5話:醜聞では、人は死にません
それから11日、私は自分の身体を検査器にして、家の食卓を解剖した。
やり方は、単純。
まず数日役張って摂らない。飲んだふり、食べたふり——そんな患者は前世で山ほど見てきた。逆をやるだけ。体内が綺麗になったら、一品ずつ、最小の量で試す。
同僚が鳴るのは、決まって「私の一皿目」。二皿目からは、何日続けても静かだった。経路の見立ては、当たっていた。
順調——と言いたいところだけれど、四日目の朝ひとつ冷や汗をかいた。
起き抜けの視界に、表示が残っていたのだ。
【肝臓——異物の代謝。軽微】
前夜の検証で口にしたのは、匙に半分。たったそれだけ。それが、朝になっても消えていなかった。
(……抜けるのが、遅い)
これは、まずい。
あの夜の暴食は、同じ晩のうちに何度も口にしただけ。抜ける間もないのだから、表示が残って当然だった。けれど、これは違う。一晩、眠ったのに。たった匙半分が、朝まで居座っている。
(蓄積するというのは、こういうこと。昨日の分が消える前に、今日の分が乗る。検証だからと油断して回数を重ねたら、塵も積もって——患者の出来上がり)
演じるつもりの病が、本物になりかける。背筋が、ひやりとした。
その朝から、検証の口数は半分に絞った。盛られていると知っていて口に運ぶのは、知らずに飲むよりずっと神経を使う。毒見役のお給金は、もっと上げるべきだと思う。
経路が割れてからは、毒の皿には口をつけたふりだけ。代わりに毎食、最初の一口を、舌の先にちょんと触れさせる。いつもの量なら、舌先の一滴は同僚の検知に届かない。つまり普段、この検査は鳴らない。
鳴らないことを確かめるための、検査。何かが変わった夜にだけ、鳴る警報。
*
週に二度の「経過観察」で、私はそれを軍医殿に報告した。
「検証結果よ。毒が混ざるのは料理そのものじゃなく、私の一皿目。配膳の最後の工程で、誰かの手が入ってる」
「配膳には何人立つのですか」
「配膳に関わるのは、日によって二人から四人。死にかけの令嬢が全員の手元を毎食見張るのは、不自然すぎる仕事よ。だから特定までは出来てない」
「なるほど。無理はしないでください」
彼が、手元の紙から顔を上げずに言った。
「あなたが見張りで疲れて足を滑らせれば、それこそ向こうの筋書き通りだ」
(……あら)
心配されている。それも、ずいぶん実務的な言い方で。
「ご忠告どうも。ああ、四日目の朝の件は記録しておいて。匙半分、一晩抜けなかった。——蓄積する毒よ。これは、覚えておいた方がいい」
彼は頷いて、几帳面な字で書き留めた。それから少しだけ、ペンを止めた。
「……では、急ぎますね。あなたの身体が、検証に耐えられる時間にも限りがある」
正確な男だ。慰めない代わりに、嘘もつかない。
「で、ここからが本題。軍医殿——私たち、このまま行くと負けるの」
ペンが、止まった。
「毒は防げてる。摂らない技術はあるし、同僚もいる。守りは完璧。だからこそ、負けるのよ」
「論理が見えません。説明を」
「私が健康なまま半年経ったら、どうなる? 敵は計画を畳むだけよ。診断書は『奇跡のご快癒』で上書きされて、誰の罪も問えない。証拠はずっと向こうの手の中。私はずっと、いつかまた予約される患者のまま。次は毒じゃないかもしれない。馬車の車軸かもしれない」
「……守り切るには、終わりがない」
「そう。だから——予定どおり、死んであげようと思って」
彼は3秒、黙った。正確な人だから、たぶん本当に3秒だった。
「衰弱を、演じると」
「ええ。毒は効いてます、計画は順調です、と信じさせる。顔色は作れる。食は人前で細らせる。脈だけはごまかせないけど——私の脈を取りに来る医者は、あなただけよ」
「...何故そこまで」
「死ぬ日取りを、私が決めるためよ。蓄積の毒で弱らせる計画なら、最後には必ず『仕上げ』が要る。心臓の病の死に方に合わせて、一押しで止める瞬間が。その晩を、こちらで指定するの」
「そんな都合よく指定なんてどうやって」
私は持参した包みを机に置いた。中身は、彼が伝手で借り出してくれた古い医学書。東方の症例集。
「これに、書き足してほしいの。私の病の『最終段階』を」
彼が本を開く。続きを促す顔。
「徴候はなんでもいいわ。例えば——末期には指先が黒く変じる、とか。ただし条件がひとつ。心臓の病では、絶対に出ない症状にすること」
数秒の沈黙。それから彼は、ゆっくりと瞬きをした。気づいた顔だった。
「……その症状が、出てしまえば」
「そう。誰が見ても『心臓の病ではなかった』ことになる。診断書が崩れて、何の病だったのかという話になって、検死だの再調査だのが始まる。——連中は、それだけは困る」
「だから、その段階に至る前に。仕上げを急ぐ」
「ご名答。私は順調に衰弱して、死を悟った哀れな令嬢らしく自分の病を調べて、その頁に栞まで挟んであげる。家の中の目は、必ずあれを読む。読んで、雇い主に報せる。『お嬢様の病には最終段階がございます。指先が黒くなる前に』——はい、締切の出来上がり」
彼は医学書の頁を一枚、二枚めくり、本を閉じて静かに言った。
「……不謹慎を承知で、言いますが」
「何かしら」
「見事だ」
直球だった。社交辞令の混ざりようのない、診断と同じ声。世辞なら聞き慣れている。でも、この人の言葉には、いつも裏地がない。表が、そのまま全部なのだ。
不覚にも、返事まで少し間が空いた。
……顔が、熱い。役作りで仕込んだ青の下が、台無しになっていないといいけれど。
「……ど、うも。では、細部を詰めるわよ」
「その前に、一点。修正の要求があります」
彼は本の上に手を置いた。
「仕上げの晩、あなたは一人で受けるつもりでいる。顔に書いてある。却下です。私を屋敷に入れる算段も、計画に含めてください」
「……あら、未婚の令嬢の部屋に? 醜聞になるわよ」
「醜聞では、人は死にません」
即答だった。
(——この男、たまに、ものすごく正しいことを言う)
(それも、私の心配だけで、自分の立場はまるきり勘定に入れていない顔で)
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