第43話 裏切りと誓い(2)
「……白は黒。鉄は銀。見えたままの色を受け入れるだけでは分からない本当の景色。幻影によって解ける幻」
流れる霧の中に、まるで歌でも口ずさむような男の独り言が紛れていく。
呟く黒衣の魔術師は一人、森の影から暗い湖の方を見つめていた。
湖と彼の間には七色に輝く魔石。それが所々に刺さる魔法陣が、木々の間の地面に大きく描かれている。
「レオナルド様」
一人立っていた黒衣の背に、静かに霧を破って現れた何者かが声を掛ける。
頭からすっぽり丈の長いローブで全身を覆った中性的な顔立ちの美男が、黒衣の魔術師の後ろで頭を下げていた。
「すべてご指示通り、首尾はうまくいっています。魔導機構達の指揮権も完全にこちらのものになりました」
現れた部下を振り返ることもなく、レオナルドは魔法陣の方を向いたまま微笑む。
そして自分の頭の上を流れる濃霧に青い瞳を移した。
「魔術師の意思と魔導機構をつなぐための人工の霧……。兵器の実験段階とはいえ、その発生源をこうしてさらしておくとは無防備だな。まさかこんな横槍を入れてくる者がいるとは思わなかっただろうが、案外簡単に伝達網をこっちのものにできた」
言いながら楓の杖でその人工の霧の発生源、足下にある魔法陣の輪郭をなぞっていく。
魔術師から遠く離れて活動する魔導機構に指示を与えるには、指示する者と機械をつなぐ意思の伝達網が必要になる。
そして特殊な魔石を埋め込んだ魔法陣から発生するこの霧こそがまさにその役割りを果たしていたのだ。
しかし機械の制御装置の中枢に指令を与える網さえ奪ってしまえば、自律型の兵器など無力に等しい。むしろそれを利用して兵器をこちらの意のままに操ることもできる。
制御自体を奪い、その行動を書き換える。
大規模な新兵器の実験場となっていたこの森で、黒衣の魔術師の仕掛けたもう一つの実験は成功した。
もともと新兵器の制御を任されていた二人の魔術師の内、実験の観察記録役だという爬虫類の目の魔術師は不慮の事故で深い幻覚の世界へ落ちてしまった。
あとはアラリコなる魔術師が黒銀騎士の陣地に残っているのみだ。
この狩り場は今や完全に黒衣の魔術師の掌握するところとなった。
「現実の世界の魔導機構達は、こちらの制御のもと、黒銀騎士の陣に向かおうとした白銀騎士団内の内通者を狙って攻撃しております。狩り場で単独行動していた内通者は何人か死にましたが、それ以外の白銀騎士は無事です」
「そうか。ご苦労様。まだ内通者は残っているだろうが、それでもずいぶん炙り出せただろう。……しかし他の白銀騎士には少し気の毒なことをしたな。黒銀騎士を騙すために少し過激な幻術を見せたが、これは一生もののトラウマになるだろうから」
言葉の内容とは裏腹に、わずかに口もとに笑みを浮かべながら首を傾ぐ魔術師に、部下は淡々とその幻術の作り上げている今の状況について報告を続ける。
「現在、幻覚の中でも最も現実に近い『深層一』にはネバード卿が、その他の騎士は白銀騎士も黒銀騎士もあわせて『深層二』の幻覚の世界におります。深層二では、白銀騎士の陣は魔導機構に破壊され、隊長格の騎士達も死亡したことになっております」
部下の報告に、黒衣の魔術師は満足そうにその口角を上げた。
導師アラリコの垂れ流す、魔導機構の中枢にも人の神経にも作用する特殊な霧を利用してレオナルドが作り出した、もう一つの狩り場。
この森に重なる幾層の幻覚の世界。
その中で、森に迷い込んだ人々は夢を見ている。
一人の魔術師が作り出す、大量の骸達の襲撃という悪夢を、ただ現実と思い込みながら。
「『深層二』では、白銀騎士達はお互い仲間が魔導機構に殺されたと思いながら森をさまよっている。それを相手がまんまと罠に掛かったと思い込む黒銀騎士達が面白おかしく見守ってるというわけか。……同じく自らの出世が約束されたとぬか喜びする哀れな導師アラリコと共に」
この夢が覚めて、森にいる各々が現実に返るとき。
黒銀騎士団長の野望がくじけるときを思いながら、レオナルドはただ頭上を流れる霧を仰ぐ。そして静かに目蓋を閉じた。
「ネバード卿、どんな太陽の下でもまだ抗えます。見ていて下さい。俺は必ず……」
そのまま彼は、今は幻覚の世界にいる老騎士と、この策の結実を約束した瞬間のことを思い出していた。
