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龍とたてがみとギャラクシア  作者: 雨野グッピー


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第24話 睡蓮と秘密の手紙

 よく晴れたある日の昼前。青空の下の宮廷の静寂を破り、悦に入って朗々と話すある男の声が宮廷筆頭魔術師の執務室に響き渡る。


 ダリオがペンを動かす規則的な音の隙間から、その声はまさに滝のようにとめどなく降り注いでいた。


「――まったく貴殿もよくやるものだな。今年の獅子の魔術大会から女子の出場制限は廃止とか。宮廷魔術師の中でも新入りのくせに、ずいぶん革新的なことをするではないか」


 宮廷筆頭魔術師代理となったダリオがレオナルドの執務室を借りてしばらく時は経ち。


 この部屋には毎日様々な来客があるが、その全てが喜ばしい客というわけではなかった。


 今も。執務室にしつらえられた大机に向かうダリオは、頭上から降り注いでくる意地の悪い客の言葉をまさに浴びせられている最中にあった。


「今になって連綿と受け継がれてきた獅子の魔術大会の決まりごとを変えるとは、陛下と貴殿は後の世の者から何と言われるだろうな」


 書き物をするダリオの目の前に立ち、机に寄りかかってくるように喋り続けているのは、宮廷の祭事を担当する大臣の側近の男だ。

 ダリオも何度か会ったことがあるが、日がな一日他人の噂話をしてばかりの、明らかに血筋だけで出世した人物だった。


 宮廷筆頭魔術師代理生活を始めて何日か経過したが、この人はこの執務室に来てはいかにも嫌味な感じでダリオに突っかかってくる。


 宮廷魔術師の中でも家格が低く経験も浅い、しかし急に筆頭魔術師代理という大役を任された者を『見物』しに来ているのだ。要は物珍しいダリオという存在で暇を潰そうといる。


 一応この男は祭事を司る立場にある者として、獅子の魔術大会と同時に行われる祝宴の細かい調整をしたいという名目でこの部屋を訪れている。

 だから取り合わないわけにはいかなかったが、いかんせん要件以外の話が長かった。


 降ってくる言葉の下で、ダリオは最早ひたすら書き物に集中していた。サラサラと、羽ペンが紙を滑っていく。


 いつもこの部屋を走り回っている雛達は来客の間、小間使いが別の部屋に連れて行ってくれている。


 それというのもこの男が執務室に入ってきた途端、黄色いふわふわ達は――実に賢いことに――くちばしによる総攻撃をその男の足に仕掛けたからだ。


 生後数日にして人間を見る目があると、ダリオは心の中で感心しきりだった。


 この男の性格は鳥類以外にも有名だ。

 宮廷の大半の人は彼の性格を知っているから、どんなにしつこく絡まれてもその話を真に受けたりはしない。もちろんダリオもそうだ。


「陛下も貴殿以外に頼める相手がいなかったのだろうな。女の魔術師のための政策は魔術師貴族の反感を買うし、何よりご息女のための地固めだということが見え見えだ。そもそも王になれるかどうかも分からぬ王女のためになど、誰が働くというのか……ああ、物好きな貴殿がいたな」


 禿げ上がった頭の真ん中を庭から差す陽に照らされながら、男はニタニタとこちらへ顔を近付てくる。


 まだその話をしていたのか……。


 呆れを隠し、延々と続く煽りにもダリオが辛抱強く無反応でペンを走らせていると、相手はついに苦々しげに咳払いした。


「コホン、まあいい。王命とはいえ、女の為の仕事など面倒だっただろうに」

「何が『面倒』なのです?」


 言い返されないと思っていたのか、ダリオの発した言葉に目の前の男はわずかに怯む。

 そして取り繕うように作り笑顔を浮かべた。


「はは、なに、イクリプス公の領地から来た者は皆、女の魔術師を良く思っていないから、貴殿が陛下に協力したのは意外だと思っただけだ」

「イクリプス公の行いを見てきたからこそです。……男子には大会の出場制限はない。女子にだけ制限があるのは不公平だ」


 手元でペンを走らせたままダリオは言う。

 彼にはきっと、ダリオの言葉は未知の世界の言語のように聞こえたのだろう。


 平行線のやり取りでも言葉を重ねれば『相手の醜い本性』を暴けるとでも思っているのか、男は半笑いで話を続けた。


「女の魔術師なら『睡蓮すいれん魔術師団』で間に合っているではないか。彼女らはそれはよく働いてくれるぞ。縁談があるたびに頻繁に団員が変わるが、故に常に若い女子ばかり。あれこそ楽園だ」

