第45話 師と境界
どんなに穏やかな顔をしていても、運命は猛然と人間の背を追いかけてきている。
ごく深い水面下で足を絡めとり、気付けば溺れるしかない遠洋までその体を押し流す。
劇的な事件を運命の分岐点などと人は言うが、それは目に触れるずっと前に、誰も気付かぬ深海で始まっている。
浮き上がってくる冷たい水底の泡が伝える変化に、誰も気を留めることはない。
素通りした日常の中に、己の人生の結末さえ揺さぶる一大事が隠れているとしても。
「何故だ……どうして……」
ガシャガシャと、足を速めるごとに白銀の甲冑が鳴る。しかし周りの景色も音も、今はまともに騎士の頭には入ってこなかった。
予感はどの戦場で敗けを悟ったときより冷たく体を突き抜けて。
どうしても、会わねばならない者がいた。
確かめねばならなかった。
今日が運命の分岐でないことを、証明して欲しかった。
本当は悪寒を振り切り走り出したときに、すべてを確信していたのに。それでも否定して欲しかった。
「レオナルド……」
面頬を上げた兜から出ていく、頼りない自分の声。
廊下に敷かれた赤絨毯が、焦りに鳴る鉄靴の軋みを吸収していく。
白銀の鎧は今はただの重りに。兜の中にこだましそうなほど、己の鼓動がうるさかった。
……そうだ。今でもあの音が甦るほど、鮮明に覚えている。
あれはまだ騎士……ネバードが王城で若い兵士達の訓練を任されていた頃。
気まぐれの豪雨が過ぎ、生温い日が幾日か続いたある日のことだった。
いつもと変わらぬ一日だった。その日も騎士は、城の広場で若い兵士相手に鍛練をつけていた。
その内、市街から帰ってきたある兵士が言ったのだ。
聞いた途端、指導者という立場を忘れて剣を取り落とすところだった。
兵士は言っていた。
レオナルドと『あの男』が、ともに市中の広場に晒されたあるものを見ていたと。
それが晒されて七日目。もう観衆もまばらなその場所で、並んで話す二人の姿を見たと。
聞いた瞬間、雷に撃たれたように目が見開いた。気付けば持ち場を離れ駆け出していた。
鼓動が高鳴る。焦る足が赤絨毯を蹴上げる。
頭の中はグルグルと、ある思考に囚われ続けていた。
……あの凄惨な事件の後、それでも平気だと言う彼に、もっと寄り添ってやればよかったと。
師を気取っているくせに何もしてやれなかった。手も出せず眺めるばかりだった。
事が済んだ今でさえ、『彼女』のために喪章すら着けることが出来ずに……。
だからどうしても彼の顔を見たかった。
取り乱しながら、城中を探し回った。
城門の手前まで来て、城の中のどこにもその姿がないことを確認して、どこかほっとしながら回れ右しようとしたときだった。
「――どうかしたか、ネバード。何やら慌てた様子だが?」
真上に差し掛かった太陽の照らす城門前の庭から、その男は不敵な微笑みとともに騎士の前へと姿を現した。
はっとしてその場に固まった。
しかしどうやらその男は珍しく一人のようだった。
一つ息を吐き、騎士はようやく周りの景色に返る。そして宰相……イクリプスに向けて兜を着けた頭を下げた。
「……失礼いたしました、宰相閣下」
頭を上げながら、自分の立つ位置がその男の進行方向であることに気付いて、慌てて道を譲る。
そして完全に頭を上げきったとき。
そのローブの魔術師の顔は、まっすぐネバードの目まで飛び込んできた。
宰相の背に隠れて、今まで見えていなかった彼の顔が。
「レオナルド……」
宰相の後ろを付き従うように歩いてきた彼に、騎士は先程廊下を走っていたときと同じ瞳を向ける。
何故だろう。ずっと探していたはずのその顔から、今は目を背けたかった。
この風景をそのまま受け入れたくなかった。
しかし視線だけは彼からそらすことができない。
あらゆる人の目を否応なしに引く、怪しいまでの魅力を帯びたその瞳から。
昨日までの彼と、全く違うその瞳から。
一見いつもと変わらぬぼんやりした表情。穏やかに薄く微笑んだ唇。
楓の杖を携えた、騎士団の少年達とは別のネバードの弟子。……たった一人の魔術師の弟子。
しかし今の彼は……。
「ご挨拶申し上げます、ネバード卿」
騎士の心情を知ってか知らずか、レオナルドはその青い瞳にネバードの姿をとらえると、そのまま穏やかに会釈してくる。
