第36話 再会と交渉(2)
「レオナルド! 貴様何しにここへ……!」
自らを射殺しそうな鋭い眼光にも、黒衣の魔術師はまったく怯むことはない。
ただ船のへりに腰掛けたまま、立てた膝に頬杖をついて微笑む。
その姿は、まるで散歩の途中知り合いに偶然出会ったときのように楽しそうで。
故に相対する爬虫類の目の魔術師は、瞳に溢れた殺気を焦りへと変えるしかなかったのだ。
マストの落下の衝撃で激しく揺れる船の上で、「おおっと」と体勢を崩しながらも船のへりからひらりと下りると、黒衣の魔術師は杖をこつんと甲板に突いた。
そのまま彼は整った面に微笑を浮かべながら、自分を睨む者の方へと近付いていく。
近付かれた者はわずかに怯んだ様子を見せたが、次の瞬間には再び爬虫類の目に険をみなぎらせた。
「宮廷筆頭魔術師ともあろう者が暇なものだな。ふらふらと新兵器の下見にでも来たか。それならお前もこの魔導機構達と遊んでいくといい」
「俺は別に新兵器の試験運用の見物に来たわけじゃないさ」
肩をこわばらせながら、ほとんど虚勢を張るように放たれた言葉に、黒衣の青年は一切怯むことなく返す。
そしてこの船までやって来た目的を、まっすぐその人物の目を見ながら告げた。
「君と交渉しに来たんだ。君が使うその新兵器のことで」
笑みを含んでいるがどこか剣呑な言葉に、爬虫類の目の人物は思わずというふうに息を飲んだ。
しかし気圧されれば負けと気付いたのか、大ぶりな杖を前に出すと口元に歪んだ笑みを浮かべる。
「はっ。こんな所まで来て図々しいな。貴様の図太い神経は、十二年前からまったく変わっていないらしい。まさか貴様が堂々とこの湖に近付いてくるとは」
「ああ。十二年も昔のことに心乱されるような誠実な男なら、今こんな所にいないだろう?」
「……」
爬虫類の目が軽蔑と怒りに満たされる。
構わず、黒衣の魔術師はその青い瞳で相対する者を射貫いた。
「黒銀騎士の策略に乗る形で自律型魔導機構のテストをしてるのは知ってる。そのテストに俺を加えてほしいんだ」
言われた爬虫類の目の人物は、相手を小馬鹿にするような歪んだ笑みを深める。一つ鼻を鳴らすと、早口で一気にまくし立てた。
「残念だが、魔導機構の指揮をとってるのは俺ではなくアラリコだ。俺はここで実戦投入の観察記録を付けてるだけでね」
「アラリコ?」
「まあ、お前は知らないだろうな。獅子の魔術大会では万年負け続けの小物だから」
「へえ」
不遜な返答を耳にしても変わらない顔色。焦りもない瞳。
黒衣の魔術師のその平静な佇まいを見ていた爬虫類の目の人物は、次第にその顔付きを険しくさせていった。
その男はこんな所に、無策で乗り込んでくるような人間ではなかったから。
計算高いとかそんなレベルではない。自らが決めたことは、何でも現実にする男だ。
そんな男に余計な情報を教えてしまったということに、爬虫類の目はじわじわと気付かされていった。
「……何をする気だ?」
「何をとは?」
「お前のことだ。この狩り場に何か手を出しただろう。その仕上げに俺が必要なのか? それとも俺の命が?」
恐慌と焦りに唇を震わせていくその人物に、黒衣の魔術師はただ不敵な笑みで答える。
二人の頭上では、船首側のマストに残った白い帆が弱くはためいていた。
その真ん中に描かれた幾何学的な木の模様が、二人の魔術師の攻防を静かに見下ろしている。
その下で、爬虫類の目の人物は再び焦りに震える唇を動かした。
「……まさかお前、『俺達』を裏切るつもりか?」
心の底からの焦燥にかられるその言葉に答える者に迷いはない。相変わらず不敵に微笑んだまま、黒衣の魔術師は至って穏やかにこう告げる。
「心外だな。俺は穏便に交渉するつもりでここまで来たのに」
「その交渉というのは、俺の命を天秤にかけろってことだろう? ひとを脅して何をさせる気だ?」
微笑む唇は、ついにそれを否定しなかった。
ただ悠然と、楓の杖をコツコツ突きながら取り引き相手の側を行ったり来たり歩き回る。