「……下世話な話はこの部屋では控えていただきたい。僕は執務の途中です。世間話ならご自分の部屋に戻って従僕となさって下さい」


 今度ばかりは顔を上げてたしなめる。

 強かな瞳にダリオの頑なさを知ったのか、男は再び咳払いして話題を変えた。


「子を成す為に望まれるのは女ばかりではない。貴殿にも良家からの縁談がひっきりなしだと聞くが、すべて無視しているとか。なかなか剛毅だな。さすが『潔癖のダリオ』だ」

「……。僕に家柄の繋がりは必要ありません。宮廷魔術師という地位も、この身一代で終わるものだと思っています。先のない男とこれ以上話すのは、あなたとしても不毛でしょう」


 さらに男はぐぐっと、言葉に詰まる。

 そうなると彼は話題を変える癖があるようだった。

 ゴテゴテした指輪をはめた両手が、ばんっとダリオの向かう机に叩き付けられる。


「……無欲を装っているが、要は貴様、どっちつかずで陛下にもレオナルドにも好かれようという魂胆だろう? だが、その二つは両立できぬぞ」


 と、まるで自分しか知り得ぬダリオの核心を突いたとばかりにそう捲し立てた。

 彼の中では、この宮廷に生きる者なら腹に一物あって当然という理論が絶対らしい。


 ダリオはもう少しで、ペンを走らせる手にため息を吹きつけるところだった。


 さっさとこの男にはダリオに飽きてこの部屋から出ていってほしい。

 『両立』などというものをする気はないが、一応話に乗るふりをして、ダリオは彼が先の結論に至った理由を聞いた。


「何故です? 陛下とレオナルドにどういう関係があると?」


 初めて自分の言葉に応えたダリオに、男の瞳に嫌らしくも計算高そうな光が宿った。


 そうなるといよいよダリオが無視できない言葉を選んで、この男は吐きかけてくるのだ。


「レオナルドはイクリプス公の腹心だ」


 インク壺から引き上げたペンから、インクがボタリと紙に滴り落ちた。

 思わず澄ませる耳に、男はさらに豪語を重ねてくる。


「誇らしいではないか、ダリオ。我々はこの国の権力構造の変わり目に生きておるのだ。……レオナルドが聖典ギャラクシアを手にすれば、いよいよイクリプス公の天下になる。可哀想だが、陛下とミレイア様はすぐにでも追い落とされるだろう。それを厭って、陛下とミレイア様がギャラクシアを隠しているという噂もあるくらいだ」


 ペンを止め、ダリオがどう反駁すべきか考える間に、男はさらに言葉を重ねる。


「仮に貴殿が潔白で、何も知らずにレオナルドの援助をしているというのなら、覚えておくといい。レオナルドは貴殿とは違う。付くべき者に付いて、常に権力の頂上を狙っておるのだ。そうでなければ十二年もお前達の長を務めてはいまい。……陛下はいずれその牙の餌食になる。貴殿もこの宮廷で生き残りたいのなら、両立ではなく、レオナルドを選ぶのだな」


 黙るダリオに、「やつに付けばきっといい思いができるぞ」とさらに男はにやつく。


「これは極秘の情報だがな、この国の各地に、レオナルドが視察の名目で度々通っていく場所があるというのだ。やつめ、そこで一体何をしておるのか……」

「……」

「十二年も獅子の魔術師であり続けているのだ。政治的にも倫理的にも身体的にも、やつが無垢なはずがあるまい? やつはきっと……」


 廷臣の身分を表す長い衣を着た腕が、ダリオが机の斜に置いていた書類の表面を撫でた。


 厚い雲が流れたのか、執務室に差す陽がにわかに陰っていく。


 驚くことに、あんなに鵜呑みにしないと心に決めていた彼の言葉を、ダリオは一瞬喉の奥まで飲み込みかけていた。


 ……しかし、


「レオナルドほどの魔術師になれば、さぞかし大勢の女の血を啜っているのだろうな」


 男の発したその言葉に、かっと目が見開く。

 握っていた羽ペンの先が、書きかけの書類を思い切り貫いた。


 そのままスパーンと、手元にあった帳簿を机に叩き付けて、ダリオは一気に立ち上がっていた。相手はぎょっとした顔で机から離れる。


 そして。憶測で物を言うのはいい加減にしてくれとか、ここにいない相手を侮辱するもんじゃないとか、そういう言葉が咄嗟に口を突いたと思う。目の前の男はずいぶん慌てていた。