その笑顔に固まるばかりの騎士に向けて、宰相はわざとらしく首を傾げてみせた。
「どうしたネバード? レオナルドに何か用があったのか? それなら私は外すが」
「い、いえ……」
道を譲ったネバードを尻目に、イクリプスはさっさと庭を進んでいく。
レオナルドもまた、宰相の後ろに付いて騎士の前を通り過ぎようとした。
しかしこの男の後ろを歩くということは並大抵のことではない。
宰相は……用心深いこの男は、信の置けぬ者に決して自分の後ろを歩かせたりはしない。
つまりレオナルドは……。
その場に立ち尽くす騎士を、イクリプスはかすかに振り向き面白そうに眺めていた。
後に続くレオナルドがゆっくりと、ネバードの方へと近付いてくる。
そして騎士とすれ違いざま彼は……。
「心配いりませんよ、ネバード卿」
どこまでも優しく、心の底から騎士を安心させようとしている口調だった。
にも関わらず、ネバードは思わずその場で肩をこわばらせてしまっていた。
ようやく騎士の方をまっすぐ向いた瑠璃色の瞳には、確かにその光が宿っていたから。
――野望。
誰にも消すことができない、鮮烈なその光。
この宮廷で上を目指す者がことごとく発揮する、暗い欲と執着が生むその眼差し。
「どうしても欲しいものがあるんです。もう俺じゃダメだなんて言ってないで、潔く手を伸ばすことにしたんです。そのためにイクリプス公の力をお借りすることにしました」
穏やかな声はそれでもあっさりと、二人の間を深い溝で隔てた。
「ネバード卿にもきっと、いい報せをお届けできる日が来ると思います。……今までお世話になりました、先生」
それが彼の言葉のすべてだった。
宰相は言葉を交わす二人に背を向けたまま。
しかし何故だろう。向けた背中越しに、彼が笑っているのが分かった。
敗者を嘲笑う、あのどす黒い微笑を浮かべているのが。
……走り出したときから知っていた。
運命が大きく動き出すのだと、この日が境なのだと。
その予感はとうとう、裏切られることはなかった。
己の甲冑の重さに地に引き付けられるように、騎士はふらふらとその場でたたらを踏む。
去り行く宰相と魔術師の背を眺めながら、いつの間にかその場に片膝を折っていた。
人々は言った。
有望な魔術師がまた一人宰相の手中に落ちた。レオナルドはイクリプスのものになったと。
しかしレオナルドはその後も、イクリプスの腹心とネバードの弟子を棲み分け、何かと白銀騎士に力を貸してくれる優しい魔術師であり続けた。
そうだ。それは今までと同じだった。
だが決定的に、彼はあの日から変わった。
程なくして開催された獅子の魔術大会。そこでレオナルドは最初の優勝を果たした。
この国の新しい獅子の魔術師となり、以来その地位を守り続けた。
彼は力を欲した。欲するだけでなく確実に掴んだ。
欲望渦巻く宮廷で上に行くということがどういうことか、騎士はよく知っている。
だからこそレオナルドはイクリプスを頼った。その手中に落ちたと陰口を叩かれながら、それでも望んだ。
彼は元々、この宮廷にまたとない優秀な魔術師だった。
しかしネバードは、どう転んでも、彼が宮廷筆頭魔術師になる日が来るとは思っていなかった。
温和で優しい彼と『獅子の魔術師』という地位が、どうしても結び付かなかったから。
しかしそれは間違いだった。
レオナルドが獅子の魔術師になって数年後。イクリプスの傀儡だった残忍な王も病に伏し、この国の舵はいよいよ狡猾な宰相のものとなった。
この上レオナルドが銀河の魔術師となれば、イクリプスは最早誰も手出しできない絶対の支配者となる。そしてこの国のみならず、世界を手中におさめるのだ。
……そうだ。すべてはあの日に定まってしまった。
レオナルドを、あの男と同じだと思うようになったのはいつからだっただろう。
逆らえない運命と同じだと思うようになったのは。
かつて純真な瞳で騎士を見上げていた少年魔術師はもうどこにもいない。
彼はその指ですべてを操る、この国の運命の支配者の一人となったのだ。
今は、その瞳が自分を見下ろすたび感じる。
彼にとっては、旧知の騎士の身も盤上の駒の一つに過ぎないのだと。
