第三章 PB-12 完成形への到達編
第三章 PB-12 完成形への到達編
二〇〇七年、春。
PB-07の発表会が終わった夜。アシストダイナミクス本社の屋上で、青山修司は一人、夜空を眺めていた。
彼は煙草が嫌いだった。それでも、考え事をする時は、喫煙者たちが集まる屋上へ上がる癖があった。静かだからだ。遠くで、首都高速を走る車の音が聞こえる。
その横へ、遠山が缶コーヒーを持って現れた。
「社長命令だ」
「何の命令だ」
「休め」
遠山は一本を差し出した。青山は黙って受け取った。
「お疲れさん」
「まだ、終わってない」
「また始まった」
遠山は苦笑して、手すりにもたれた。
「PB-07は成功だ。誰が見ても、成功だ。山根さんなんか、仕事着になったって、会場で泣いてたぞ」
「泣いてはいない」
「目が赤かった」
青山は答えなかった。
「で、何が気に入らない」
青山は、しばらく缶を見つめていた。
「軽くはなった。だが、力は落ちた」
「落ちたか」
「PB-02の方が、補助は強かった。重量物を扱う現場では、もう少し欲しいという声が、必ず出る」
「贅沢な悩みだな」
「贅沢じゃない。道具の話だ」
遠山は笑って、缶コーヒーを開けた。
「だったら、また三人で考えるさ。いつもみたいに」
* * *
PB-07は、発売から一年で二千台を突破した。PB-02の累計販売台数を、わずか十八か月で抜き去った。
建設業界の評価は、特に高かった。中腰で鉄筋を結束する鉄筋工。型枠大工。配管工。足場職人。全員が、口を揃えた。
「軽い」
その一言だった。PB-02は道具だった。PB-07は、身に着ける装備になった。その違いは大きかった。
さらに、意外な市場も広がった。介護である。
特別養護老人ホーム、介護老人保健施設、病院。介護士たちは、利用者を抱え上げ、車椅子へ移乗し、体位を変える。建設現場ほどの重量物ではないが、一日に何十回も、腰を使う仕事だ。
「介護の現場から、問い合わせが止まらないんです」
若手の営業担当が、遠山へ報告した。
「うちは建設向けのつもりだったんだがな」
「でも、皆さん腰を壊しているんです。辞めていく人も、多いそうで」
遠山は、少し考えてから、青山の部屋へ入っていった。
「青山。介護だ」
「介護?」
「PB-07を、介護士が着たがってる。仕事の種類は違うが、悩みは、山根さんたちと同じだ」
青山は、ゆっくりと頷いた。
「……腰を使う人間なら、誰でも、か」
「そういうことだ」
二〇〇八年、売上は三十億円を超えた。社員数も百人を超えた。一研究室の卒論だったものが、いつの間にか、一つの産業になりつつあった。
* * *
だが、その頃から、新しい問題が見え始めた。
川崎港でコンテナ荷役を視察していた時のことである。作業員たちは、PB-07を装着していた。三十キロ、四十キロ、五十キロ。補助は、確かに効いている。だが、限界も見えた。
休憩所で、山根が缶コーヒーを飲みながら言った。
「軽くなったのは、いい」
「はい」
「だが、腰への負担が消えたわけじゃない。重い仕事は、まだ重い」
「製鉄所からも、同じ声が来ています。もう少し補助が欲しいと」
遠山が言った。そこへ、見学に来ていた配管工の男が、割って入った。
「なあ、兄ちゃん。あんたらの機械で、腰はたしかに楽になった。だがな、うちの仕事は天井だ」
「天井、ですか」
「頭の上に配管を持ち上げて、固定する。腕を上げっぱなしだ。腰は楽でも、肩と腕が先に終わる。夕方には、腕が上がらん」
男は、自分の肩を揉んだ。
「腰だけじゃなくて、腕も、助けてくれんかね」
青山は、その言葉を、頭の中で何度も繰り返した。
* * *
帰りの車中。珍しく、青山から口を開いた。
「間違えたかもしれん」
運転席の遠山が聞く。
「何が」
「空気圧を捨て過ぎた」
助手席の村上が、振り向いた。
「ガスの力を捨てて、ゴムと複合材だけにした。軽くはなった。だが、PB-02が持っていた、強い補助力まで失った」
「軽さを取れば、力を失う。力を取れば、重くなる」
村上が、ため息をついた。
「ジレンマだな。あの配管工の言う、腕の補助もない」
「腕か」
遠山が、ハンドルを握ったまま言った。
「腰の次は、腕。確かに、要望は筋が通ってる。でも、腕を助けるには、どうしたって、力が要るぞ」
三人は、それきり黙った。窓の外を、川崎港のクレーンが流れていった。
* * *
数週間後。村上が、研究室の机で、電動ドリルを分解していた。
「何をやってる」