「レ、レオナルドとどういう親交を持って代理を任されたのかは知らぬが、やつとイクリプス公には気を付けた方がいいぞ! 利用できぬと分かれば、誰であろうとすぐに切り捨てられるのだからな!」


 開けた扉から首だけ出してそう吐き捨て、男はさっさと廊下を走っていく。


 そこまで見送って、やっとダリオは我に返った。


 やってしまった……。


 しつこいやつ相手とはいえ、みっともない怒り方をしてしまった。仮にも宮廷筆頭魔術師の代理を任されている身だというのに。


 深くため息をついて、跳ね上がった己の髪を押さえる。


 ……あの男は、レオナルドが横行する吸血目的の人さらいに対応するために城を離れたことを知らない。


 仮にあの男の言うことが本当なら、レオナルドは……魔力のための吸血を犯しているという人物は、その贄となる女達を拐ってくる人さらい組織を自ら壊滅させに行ったことになる。そんなのあり得ないじゃないか。


 どちらにせよ、一瞬でもあの男の言葉に堕ちかけた自分が信じられなかった。


 宮廷筆頭魔術師代理という職分を与えられ、レオナルドから魔術師の世界の闇を聞いたこともあって、少し過敏になっていたのかも知れない。

 この宮廷ではどんな闇深いことも起こり得ると、そう思ってしまったのだ。


 ふうっと息を吐いて、ダリオは半開きになった執務室のドアを閉める。……何はともあれ、やっと静かになった。


 肩を落としながら、帳簿で机をひっぱたいたときに散乱した書類を整えようと自席に戻る。


 そのとき気付いたのだが……。


 ひらりと、書類の隙間から床に落ちた一通の封書を拾い上げ、ダリオはその表に書かれた文言を口に出した。


「ダリオへ。この手紙を睡蓮魔術師団のダフネに渡してくれ……レオナルドより」


 思わず、しまったと額に手をやった。


 こんな書き置き今の今まで気付かなかった。


 どうやらこの手紙はもともと机の上に置かれていたのに、それに気付かずダリオが書類の下敷きにしてしまったらしい。


 ダリオがこの執務室に来てからすでに数日経っている。早くこの手紙をダフネなる人物に渡さないと。


 しかし睡蓮魔術師団か……。


 自分とは縁遠いその組織の名に、ダリオはしばらく苦い顔で封書を見つめる。そして二度三度、部屋の中を見渡した。


 小間使いは雛の世話でしばらくこの部屋に帰って来ないだろうし、わざわざレオナルドが書き置きまで残してダリオに手紙の手渡しを頼んでいるのだ。

 これはよほどの機密事項が関わっているのかも……。それに関して、ダフネなる人から何か言伝てを預かってくれということなのかもしれない。


 これは自分で渡してくるべきか……。


 先ほど自分で閉めたドアを少しだけ渋い顔で開け、ダリオは手紙を片手に執務室を後にする。


 睡蓮魔術師団が詰めているのは宮廷魔術師達とは別の場所。王宮に招かれた貴族の婦人達が滞在する城の離れだ。


 何故そんな所に詰所があるかというと、その睡蓮魔術師団を構成している人々というのが……。


 過ぎていく大理石の柱の影で、ダリオは少しだけ、己の行く先への不安にため息をついた。





「まあ、その噂なら私も聞き及んでおりますわ! 痛ましい事故でしたものね!」

「ええ、本当に。うちの領地でなくて本当に良かったですわ」

「あら、その事故ですけど、本当の原因は……」


 とうとう目指していた場所の付近までたどり着いたダリオは、不意に自分の斜から聞こえてきた女性達の会話に顔を上げた。


 中天に昇った太陽が、白昼夢のようなまばゆい景色を照らす。


 完全に観賞に特化した庭木。張り巡らされた青い水路。点在する立派な東屋。

 そしてそこで優雅にお喋りする貴族の女性達。


 その場に出ている菓子の話題から少しえぐめの相続争いに関する話題まで、途切れなく貴婦人達の会話が昼の庭を流れていく。


