第40話 王女と三つの道
森の中に何か見つけたらしい兵士が一行に注意を促し、魔女は丘の上の彼のもとへと走っていく。
その背が遠ざかっていくのを眺め、黒衣の魔術師は長い睫毛が縁取る目蓋を半分落とした。
やっぱりだ。やっぱり『かからない』。
誰もが簡単に動けないはずの網の上で、彼女は自由に枷を断ち切ってこの身の前から走り去る。
一体どうして……。
そして。その背にじっと視線を注いでいたために、彼はすぐ後ろから迫っていたある者の存在に気を回せなかったのだ。
「これ以上勝手はさせんぞ、レオナルド!」
眺めていた魔女の背が、爬虫類の目をした者の体に遮られる。
視界の隅から割り込んだ襲撃者に、青年はわずかに目を見開いた。
油断していた。服従したふりをしていた者は、虎視眈々とこのときを待っていたのだ。
爪の長い灰色の手が、黒衣の魔術師の持つ楓の杖をつかんで滅茶苦茶に振り回す。
一瞬だが、ちょうど彼が使おうとしていた術が乱された。
「な、何だ? 何をする気だ?」
突然杖の先から溢れ出した光に、爬虫類の目の人物がうろたえながら目を見開く。
そのまま、黒衣の魔術師の杖の先の光は、一帯を巻き込むような光の爆発となった。
強烈な光に照らし出された、その場にいる者達の姿が目映い白の中に溶けていく。
そして光が消えた次の瞬間、森はただの静寂へと返っていた。
「おおっと」
その場に唯一残された黒衣の魔術師が、湿った木々の間で一人漏らす。
何の感情も映さぬ深い青の瞳が、視界から去っていった者達の気配を探っていた。
「術自体は成功したけど、多分全員想定外の『道』に入ったな……」
言いながら、魔術師は木々を仰ぐように顔を上げる。
見上げる先には未だ太陽さえも遮る深い霧が。真実も嘘もすべてを包み隠す灰色の幕が見えていた。
「この場に重なる三通りの道。俺が行くべき道に入ったのは、彼女か……」
「なんだ? さっきの光……」
湿った森の丘の上にかがみ込んでいた兵士は、その眩しさに思わず下げようとしていた兜の面頬を触りながら呟く。
そのまま背後を振り返って、ウィンフレッドはようやく起きたことの奇怪さを知った。
「おいおい。勘弁してくれ……」
後ろにいたはずの魔術師達が、全員きれいに姿を消しているのだ。
木々の隙間に姿を隠しているとかそんなのではない。自分のすぐ後ろにいた魔女も、少し離れた場所に立っていた黒衣の魔術師も連れの爬虫類の目の魔術師も、全員気配ごと消滅している。
一体何が起こった?
さっきの光と何か関係しているのか?
しかし考えている暇はない。奇怪なことはすでに彼の前方でも起きているのだ。
丘の上に身を伏せる兵士の眼前。その先の霧深い森の中を逃げてくるのは、立派な白銀の鎧を着た二人の騎士。
二人の後ろには、細い腕に大剣を振りかざす金属の骸が一体くっついている。
そしてその両者の距離は今や完全に縮まり、骸の振り上げる刃の下には、逃亡者の白銀の兜がすっぽりおさまってしまっているのだ。
消えた魔術師達のことは後だ。
まずは彼らを何とかしなければ。
逃げてくる白銀の鎧を前に、兵士は今度こそ兜の面頬を下げる。
……眩しさからではなく、その場にいる者達から己の顔を隠すために。
腰の剣を抜き、ウィンフレッドは確かな足取りで、追われる二人と骸の間に割り込んでいった。
まさに大剣の振り下ろしの射程にあった白銀騎士の体に体当たりして自ら異形の得物の下に入り、その一撃を剣で受け止める。
己の頭を砕こうとしていた大剣を止めた刃とそれを振るう見知らぬ甲冑の男に、突き飛ばされた白銀騎士は尻もちをつきながら大きく目を見開いた。
「……いても足手まといだと思うなら、逃げた方がいいぜ?」