その青い瞳が見据える、もっと大きなものに供するための贄の一つなのだと。
彼にはネバードの先に、そしてイクリプスの先に見ているものがある。
『どうしても欲しいもの』。そのために己の人生を端から端まで費やそうとしている。
報われなかったあの日を燃やすように。優秀な師だった『彼女』の無念すら追い風に変えるように。
……だからこそだ。
駒でいい。決して邪魔はできない。
叶えてやりたい。叶えてほしい。今度こそ。
――狂った魔導機構が這いずり回る恐怖の森で、騎士は一人霧の向こうを見つめる。
部下達は何も知らず、狩りに使う武器を確かめながら楽しげに談笑していた。
レオナルドの野望の一手。それが今まさに森の中で進んでいることなど露とも知らずに。
そうだ。彼は単純にネバードや白銀騎士達を助けるようとしているわけでなく、この森で『試そう』としているのだ。
しかし彼がその野望を前に進めようとしていると言うのなら、老騎士はただその意向と指示に従うのみだ。
そして彼の一手の先に少しでも白銀騎士が生き残るという恩恵があるならそれで十分……。
そうだ。それでいい。
部下達から離され、一人死んだことにされて置かれた湖の浮き島の上。
そこで事態の収束を待つ老騎士は、繰り返すようにずっと自分に言い聞かせていた。
「……というわけだ、お嬢さん。この森では白銀騎士を狙う黒銀騎士の陰謀が渦巻いている。そしてその渦中から私を救おうと、ある魔術師がこの幻覚の世界を作り出してくれたのだ。しかしもうそろそろこの件も収束する。それまではどうかここで……」
湖にせり出した洲の上にある魔法陣の前で、老騎士は出会った魔女に向けて静かに語る。
白い眉の下の目を霧の向こうに向け、どこか悲しげな表情で。
しかし視線を正面に戻した騎士の前に、すでにボロ着の魔女の姿はなかった。
代わりに彼の後ろの魔法陣の内側から、
「クソ、どういう仕掛けなのよこれは!」
と、忙しくその中を移動しながら、あーでもないこーでもないと言う声が聞こえてきていた。
驚いて振り返る老騎士の後ろには、魔法陣の中を杖をついて歩き回りながら、突き刺さる魔石の裏に回り込んだり、描かれた白線を検分したり、とにかく落ち着かない魔女の姿があった。
片手に杖を、もう片方の手に薬の瓶を持ち、腰を低くしながらその場を高速でグルグルグルグル巡っている。
魔法陣の下を掘削でもしそうなその勢いに、老騎士はしばらくポカンと口を開けていた。
「……お嬢さん?」
「元の幻覚の世界に戻らなくちゃ……その陰謀とやらの真っ只中に、知り合いを置いてきたの」
より深い幻影の世界へ自ら戻りたいと言う魔女の姿に、老騎士は大きく瞳を瞬いた。
頭によぎった悲しい思い出は、いつの間にかカサカサ動き回るその姿の向こうに消え去っていた。
「元の幻覚の中に置いてきた知り合いが無事かどうか確かめたいの。……戻らなくちゃ」
魔法陣の中を忙しく歩き回りながら、焦る魔女は己の目の前の空気に向けて呟く。
カツカツカツカツと、その間も杖は絶えず魔法陣の中をつっついていた。
その姿を、老騎士が驚きにかっ開いた目で見ている。
そりゃそうだ。自分でもずいぶん摩訶不思議なことを言ってると思う。
自分から化け物のうようよいる幻惑の森に帰りたいなど狂気の思考だろう。
おまけにその化け物のいる森には黒銀騎士の陰謀が渦巻いているのだ。戻れば何が起こるか分からない。
老騎士が語った、この森の中で巻き起こっている怪異の真相には正直腰を抜かした。
ピエドラが関われば一瞬ですりつぶされそうな次元の途方もない話だ。
しかし騎士の話を聞いてピエドラの頭に真っ先に思い浮かんだもの。
……どす黒い陰謀の渦中に、ピエドラはウィンフレッドを置いてきてしまった。
後ろから刺さる騎士の視線を受けながら、魔女は相変わらず魔法陣の中を行ったり来たりする。
盆地の要塞から幽霊船を経てここまで、ウィンフレッドの協力なしでは決してたどり着けなかっただろう。
薬のことを言い出さずに、要塞にこもっていることも出来たのだ。しかし彼は危険をおかしてまで、得体の知れない旅人二人に力を貸してくれた。
ソルを治療するという希望を唯一つないでくれたのだ。