 この王城の離れ宮は、宮廷に召された夫を待つ間、その妻達が互いに交流をはかる女性達のための社交の場だ。

 男子禁制とはなっていないが、この場所は完全に彼女達の領域と言っていい。


 回廊の柱の影からその煌びやかな別世界を眺め、またしてもダリオは憂鬱から一つため息をついた。


 ……この場所を歩く限り、貴婦人達の目からは絶対に逃れられない。


 確かに女性から引く手あまたのレオナルドがこんな所に来たら目立つだろう。

 だから彼はダリオに手紙の配達を頼んだのだろうか。

 こみ上げる憂鬱とともに、改めて己の手にする手紙の中身が猛烈に気になってきた。


 手紙の宛名はダフネ……名前といいその所属といい、この手紙は確実に女性宛てだ。


 まさかこれは秘密の恋文か?

 いや、それなら何故レオナルドはダリオにそんなものを託すのか。


 ひたすら頭を悩ませながらも、ダリオは覚悟を決め、美しく手入れされた庭を進んでいく。

 ローブを着た背に、どこからともなくテラスや東屋に出た女性達の視線が突き刺さった。


 ……普段なら絶対こんな所には踏み込まないのに。

 自分がこんな状況に陥ったことだけは少しだけレオナルドが恨めしい。


 まあ待て、ダリオ。万が一にもこれが恋文なら、レオナルドの気持ちを踏みにじるわけにはいかないじゃないか。きっと仕事で忙しくて、彼女に交際を切り出せなかったんだ。きっとそうだ。だからここは自分が二人の仲を取り持つべきなんだ。……絶対恋文じゃないだろうけど。


 そんな風に謎の気合いで自分を奮起させるダリオの行く手には、濃い緑の水に白い睡蓮の花が浮かぶ、優美な池の姿が見えてきていた。

 あれが目指す睡蓮魔術師団の名前の由縁だ。


 そして。美しい睡蓮の池の登場と同時に、ダリオの目にはその池の淵に建てられた東屋で、複数の女性が楽しそうに何か話し込んでいるのが見えてきていた。


「すごい! こんな豪華な首飾り見たことないわ!」

「ほんとほんと! さすがグラナド家のご子息ね。婚約者にこんな高価な物を贈るなんて……」

「私のお父様もこれくらい財力のある方を探してきて下さるといいのだけど……ほんとに羨ましいわ」


 ――睡蓮魔術師団の詰所が何故女性達の社交場の一角にあるのか。その答えがあの光景に集約されている。


 かの魔術師団を構成している魔術師というのは、すべて女性なのだ。


 睡蓮魔術師団は、貴族や金持ちの娘ばかりを集めた、宮廷魔術師や王国軍の支援を司る後方支援部隊。

 所属している団員はすべて未婚の令嬢だ。


 後方支援部隊と言っても滅多に戦場に出ることはなく、彼女達は城に滞在している貴族の婦人のもてなしや、魔力のある子女への魔術の手ほどきを任されている。


 池の方へ向かうダリオの視線の先で、女性ばかりの団員達の楽しげな会話は続いている。


 彼女達のいる東屋の方まで進もうとして、しかしどうしても踏ん切りがつかず、ダリオはまた回廊の柱の影に身を隠していた。

 そこから、踏み込むタイミングを見計らうように半身だけ出して女性達の会話に耳を澄ませる。


 睡蓮魔術師団の女性達は皆、豪華なドレスの上から団員特有のローブを羽織っている。

 そうでなければここに滞在する貴族の女性達と見分けがつかないほど、誰もかれもが自由に着飾っているのだ。


 布地を何枚も重ねたたっぷりとしたドレープスカート、真珠の飾りの付いたヘッドドレスで整えた髪、首元を飾る世界中から集められた宝石。

 まだずいぶん距離があるのに、風に乗って彼女達の纏う香水の香りが鼻腔いっぱいに運ばれてくる。


 着ているお仕着せのローブというのも、ずっと研究塔に籠っている宮廷魔術師達の何倍も豪奢なものだ。生地は光沢のあるビロードで、その端には何やら複雑な金糸の刺繍が入っている。