青山が聞くと、村上は顔も上げずに答えた。
「面白い物を見つけた」
机の上に、掌に乗る大きさのモーターが置かれていた。
「ネオジム磁石だ。ハイブリッド車の駆動にも、電動工具にも、ハードディスクにも使われている。強力な希土類磁石のおかげで、モーターが、ここまで小さくなった」
「それで」
「数年前なら考えられない出力だ。これなら、小型のコンプレッサーが作れる」
青山の眉が動いた。
「コンプレッサー」
「空気圧を、捨てるんじゃない。復活させるんだ。ただし、ガスシリンダーの時代とは違う。小さな圧縮機で、必要な時に、必要なだけ空気を作る。蓄圧タンクと組み合わせれば、腰も、腕も、補助できる」
「腕もか」
「あの配管工の話だ。上向き作業で肩に来る負担を、空気圧で助ける。人間の動きに合わせて、人工筋肉のように伸び縮みするアクチュエータを、上腕に沿わせればいい」
青山は、腕を組んだまま、黙っていた。遠山が、そっと聞いた。
「電源は」
「小型のリチウムイオンバッテリーだ。携帯電話で、もう実用化されている。交換式にすれば、一日持つ」
その瞬間だった。青山が、静かに口を開いた。
「駄目だ」
「どうして」
「電池が切れたら、終わりだ」
研究室の空気が、止まった。それは、卒論の頃に、青山が口にした言葉だった。
「センサーが壊れたら終わり。雨が降ったら終わり。そんなもの、現場じゃ使われない。俺は、そう言った。お前も、あの場にいただろう」
「覚えている。だから、今度は、違う形で作る」
村上は、引かなかった。
「聞け、青山。あの頃の装着ロボットは、動力に全てを頼っていた。電池が切れたら、ただの重い鉄になる。だが、俺が作りたいのは、違う。基本は、今のPB-07のままだ。ゴムとカーボンと差動リンクで、腰は守る。電池が切れても、その機能は残る」
「残る」
「動力は、足りない時の、上乗せだ。重い仕事の時、腕を上げる時、必要な時だけ、背中を押す。電池が死んでも、道具のままでいる。壊れても、現場に置き去りにはしない」
青山は、じっと村上を見ていた。遠山が、横から言った。
「青山。社長として言う。現場の声は、はっきりしてる。腰だけじゃ、足りないんだ。重い物も、天井も、お客さんは、もっと先を求めてる」
「分かっている」
「分かってるなら、迷うな」
「迷っているわけじゃない」
青山は、窓の外を見た。
「……怖いんだ」
二人が、黙った。
「道具は、壊れないことが全てだと思ってきた。動力を入れた瞬間に、それが崩れる気がする。現場の人間が、電池切れの機械に、裏切られる気がする」
村上が、静かに言った。
「だったら、裏切らない設計を、三人で作ればいい。現場に聞け、と教授も言っていた」
青山は、しばらく黙っていた。やがて、ゆっくりと頷いた。
「条件がある」
「言え」
「一つ。電池が空でも、PB-07並みに腰が助かること。二つ。雨と泥で、止まらないこと。三つ。重くならないこと」
「欲張りだな」
「それが、道具だ」
村上が笑った。遠山が、肩をすくめた。
「いつもの青山だ」
こうして、PB-12の構想が生まれた。PB-02の空気圧の力と、PB-07の複合材料の軽さ。二つの思想を一つの機体に同居させる。それが、次世代機の開発目標となった。
* * *
開発は、困難を極めた。
フレームが割れる。空気配管が破裂する。ゴム部品が劣化する。コンプレッサーが熱を持つ。バッテリーは重く、小さくすれば、すぐに切れる。試作機は、三十機を超えた。
中でも、最初に突きつけられた問題は、騒音だった。
「うるさいです」
試験導入した介護施設の職員が、申し訳なさそうに言った。
「掃除機みたいな音がします。利用者さんが、驚いてしまって」
報告を聞いて、遠山が頭を抱えた。
「静音化は必須だ。現場の音は許されても、介護の部屋の音は許されない」
村上は、研究室に泊まり込み、振動解析を繰り返した。ポンプの方式を変え、防振ゴムで浮かせ、それでも音は消えなかった。
三日目の夜、村上は、床に寝転んだまま呟いた。
「……常時回すから、うるさいんだ」
「どういうことだ」
通りかかった青山が、聞き返した。
「しゃがむ時と、持ち上げる時。腕を上げる時。人間が、本当に力を必要とする瞬間は、一日の中で、ほんの一部だ。その時だけ、回せばいい」
「必要な時だけ、仕事をする」
青山が、ふっと笑った。
「PB-02の差動リンクと、同じだな」
「そうだ。十年前の発想を、そのまま持ってきた」
