第32話 獅子の訪問と湖の幽霊船(2)
霧のかかる湖畔の狩り場の森で、狩りに出た白銀騎士達が何名か行方不明になったという報が入ってしばらく。
白銀騎士団の詰めるテントの群れは閑散とした空気に包まれていた。
行方をくらました騎士の捜索のためにさらに多くの白銀騎士が森に出払い、テント付近にいる騎士自体が少ない。
しかも捜索対象の大半の消息が未だに不明ということもあって、白銀騎士の詰所はもはや狩りの熱から完全に冷め、不安の渦中に落とされていたのだ。
その静まり返ったテントの群れの一つ。
森の際に立ったある天幕の中に、白銀の鎧を纏った二人の男達がいた。
彼らは他の白銀騎士達が捜索に出ている間、詰所の警護を任された騎士達だった。
一方の騎士は明かり取りのために開けた天幕の入り口に立ち、もう一方はテントの中心に設けられたテーブルについている。
未だ報告に帰る騎士すらない中、延々と続く沈黙に耐えかねたのか、テーブルについていた騎士がため息混じりに椅子から立ち上がる。
そして天幕の入り口に立つ、大きな体格をした筋肉質なもう一人の騎士の方へと近付いていった。
「これは多分、このまま日が暮れるな。どうだい? こっちで一局チェスでも。そんな恐い顔で待ってても、どうしようもないだろう?」
そう同僚に囁く騎士は、腰に立派な剣を差し、美しいブロンドの髪をした、まさに聖騎士然とした男だった。
その男の提案に、テントの入り口の大柄な騎士は眉をひそめ、いかつい顔をさらに渋くする。
「森に出た捜索隊の代わりに、ここで詰所を守るのが我らの役目。この場所に万一があれば、捜索に出た同胞に申し訳が立たぬ。貴殿も遊んでないで己の役割りを果たされよ」
固い同僚の言葉に、ブロンドの騎士はふうとため息をつく。そして再び一人テーブルに向かった。
そのテーブルの上にある、王手の一手前で放られたチェス盤の駒をもてあそび、彼は退屈そうに頬杖をつく。
「ここを乗りきれば、貴殿には美しく献身的な婚約者が王都で待ってるもんな。それは仕事にやる気も出るというわけだ。私もここに来る前に手紙をくれたご婦人達を訪ね歩かねばならないが、それは半分義務みたいなものだからな」
言葉の前半に顔を赤らめながらも、後半には引っ掛かるところがあったのか、変わらずテントの入り口に立ちながらも筋肉質な騎士は同僚をたしなめる。
「いつ話しても貴殿の口からは女性のことばかり……。貴殿はこの騎士団に属すにはいささか軽薄過ぎるきらいがある。もっと近衛騎士として日頃の行いをだな……」
「冗談だよ。ちょっと緊張をほぐそうとしただけじゃないか」
ため息をつきつつ、ブロンドの騎士は改めて閑散とした天幕の中を見渡す。
「そう言えばネバード隊長は?」
「さっきから外に出ておられる。……落ち着かないのだろうな。部下が何人も行方不明なのだから」
「この合同訓練は毎年何人か死人が出るからな。湖畔の泥沼の恐ろしさを知らず近付いた者が、そのまま底無し沼に飲み込まれて」
「……果たしてそれだけか」
「それだけか、とは?」
テーブルに肘をつき己を眺めるブロンドの騎士に、大柄な騎士はようやく彼の正面まで歩いていく。そして同じテーブルにつくと先を続けた。
「イクリプス公の台頭で、陛下の求心力は日々衰退している。そろそろ陛下自体に……その周りを固める我々に手を出してくる頃ではないか?」
その言葉に、ブロンドの騎士は一気にぎょっとした表情になった。
「まさか、裏で黒銀騎士が動いているというのか? いくら黒銀騎士の団長がイクリプス公の片腕といっても、流石にそんなことまでしてくるか……?」