ギリギリと自分を押し潰そうとする大剣とつばぜり合いしながら、ウィンフレッドは金属の骸の方を見上げたまま言う。
聞いていた白銀騎士は、しばらく整った顔に呆けた表情を浮かべて己を救った者の背を眺めていたが、やがて泥の上から立ち上がると腰の剣を抜いた。
そしてウィンフレッドの側へと駆け付ける。
「……冗談を。誰だか知らないが、助太刀感謝する」
彼の前を逃げていたもう一人の大柄な白銀騎士も、剣を抜いてウィンフレッドのもとへやってくる。
三対一だ。これならこの金属の骸を壊せずとも何とかなるかもしれない。
「それじゃ、ちょっと待ってな……」
異形の剣に上から押される格好の兵士の脛当が、ぬかるんだ森の泥の中に沈んでいく。
しかし異形の腕が軋み始めたのと同時に、ウィンフレッドは折っていた体を一気に起こす反動でその刃を押し返した。
機械との力の差を人体と機転で覆すその姿に、加勢しようとしていた騎士達がまたも目を見張る。
体を起こした兵士は相変わらず兜で顔を隠したまま、剣を構え直すと、こもる声で二人の騎士に軽口を叩いた。
「こいつを倒すまで共同戦線よろしく頼むぜ、騎士様」
「ウィンフレッドー! ウィンフレッドー! どこなのー!?」
深い霧が埋めるだけの木々の間に、焦燥混じりの魔女の声が響く。
深く眉間にシワを寄せながら、ピエドラはその場でがくりと肩を落とした。
異形の闊歩する森で一人きりという事実を、流れる霧の中でじわじわと思い知らされながら。
ここまで随分歩いたが、どこまで行っても誰にも出会わない。
こんなに声を張り上げて他人を探すのは久しぶりだ。しかもその成果は一向に現れない。
とはいえ、これ以上やみくもに森に入れば遭難の危険もある。
「……や、やべえ。これ完全に一人だわ」
肩を落とし、ついでに声のトーンも落としながら魔女は呟く。
そう、何が起きたかは知らないが、いつの間にかピエドラは灰色の森の中で一人きりになっていた。
どこまで行ったら誰かに会えそうだとかそんな予感も沸かないくらい、とにかく人の気配がしない。霧深い森には、この身一つきりだ。
……まずい。
今背中から骸に襲われたらひとたまりもない。
シンとした森にみすぼらしい魔女の屍が一体転がってそのうち緑色に苔むす。
それが容易に想像できる故に、ピエドラは思わず一度叫びを上げたうえでその場にへたり込んで泣きそうになった。
しかしそれこそが骸を呼ぶ引き金になると理性で判断し、なんとか涙を我慢する。
一体、何が起こった?
ウィンフレッドの後ろから、森を逃げてくる何者かを観察していたはずなのに、次の瞬間には独りぼっちになって森に投げ出されていた。
突然背後から目が眩むような白い光が炸裂したと思ったら、周りに誰もいなくなって……。
そうだ。レオンやウィンフレッドどころか、爬虫類の目の人物や、森を逃げてきていた白銀の甲冑の二人も、それを追いかけてきていた骸さえも消えてしまった。
自分だけどこかへ飛ばされたとかではなく、立っている場所はそのままに、自分以外の人間が消えてしまったのだ。
「どうしよう……」
今いる場所自体はさっきまで歩いていた湖岸沿いだから道に迷ってはいないが、例え迷子にならなくても、この森は一人で歩いて抜けられるような場所ではない。
ある種の覚悟を固めながらも、未だに頭を混乱させる魔女はふと、霧に霞む湖の方に目を向ける。
生い茂る葦の向こう側に、湖の上でほんのかすかに何かの影が動いたのが見えたのだ。
その影に導かれ、泥沼に気を付けながら湖岸へと進んだピエドラの前には、水の上に顔を出した低い浮き島が現れていた。
何だ? あんなのさっきまで見えてたか?
