第38話 湖岸の探険と踏み入る真相(1)
「この森を抜けるんだろう? それならその間、君達の手助けをさせてほしい。どうかな、俺も君達に付いて行っても?」
立ち込める霧のすぐ向こう。
爬虫類の目の魔術師を杖で脅しながら、黒衣の魔術師はこちらに向けて軽く首を傾げる。
予想だにしない者からの予想だにしない提案に、ピエドラとウィンフレッドはしばらく無言で顔を見合わせていた。
そして木の影でヒソヒソと開催された数十秒の会議の後……。
静かに二人の返答を待つ青い瞳の魔術師に、木の影から顔だけ出した魔女はつとめて冷静に答えた。
「……構わないわ。付いてきたいなら付いてきてもいいわよ」
黒衣の前に立たされた爬虫類の目の人物が苦々しげに舌打ちする。
人を一人脅しながら霧の中に立つ黒衣の魔術師は、魔女の言葉にいかにも嬉しそうに微笑んだのだった。
――そしてそれが今のこの珍道中につながっているのだが……。
黒衣の魔術師の魔術が、また一体、骸型の魔導機構の息の根を止めていく。
自らの目の前でただの金属の骨組みと化して倒れるそれを、魔女と兵士は最早驚きもなく静かに見守っていた。
「さあ、片付いたね」
その後ろで黒衣の魔術師はポンポンと軽く手をはらう。
相変わらず鮮やかな手並みだ。
ウィンフレッドの言った通り、湖畔の森の中にもやはり骸型の魔導機構達が潜んでいた。
それも数十歩歩くごとに二、三体ずつ遭遇するのだから、恐らく大量に潜んでいる。
湖畔の森は最早彼らの庭と化していた。
この黒衣の青年がいなければ、魔女と兵士はあっという間に前から後ろから彼らに囲まれてしまっていただろう。
残念ながらピエドラとウィンフレッドだけではこの魔導機構達の足止めまでしかできない。
魔導機構の装甲を貫いて倒せる彼がいなければ、二人は脅威から逃げ続けるだけの逃亡者に過ぎないのだ。
倒れた骸を上から観察しながら、ピエドラは改めてその術の軌跡に感心する。
霧の中に黒々と光る機械の骨の中心。思ったより幾分薄い金属で構成されていた胸の装甲部分には、黒衣の魔術師が放った短い光の矢が、ほとんどその金属を溶かすように丸く貫通していた。
多分この装甲の中に、機構を動かす核があるのだろう。
青年の魔術に貫かれた骸達は、眼窩の光を失って糸が切れた操り人形のようにその場にくず折れていくのだ。
まさに墓場の中に横たわる骨のように。
それに比べて、ピエドラの魔術では骸の足を氷で固めることしかできない。
致命傷を与えることができないから、足の氷を割った骸はしばらくすると後ろからまたこちらを追いかけてくる。そして際限なく数を増やしていくのだ。
その無限に続くかのような追いかけっこを、今は黒衣の青年の魔術が断ち切ってくれる。
世の中にはとんでもない技が使える魔術師がいるもんだと、ピエドラは顎に手を当てながら立ち上がる。
同行の提案を受けたときは思わず渋い顔をしてしまったが、今のところ彼は一行の中で最大の戦力だ。これなら剛力な異形がうろつく森を無事に抜けられるかも知れない。
相変わらず魔女のすぐ後ろを付いてくる彼はにっこり柔らかな笑顔で。
つやつやの髪に、そこらの木の間を抜けたときに引っ掛けたのだろう、大きな葉っぱが一枚乗っかっていた。
だから彼が、魔術の効かないはずの異形の鎧さえ一息に貫くようなとんでも魔術を使う魔術師だと、パッと見た人は気付かないかも知れない。
そしてそのとんでも魔術師と魔女と兵士の共通の敵……爬虫類の目の人物は最早黒衣の前を歩かされてはいなかった。
どこまでも無言を貫くその人は、今はとんでも魔術師の青年の後ろで一人放って置かれている。