「むしろ今まで静かだったのがおかしい。自分達が王国の近衛になる未来が見えているなら、今の内に我ら白銀騎士の力を削ろうとするのが戦略というものだろう。……いくら何でも、今回は行方不明者の数が多すぎる」
「おいおい……話が飛躍しすぎじゃないか? まるでイクリプス公が次の王になるみたいじゃないか」
「『次の王』どころか、あの宰相なら今の玉座の簒奪さえ厭わない。だからこそ隊長は、」
閑談は肝心なところで、外から聞こえてきた馬の蹄の音に遮られた。
二人の騎士は即座に天幕の外へ出る。
そこに広がっていた光景は……。
「ネバード隊長!?」
片腕を押さえながら愛馬から落馬した甲冑の上司に、部下二人は慌てて駆け寄る。
馬は激しく混乱した様子で、猛然と近くの森の中へ逃げていってしまった。
白銀騎士の隊長格の地位を現す立派な徽章を着けた初老の騎士は、息も絶え絶えに部下達を見上げて言った。
「二人とも、早く逃げろ……」
呟く間に、彼の額を一筋の血が流れ落ちていく。
その姿にも言葉にも、騎士達が衝撃を受けている間に……。
「何だ……? あれは……」
白銀騎士団が詰めるテントの先にある茂みの向こうから、『それ』は騎士達が聞いたこともない不快な音を鳴らしながら現れた。
そこでようやく、二人の騎士は自分達を取り巻き始めた濃い霧の存在に気付く。
そして立ち込める深い白の中で、骸の集団はなおもゆっくりと、しかし確実にこちらへと距離を詰めてくるのだ。
白銀の甲冑の男達は、声もなくその光景を眺めていた。しかし、
「逃げろ! あれは人間が相手できる者達ではない。二人とも早く!」
部下二人に抱き起こされた格好のまま、隊長騎士は大きく声を張り上げる。
男達ははっとした表情で上司に向き直った。
「隊長を置いては行けません!」
「二人で担ぐぞ。ほら、貴殿はそちら側を……」
しかし非情な決断のときは迫っていた。
二人の前に広がるテントの群れの間から、仲間の騎士と思われる者達の悲鳴と、断末魔が上がり始めたからだ。
ぐったりと地面に伏す上司と迫る霧の中の惨状の間で、騎士達はただ平穏の崩れ去る音を聞いていた。
ピエドラの放った渾身の風の魔術は、まるで一本の鞭のように骸達の足下へと向かっていた。
最早逃げ道もなくなった湖畔の村で、魔女と兵士が生き残るために今すべきことは一つ。
二人を囲む骸型の魔導機構の群れを何とか再起不能にするのだ。あれが一体誰の使う魔導機構かは知らないが、もう戦うしか術はない。
だからこそピエドラは、魔術が無効になる魔導機構の胸の部分を避け、彼らの足をはらうことで何とか道を開こうとしたのだ。
しかし。
「お、おい!」
ウィンフレッドが顔をひきつらせながら叫ぶ。
なんと自分達の足をはらおうと迫る風の鞭を、骸達は華麗な垂直跳びを披露して軽々かわしていくではないか。
金属の体の集団が見せたキレのある縄跳びに、魔女は一瞬ポカンと口を開けそうになった。しかし気を取り直してすぐに杖を握り直す。
「ま、まだ大丈夫よ!」
骸達に避けられた風の鞭はしなって前方へと返り、背中側から異形達の足を襲う。
後ろからの攻撃には対応しきれなかったのか、渾身のなぎはらいが骸達を前方へと押し倒した。……そう、ピエドラ達の方へと。
細い体が後ろの方から折り重なるように、魔女と兵士のもとへと倒れ込んでくる。
つまりは滅茶苦茶お互いの距離が詰まってしまった。
「……ちょっとだけ失敗したみたいね」
最早真顔で呟く魔女に、となりでウィンフレッドがちょっとだけじっとりとした視線を向けてくる。
しかし兵士はすぐに剣を構えると、一瞬の隙に倒れた骸の手にある武器を飛ばしていった。