「どのみち謎の侵入者にここまで押されて困ってたろう? 俺に協力してくれるなら、喜んでこの船上の一戦に加勢するけど」
「ふ、ふざけるな。お前の手など借りるものか!」
「そうか。それならやっぱり交渉の材料は……」
コツンコツンと先程より強めに杖をつきながら、黒衣の魔術師は少しずつ爬虫類の目の人物に迫る。
迫られる者は、ガタガタ震える足を動かし、その場から一歩一歩後ずさりしていった。それで目の前の人物から逃れられるわけではないと知ってるのか、その顔は深い恐慌にひきつれていったが。
獲物が自分から離れるごとに、黒衣の男は微笑みとともに離れた分の距離を詰める。
しかしそこで――。
「さあ、これでもう邪魔は入らないわよ。大人しくその薬返してもらいましょうか! ……って、あれ?」
二人の魔術師の少し先にあった倒れたマストの残骸が、ぼーんと勢いよくその一角を崩す。
帆桁ごと落ちた帆を飛び越えながら現れた杖を構える女と甲冑の男に、冷たい交渉の途中にあった魔術師達は静かに視線を向けた。
現れた侵入者二人の向こうには、足下を氷で固められ動けなくなった魔導機構達の哀れな群れが見えている。
どうやら彼らは、この船に乗るほとんどの魔導機構を片付けてここまで来たらしい。
その様に爬虫類の目の人物はますます顔をひきつらせ、反対に黒衣の魔術師はふっと口元を緩めた。
「……新手か?」
爬虫類の人物のそばに、さっきまで船首になかった男の姿を確認して、魔女のとなりに立つ甲冑の男が呟く。その言葉に、黒衣の魔術師はさらに笑みを深くした。
魔女はその姿を見た瞬間から何も言わない。ただ気まずそうに、少しずつ顔をそらしていく。
しかし、
「また会ったね、魔術師」
外されていく視線の先に体ごと飛び込んで、魔術師はその人に向けて朗らかに微笑む。
魔女は眉間にシワを寄せたまま、しばらく何かを考え込むように黙って固まっていた。
「……まずいな。やつ一人だと思ってたのに。あの男いつの間に船に乗ってきたんだ?」
となりで呟くウィンフレッドの言葉に、ピエドラはようやく首を振って現実へと戻る。
そしてやっと件の黒衣の魔術師と目を合わせた。チラチラそらしがちな視線の先では、夜空の色の瞳が柔らかく微笑んだまま魔女の姿を捉えている。
「くそ、まだお前達がいたか……」
視線を交わす魔女と黒衣の魔術師を無視して、爬虫類の目の人物が忌々しげにこちらを睨んだ。
先程までは船に乗り込んできた二人を実験サンプルにとか言っていたが、今はもうこれ以上取り合うのが面倒になったのか、いかにも煩わしそうな視線をこっちに向けてきている。
そして、
「お前達、そんなにこの薬が大事か。こんなものいっそここで……!」
怒りに身を任せ、爬虫類の目の人物は自分の手の中にあるはずの小瓶を甲板に叩き付けようと細い腕を振りかぶる。
しかし憤怒に筋を立てるその手の中に、すでに薬品の小瓶は姿形もなかった。
「な、薬の瓶は? どこへ行った?」
その言葉に答えるように、黒衣の魔術師がスルッとその人物の前に出る。
その手には、先程まで爬虫類の目の人物の手の中にあったはずの薬の瓶がしっかり握られていた。
「……! 貴様いつの間に!?」
「へえ。この解毒薬、まだあの村に残ってたのか」
そして青年はしげしげと感慨深そうに瓶の中身を揺らすと、それを持ってスタスタと前に進み始めた。
そう、驚きに目を見張るピエドラとウィンフレッドの方へと。
黒衣の魔術師はそのまま、マストの瓦礫の前に立つ魔女と兵士の方へ近付いてくる。
ある程度距離を詰めると、己の手に持つ薬の瓶を二人に向けてにっこり差し出した。
「これを探してたんだろう?」
少しだけ首を傾け、青い目でピエドラの方を見る。
先に怪訝そうな顔で身構えたのはウィンフレッドだった。
罠かも知れないという戦士の勘と、何よりその男が纏う得体の知れない雰囲気に圧されたのだろう。
しかし。
「お、おい。あんた……」