葦の向こう側に、泥の滞留でできたらしい小さな浮き島が、三、四個ほど続いてより大きな島へとつながっているのだ。
さっきまで黒衣の魔術師の青年と一緒に湖を眺めていたが、こんなの全然気付かなかった。
島の上には森と同じ高い木が生えているから、多分乗っても沈まないだろう。島と島の間も何とか人間が飛び移れるほどの距離だ。
ピエドラが湖に落ちる危険や泥沼にはまる危険をおかして島を渡り始めたのは、霧に霞むその向こうに人影が見えたからだった。
つながる浮き島の最後の島。一際大きな洲の上に、今まさに動いている、人間らしき影があったのだ。
ぬかるむ地面を己の体重で沈む前にさっと抜けて、ピエドラはピョンピョン杖を突きつつ不器用に島を渡っていく。
目指す人影のある島は、湖岸からずいぶん湖へとせり出したところにあった。
暗い水面が囲み、湖上の霧がより深く垂れ込めるその島めがけて、魔女が最後の大ジャンプを決めようとしたとき。
「レオナルドか?」
「……?」
跳躍の体勢をとっていたピエドラは、聞こえてきた声に思わずその場で首を縮こめる。
例の浮き島の人影が話しかけてきたのだと、気付くまでにしばらくかかった。
しかしそれはウィンフレッドでも、レオンでも、まして爬虫類の目の人物の声でもなかった。
聞いたことのない、初老辺りの男性の声だ。
そして。声の主は霧の帳を破り、島の端から魔女の前へと姿を現す。
「……白銀騎士」
深い霧を破って目の前に出てきたその姿に、ピエドラは思わず目を見張っていた。
現れたのは、白銀の鎧の胸にリボン付きの階級章をつけた、六十に届くくらいの年齢の立派な風貌の騎士だった。
目元口元に深い皺を刻んでいるが、老いというよりその顔は経験の深さを感じさせるように凛々しく、兜をかぶっていないのでよく分かるが白髪混じりの髪も頭の後ろへ丁寧に撫で付けていた。
彼もまた、近付いてきたのが自分の知る者でないと気付いたのか、目を丸くしてこちらの様子をうかがっている。
そして、
「これは驚いた。森で迷われたのかな、お嬢さん?」
目の前に立ち尽くす魔女を見てそう一言口にする。
この状況でも確かな胆力の存在を思わせる、落ち着いていてどこか茶目っ気のある口調だった。
口調はおどけた調子だが、皺を刻む顔は芯からの高貴さを表すように精悍で、仕事柄かこちらへの警戒心を完全に捨ててはいないが、緑の双眸にはどこか優しい光が灯っていた。
霧の中から現れた騎士の姿に、ピエドラは何重にも驚く。
全く関係ないはずなのに、要塞で出会ったウィンフレッドの同僚のマルコを思い出した。まさかこのみすぼらしい格好の女を『お嬢さん』と呼ぶ者に一日に二人も会うとは。
しかし魔女が驚いたのはそれだけではない。
わずかな風にその場の霧が散らされていく。その先に現れたものを見て、ピエドラは再び大きく目を見開いた。
騎士は地面に丸く大きく描かれたある模様の前に立っているのだ。
島全体を使って地面に大きな魔法陣が描いてあって、その六方に色とりどりの透明な石が置かれている。魔法陣に突き刺さっているということは恐らく魔石だろう。
魔法陣全体からこの湿地の生ぬるさとは違う、超常的な力を運ぶ涼しい空気の通りが感じられた。
自分の後ろにあるものにピエドラがマジマジ視線を送っていることに気付いたのか、騎士は人差し指を口に当て、声を立てるなと身振りする。
もしかしてまた、自分は見てはいけないもののもとへ踏み込んだのかと、魔女はその場で顔色を青くしかけたが……。
「お嬢さん、もしこの森を無事に抜けたいのなら、しばらくこの島の中にいるといい」
「え……?」
「ここは他の者からは見えない。森の中の一悶着が終わるまで、ここにいれば安全だ」
森の中の一悶着……。
森を闊歩する魔導機構に騎士が襲われている惨状のことを言っているのだろうが、何だかやけに落ち着いた言い方だった。
それにその前だ。
『森の一悶着』という言葉の前に、この人は何と言った?