――開け放された窓の向こうから、わずかに聞こえる木々の葉ずれの音。澄んだ夜空に浮かぶ星。
それだけで一幅の絵画のようなその景色を視界の隅に入れながら、魔術師は部屋の壁際の本棚から好きに本を取っていた。
窓辺に黄色い明かりを灯すランタンを置き、楽しげにペラペラとページをめくっていく。
ふと、部屋の中を満たす闇の向こうから、ぎいと扉の開く音がした。
自室に潜り込みすでにくつろいでいる様子のローブの男の姿に、部屋の中に入ってきた老騎士は驚いた様子もなくそのまま話しかけてくる。
「すまないな、レオナルド。『海洋冒険記』の新刊はまだ手に入れられなくてな」
「前に読んだ巻でも十分面白いですよ、ネバード卿。王都ではイクリプス公がこの作者の本を全て発禁にして、出回ってるものも残らず回収してしまいましたから、ここで読めるのはありがたいです」
窓辺から返ってきた言葉に、今は甲冑を脱ぎ平服姿の老騎士は少しだけ眉を上げる。
彼が何か言う前に、魔術師はランタンの明かりに本のページをめくりながら嬉しげに次の言葉を紡いだ。
「昼間は久しぶりに子ども達にも会えました。みんな大きくなってたなあ」
魔術師のもたれかかる窓の外。葉ずれの木々のさらに向こうには、夜を迎えても月明かりに映えて美しい、ネバードの領有する緑豊かな山岳地帯が見えていた。
笑顔のレオナルドの長靴は、側面を岩にこすって歩いたのか随分傷付き、その切り傷に思いきり沢の泥が染み込んでいる。
それだけで彼の行ってきた先を理解したのか、ネバードは白い髭を撫でると部屋の隅へと移動する。
老騎士はそのまま、彼のお気に入りのアーチ型の脚が二本交わる低い椅子にどっしりと深く掛けた。
懐かしいその様子に、魔術師はふっと目元を緩めると、本を閉じて老騎士の方に向き直る。
ネバードもまた、窓辺に立つレオナルドを視界におさめると、ふうと一つ息をついた。
「お前がこの部屋に来るのもずいぶん久しぶりだな。私も中々領地へ帰れないから、自分の屋敷とはいえこの館にいられる時間はお前と似たようなものだが」
再び開いたページに目を落としながら、レオナルドはその言葉に微笑んだ。
二十年という時を、師弟という関係で結ばれた若い宮廷人と老騎士。
二人の間を流れる空気は暖かく穏やかで、そこで交わされる王城では決してできない秘密の会話も、まるで他愛ない世間話のように過ぎていった。
宮廷筆頭魔術師レオナルドはある願いを秘密裏に老騎士に聞き入れてもらうために、ネバードの領地であるこの山岳地帯まで赴いたのだ。
「改めましてネバード卿。我が手駒に、白銀騎士の鎧を貸していただきありがとうございます。これから睡蓮魔術師団に入ってくるある娘を警護するために、どうしても必要だったのです」
「困っている女性のためなら、あらゆる苦難は、遺跡地方を流るる古代庭園の浅い川を羽の生えた馬で飛び越えるのと同じ。鎧を貸すくらい何のことはないさ」
ゆったりとした声音で放たれた言葉に、その文言を今まで何千回と聞いてきた魔術師もふっと笑みをこぼす。
しかしその笑顔を見ていた老騎士はふいに暗い宙を見上げると、独り言のようにポツリと呟いた。
「今のうちに頼み事は何でも言っておいた方がいいぞ、レオナルド。いつとも知れぬと思っていた終わりの音は、いよいよこの身を取り巻き始めたからな」
先程までと同じくどこまでも落ち着いた声音で放たれた、しかし決して聞き逃せぬその言葉の内容に、レオナルドは本に目を落とした格好のまま視線だけで老騎士を向く。
騎士はかまわず先を続けた。
「なあ、レオナルド。この二十年、よくやってきたと思わないか。あの宰相と同じ時代に生きているわりに、よく耐え忍んだ方じゃないか」
「……ネバード卿、もしかしてそろそろ引退されるんですか?」
「それに近いな。引退くらいで済めばよかったが」
今度こそ体ごと自分の方へ振り向いたレオナルドに、ネバードは決して広くはない書斎に首を巡らせながら呟く。
長い時を閉じ込めた空間を舞うほこりが、月明かりに照らされながら静かに騎士の上へと積もっていった。
「この頃よく、王城に来たばかりの小さなお前が私を見上げていたあの日を思い出す。お前が宮廷にやってきて、色んなことが変わったよ。私は私の方法で、輝く太陽に抗えばいいということを教えてくれた」