出し抜けに一歩前に歩み出たピエドラを、兵士が驚いたように見つめる。
そうだ。ピエドラは一直線に彼へと向けて歩き出したのだ。
そろそろと、しかし確実に自分へ近付いてくる魔女の姿に、黒衣の魔術師はふっと口角を上げる。
優雅に微笑む唇が、魔女が一歩一歩進むごとにより深く笑った。まるでもっともっとと、その歩みを静かに待ち受けるように。
何故だろう。ピエドラの視線の先で、黒衣の魔術師のすぐ後ろにいる爬虫類の目の人物が、真っ青な顔で己の杖にしがみついた。まるで何か大きな力によって、地の底へと押し潰されるのに抗うように。
……そうだ。あの黒衣の魔術師。
彼に一歩近付くごとに、まるで水に足をとられるような不思議な感覚がするのだ。
それが爬虫類の目の魔術師を甲板に押し付ける何らかの力と関係しているのかも知れない。
マストの残骸の一部が水の中に飛び込んだのか、一度ドスンと船が揺れる。
避けねばならないものと手に入れなければならないものの同時に存在する帆船の船首へ、しかし魔女は足を進めた。
薬の瓶を差し出す者と受け取ろうとする者は、そのまま距離を詰めていく。
まるで世界に二人だけになったかのように、黒衣の青年とピエドラの間を不思議な線が結んでいた。
黒衣の魔術師の真ん前までやって来た魔女の手が、彼の差し出す薬瓶の片側を持つ。
一本の小瓶を挟んで、両者に重い沈黙が落ちた。頭上ではためく帆の音が、やけに大きく聞こえるくらい。
そのまましばらく、ピエドラは深刻な表情でうつむき静止していた。黒衣の魔術師の青い瞳が、どこか面白そうに自分を射貫くのにも構わず。
そして、
「もしかして……」
先に口を開いたのはピエドラだった。
差し出された小瓶の底の方を持ちながら、魔女は言葉を探すように顔を上げる。
魔術師の青い瞳が暗い興を帯びていく。その昂りを覆い隠すように目蓋を伏せながら、彼は魔女の言葉の続きを待っていた。
しかし、
「――もしかして、あたし国中に指名手配とかされたりしてる?」
線はブツリと消滅した。
二人をつないでいた不思議な緊張の糸が、その言葉に一気に千切れる。
近付いてきた魔女に何かを期待し、そしてそれを裏切られたのか、青年が呆気にとられたような声を漏らした。
「え?」
「ほらあの、悪魔城とか呼ばれてる貴族のお宅の破壊のこととかその辺で……」
目の前の魔女が小声かつ早口で紡いだ言葉に、黒衣の青年は改めて呆けたようにポカンと口を開く。
「指名、手配……?」
その反応を見て、魔女は慌てて己の顔の前で杖を持つ手をブンブン振った。
「いや、違うならいいの! そうよ、そうよね! 手配なんて掛かってるはずないわ。何言ってるのよ、あたしは。偉いお役人様があたしなんか追ってくる暇ないわよね。……ははは、何だ。これは偶然の出会いだったのね。それならいいのよ」
そのまま己の前で手を乱舞させる魔女を、青年はしばらく口を開けたまま見守る。
それに構わず、ようやく否定の舞をおさめたピエドラは、そそくさと魔術師が差し出した小瓶を自分の方に引き寄せた。
「ありがとう。どうしてもこれが必要だったの」
「あ、ああ。どういたしまして」
やっとぎこちなく微笑んで、青年も魔女に小瓶を引き渡す。
爬虫類の目の人物は、瞳孔の長い目をまん丸くしてその様子を見送っていた。
最初は警戒心剥き出しで二人を眺めていたウィンフレッドも、今や唖然とした顔で帰ってくる魔女を視界におさめている。
そして。
薬を取り返したピエドラは、ポカンとした表情で佇む船首の魔術師達をチラチラ振り返りながら、逃げるように船尾へと駆けていった。ウィンフレッドが慌ててその後ろに続く。
二人はそのまま勢いで船尾のへりにつかまった。
緊張で詰めていた息を思いっきり吐き出すように、ウィンフレッドが口を開く。
「何だありゃ、友達か?」
「国家権力よ。あたし達をブタ箱に入れうる人間よ」
「……は?」
はあはあと息を整えながら言うピエドラに、兵士は思い切り首を傾げる。