ここは他の者からは見えないって……。
「……」
杖を握りしめ、魔女は最後の島に跳ぼうとしていた足をそっと引く。
この森に白銀騎士がいるのは不思議ではない。狩りに出たうちの一人にやっと遭遇しただけのことだ。
しかしどうやらこの男性は、それ以上のことを知っているようだった。
「そう言うそっちは、どうしてこんな所に……」
迫る嫌な予感から、恐る恐る口を開いた魔女の言葉に、初老の騎士はふっと口元を緩める。
その足下の魔法陣は、変わらず涼しい気配を霧の中に放っていた。
「私は、この森にいてはいけない人間なんだ。だから今はここで姿を隠している」
「……?」
「私はこの森で、死んだことになっているんだ」
湖の上の霧が再び濃さを増す。
騎士の言葉にピエドラはしばらく固まっていたが、どこか浮き世離れした周りの景色を改めて見渡すと、今度こそ青い顔で自分の体を叩いたりつねったりし始めた。
自分の言葉があらぬ誤解を招いたと気付いたのか、騎士は魔女に向けて慌てて首を振る。
「いや、ここがあの世というわけではなくて……むしろその逆なんだ」
「え?」
「ここは現実だ。まごうことなき、真実の世界なんだ」
最早その意味を聞き返す余裕もなく口をポカンと開けている魔女に、騎士は一から話すことが最も手っ取り早いと思ったのか、一歩前に踏み出ると己の名を明かした。
「申し遅れました、お嬢さん。私はネバード。非才の身ながら白銀騎士の小隊長を務めている者だ。部下達は私が、この森を歩く魔導機構にやられて死んだと思っている。……しかし今はそれが好都合でね。その虚構こそが、私のことも他の白銀騎士のことも守ってくれる」
霧深い湖の上の浮き島で出会った騎士が明かす突飛な話に、ピエドラはいつの間にか、杖と反対の手に持った薬の瓶を強く握っていた。
正午にかかる宮廷の回廊を、不安げな捜索の声が響き渡っていた。
「迷子や~、迷子~、どこだ~?」
本日何十回と口にしている言葉とともに、ダリオは身をかがめながら回廊の柱の間をキョロキョロ首を回しながら歩く。
すれ違う人々が何事かと不審げな目を向けてくるが、しかし魔術師はそれに応えている場合ではなかった。
宮廷筆頭魔術師の執務室で飼っている雛が一羽、いつの間にか行方不明になってしまったのだ。
執務室からの逃亡自体は初めてではない。
五羽もいる雛達は常に活発で、部屋のドアが開いた瞬間を狙ってすぐに外に出てしまう。
中でも一羽やけに冒険好きな雛がいて、しょっちゅう外の世界へ逃亡をはかっているのだ。
それが今日は執務室の並ぶ棟を越えてまさか近衛兵の訓練場まで進出してくれるとは。
その小さな黄色い背を兵士達が気合いの声を上げる広場で見つけたとき、魔術師は腰が抜けそうなほど驚いたものだった。
「ま、待った! 待ってくれ! そっちは危ない!」
大慌てで、兵士の訓練場である王城の広場を横断し始める黄色い背中を追うが、当然言葉は通じない。
そして。雛を追いかけながら魔術師はふと気付いたのだが、何だか広場の一角がやけに騒がしい。
近衛兵達が剣を置いて弓の射場の方に集中しているのだ。
「ピッピッ」
いや、呑気にそっちの方を眺めている場合ではない。
黄色い残影は兵士達の足の隙間を抜け、どんどん広場の中心へと入り込んでいくのだから。
「すいません、すいません」と剣と盾の間を抜けながら、ダリオは懸命に雛を追う。
だからこそ魔術師は、いつの間にか自分が先ほど眺めていた騒がしい一角に踏み込んでいることに気付かなかったのだ。
弓の練習用の的の並ぶ広場の隅。
その射場の周りを取り囲む兵士達の脛当の間を小さい体で器用に抜け、雛はその輪の中心へと突き進んでいく。
「ま、待ってくれ……」
雛はひしめく兵士の隙間を抜けられるがダリオはそうはいかない。
とうとう人だかりの中心まで回り込むしかなくなった魔術師は、何事かと突き刺さる兵士達の視線を浴びながら、身をかがめてその場に踊り出ていくしかなかった。
そんな魔術師を嘲笑うかのように雛はオレンジ色の小さな足を高速で動かし、射場の真ん中へと進んでいく。
そして。
「――あら、あなたも試合の見物に来てくれたのですか?」
人々の輪の真ん中にいたその柔らかな声の主の前で、雛はピタリと静止する。
その人のドレスの裾が壁となって、雛の行く手をふさいでくれたのだ。
しかし射場でドレスとは……?
