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第四章 PB-17 普及の時代編

第四章 PB-17 普及の時代編

二〇一二年。PB-12が発表された年。

アシストダイナミクスの誰もが、それが会社の転換点になると感じていた。しかし、実際に起きたことは、創業者たちの予想を遥かに超えていた。

発表から半年後。工場の生産能力が、追いつかなくなった。

営業担当の遠山は、毎日、電話対応に追われていた。建設会社、農協、介護施設、物流会社、林業組合、造船所、そして工房。受話器を置く暇もなく、次の電話が鳴る。

「社長、また一件です。今度は、造船所から」

「造船所?」

「船底の狭いところで、中腰の作業が一日中続くそうで」

遠山は、頭を掻いて笑った。

「腰を使う人間なら、誰でも、か。青山の言った通りだな」

会議室の壁には、全国から届いた写真が貼られていった。北海道の酪農家。長野の果樹農家。静岡の茶畑。飛騨の家具職人。輪島塗の工房。神社仏閣を修復する宮大工。港湾荷役作業員。全員が、PB-12を身に着けていた。

青山は、その写真を眺めながら、呟いた。

「ようやく、現場の道具になった」

PB-02は、特殊装備だった。PB-07は、優秀な補助具だった。だが、PB-12は違う。安全靴、作業手袋、腰袋。その延長線上に、存在していた。

* * *

当時のアシストダイナミクスは、自前の工場を持っていなかった。

ゴムバンドは、国内のゴムメーカー、東陽ゴム。カーボン部品は、帝都繊維。コンプレッサーとバッテリーは、市販品から選定する。それらを、神奈川の委託工場、相模精工へ集めて、組み立てる。少ない資金でも始められ、変化にも対応しやすい、小さな会社の方式だった。

だが、PB-12の注文は、その体制の想像を超えていた。

ある日、川崎の事務所へ、相模精工の工場長、西村が、険しい顔で現れた。

「遠山さん。正直に言います」

「何でしょう」

「このままでは、納期が守れません」

西村は、持参した生産計画書を、机の上に広げた。

「ゴムは専用配合で、東陽ゴムの納期が、半年。カーボンも、同じくらい。コンプレッサーは市販品ですが、他の産業と取り合いになっていて、在庫が薄い。うちのラインだけ増やしても、部品が来ません」

「増産の相談は、各社にしています」

「分かっています。ですが、うちは、PBの専用工場じゃない。他のお客さんの仕事も、止められない」

遠山は、黙って計画書を見ていた。数字は、冷たいほど正直だった。

* * *

二〇一三年。累計販売台数、一万台を突破。

二〇一四年。二万台。二〇一五年。五万台。

同じ頃、競合他社も、現れ始めた。

東京ビッグサイトの展示会から戻った村上が、パンフレットの束を、会議室の机へ叩きつけた。

「他社が、一斉に出してきた」

「どれくらいだ」

遠山が聞く。

「十社以上。大手建機メーカーも、農機具メーカーも、介護機器メーカーも、各社が類似製品を発売している。電動モーターで関節を動かす西芝電機。工場向けの、大陽自動車。ベンチャーの、ハルカ・ロボティクス。中には、うちの差動リンクに、そっくりな機構もある」

「パクりか」

「特許は取ってある。だが、方向性そのものが、真似されている」

遠山は、パンフレットを一枚ずつ、めくった。どの会社の機体にも、「パワーアシストスーツ」と、大きく書かれている。

「社長として言わせてもらえば、複雑な気分だ」

「怒らないのか」

「怒ってもしょうがない。だが、ここまで増えたのは、PB-12が、市場そのものを作ったからだ。真似されるのは、標準になった証拠だ」

村上が、眉をひそめた。

「市場を、取られるぞ」

「違う」

遠山は、販売資料を指差した。

「ようやく、業界になったんだ」

実際、その通りだった。アシストスーツという言葉そのものが、一般化し始めていた。展示会へ行けば、専用コーナーがある。ホームセンターには、関連製品が並ぶ。作業服メーカーまで、参入してくる。PBシリーズが作り出した市場は、いつの間にか、自分たちだけのものではなくなっていた。