村上は、起き上がって、ホワイトボードに図を描いた。腰の曲がり角を、機械式のスイッチで検知する。複雑な電子制御は入れない。曲がった時だけ、コンプレッサーが回り、蓄圧タンクへ空気を送る。
「センサーとCPUは、入れないのか」
青山が聞いた。
「最小限だ。機械式のスイッチと、単純な回路だけ。お前の嫌いな、壊れやすい部品は、なるべく増やさない」
「……それなら、いい」
腕部のユニットも、同じ発想で作り直した。上腕に沿わせた小さな空気圧アクチュエータが、腕を上げる動きに合わせて、そっと背中を押す。重くなってはならないため、一つ一つの部品を、グラム単位で削った。
「これ、いくらになる」
遠山が、見積書を見て青ざめた。
「炭素繊維と、小型ポンプと、バッテリーか。社長として言う。高くなりすぎたら、売れないぞ」
「だから、お前が考えてくれ」
「また、丸投げか」
遠山は、ため息をついて、仕入れ先との価格交渉へ向かった。この頃から、彼の仕事は、単なる営業ではなくなっていた。
* * *
試作が進むうちに、介護施設から、新しい声が届いた。
試験導入に協力してくれていた介護福祉士の女性が、遠山に電話をかけてきた。
「腕のアシスト、すごく楽です。ただ、一つだけ困ることがあって」
「何でしょう」
「人を抱えて、移動する時なんです。ベッドから車椅子へ、トイレへ。抱き上げて、数歩歩く。その間、腕が勝手に動くと、怖いんです」
遠山は、受話器を握り直した。
「腕が動く、というのは」
「アシストが効いて、腕が上がろうとするんです。荷物を持つ時は助かるのに、人を抱える時は、腕を動かしたくない。腕はしっかり固定して、体を支えたい。力を入れるのは、腰と足だけにしたいんです」
翌日、遠山は、その声をそのまま二人へ伝えた。
「腕を、固定したい、か」
村上が、図を描いた。
「空気を止めても、腕の関節が自由なままでは、支えにならない。電気で位置を保持するという手もあるが」
「駄目だ」
青山が、即座に言った。
「抱えている間、ずっと通電しているのか。電池が切れた瞬間に、腕が落ちる。人を抱えたままでだ」
「……そうなるな」
「介護は、人の命を抱える仕事だ。それを、電池に預けるわけにはいかない」
沈黙が落ちた。青山は、机の上を見回し、一つの工具を手に取った。古い、使い込まれたラチェットレンチだった。
「これだ」
「は?」
遠山が笑った。
「また、それか」
「ラチェットは、一方向にしか回らない。爪が噛み合えば、力をかけても戻らない。電気も、センサーもいらない。爪を外せば、自由になる」
青山は、レンチを回しながら言った。
「腕部の関節に、同じ機構を入れる。レバーを倒せば、爪が噛んで固定される。もう一度倒せば、外れる。それだけだ」
村上の目が、輝いた。
「固定すれば、腕は剛体になる。荷重は、腕からフレームを通って、腰部の支持機構へ流れる。腰の補助機構が、そのまま働く」
「そうだ。腕で支えるんじゃない。腕は、固定した棒になる。あとは、腰と足が、仕事をする」
「しかも、噛んだ爪は、電気がなくても外れない」
遠山が、ぽんと手を叩いた。
「完全に、機械だけで固定できるってことか」
「ああ。電池が切れても、爪は噛んだままだ」
試作は、一週間でできた。ラチェットの爪、ばねで押さえるロックピン、手袋をしたままでも倒せる大きなレバー。部品は、二十点にも満たなかった。
試験は、介護施設で行われた。あの女性が、五十キロの人形を抱え、ベッドから車椅子へ、数歩、移動する。腕のロックを掛け、腰を落とし、立ち上がる。
「……全然、違います」
女性が、驚いたように言った。
「腕が、ぶれないんです。重さが、腰と足にちゃんと乗る。抱えているのに、背中が全然痛くならない」
「バッテリーは、外してあります」
青山が言った。
女性は、目を丸くした。
「え。……電気、使ってないんですか」
「使っていません。ロックは、機械だけです」
女性は、笑って、涙ぐんだ。
「それなら、安心して使えます。命を預かる仕事ですから」
* * *
二〇一一年。ついに、試作三十七号機が完成した。
重量、六キロ。歴代最軽量。そして、PB-07以上の補助力を持ち、腰だけでなく、腕も助ける。
山根が試着した。六十七歳になっていた。
黙って、四十キロの鋼材を持ち上げる。さらに、持ち上げる。さらに、持ち上げる。次に、天井を模した足場の上へ、配管用の鋼管を掲げ、数分間、そのまま保持した。
十分後、機体を外した。誰も、口を開かなかった。
青山が、静かに言った。
「バッテリーを、抜いてください」