ピエドラも、敵が倒れている隙にさらに魔術を使おうと杖を構える。しかし、
「ああ! ちょっと!?」
ピエドラのすぐ脇に倒れていた骸が、油断していた魔女の手から薬の瓶を引ったくる。
そしてすぐさま立ち上がって骸の集団の方へ合流すると、彼らの盾になるようにその前方に立ったのだ。
「……!」
骸達の前に輝く解毒薬の瓶に、魔女は杖を振るおうとしていた手を宙で止める。
……このまま魔術を放てば、せっかく手に入れた薬の瓶が割れてしまう。
つまりあの細い手はピエドラにとっての薬の価値を知って盾にしたのだ。
突飛だが効果的な手を打ってきた異形に、となりでウィンフレッドも剣を退きながら苦々しげに言葉を吐いた。
「やつら、それなりに知能があるみたいだな」
二人が一瞬攻撃を躊躇った隙に、骸達は一気に獲物のもとへと群がってくる。
ウィンフレッドが剣を構えるが、人間の力ではこの状況を打開できぬことを見通したのか、その顔は徐々に曇っていった。
二人の目の前まで迫った異形が、大きく地面を踏み込む。兵士が構える剣の軌道を封じるように、各方位から同じように骸骨の足が地面を踏んだ。
最早詰みだ。真ん中にいる人間達に最後を与えるために、輪になって一斉に跳びかかってくるつもりだ。
魔女にはその様が、まるで生死の境界を走馬灯がよぎるようにゆっくりと見えていた。
そうなると、迫る窮地はピエドラに、それまで忘れ去っていたはずの魔術を思い出させるのだ。
躊躇っている暇はない。杖を握る手に溢れ始めた冷気に、魔女は思い切りその魔術を唱える。
「氷よ!」
魔女と兵士の周りを、円形の波状に水流が立ち上がる。
そして二人に群がろうとしていた機械達に氷になって絡まり、彼らの足を桟橋に縫い止めた。
骸型の魔導機構達はそのまま、上半身をガチャガチャ言わせながらその場から動けなくなる。
「や、やった……」
その言葉の直後だった。
湖に鳴り響いた空気を震わす甲高い音に、魔女と兵士は思わず首を巡らす。
そしてその笛の音のような高い音が響いた後、骸達は突然、取り囲んでいた人間二人を無視して村の奥へと向かい始めたのだ。
それまでの臨戦態勢が嘘のように、皆一様に武器を下ろし、項垂れるような格好でいずこかへとギシギシ歩いていく。
ピエドラの氷の魔術で固まっていた骸達はどうしたかというと、何と自ら足の部分のパーツを外し、半ば這うような格好で仲間達の後を追い始めたではないか。
今までの惨状に輪をかけて異様な光景に、魔女と兵士はしばらくあんぐりと口を開けてその様を見送る。しかし……。
二人を取り巻いていた異形達は去った。
それだけならようやく難が去ったとピエドラもただ胸を撫で下ろせば良かったが、今はそうもいかないのだ。
例の薬瓶を引ったくった骸もまた、仲間にくっついて村の奥へと去っていってしまったのだから。
「ちょ、ちょっと待って! その薬返して!」
最早ピエドラの方を見向きもしない骸の集団にくっついて、魔女もまた村の奥の方へと走る。
……一度仰天するような不思議に出会えば、怪奇は立て続けに人間の前に現れるものだ。
追いかける魔女の向こうで、なおも骸達は村の端へと軋む足を鳴らしていく。
そしてしばらく行くと、骸の集団の向かう霧の中から、ある音が聞こえてきたのだ。
最初は湖面がコポコポ沸き立つような、小さな音だった。
それが次第に大きな飛沫の音に変わり、水面が波立って大きなうねりに変わる頃には、骸達はすでに村の端の桟橋まで到達してしまっていた。
そして。
「……何じゃありゃ」
いつの間にか魔女のとなりまで追いついてきていたウィンフレッドが呟く。
