2話:丁寧すぎる手紙
屋敷に着く頃には、母も知っていた。悪い報せは、早馬より足が速い。
「セレナ……!」
玄関広間で抱きしめられる。
「お母様、苦しい」
「ごめんなさい、ごめんなさいね……どこも痛くない? 痛いところはない?」
「健康そのものよ」
事実を言ったのに、母はもっと泣いた。
*
その夜の食卓は、葬式の予行演習みたいだった。
母は私の皿にばかり料理を取り分けて、自分はほとんど手をつけない。父は父で、帰宅してから一度も椅子に深く座らない。背筋を伸ばしたまま何かを考え込んでいる。
最初に口を開いたのは、母だった。
「あのね、セレナ。お母様、いい先生を見つけたの」
「まあ。どんな方?」
「南の港町にね、どんな病でも治すお薬を売っている方がいらして。月の雫から採れる、それはそれは貴重なお薬なんですって」
(月の雫)
(月から、雫は、採れないわね)
「お高いの?」
「ふふ、心配いらないわ。前金は半分でいいって、親切な方なのよ。残りはお薬が効いてからで構わないって」
(前金が半分。効いてからは、来ない。効く前に、売り手が消えるから)
前世で、山ほど見た手口だった。死病の宣告を受けた患者の家族は、藁よりも細いものに縋る。その手の震えを商売にする連中が、どの時代にもいる。月の雫だろうと、聖水だろうと、名前を変えて。
「お母様。その方、お薬の名前は教えてくださった?」
「ええと……万能の、霊薬、と」
「効能を訊いたら、なんて?」
「あらゆる病に効く、と。まあ、頼もしいこと」
「あらゆる病に効くお薬は、どの病にも効かないのよ、お母様」
母がきょとんとした。
「だって、熱を下げる薬で骨は継げないでしょう。腹下しの薬で、目はよく見えるようにならない。何にでも効くと言う人は、何が効くのかを知らない人なの」
「……まあ」
母が、両手で口を覆った。感心と落胆が、半分ずつ。
「お母様、危うく。あの親切な方に、前金を」
「払う前で良かったわ」
「セレナはなんて賢いの……!」
賢いというか、前世で詐欺の被害届を山ほど書いただけよ。患者を救えなかった夜より、救える患者を詐欺に持っていかれた夜の方が、ずっと眠れなかったわ。
と、ここまでは良かったのだけれど。
「——ならば」
ずっと黙っていた父が、ここで口を開いた。
「迷信や得体の知れぬ薬は、論外だ。やはり、確かな腕の者を呼ぶしかない」
(あら、お父様も同じ穴かしら)
「王都にロンベルク医師という名医がいる。診察料は目の玉が飛び出るが、構わん。明日にも使いを出す」
「お父様。そのロンベルク先生って、どこからお聞きになったの?」
「……社交界で評判だ。難しい病ほど、あの医師が呼ばれると」
(難しい病ほど呼ばれて、難しい病ほど、治らずに看取る先生ね)
高名な医者というのは、二種類いる。本当に腕がいい人と、立派な死を演出するのが上手い人。後者は、治せなくても評判が下がらない。「あのロンベルク先生でも駄目だったのだから」で、全部きれいに終わるから。
「お父様。その先生、治った患者のお話と、看取った患者のお話、どちらをよく聞くかしら」
父が、黙った。
「……看取りの、話だ。荘厳な最期だった、と」
「では、やめておきましょう。私、まだ看取られる予定はないの」
父の眉が、ぐっと寄った。怒っているのではない。言い負かされて、行き場をなくした手を握ったり開いたりしている。娘のために何かしたくて、その何もかもが、娘自身に却下されていく顔だった。
(……お父様は、本当に、どうしようもないわね)
(迷信は却下できるのに、見栄えのいい嘘は見抜けない。お母様と方向が違うだけで、同じところに突っ込んでいくんだから)
「お父様」
私は、できるだけ穏やかに言った。
「お医者様のことは、私に決めさせて。これでも、身体のことには明るいの」
「……セレナ。お前は、自分の病だぞ」
「だからよ。自分の身体のことを、一番真剣に考えられるのは、私でしょう」
父は何か言いかけて、やめた。代わりに、一度だけ深く頷いた。
その頷きが、今日この人が見せた中で、いちばん父親らしかった。
*
食事が終わる頃、私は二人を眺めていた。
月の雫に飛びつく母と、荘厳な看取りに財布を開きかける父。二人とも、私を生かすために、全力で間違った方向へ走っている。
(この二人に、半年がかりの企みは無理ね)
(先週、私への誕生日プレゼントの隠し場所を自分で忘れていたお母様よ。お父様は、不敬を承知で侍医に楯突こうとして、その舌の根も乾かぬうちに、別の藪医者に頭を下げようとする人。——企むには、二人ともまっすぐすぎる)
疑って、悪かったと思う。けれど、疑わないわけにはいかなかった。私が消えれば、従妹のリディが侯爵家に繰り上がる。動機の地図の上では、この家もちゃんと容疑の枠に入っているのだから。
地図から、両親の名前をそっと消した。
残りの容疑者を、これから埋めていく。
*
その書状が届いたのは、夕食の片付けも済まぬうちだった。
執事が銀盆に載せてきた封筒。公爵家の、見事な封蝋。
父が開いて、読んで、何も言わずに私へ寄越した。要約すると、こうだ。
——ご令嬢のご容態を思えば、婚約の継続は却ってご負担となろう。両家の友誼に鑑み、白紙とさせていただきたい。
文面は丁寧で、思いやりに満ちていて、署名の上にはインクの染みひとつない。
診断が出たのは、今日の昼。いまは夜。
半日で、当主の決裁と清書と封蝋まで終わる家が、あるかしら。
慌てて書いた手紙は、誠意があっても粗が出る。用意のいい手紙は、丁寧であるほど——準備の長さが透ける。
見つけた。
私の死で儲かる人、第一号。
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