「ごきげんよう、かわいい見物客さん。でもここはあなたには危ないわ。さ、こっちへおいで」
なおも穏やかな声音で、ドレスの人物は両手を雛の前に広げる。
ここまで逃走を続けていた黄色いフワフワは、大人しくその手の中にぴょんと飛び乗った。
「や、やった……ありがとうございます」
魔術師を翻弄するすばしっこい逃亡者の確保に、ダリオは思わず大きな安堵の息を吐く。
兵士の波をかき分け、魔術師は雛を捕まえてくれているその人のもとまでやっとたどり着いた。
腰を折って息を整えながら、改めて恩人に礼を言おうと顔を上げる。
そして、
「この子はダリオのところの子なのですか?」
「ああ、はい。どうもお手数おかけしました……って、ミレイア様!」
雛を両手で包む白い手。
その先にある顔を見て、魔術師はもう少しで仰天して杖を放り出すところだった。
「私もお部屋で鳥を飼おうかしら。でも見たところお世話は大変そうね」
手の中の雛と目を合わせながら、その人はなおも穏やかな声音で呟く。
彼女こそがこの獅子の国の王女、現国王の一人娘ミレイア姫だったから、ダリオはその場で泡を吹きかけたのだ。
自らの不敬に凍りつくダリオの前で、反対に王女は楽しげに手の平の黄色いフワフワに話しかけ続ける。
流行りを取り入れない、親族から代々受け継いでいるという古風な深緑のドレス。
頭にティアラはないが、父王より少し色の濃い髪は丁寧に編まれ、頭の後ろで飾り気なく束ねられている。
一見して彼女を王女と見抜けない人も多いかも知れないが、そのしっかりした眉の下の穏やかな双眸は、現国王との血縁をすぐに思い起こさせるだろう。
王女はドレス姿ではあるが、その上から、腕と胸に弓の練習用の防具を付けていた。
そして後ろには彼女の弓を預かる侍従達が控えている。
しばらくポカンとその人の顔を見上げていたダリオだったが、慌てて腰を上げると風を切るように高速で頭を下げまくった。
「これは、大変失礼いたしました、ミレイア様!」
ダリオに頭を上げるように言うと、王女はその手の中の雛を魔術師へ差し出す。
そして「久しぶりに鳥の雛を触りました」と、どこか満足そうに微笑んだ。
王女の手から未だ元気のいい冒険好きな雛を回収しながら、大焦りのダリオは改めてそこで何が行われているかよく確かめる。
少し離れた広場の壁際に二つ並んだ弓の練習用の的。そしてそこに突き刺さる、複数の矢。
弓の試合だ。
どうやらミレイア王女と近衛兵の誰かが弓の腕を競っているらしい。
目をパチパチしながらその場を見渡す魔術師に向けて、王女はうっすらそばかすの浮く顔を笑み崩した。
「ある国の特使の応接を終えたので、父から一つ褒美をもらったのです。久しぶりに弓を持つ許可を得ました」
そう聞いても、ダリオは特に驚かなかった。
彼女の趣味を知っていたからだ。いや、趣味というより特技だろうか。
雛を胸に抱えるダリオの前で、王女と近衛兵の弓の試合は続く。
兵士達の最前列でそれを見守りながら、彼女の特技を知っているダリオでも、やはりこれには感嘆のため息が止められなかった。
しばらく観察していれば、先ほどまでは少しばかり接待のつもりで手を抜いていたのだろう若い近衛の騎士が、今やムキになって的の中心を狙っているのが分かる。