「……」
「レオナルド、お前とゆっくり話せるのは恐らくこれが最後になるだろう。……今度行われる白銀騎士と黒銀騎士の合同訓練。そこが私の墓標が立つ場所になる」
魔術師は、しばらく何も言わなかった。
本を閉じ宙に目をやると、宮廷筆頭魔術師として、その合同訓練について先日耳にはさんだ情報を口にする。
「確か訓練では、極秘で魔導機構を使った演習を行うとか」
「ああ。懇親の狩りの途中に何も知らない騎士達を急襲するという訓練を行う――という筋書きになっている。提案したのは黒銀騎士団長ヴィクトル殿だ。明らかにその途中で我々白銀騎士に何か仕掛けようというのが分かるだろう?」
「……」
「これが私だけを狙った計画ならそれでも良かったが……。しかし相手はいよいよ我々を壊滅させるつもりかも知れない。どうやらかなり作戦の規模が大きいようでな」
差し込む月明かりを背に、レオナルドは少しだけ瞳を鋭くさせると、おっとりした読書人から、闇深い世界を生きる宮廷筆頭魔術師の顔になる。
「そこまで分かっているということは、黒銀騎士団に内通者を潜り込ませたのですか?」
「いいや。その逆だ。我が白銀騎士団の中に、黒銀騎士団に内通している者達がいる。それもかなり大量にな」
そこまで話しても、老騎士の瞳はいたって穏やかなまま。その場で言葉をのむレオナルドを視界に入れながら、ネバードはゆっくりと椅子に深く掛け直す。
「長い間ろくに出世もせず騎士達を見てきた身だ。部下達の様子で察せるさ。私や騎士団長に向ける怯えた目が、白銀騎士団の行く末をよく物語っている」
「……」
「彼らの気持ちも分かる。この国の頂上には、騎士道を凌駕する『力』がある。その大いなる力をもって、イクリプスはいずれ全てを飲み込むだろう。それが分かっていて、滅ぶ運命の騎士団にいつまで忠誠を誓える?」
「……その力を前にすれば、騎士道を踏み外した裏切りも妥当だと?」
窓から入った風が、魔術師と老騎士の間を吹き抜ける。その風に髭をそよがせながら、老騎士は静かに瞳を伏せた。
「人は利益ばかりのために背信を犯すわけじゃないさ」
その言葉に、レオナルドはただ青い目をわずかに見張る。
すべてを悟った隠遁者のような顔で、ネバードは椅子に深く腰掛け宙を眺め続けていた。
その様子に、魔術師は再び本に目を落としながらも、少し冷めた口調で呟く。
「つまりネバード卿は、敵に弱みを握られ仕方なく内通者となった部下達を守るために動けずにいると。そのために自らの命も捧げるとおっしゃるのですね」
ネバードはゆったりとその言葉に首を振った。
「そこまで優しくはないさ。……敵に内通した者達もいずれは口封じのために消される。私が庇うまでもない」
「……」
「私が動けないのは、ただ、陛下のためだ。宰相は事件を待っている。起きた事件を陛下になすり付けられる機会を待っている。もしこの狩りで画策されている白銀騎士潰しを黒銀騎士団の仕業だと騒げば、イクリプスは諸侯と呼応してこれ幸いと各地で兵を挙げるだろう。騒動の証拠も何故か私達の方から出てくるはずだ。それがイクリプスを貶めるための王家の自作自演だったと。……だから動けないのさ」
木々の間を吹いていた風が止み、二人の間に完全な静寂が落ちる。
老騎士はここへ来て初めて、真剣な声音でレオナルドに向けて呟いた。
「私のことはいい。現王政に忠誠を誓う限り、いつかは訪れる結末だった。しかし残される子ども達のことをお前に頼まねばならない。私亡き後、あの山の上の隠れ里がもしイクリプスに踏み荒らされるようなことがあれば、私はマルコにもその死んだ妻にも顔向けできない。二人から預かったあの子達に何かあったら……」
魔術師はしばらく、言葉もなく窓の外を眺めていた。やがてゆっくりと、緩く巻いた髪を揺らしながらかすかに首を振る。
「何十年も騎士として生きてきて、最後は宰相の計略を知りながら静かに消えていくおつもりですか」
「積み上げたものがあれば報われるわけじゃない。むしろ積み上げたほど無惨に崩れ去るときもある。あの男はそれが見たいのさ。……それが分かっているまま消えていくのは少し悔しいが、もうどこにも希望はない」