黙って資料を読んでいた青山が、口を開いた。

「悪くない」

「悪くない?」

村上が、眉をひそめる。

「現場の人間にとって、選べる道具が増えるのは、悪いことじゃない。腰を壊して辞めていく人間が、減るなら、誰の機械でもいい」

「お前らしいな」

村上は苦笑して、続けた。

「ただ、問題は別にある。市場が広がれば、うちへの注文も増える」

遠山の顔が、わずかに曇った。

「……それが、もう、笑えないんだ」

* * *

予約待ちは、既に、深刻だった。

川崎の事務所へ、遠山が営業部長を呼んだ。

「現状の予約待ちは、何か月だ」

「PB-12系で、八か月。次の機種の先行予約は、一年を超えそうです」

「一年……」

「毎日、問い合わせの電話が、鳴りっぱなしです」

営業部長は、メモを見ながら続けた。

「長野の農家さんからは、春の作付けに間に合わないと。介護施設からは、うちの職員が辞める前に届けてほしい、と」

遠山は、頭を抱えた。

翌日、遠山は、青山と村上を連れて、相模精工を訪れた。西村が、ラインの前で、腕を組んで待っていた。

「ラインを増やしても、駄目ですか」

「ラインを増やしても、部品が追いつかない。それに、機種が増えすぎました」

西村は、ラインを指した。

「腰用、腕用、介護用、屋外用。切り替えのたびに、ラインが止まる。作る時間より、段取りの時間のほうが、長い日もあります」

村上が、メモを取りながら言った。

「少量多品種の、典型的な罠か」

「そうです。うちは、PBの専用工場じゃない。他の仕事と並行している。申し訳ないが、限界です」

帰りの車中、三人は、誰も口を開かなかった。

* * *

問題は、もう一つあった。営業部門が集めてくる要望が、業種ごとに、はっきりと分かれ始めていたのだ。

二〇一五年のある日、会議で、営業部長が、一覧を読み上げた。

「建設は、肩と腕の補助。鉄骨や配管を、頭の上へ持ち上げる作業が多い。農業は、前かがみの姿勢を、長時間維持したい。収穫も、草取りも、そうです。林業は、斜面で膝を守りたい。チェーンソーの振動も気になる。介護は、移乗の時の、腕の固定。物流は、同じ動作の繰り返しに、耐えたい」

「全部、違うな」

村上が、ホワイトボードを見つめた。

「一つの機体で、全部を満たそうとすれば、全部が中途半端になる」

「やっぱり、そうなるか」

遠山が、小さく頷いた。

会議室が、静まり返った。それまで黙っていた青山が、ゆっくりと口を開いた。

「餅は餅屋だ」

「何だって」

「各業種のことは、各業種の人間が、一番よく知っている。建設のことは、建機屋が。農業のことは、農機屋が。林業は、林業機械屋が。介護は、医療機器屋が」

遠山が、身を乗り出した。

「つまり、専用機は、そっちに作らせるのか」

「そうだ。設計の考え方と、基準だけを渡す。作る工場も、売る網も、保守の人間も、向こうが持っている。俺たちが、全部を抱える必要はない」

「うちの、売り上げは」

「減る。短期的には」

青山は、即答した。

「だが、道具が、予約待ちで現場へ届かないのは、もっと悪い。一年待たされている間に、腰を壊す人間がいる」

その言葉に、遠山が、押し黙った。

村上が、静かに言った。

「問題は、品質だ。うちの機構を、他社が作る。壊れないものが、できるのか」

「だから、基準を作る。設計基準書と、検査基準書。それを守れない会社には、PBの名前も、技術も、渡さない」

「抜き打ちの監査も、必要だな」

「ああ。壊れない道具を、出し続ける。それが、俺たちの仕事だ」

遠山は、腕を組んで、しばらく天井を見ていた。やがて、肩の力を抜いた。

「社長として、条件を出す。一つ。製品名は、向こうの名前でいい。二つ。技術供与は、ライセンスで、きちんと対価をもらう。三つ。汎用機は、うちで作る。腰の基本機は、うちの工場で組み立てる。そこだけは、手放さない」