それに構わず、魔女は大きなため息とともに船のへりでへたり込んだ。
「あー、びっくりした。けどあたしまだ指名手配されてなかったみたい。よかった~」
「あんた……一体何やったんだ?」
「ちょっと勢い余って貴族の館をアレしただけよ。不可抗力だったのよ」
「とにかく薬返ってきてよかった」と、ピエドラは己の手の中を見ながらそのままほっと息をつく。
その様子を見据えて、兵士は改めて魔女に先程の懸念をぶつけるように聞いてきた。
「国家権力云々は置いといて、あんたさっき大丈夫だったのか?」
「何が?」
「何がってあの黒い魔術師……」
兵士が言いさしたところで、足下を固めていた氷を割ったのか、例の骸型魔導機構が二人の後ろに迫る。
その一撃をかわした魔女と兵士は、はっとしたように船のへりから周りの景色を一望した。
「とにかくこの薬さえあればもうこの船に用はないわ」
「だな。後はどうやってこの船から脱出するかだけど……」
動力が何かは知らないが、船は結構いい勢いで湖を進んでいる。
見渡す限り周りは霧の海。湖畔のあの廃村からはずいぶん離れてしまっているようだった。
周りの景色に首を巡らせて、魔女は一気に焦燥を顔に出す。
「……船に乗るのに全力過ぎて、降りる方法は何も考えてなかったわ」
「俺も考えてなかった。あんた魔術で何とかできないのか?」
「世の中には、できる魔術師とそうじゃない魔術師がいるのよ」
「……。あの黒ローブの男はどうやって動いてる船に乗ってきたんだ?」
そう言えばどうやって。
しかし今そんなこと聞けるはずもない。
振り返れば瓦礫の向こうで、二人の魔術師は未だ緊張感ありまくりの雰囲気で対峙している。今にも魔術の撃ち合いを始めそうだった。
「何かよく分かんねえけど、険悪な雰囲気だな。あれが終わったら俺達の番なんじゃねえか?」
「早く脱出しないと……」
あの黒衣の青年が何故ここにいるのか、あの爬虫類の目の人物は何者か、そもそもこの船の上で何が起きているのか、深く考え込む余裕はない。
ソルの薬を探しに来ただけのはずが、運悪く魔女と兵士は確実に見てはいけない世界をのぞきこんでしまったのだ。
今船首でいがみ合っているあの二人の魔術師の内どちらが生き残っても、最終的に矛先はこちらに向くだろう。
ふと、帆船が向かう方向の霧の中に何か見つけたのか、ウィンフレッドが船の側方から身を乗り出す。
船の向かう先に、うっすら岸が見えてきていたのだ。
「まさかこの船……」
なおもいい勢いで湖を進む帆船と岸までの距離を見て、兵士は顔をひきつらせる。
そして事態に気付いていないだろう船首の方へ声の限りに叫んだ。
「おい! お二人さん! お取り込み中のとこ悪いけど、前見た方がいいんじゃねえか?」
その声に、爬虫類の目の人物がはっとしたように霧の向こうを見やる。
葦の繁る泥に固められた不安定な陸は、徐々にしかし確実に船の間近に迫り始めていた。
爬虫類の目の人物が何かする前に、先に反応したのは黒衣の魔術師だった。彼はふっと肩を落とすと、左手で軽く杖を振るう。
「空気よ。風よ」
目を見張る他の乗船者達の視線の向こうに、岸と船の間をクッションのように包む空気の塊が現れた。
それと同時に、船の帆を逆向きになびかせるような強い向かい風が吹く。
巨大な帆船が泥の岸辺に突っ込む衝突の衝撃は、その二つの魔術によって大きく軽減されていった。
強風が止み、空気のクッションが消えると、後には少しの慣性が残ったのみ。
ガコンと一度大きく揺れて止まった船の上で、魔女は思わず甲板に尻もちをつく。
どうやら船が大破することなく無事に向こう岸へ着いたようだ。
しかし……。
魔女と違ってその素晴らしい体幹により体勢を崩さなかったのか、ウィンフレッドが船首の向こうを見て呟く。
その表情の険しさに、ピエドラは次なる苦難の訪れを悟らざるを得なかった。
「……助かったのはいいけど、多分ここ、白銀騎士と黒銀騎士が狩りしてる森がある岸だぜ」