しかし自分を脅す彼の側から逃げ出せばどうなるかは分かっているのか、渋々といった感じで一行の後ろに付き従っていた。
その様子を眺めて、ピエドラは若干眉間にシワを寄せながら前を向く。
一応杖は捨てさせられているからあの人に後ろから魔術で撃たれる恐れはないが、爬虫類の目が一行を見る視線はいまだに激しく険しい。
首の長いローブのお陰で口元は見えないが、きっと相当な形相をこちらに向けているはずだ。
あれが一体黒衣の青年とどういう関係のある何者かは知らないが、幽霊船で相対した感じ、あの人もかなりの実力を持った魔術師だった。
しかしそんな人物を、あの青年は杖を持つ片手だけで意のままに従わせているのだ。
「……」
あのとき。もし魔女と兵士に付いていきたいという彼の申し出に『結構です』なんて答えていたら、ピエドラとウィンフレッドもあれの二の舞になっただろうか。
彼は多分強い。
ピエドラとウィンフレッド二人合わせても、あの黒衣の魔術師には敵わない。
だからもし、彼にこちらを害そうとする算段があるなら、その場でがっつり敵対するより隙を見て逃げた方がいい。
彼の突然の提案を前に、コソコソ木の影で会議する二人はそのように決定を下したのだ。
ピエドラとウィンフレッドの目的は、手に入れた解毒薬を一刻も早くソルの待つ要塞に持ち帰ることだ。
異形の出現する怪しい森で、強大な力を持った魔術師と一戦やらかすことではない。
それに今のところ、とりあえず彼にこちらを攻撃しようとする気配はないし、そもそもこんな魔女と兵士をどうにかする利が彼にあるとも思えなかった。
一体どうしてそんなことを言い出したのかは知らないが、魔女と兵士を護衛したいという彼の申し出は、今のところ完全なる善意によるもののように見える。
「気安くレオンと呼んでくれ」
同行の提案を受け入れながらも表情の固い魔女と兵士に向けて、黒衣の魔術師は朗らかに胸に手を当てて言った。
レオン。
そう言えばあの青い蝶の飛ぶ森で初めて会ったとき、彼の周りにいた子ども達も青年をそう呼んでいた。
こんなどこの馬の骨とも知れない二人に名乗ったということは、多分本名ではないだろう。
しかし魔女にはその本名を聞き出す必要もないし、向こうも魔女と兵士の名前を無理に聞き出そうとはしなかった。
湖畔にたたずむ枯れた古木を、先頭を歩くウィンフレッドの剣がなぎ倒していく。
魔女と兵士は当初の目的通り、森からの脱出を目指して湖の淵を進んでいた。
黒衣の青年には、ウィンフレッドはこの辺りを哨戒していて魔導機構に襲われた兵士。ピエドラはこの辺りを探険していて魔導機構に襲われた冒険好きな魔女……そういうふうに説明しておいた。
レオン青年は奇妙な事件に巻き込まれた哀れな二人を護衛してくれる親切な魔術師というわけだ。
……正直二人はその説明をしたとき、「そんなわけないだろ」という突っ込み待ちだった
魔女と兵士はソルの薬を奪った魔導機構を追って、幽霊船の中にまで乗り込んでいたのだ。それはレオンにもバッチリ目撃されている。そんな者達が凡庸な通りすがりと思われるわけもない。
その証拠に青年とともに二人の話を聞いていた爬虫類の目の人物は、今世紀最大級の疑いの目を魔女と兵士に向けていた。
しかし。
「災難だったね。二人とも怪我はなかった?」
どこかたどたどしい二人が語るすっとんきょうな話に、レオン青年は心からの同情を寄せてくれた。
そのとき二人は思った。彼はホントに善意の魔術師なのかもしれないと。
しかし話を聞けば、レオンは単純な親切心から奇怪な湖畔に迷い込んだ魔女と兵士の護衛を申し出たわけではないようだった。
