれた広大な水場が、高く昇った太陽に照らされ絶えず輝いていた。
そして宰相の座す広間の内部だが、部屋の床から上はとにかく金。
机も棚も壁紙も、すべてが目映い金色で飾られていた。
この部屋だけではない。その色の細工をされていない柱はこの館の内部には一本も存在しない。椅子の足も背もたれも、人が触れられる所はとにかく金の装飾が埋めていた。
床に敷いてある絨毯が金色だったならば、部屋の中は完全に金色が支配する空間になっていただろう。しかし一色の支配を拒む赤絨毯にさえ金の糸は縫い込まれていた。
金と赤の二つの色に仕切られた、何とも奇抜な空間だった。
しかし掛けられた財力だけで言えば、この館はこの国の第二の宮殿と言ってもいいのだ。
訪れる誰にとっても、実際暮らしている者にとっても、館の豪華さは当然のものだった。
ふと、開け放たれた窓辺を側方に見ながらまどろむ宰相に、つかつかと靴音高く近付いていく一人の人物があった。
「イクリプス公。起きていらっしゃいますか?」
イクリプスの側近の中でも、宰相の一番近くにくっついて朝から晩まで世話をしている、まるで下僕のような男だった。
ひょろりと背が高く、まだ若い故にそこそこ艶を保つ黒髪を頭の後ろで細く束ね、地味な色の服を着ている。
その歳にして大国の宰相に見出だされ出世しているわりに、どこか覇気に乏しい男だった。
男はくるくると巻かれた書類を広げ、半ば椅子の上に寝転がる格好の主に、ある事業の報告を始める。
「例の隕石の落下跡から見つかった新しい鉱物ですが、現地の奴隷を使い順調に掘り進ませています。見込まれる総産出量はこれほどになるかと……」
側近からその数字を聞くと、宰相は整った髭の囲む口元を面白そうに緩ませた。
「いつも通り、その鉱物の使途は陛下には内密にな」
「御意」と、側近から何の躊躇いもなく返事が返る。
後ろ暗い二人の会話を聞くのは、金色の壁にかかる絢爛な絵画の数々のみ。
館の代々の主と思われる人物達の肖像画、馬に乗った英雄、森の深緑に遊ぶ妖精……。
宰相はその中でも、一際目を引く大きな絵を背にしていた。
海原を行く帆船の舳先に立つ立派な衣装の男のもとへ、薄衣を着た女神が天から祝福に訪れている場面を描いた幻想の一幅。
今まさに栄光を掴もうとする船乗りを描いた一枚だった。
額も特に細工が細かく豪華なもので、まるでその絵がこの部屋の主とばかりに圧倒的な存在感を放っていた。
その絵の下で、世界の覇者として名を轟かせようとする者は、細い面の従者から続けて報告を受ける。
「新たな鉱物の採掘には今のところ支障ありませんが、未だどの鉱山でも、周辺では現地人の反乱の恐れが拭えぬとのこと。やつらは魔術も使うようです。いっそ宮廷魔術師ほどの強力な魔術師を派遣して黙らせてやれば、かの地の統治ももっと易いものになるのでは?」
「私もそうしたいのは山々だが、レオナルドが渋っていてな」
宰相のその言葉に、側近はぎょっと目を丸くする。今までの下手な態度から一転、白い額に筋を立てて怒りをあらわにした。
「またあの男の我が儘ですか。国益より魔術師仲間の身の方が可愛いとは、何と忠誠心に欠けた男なのか!」
「我が儘か……」と、イクリプスは頬杖をつきながら庭を見つめる。
そしてそのまま、未だレオナルドへの怒りがおさまらない様子の下僕に呟いた。
「そこだ。今お前の立っているその場所」
「は?」
脈絡のない主の発言に、怒り狂っていた下僕は狼狽えながら首を傾げる。
そんな側近の様子には一瞥もくれず、イクリプスは相変わらず庭を眺めたまま呟いた。
「ちょうどその場所で、最近レオナルドのしょうもない我が儘をまた一つ聞かされてな」
「はあ……?」
「ダフネなる娘の命を自分に預けろと言ってきたのだ。自分の弟子として育てさせてくれと」
宰相が呟いた娘の名に、側近はぐっと眉をひそめる。この国の命運を握る、ある重大な秘密を知っているはずのその娘の名に。
イクリプスは構わず悠然と先を続けた。
「あの娘の魔術の才能が惜しいからまだ殺したくない、とな。口を封じるために刺客を差し向けるのを止めろと言うのだ」
その言葉に、側近の男はいよいよ顔から血の気を引かせた。
信じられぬとばかりに、顎が外れかけるほど口を大きく開けながら。
「何とも、要らぬ所で要らぬ労力を使おうとする男だ。私が天下を得るまでは、娘には聖典のことを黙っているよう命じるからと」
「そ、それで、レオナルドの頼みを了承されたのですか?」
「いいや。……魔力のある娘などいくらでも替えはきく。しかし後に歴史に名を刻む私の行く道に一切の瑕疵は許されない。危険の芽は早めに摘むに限るからな」
「何よりです。ことは聖典に関わる重大事です。あの娘が聖典のことを誰かに漏らせば、閣下の行く道にどんな障害が起こるか……! レオナルドの退屈しのぎのために、閣下の覇道が妨げられるなどあってはなりません!」
拳を握りながら豪語する男の言葉に、宰相はあくびをかみ殺しながら未だ呑気な様子で返した。
「しかしあれはそれで退くような男ではないのだ。私はやつを強かに育て過ぎた」
「……と、言いますと?」
「私の刺客からダフネの身を厳重に守る何者かが、宮廷に現れたのだ。未だにあの娘は生きている」
宰相の言葉に、側近はついにその場で息を飲む。
顔色を青くしながら、すべてが信じられぬとばかりに主に尋ねた。
「まさか、閣下の刺客からそのダフネなる娘を守っているのは……」
「レオナルドだろうな。こちらに一切尻尾をつかませないが」
「な、何ということを! これは閣下に対する立派な反逆です! レオナルドめ、一体何を考えているのか……。これ以上やつを野放しにするのは危険です!」
まあ落ち着けと、宰相は手下の男をなだめる。どこまでも悠然とした態度でこう言った。
「いつまでもやつの好きにはさせぬ。……今頃我が領地で黒銀騎士が白銀騎士を狩ろうとしている頃だろうが、そこに最後の仕掛けをしてやった。どうせネバード辺りがレオナルドに白銀騎士の救済を願うと思ってな」
「仕掛け、ですか?」
「なに、ちょっとした狩りの余興だ。――霧深い森に放たれる、魔術の通らぬ装甲を着た最強の兵器達。しかしあれは未だ実験段階の産物に過ぎぬ。レオナルドの魔術なら、それでもやつらを貫くだろう。……では、真に魔術の通らぬ最強の盾を持った魔術師が相手ならばどうだ?」
側近はまたも細い面を驚きに満たした。
「狩り場で魔導機構を操る魔術師に、あの新しい鉱物を持たせたのですか?」と、目を丸くする。
「あらゆる局面を想定するのが、良き指し手というものだからな」
宰相はいかにも面白そうに笑いながら立ち上がると、真っ白に日差しを浴びる石のテラスに踏み出す。そしてそこから天を仰いだ。
「あれに持たせた小さな『盾』は、それでも兵器達の纏う装甲を遥かに超える絶対の守りを誇る。魔術がほとんど無効となる苦難のときを、可愛いレオナルドは果たしてどう乗り越えるかな。……古き師にたぶらかされ、飼い主の手を噛んだ罪を、よく味わってもらうとしよう」