王女は涼しい顔でそのとなりの的の真ん中を射貫いた。
そうだ。これこそ辺境の地でたくましく育った彼女の特技。
この宮廷の誰より、いや国中を探しても、彼女ほどの弓の名手はいないだろう。
ムキになった相手の騎士の狙いはいよいよ精度を増していったが……。
ミレイア王女の放った最後の矢は、それまでのように的の中心には当たらなかった。
王女はわざと、先に的に刺さっていた矢の羽根に次の矢を当てたのだ。
これにはもう、競争相手の白銀騎士もお手上げ状態だった。
囲む兵士達からどよめきと歓声が上がる。
若い兵士達の指南役なのだろう、年配の近衛兵が高く拍手しながら王女へと近付いてくると、皺だらけの顔に笑みを浮かべながら試合の勝者へ喝采を送った。
「お見事です、姫様。今頃我らの同胞が黒銀騎士との狩りに興じている頃でしょうが、ミレイア様がいらっしゃれば、白銀騎士の出る幕などなかったでしょうな」
その言葉に静かに微笑みを返す王女を、黄色いフワフワを抱えたダリオはしばらく言葉もなく見つめていた。
「どうでした、ダリオ? 私もまだなまっていないでしょう?」
試合が終わってもぼーっとその場に立ち尽くしていたダリオに、王女が声を掛けてくる。
なまっていないどころか洗練され過ぎた腕をしていると思うが、ダリオはその言葉にただ何度も首肯を返すだけにとどめておいた。
彼女の持つ弓を回収しに来た侍従や侍女達と、ミレイア王女はしばらく談笑する。
普通の深窓の姫のお付きの者なら、さっきのような弓の試合はまさにハラハラものだろう。
しかしこの城に暮らす繊細かつ剛胆なミレイア姫に付いている従者は全員、彼女がまだ王女の地位になかった頃からの古参だ。
故にお互いの行動に全幅の信頼を置いているようだった。
ふと、談笑を終えた王女は、まだそこに立っていたダリオに再び声を掛ける。
「獅子の魔術大会の準備は順調のようですね。宮廷筆頭魔術師代理の仕事で忙しいのに、よくやってくれています」
「あ、ありがとうございます。今年の大会は、僕にとって意義深いものになりそうですから」
「そうでしたね。あなたのお陰で、大会に新しい出場者を迎えられます。すでに多くの女性魔術師が参加を希望しているとか」
「僕にできることはこれくらいです。……でもやっぱりレオナルドがいないと、宮廷も大会も締まりませんね。今年もきっと、彼が優勝の栄冠をさらっていくでしょうし」
「……」
「ミレイア様?」
「ああ、いいえ。そうですね、レオナルドなら……」
急に歯切れ悪くなった王女に、ダリオは首を傾げる。
しかしそのとき腕の中の雛が、腹を空かせたのかピーピー騒ぎ始めたのだ。
魔術師は慌てて、王女の側から距離を取る。
「そ、それでは、御前を失礼いたします、ミレイア様! お騒がせいたしました!」
少しだけ青い顔をした王女は、自分の前を去ろうとする魔術師と雛を静かに見送ろうとして……。
「ダリオ、もしレオナルドが、あなたに……」
「え?」
「いえ。何でも。……今年の獅子の魔術大会、楽しみにしています」
瞳を伏せながら、言葉と裏腹にどこか寂しげに発された言葉に、ダリオは手の平の雛のくちばしでせっつかれるまでその場を動けずにいた。