ふって湧いたギャラクシアの業に巻き込んでしまった彼を死なせるわけにはいかない。
「せめて無事かどうかだけでも分かれば……」
そして魔女は幻覚を起こす霧の発生源だという魔法陣の検分を始めたのだ。
この完璧なまでに迷い込んだ者を惑わす幻覚の世界。これは多分霧を利用した、光の反射や屈折を意のままに操り周りの景色の見え方を変える、光の魔術の一種だ。
幻術は、もともとは見せかけの現象しか再現できない者が使う弱い魔術。どんなに大きな炎も物を焼くことはなく、激しく流れる水はその手触りすらなく地の上を素通りする。
まさに視覚にうったえるだけの術だ。
しかしそれを極め、思い通りの幻影を相手に見せて惑わすことのできる術者もいる。
狙った者の恐怖を煽る幻術を見せる、呪術師と呼ばれる者達だ。
彼らは暗がりや濃霧の中、または暑い所だと蜃気楼が起こりやすい環境で、相手に現実と見紛うほどの幻影を見せるという。
崖の先を道に見せたり、毒蛇をロープに見せたり、使いようによっては人間の命さえ握る。
その幻術を、この世界を作り出した魔術師は魔法陣や魔石の力を借りて高度な次元で使いこなしているのだろう。
魔女の姿を見守る老騎士はいまだ呆然としたまま。自ら深い幻覚の中へ戻りたいと言う人間の存在がよほど信じられなかったのだろう。
しかしピエドラの抱えた事情を聞いた今は、先程のように単純に仰天してはいなかった。
「自らの意志で幻覚の世界を移動するのは多分無理だ。私はこの特殊な魔具を渡されているから浅い幻覚を見るだけに留まっているが、わざと幻覚にかかりやすくする術など果たしてあるものか……。この魔具を外せば私は他の騎士達と同じくより深い幻覚に至るだろうが、残念ながら君は……」
そう言いながら騎士は己の腕に巻かれた細い金属の腕輪を魔女に見せる。それが彼の身を幻術から守っているらしかった。
ウィンフレッドがいるのは多分ここより深い幻覚の中。ピエドラも先程までいた魔導機構が闊歩する幻惑の森だ。
ピエドラがそこに行くには、再び彼と同じ幻覚にかかる必要がある。
しかし幻覚の世界の自由な移動はどうやら自力では無理そうだ。
ポプラの杖とソルの解毒薬の瓶をそれぞれの手にしながら、ピエドラは魔法陣を行ったり来たり、行ったり来たりする。足は止まらないが思考はどん詰まりだ。
残念ながら、ピエドラは光の魔術で幻影を作り出せることまでは知っているが、それ以上のことを学ぶ機会はなかった。
壁の中の少年とともに聞いていた魔術の先生の授業は、あのとき以来盗み聞くことができなくなってしまったから。
幻覚を打ち破る術でなく、より深く幻覚にかかる術、もしくはその幻覚の世界をのぞき見る術。
もしピエドラが高位の魔術師なら、何か策も見つかったかもしれないが……。
そこまで考えて魔女はため息をつく。
これでは娼館でマイテに心配されたときと同じだ。
何も出来ないくせに何かしようとするのは悪い癖だ。自分の弱さは自分がよく分かっているだろうに。
こんなときソルがいればな……。
あの少女ならこんな状況でもきっと何とかするのに……。
「魔具も持たずに深い幻覚から覚めたままでいられるということは、君も相当の魔力を持った魔術師だということだろう?」
「え……」
ふいに自分の後ろからかかった言葉に、天才魔術少女のことを考えていた魔女は思わずその場で首を傾げる。
老騎士の視線は魔女の持つポプラの杖にまっすぐ向けられていた。
彼はピエドラを森をさまよっていて偶然この場所に至った遭難者だと思ったらしいが、どうやらそれだけではないようだった。
「私には魔力を感じることはできないが……」と、騎士は前置きする。
「思いがけない人物に、思いがけない力があるものだ。それは格好じゃ分からない」
「……」
「友人思いの善き魔女よ。私は君のような勇気ある魔女を何人も見てきた。彼女達の多くは俗世では簡単に生きられないが、もしそれが出来たなら世の中はもっと良いものになるだろうな」
白い杖をぐっと握っていた。
思わず顔を歪めて唇を曲げそうになって、今はそんな場合ではないと首を振る。
そうだ。どんなに強大な魔力を持っていようと……多分実際にはピエドラはもうそんな魔力は持っていないのだが……とりあえず力技では決してここから出られそうにない。