山根は、頷いて、装着し直した。電池のない状態で、もう一度、鋼材を持ち上げる。
「……腰は、助かるな」
「PB-07と、同じです」
「腕は、さすがに、上がらんが」
「それが、条件でした。電池が切れても、道具のままでいること」
「腕のロックは、どうなんだ」
「そちらも、電気は使いません。レバーを倒せば、機械式の爪が噛みます」
山根は、レバーを倒した。かちり、と小気味よい音がして、腕が固定される。そのまま鋼材を抱え、数歩、歩いた。
「……腕が動かん。それがいい。腰に、重みが素直に落ちる」
山根は、機体を見回した。そして、ゆっくりと言った。
「やっと、同じ土俵に立ったな」
「誰とだ」
遠山が聞くと、山根は笑った。
「人間だよ」
その意味が、全員に分かった。今までの機械は、補助具だった。だが、完成した試作機は、人間の身体に自然に溶け込んでいた。邪魔にならない。支配しない。必要な時だけ、力を貸す。
理想だった。
* * *
二〇一二年春。東京ビッグサイト。アシストダイナミクスは、過去最大の発表会を開催した。
PB-12。第三世代パワーアシストスーツ。受動機構を基本に、空気圧補助を加えたハイブリッド機である。後に、PBシリーズの完成形と呼ばれるモデルだった。
• 重量:4.5kg(バッテリー含む腰部本体)、腕部ユニットは片側約0.4kg
• 補助方式:複合ハイブリッド式
• 主構造:CFRP一体成形フレーム
• 受動機構:カーボンスプリング、高耐久ゴムバンド、差動リンク機構
• 空気圧補助:ネオジム磁石採用の超小型コンプレッサー、蓄圧タンク(腰部・腕部)
• 腕部ロック機構:機械式ラチェット方式、レバー操作、電源不要(固定時は腕が支持材となり、荷重を腰部の受動機構へ伝える)
• 電源:小型リチウムイオンバッテリー(交換式)、稼働12時間以上
• 腰部負担軽減率:最大70%
• 推奨作業重量:20〜60kg
• 価格:9万8000円
実演の最初に、青山は、会場にいた一人の男を壇上へ呼んだ。川崎港で出会った、あの配管工だった。
「お久しぶりです」
「おう、兄ちゃん。約束、守ってくれたな」
男は、PB-12を装着し、天井を模した足場へ、鋼管を持ち上げた。腕が、静かに上がる。会場の誰もが、その動きの自然さに、息を飲んだ。
「……腕が、軽い」
男が、笑った。
「何分でも、上げてられる」
会場が、どよめいた。続いて、青山が言った。
「次に、バッテリーを抜きます」
会場が、ざわついた。男が、ゆっくりとしゃがみ、鋼材を持ち上げる。腰は、助かっていた。腕のアシストは、止まっている。
「電池が切れても、腰は守ります。道具のままでいること。それが、私たちの条件でした」
静寂のあと、客席の後方から、拍手が起こった。山根だった。それは、やがて会場全体へ広がった。
続いて、もう一つの実演があった。
壇上へ上がったのは、介護施設で試験に協力した、あの介護福祉士の女性だった。足元には、五十五キロの介護用人形が横たえられている。
「今日は、バッテリーを入れていません」
女性は、マイクに向かってそう言った。会場が、ざわついた。
女性は、腕部のレバーを、かちりと倒した。腕が固定される。人形を抱き上げ、腰を落とし、立ち上がる。数歩、歩く。ベッドを模した台の上へ、そっと下ろす。
「腕は、動かしません。力は、腰と足だけ。電気は、いりません」
女性は、息も乱さずに言った。
「私たちは、毎日、人の命を抱えています。道具が途中で止まったら、怖い。でも、これは止まりません」
会場から、深いため息が漏れた。それは、感嘆のため息だった。
誰もが理解した。これは違う。建設業向けの機械ではない。農業向けの機械でもない。職人でも、介護士でも、農家でも、倉庫作業員でも、使える。安全靴、ヘルメット、作業手袋。それらと同じカテゴリーへ、到達したのだ、と。
* * *
発表会後。青山は、会場の隅で、PB-12を眺めていた。PB-02から十年。研究室の卒論から始まった機械が、ついに、ここまで来た。
遠山が、隣へ来た。
「満足か」
青山は、しばらく黙っていた。そして、珍しく笑った。
「少しだけな」
すると、後ろから村上が言った。
「次は、どうする」
青山は、即答した。
「全員に着せる」
二人は、吹き出した。だが、それは、冗談ではなかった。
PB-12の登場によって、パワーアシストスーツは、特殊な装備ではなくなる。誰もが着る時代。その入口へ、彼らは、ついに辿り着いたのである。
第四章 PB-17 普及の時代 編へ続く。