また一体、現れた骸が光の矢に貫かれて木々の間に倒れていく。
黒衣の魔術師の後ろにいる爬虫類の目の人物は、これまでと同じようにくわっと目を見開きながらそれを見守っていた。
あの二人は、あの骸の正体を、この森で何が行われているかを知っているのだ。
「この森で、戦場で兵器として使う自律型魔導機構を投入した実戦訓練をしてたんだ」
「訓練……?」
泥に浸かった木々の間を抜けながら聞き返すピエドラに、魔術師は少しだけ首を傾いで先を続けた。
「『魔導機構』については、知ってるかな?」
「魔力の塊の石と、魔力が流れると機械を動かす回路を積んだ便利な道具でしょ? あんなふうにひとりでに動くやつは見たことないけど」
昔得た知識をたどりながら呟くピエドラに、青年は穏やかに頷く。
「魔導書に記載する、魔術を再現するための魔導回路の研究の副産物として生まれたものだ。魔石から流れる魔力により生まれる動力を、簡単な指示を実現するための回路で制御している」
「俺達には滅多にお目にかかる機会がない珍しいもんだ……と今まで思ってたんだがな。魔導機構ってあんなふうに進化してたのか」
一行の先頭で木の枝をかき分けていたウィンフレッドがぼやく。
その言葉に、黒衣の魔術師は困り顔で青い瞳を瞬いた。
「ああ。とんでもなく進化した。戦場でひとりでに敵を襲う無人兵器として。あれは一度方向性を与えれば後は自律的に標的を襲うからね」
一度使用者が指示を与えれば、その指示に従いどこまでも標的を追う。
墓場で死体を漁る死霊使いに使われる屍のように、一人の使用者の意のままに操れる。
しかもそれは魔術の効かない不死身の金属の体を持っているのだ。
「その新兵器が、国の精鋭である白銀騎士と黒銀騎士を相手にどこまで戦果を上げられるか、この森で秘密裏に模擬戦闘が行われていた」
「……つまりこの森は自律的に動く無人殺戮兵器の大実験場になってたってことだ。知らねえ内にどえらいもんに巻き込まれたな」
ウィンフレッドの言葉に、レオンは少しだけ悲しげに目を伏せる。長い睫毛が、霧深い森で彼の目元に濃く影を落とした。
「極秘で進められていた実験だからね。兵器の急襲という演習を行うために、当の騎士達にもあの魔導機構のことは秘密にされていた。知っていたのは少数の指揮官達だけだ。……しかし急襲という形をとるとはいえ、本来ならこれは死人の出ない、ただの訓練のはずだったのに」
そうだ。それがこの森で起きている惨状の正体。
自律式の新兵器の試験運用は最初、あくまで軍事演習の一環のはずだった。
しかし投入された魔導機構達は人の手を離れて暴走を始め、計画は破綻し、その矛先にいる騎士達は今や深刻な危険にさらされているのだという。
この白い霧の中では今まさに、金属の骸と騎士達の壮絶な狩りが繰り広げられているのだ。高貴な身分の戦士達が、湖から這い出た屍に追われるという狩りが。
「勇んで狩りに出た騎士どもが、逆に狩られる側になったってわけか」
森を切り開きながら前を行く兵士が、霧に目を凝らしたまま至って平静に呟く。
レオンは実験の一端に関わる魔術師として、兵器による甚大な被害を見過ごしているこの場所の監督者……爬虫類の目の魔術師の代わりにこの場を収めに来たのだという。
通りすがりの君達を変な実験に巻き込んで申し訳ないねと、黒衣の魔術師は相変わらず困り顔で頭の後ろをかく。
爬虫類の目の魔術師は相変わらず固く口を閉ざしたまま、何も言い返さない。
とにかくレオンは、危険な極秘実験に巻き込まれたピエドラ達を哀れに思って、こうして護衛の役割を買って出てくれたのだという。