だから最後の手段だ。
「レオン……彼に頼めば……」
そうだ。あの黒衣の魔術師。
レオン青年は一体今どこにいるのか。
「この幻覚の世界を作り出した魔術師は、今どこにいるか知ってる?」
魔女の問いに、老騎士は少し歯切れ悪そうにしながらも答えてくれた。
「この湖岸に、霧を発生させているすべての魔法陣の中心があると聞いた。そこならあるいは彼と連絡が取れるかも……」
「分かった。ただ待ってるのも何だし、そこへ行ってみるわ」
「私もともに行こう、お嬢さん。底無し沼だらけの森で女性を一人歩かせるわけにはいかない」
老騎士の言葉に戸惑いながらも、ピエドラはようやく魔法陣から出て歩き出す。その背にネバードも続いた。
そして二人は目的の魔法陣まで暗い森のふちを歩き始めた。
……このどこかで無駄と知りながら始めた行動が、悪魔城の小男と戦ったとき以上の激戦を魔女に味わわせることになるのだが、今のピエドラにはそんなことは知りようもなかった。
湖岸をしばらく行くと、魔女と老騎士は薄暗い木々の間にその場所を見つけた。
先程の浮き島の魔法陣よりいくらか大きく、刺さる魔石の数も多い円陣が湖岸近くの森に投げ出されているのを。
「この魔法陣がこの森全体に展開する他の魔法陣の中心になっていると聞いた。……どうだろう、何か分かることはあるかな?」
早速魔法陣の中にかがみ込んだピエドラの背に、ネバードが問う。
しかし中央に立つ一際大きな魔石に杖で触れながら、やはり魔女はため息をこぼすしかなかった。
分かってはいたがやはりそこにレオン青年の姿はない。そしてウィンフレッドの安否を知る術も見当たらなかった。
ここもさっきの魔法陣と変わらない。
ピエドラに出来ることは完全に潰えた。
「無駄骨だった。ここまで付いてきてもらったのに、悪かったわね」
「いや。どんな状況でも友人を案じ行動する君の胆力、白銀騎士にも見習わせたいものだ」
言いながら、ネバードは腕組みして遠く霧の向こうに瞳を向ける。
「それは私も同じだ。運命に翻弄されるばかりで、自分が騎士だということすら忘れていた。森の一隅に隠れ、誰かに頼って息を潜めるばかり。これではいかんな」
かがみ込んでいた魔女は、ただ驚きながら老騎士の言葉を聞いていた。
しかしこの森に来て初めて肩に入った力を緩める。
屈強で何事にも折れないのが騎士だと思っていた。
しかしこの初老の男もまた、より強力な何かから逃げざるを得ない逃亡者なのだ。
それだけはピエドラとそんなに変わらないと、勝手にそう思ったから。
そして。ピエドラが肩を下ろしながら目の前の角柱から杖を離そうとしたそのときだった。
「……何?」
何故か自分の手の周りに、魔法陣から上がるのとは別の気の流れが集中していくのを感じる。
そして杖が触れていた、魔法陣の中心の大きな角柱型の魔石。そこにある変化が起きたのだ。
「誰か映ってる……」
「お嬢さん?」
呆然と呟くピエドラに、ネバードが首を傾げる。しかし魔女はその光景から目を離せなかった。
水晶の断面のようになっている魔石の正面に、黒い人影が映ったのだ。
ピエドラの影ではない。
もっと背が高い、ローブを着た人間の後ろ姿だ。魔石にぴったり背をくっつけているのか、本当に触れられそうなくらいすぐ目の前にその肩がある。
そして後ろ姿の人影の前には小さく、もう一人こちらを向いた人間の姿が映っていた。
向かい合う二人の人間のぼんやりした輪郭が、角柱に映っているのだ。
……つかめる。
何故か魔女は真っ先にそう思った。
そして大して躊躇わず、杖を脇に抱えその人影に手を伸ばしていた。
杖に結ばれた銀色の龍の飾りが、霧の中に鈍く輝く。
魔女の手はそのまま冷たい魔石の表面へ。気付いたときにはその黒いローブの肩に手を伸ばし、思い切りつかんでいた。
そう、つかめたのだ。ピエドラの手は角柱の表面を突き抜け、まるで水の中に手を突っ込むようにその内部へと吸い込まれていた。
そして。
「うお! 何なの!?」
角柱に映ったローブの肩をつかんだ瞬間、ピエドラの体は魔石から起こった目映い光に包まれていた。
そして一拍間を置くこともなく、老騎士の前からきれいに姿を消したのだ。