「自前の工場か」

「そうだ。委託先に、これ以上、迷惑はかけられない。うちが、一番の標準機を、自分の手で、作る」

青山は、頷いた。

「それでいい」

村上が、ホワイトボードに、一本の線を引いた。左側に、汎用機。右側に、専用機。

「汎用機は、自社組立。専用機は、各業種のメーカーへ、製造委託。共通の設計基準は、うちが持つ。……これで、整理できる」

* * *

交渉は、遠山が受け持った。

最初に訪れたのは、建設機械メーカーの、北松建機だった。応対した専務は、PB-12を手に取ったまま、首をひねっていた。

「正直に言いますが、うちも、自前で作ってみたんです。電動式を。だが、重くて、電池が持たず、現場に嫌われた。あなた方の受動式は、うちには、作ったことがない機構だ」

「教えます」

遠山は、迷わず答えた。

「設計図と、検査基準を渡します。技術者も、派遣します。ただし、壊れないかどうかは、私たちが見ます」

「うちの名前で、売っていいんですか」

「いいです。誰が作ったかではなく、誰が使うか、ですから」

専務は、しばらく考えてから、手を差し出した。

「分かりました。うちの現場力シリーズとして、やらせてください」

同じやりとりが、久保本農機でも、石橋フォレストテックでも、照森メディカルでも、繰り返された。どの会社の担当者も、最初は戸惑い、最後には、握手を求めた。

二〇一六年。川崎の旧工場跡地に、アシストダイナミクスの自社組立工場が、稼働を始めた。西村が、相模精工から、製造部長として、迎えられた。

「うちに来てくれて、本当に助かります」

遠山がそう言うと、西村は、照れくさそうに笑った。

「相模では、あれが、限界でした。今度は、思い切り、作らせてもらいますよ」

* * *

そんな中でも、青山だけは、相変わらず、不満を抱えていた。

ある日、彼は、建設現場で、PB-12を装着した職人と、話していた。

「どうです?」

職人は、即答した。

「良い」

「不満は?」

少し考えてから、答えた。

「いや、不満はない」

青山は、眉をひそめた。

「本当に?」

「強いて言えば」

職人は、笑った。

「もっと安ければ、全員買う」

その言葉に、青山は、考え込んだ。

会社へ帰ると、村上がいた。

「問題が見えた」

「何だ」

「これ以上、性能はいらない」

村上が、吹き出した。技術者が、最も嫌がる言葉だった。だが、青山は本気だった。

PB-12は、十分に軽い。十分に丈夫だ。十分に効果がある。問題は、そこではない。誰でも買えるか。毎日使えるか。修理できるか。その方が、重要になっていた。

会社の思想が、再び変わった。もっと高性能なものを作る、のではない。もっと普通のものを作る、である。

* * *

二〇一五年の暮れ、開発チームは、新型機に着手した。

驚くべきことに、性能向上は、開発目標に含まれなかった。目標は、三つだけだった。

安い。丈夫。誰でも使える。

それだけだった。

開発陣は、まず、徹底的に現場を調査した。壊れたPB-12を回収し、数千台分の故障記録を、分析する。村上が、結果を、会議室へ持ってきた。

「傾向が、見えてきた」

「何だ」

「ほとんど、壊れていない」

遠山が、目を丸くした。

「壊れていない?」

「壊れているのは、ゴムバンドだけだ。泥、紫外線、汗、塩分。そうした環境で、少しずつ劣化している」

青山が、言った。

「そこだけ、交換すればいい」

結果として、新型機は、機体全体を交換する思想ではなくなった。消耗部品だけを、交換する。作業服に近い発想である。

さらに、サイズ展開を、増やした。小柄な女性向け。大型の男性向け。高齢者向け。

「サイズが合えば、疲れ方が、全然違う」

試験に協力した女性の農家が、そう言った。

「これまでは、男の人の道具を、無理やり着ていた。ちゃんと、私の体に、合っている」

その声を聞いて、遠山は、静かに頷いた。業種別の専用機は、各メーカーへ。汎用機は、体格に合わせて、自社で。その役割分担が、そのまま、新型機の姿になっていった。

* * *

二〇一七年。アシストダイナミクスは、新製品を発表した。

PB-17。

見た目は、PB-12と、ほとんど変わらなかった。記者たちからも、言われた。

「何が違うんですか?」

遠山は、笑った。

「そこです」

性能比較表が、スクリーンに映し出された。

• PB-12:重量4.5kg、価格9万8千円

• PB-17:重量3.8kg、価格7万9千円

補助性能は、ほぼ同等。驚くべき進化ではない。だが、現場は沸いた。二万円安い。軽い。部品交換が簡単。洗いやすい。つまり、毎日使いやすい。それが、全てだった。

同時に、北松建機の「現場力」、久保本農機の「楽腰」、石橋フォレストテックの「森人」、照森メディカルの「ケアサポーター」も、それぞれの専用仕様で、市場へ送り出された。予約待ちは、半年で、解消された。

発表会後、山根重雄が、PB-17を手に取った。七十三歳になっていた。引退して久しい。それでも、業界では伝説級の職人だった。

しばらく、機体を眺める。そして、言った。

「完成したな」

青山は、首を振った。

「まだ、改良できます」

山根は、笑った。

「そういう意味じゃない」

そして、PB-17を軽く叩いた。

「道具になったってことだ」

会場が、静かになった。山根は、続けた。

「若い頃、安全靴は、特別な装備だった。今は違う。誰でも履く。PBも、そうなった」

青山は、返事ができなかった。

振り返れば、二十年近く経っていた。研究室。卒論。試作五号機。町工場。資金難。全てが、遠い昔のようだった。

PB-17は、歴代最高性能ではない。最も革新的でもない。だが、最も売れた。そして、最も使われた。

後に、業界誌は、PB-17を、こう評する。

「受動式アシストスーツを、特殊機械から、作業着へ変えたモデル」

その評価に、異論を唱える者は、いなかった。

* * *

それでも、青山は、まだ満足していなかった。

会社へ戻る車の中で、遠山が聞いた。

「次は、何をやる?」

青山は、窓の外を眺めながら、答えた。

「腰を助ければ、次は、別の場所が悲鳴を上げる。人間の身体は、そういう風にできている」

「予言か」

村上が、振り向く。

「予感だ」

青山は、小さく頷いた。

職人が年を取るのは、腰だけではない。肩も。肘も。膝も。人間の身体そのものを支える時代が、来るのかもしれない。

PBシリーズ、第二の歴史が、始まろうとしていた。

第五章 PB-22 身体を支える時代 編へ続く。

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