それきり老騎士は口を閉ざす。
魔術師はしばらくその様子を言葉もなく眺めていたが、一瞬固く目を閉じると、意を決するように目蓋を開けた。
そして、
「ネバード卿がいなくなれば、どちらにしろ陛下は丸裸です。お諦めになるのは、陛下の最後の盾になって、いよいよ自分の喉元に相手の剣が迫るときまでとっておいて下さい」
「レオナルド?」
首を傾げる騎士にかまわず、レオナルドはそのままバタンと読みかけの本を閉じる。
月明かりが照らすその瞳には再び、宮廷筆頭魔術師まで昇り詰めた者の覇気が宿っていた。
「今度来るまでに海洋冒険記の新刊をそろえておいて下さい。あなたをその狩り場から、必ずこの館までお帰しします」
「……」
「どんな兵器を用いようと、使う頭が愚鈍ならものの数ではない。ネバード卿が昔俺に教えてくれたことです。……狩り場にそろう駒を動かします。俺は、その兵器を扱う『組織』に少しだけ顔がききますから」
硬質な声音で紡がれた言葉に、老騎士が少しだけ息をのむ。
月明かりを背にネバードの方へ向き直り、魔術師はそっと青い目を細めた。
「最新兵器だの黒銀騎士の陰謀だの、そんなもののためにあなたが死ぬ必要はありません。……騎士が騎士道を踏み外すなら、代わりに俺が白銀騎士団を守ります」
月明かりの記憶の途切れ目で、黒衣の魔術師は閉じていた目蓋を少しだけ開ける。
現実に返り、再び霧の向こうに見える湖の方に顔を向けると、足下の魔法陣にそっと杖の先を沿わせた。
いよいよ老騎士との約束を果たすときだ。
しかしその前に、
「……深層二の幻覚の世界で、魔法陣に誰か近付いてきている。アラリコとやらが気付いたか」
その場に重なる幻覚の世界から伝わるわずかな魔力の気配に、レオナルドは静かに目を伏せる。
いまだ黒衣の背の後ろにひかえていた部下も表情を険しくさせた。
「面倒ですね。幻覚の世界でも霧を発生させている魔法陣の位置は共通している。彼がカラクリに気付いてしまったら……」
しかしレオナルドは口元に笑みを刻みながら、穏やかな口調でこう呟いた。
「いや、そろそろ終わりにしてもいいかと思っていたところだ。だから動いてくれてちょうど良かった」
そしてこつんと勢いよく杖をその場につく。先ほど口にした狩りの締めくくりに弾みをつけるように。
「ネバード卿もずいぶん退屈されていることだろう。いよいよ狩りは大詰めだ」
楽しげな口調で口にすると、足下にある魔法陣へと長靴の先を一歩進めた。
その背に、いまだ一つ気掛かりがあったのか、部下は怪訝そうな顔で首を傾げながら言葉を掛ける。
「その、レオナルド様。深層一でネバード卿と一緒にいる杖をついた女性は一体何者ですか? 聖典を持つ少女と一緒にいたという女と格好が一致しますが……」
「ああ。幻覚の最深層に送ろうとして失敗した『冒険好きな魔女』さんだ」
恐る恐る聞いた部下に、魔術師はただ穏やかな声音で返す。
その返答にさらに目を丸くする部下に、『最深層』とは、最大級に歪んだこの森を体感させる幻覚の深度だと、黒衣の魔術師はことも無げに続けた。
「どこまで行っても出口のない濃霧の森で、四方八方からあの魔導機構達が襲ってくる。結構玄人向きの幻影の世界かな」
そこに人を送り込もうとしたという魔術師の言葉に、その部下は静かに表情を凍りつかせる。
レオナルドはそれにかまわず、緩く巻いた髪を優雅に横に流しながら、至極残念そうに首をひねった。
「彼女の本当の実力を見せて欲しかったんだけど、術を使うときに少し邪魔が入ってね。今頃は別の人間が最深層をさまよっていることだろう」
なおも飄々とした上司に、事情を飲み込めないながらも部下はさらに表情をこわばらせていく。しかし魔術師はとうとう彼のその様子に気付くことはなかった。
楓の杖で自分の頭をコツンコツンつつきながら、心残りにとらわれるように口もとに微かな笑みを刻む。
「冒険好きな魔女さんは、その見た目からは想像もできない、すごいことをやってみせる人だ。だから本当の彼女は誰なのか、どうにかして知りたかったんだけど……」
ネバード卿をこれ以上待たせるのも悪いし、今はとりあえず狩りの終幕に集中しようと、魔術師は再び魔法陣を見下ろす。
そして涼しい気を放つその中へと、彼は一歩足を踏み入れた。