ザバーンと、巨大な飛沫は『それ』の登場とともに、上から降ってくる滝のように水面を叩きつけた。
……霧の中に影絵のように浮かぶ、その姿が大きな帆船の形でなければ、魔女も兵士もそこまで目を奪われることもなかっただろう。
しかし湖の中から二人の目の前に現れたそれは、確かに巨大な船の姿をしているのだ。
「湖の底に沈んでた船が浮き上がってきたの……?」
思わずピエドラは呟くが、それでもまだ夢うつつの状態だ。自分の呟きにさえ現実感がない。
そうこうしている内に、湖面に現れた船は霧を破ってゆっくりこちらへと近付いてくる。
近付いてくればさらにその威容が際立つような、相当立派な船だった。
太いマストを三本も持った、大きな港市にしか停まらないようなかなり巨大な帆船だ。
どこから風が吹いているのか、白い帆もしっかり張っている。
ただ、舳先で霧を分けるように湖面を進む姿は非常に勇壮だが、同時にこの世のものとは思われぬただならぬ雰囲気を放っていた。
……そう、まるで幽霊船みたいに。
「……あいつらあの船に乗るみたいだぜ」
ウィンフレッドの言葉通り。
村を構成する桟橋へと近付いてくる幽霊船から、間隔を開けて何本も縄梯子が垂れ下がってきていた。
骸達はまるでその船を待ちわびていたかのように、金属の手で桟橋に近付いた縄梯子を掴む。
あるいは船から遠い所にいる者は躊躇いなく水に飛び込み、骨の体で器用に泳いで船へと近付いていった。そして水面まで届いていた梯子を掴むと、一本の梯子に二三体ずつ群がりながらそれを上っていく。
霧の隙間に見えるその様の奇妙なことと言ったら……。
「何だ? これからあの世にでも船出するのかよ」
呟く兵士の前で、やがて幽霊船は、その甲板へすべての黒い骸達を飲み込み終えた。
役目を終えた縄梯子が、誰が引き上げているのか知らないが静かに船上へと回収され始める。
そこまでのことを、魔女はただぼんやりと眺めていたが……。
「そうだ。解毒薬……!」
この村に来たそもそもの目的を思い出して、一気に現実へと覚めていく。
ソルの薬は骸達の中の一体が持ち去り、あの船の中にまで持って上がってしまったのだ。
怪しい船の甲板へと、縄梯子は止まらず回収されていく。
ソルを治療するための希望は、今まさにピエドラの目の前で潰えようとしていた。
「……届く。まだ届く」
「あんたまさか……」
魔女のとなりで、何かに気付いた様子の兵士が目を見張る。
杖を片手に、ピエドラはすでに一歩を踏み出しかけていたからだ。
すぐ脇で目を丸くしているウィンフレッドに、魔女は前を見たまま言い残す。
「……帰ってこなかったら、ソルをお願い」
何故そんな弾みがついたのか、今はまだ当のピエドラにすら分からない。
単純に、今ならまだ手が届くと思っただけだ。
そう思った瞬間、魔女はただ思い切り腰を落とし、踵に力を入れていた。
そして跳んだのだ。
それ以上巻き上げられれば届かなくなるすんでの所で、ピエドラの手は回収されていく梯子の下段を掴む。
そのままぐっと縄を握りしめ、魔女は向かうべき船の甲板へと、眉間にシワを寄せながら目線を上げた。
しかし間髪容れずにガチャリととなりの梯子に飛び付いた甲冑の音に、すぐに視線を横に向ける。
その視線の先で、兵士ウィンフレッドもまた、魔女と同じように甲板の方を睨んでいた。
「見くびるなよ。薬を持って帰るまでが俺の役目だ」
「……」
「俺は一度引き受けた役目は果たす男なんでな」と、兵士は梯子に飛び付いた格好のまま魔女の目を見る。
ピエドラは数秒、その瞳に戸惑って……そして改めて、向かうべき縄梯子の先をその目に見据えたのだった。