 いくら宮廷魔術師という地位があるとはいえ、地方の軍家出身のダリオとは完全に別世界の人々だ。


「僕が入っていってもいいんだろうか……」


 今日は髭を整えているが、彼女達に比べれば自分はかなりみすぼらしいだろう。踏み入った瞬間つまみ出されたりしないだろうか……。


 迷うダリオの呟きの先。

 睡蓮の池の淵では、相変わらず東屋の屋根の下に設けられたテーブルセットの周りに数人が集まり、何やら熱気とともに話し込んでいる。


 金の刺繍の入ったローブの袖を揺らし、女性達は興奮した様子で真ん中に座る女性に話しかけていた。


「こんなものを贈られるなんて、本当に愛されてるわね」

「こんな大きなエメラルド、私見たことないわ!」

「この金の飾りも素敵ね!」


 その言葉に、輪の真ん中の彼女はテーブルに置いていた小箱に目を落とす。

 その箱の中に緑と金の輝きが納められているのが、ダリオの方からもちらりと見えた。


「すべて異大陸で産出されたものよ」


 集まった人々の称賛に得意気になるのを抑えるように、彼女は淑女らしく微笑んでみせる。


「彼の家が異大陸総督のフェルナンの航海を経済的に支援したの。これはその縁で献上されたものよ。結婚式当日はこの首飾りを着けて彼の家まで歩くの」

「花嫁行列が出るってこと? さすがグラナド家とマルーン家の結婚式! 豪華ね」

「また大きな家と家につながりができるのね。この国も安泰だわ」

「何にしてもおめでとう。でもこれからは簡単にあなたに会えなくなるのね。そう思うと少し寂しいわ」


 ふと……。


 柱の影から東屋を眺めていたダリオは、豪華なドレスを着た女性達の輪から外れて、一人静かに回廊の影に佇むある女性の姿に気付いた。


 不思議な女性だった。

 一見給仕のように見える質素な格好をしているが、彼女も他の女性達と同じように睡蓮魔術師団のローブを着ている。


 ダリオからはかなり離れた所にいるが、彼女にも確かに魔力があるのを感じられた。どころかこの中で一番魔力が強いのは……。


「ダフネ、何をしているの! ジョセフィーナ様のお水が空よ!」


 東屋にいた令嬢の内の一人が、ダリオの視線の先にいる不思議な女性の方を向いて大声で言う。


 その名前に、ダリオは思わず目を見開いていた。


 呼ばれた彼女は水差しを乗せた盆を手に、回廊の影から出て東屋へと走っていく。健康的に焼けた顔が昼の太陽の下にさらされた。


 まるで水色のトルマリンのような澄んだ目をした、背の高い女性だった。

 軽く巻いた長い髪を頭の上で一括りにし、周りの女性達とは違ってほとんど町娘と変わらぬような簡素なドレスを着ている。

 団員のローブを着ていなければ、ダリオは本当に彼女をただの給仕だと思い込んだだろう。


 あれがダフネ……。


 ダリオがその女性に近付こうと柱の影を出ようとした、そのときだった。


「これは、ダリオ様! こんな所にいらっしゃるなんて、珍しいですわね!」


 柱の影から出かけたダリオに、横から突然声を掛けてきた人物がいた。

 その声に、睡蓮の池の淵にいた女性達が一斉にこちらを向く。


 戸惑うダリオに構わず、その人物はがっとダリオの右肩をとった。


「宮廷魔術師様がこんな所までお越しなんて、何か急な御用かしら? もしくは意中の方との逢い引き? それは勘繰りすぎよねえ?」

「メロコトネロ夫人……」


 弱るダリオの呟きに、その言葉の先にいた老貴婦人はニコニコと張り付いたような笑みを返してくる。

 睡蓮魔術師団の団長にしてこの城の離れ一帯の監督者・メロコトネロ夫人だ。


 白い髪の混じった濃い茶髪を高く盛り、派手な化粧をしたこの貴婦人は、この社交場の女主人とも言うべきかなりの実力者だった。

 団員達に劣らず豪奢な桃色のドレスを纏い、その指は金の指輪でガチガチに固められ、携える杖にさえ宝石付きの金の鎖が何本も巻き付いている。


 夫人は張り付いた満面の笑みのままダリオの右腕を捕らえ、そのままその身を東屋の方へ誘おうとしていた。

 団員達は何事かとその様を見守っている。


「連日の筆頭魔術師代理業務でさぞお疲れでしょう? さあさあ、こちらへ来て少しでも日頃の疲れを癒して下さいませ」

 