困り顔だが口調は淡々としている青年の顔に、ピエドラはその斜め前を歩きながら静かに視線を向けていた。
レオンの言ったことが本当なら、騎士達はほとんど何も知らない内に新兵器のテストのための道具にされたことになる。
その事実がなんとも体の芯を冷やしてくれた。
幸運なことにピエドラ達はここまで凄惨な光景に出くわさずに済んでいるが、統制を失ったあんな化け物に襲われたら人間はひとたまりもないだろう。
ウィンフレッドも思うところがあったのか、しばらく何も言わなかった。
どこか無力感と悲愴に襲われる魔女の視線の先で、また一体、青年の光の矢に貫かれた金属の骨が膝を折る。
どれだけ悲惨な話に心を痛めたところで、一度こちらを標的と定めた兵器達は待ってはくれない。
森に流れ込んだ小川の淵で、光の矢を胸に突き立てた骸はガクリと動かなくなる。
霧を溶かすほどの高温の矢がその体から消えた後、装甲に残された大きな穴をピエドラがまじまじ眺めていると、レオンはどこか照れ臭そうに頭の後ろに手を当てて微笑んだ。
「『防壁魔術崩し』とやってることは同じだよ」
「え……」
「この世に万能のものはないんだ。どんな奇跡的な性質を与えられたものでも、より大きな力で書き換えられる。どんな硬いものも、より強い腐食という性質には抗えない」
どこの枝から引っ掛けてきたのか、魔女を見下ろしながら語る額にかかる淡い色の髪に小枝が三本ほど絡んでいる。
その状態で恥ずかしげに微笑む、一見間抜けなその青年の言葉は、しかし沈鬱な気分に突き落とされていたピエドラの頭に、水面に輪を描く波紋のように二重三重に響いた。
「……」
「って、昔魔術の先生に言われたことの受け売りだけどね。ごめん、偉そうに」
なおも困り顔で口の端を上げる魔術師に、ピエドラはしばらく沈黙する。
小川の淵のぬかるんだ草地の上に立つ二人の間を、流れ込んだ濃霧が埋めていった。しかし埋まったのはそれだけではない。
彼の前を歩き出しながら、魔女はこう呟いていた。
「いや。……あたしも昔、聞いたことがあるわ」
記憶の引っ掛かりに沈みながら、自分でも予想しない言葉が口から出てきた。
独り言のようなその小さな呟きを拾ったのか、「ホントに?」とレオンが目を見張る。
魔女は構わず、その前を歩きながら深く思考に沈んでいた。
……そうだ。聞いたことがある。
魔術師が魔力で張った防壁を崩す方法。絶対の防御を書き換える力。
あの赤い石の壁に囲まれた庭で、あの不遜でどうしようもない魔術の先生が言っていた。
小さな背で壁に開いた穴から聞き耳を立てながら、それなら『あれ』も壊せるんじゃないかと、幼いこの身は好奇心に胸を弾ませて……。
「どこの魔術の先生も言うことは同じなんだね」
難しい顔で前を行くピエドラに並びながら、黒衣の魔術師は嬉々とした笑顔を向けてくる。
しかしピエドラは今の会話に集中するどころではなかった。
湖の上の廃村で見た、魔術の練習用の素焼きの壺が頭に浮かぶ。
壊せないはずのものが、壊せないはずの攻撃で壊れる。
青年はだから、あの光の矢で骸の装甲を貫いて……。
それなら昔、自分がやっていたあれも。
その壺が壊れた瞬間に、目をいっぱい見開いて驚いたあの少年の顔も……。
「魔術師?」
「あ、ああ。何でもないわ」
となりを歩きながら今日一番首を大きく傾げた黒衣の魔術師に、ピエドラはなんとか生返事を返す。
その青い瞳が、思わず杖を握りしめていた自分の左手に向けられていることに、魔女はとうとう気付くことはなかった。