 ダリオの周りの空気は、彼女の纏う薔薇の香水の匂いでいっぱいになった。

 さらにそこに令嬢達の視線が突き刺さる。

 

 もうダメだ……。


 なかなか脇をどいてくれない睡蓮魔術師団団長に、ダリオは半ば叫ぶようにここへ来た目的を告げた。


「失礼ですが、夫人。僕はここに休息に来たわけではありません。――しばらくダフネをお借りできますか?」


 宮廷筆頭魔術師代理の脇を固める老貴婦人の目は、一気に点になった。





 睡蓮の池を離れ、ダリオとダフネの二人は回廊の端で向き合う格好になっていた。


 ……探していたダフネのもとにたどり着けたのはいいが、ダリオの頭は今や後悔でいっぱいだった。


 まるで逢い引きのような形でダフネを抜け出させてしまったのだ。

 メロコトネロ夫人をはじめ他の女性団員達の大注目を浴びたし、不器用な自分のせいで彼女に大変申し訳ないことをしたと思う。


 素直にその胸の内を話すと、ダフネは構いませんとうっすら微笑んだ。


「商人上がりだから、ここでは常に浮いているのです。今さら何を言われても気にしません」


 ダリオと目を合わせぬまま、そう言った。

 その言葉に余計申し訳なさが募る。彼女が置かれている厳しい環境と、それを乗り越える強かさを同時に思い知らされるようだったから。


 しかしさらに同時に、ダリオは彼女が自分との間に瞬時に作り上げた壁のようなものも感じていた。


 今も彼女は、自分をこんな所に連れ出すという奇怪な行動をとった男を前にして実に静かなまま。驚きも怒りもその瞳に映していない。至極冷静で、何の期待もなくて。


 身分違いの奉公で浮いている。

 彼女の、まるで他人を自分の内に容れない態度の理由はそれだけか?


 彼女の冷めた態度はどこか……ダリオだけでなく、この宮廷内のすべての人と自ら距離をとっているのではないかと直感させた。


 いや、憶測に頭を働かせている場合ではない。呼び出した上に、あまり長く彼女を拘束するわけにはいかないだろう。余計逢い引き疑惑が深まる。


 ぶんぶんと頭を振り、ダリオは例の手紙をダフネに差し出す。彼女はそれを首をかしげながら受け取った。


 ……ここまで、これがレオナルドの恋文ならなんとしても届けねばと謎に自分を奮起させながらやって来たが、やはりそんな訳はないだろうな。


 手紙の差出人がレオナルドと知っても、ダフネは一度怪訝そうな顔をしただけで至極冷静なまま。これはきっと何か業務上の連絡に違いない。


 ……そうだ。それ以外あり得ないじゃないか。何が秘密の恋文だ。


 一体何の業務連絡なのかは知らないが、手紙を読んだ彼女から何か言伝てがあるなら、レオナルドが帰ってくるまでしっかり預からねば。それがここまで勇気を持って踏み込んだ自分の最後の仕事だ。


 そんな風に意気込むダリオの前で、手紙の最初の数行を見たとき、ダフネはまだ冷静な瞳のままだった。


 ……ダリオが驚いたのは、無感動だと思っていた水色の瞳に、こんこんと涙が溢れ始めたときだ。


 日焼けした細い手が嗚咽を漏らす口元を押さえる。


 そして次の瞬間。手紙を読み終えたダフネは、まるで感情のせきが切れたように泣き崩れたのだ。


「ああ……。レオナルド様……!」


 目の前にまだダリオがいるというのに、彼女は手紙をかき抱くように抱きしめながらその場にくずおれる。


 その様子に、手紙が恋文であるという予測があながち間違いではなかったのかと、ダリオはたじろぐばかりだった。

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