11話:その目を、大切になさい
裁きの日はよく晴れていた。
王宮の大広間に関わった者が集められた。診断書を書いた侍医モルガン。毒を手配した公爵家の家令。そして、神妙な顔で末席に控えるユリアン様。
裁く側の壇上には、王の名代がいた。
その隣に見慣れない椅子がひとつ。
通常の裁定にはない席だ。そこに座っているのは、白髪の老人だった。ガラント侯。先の戦で国を救い、いまは私財を投じて施療院を建てる、知らぬ者のない英雄だ。
(こういう席にお招きの枠が新しく設けられるなんて珍しいこと)
とはいえ医の不正は王国の屋台骨に関わる話だから英雄を立会人に、というのも筋は通る。私はそれ以上は考えなかった。今日の関心は壇上の老人ではなく、その下で青ざめている男たちにある。
*
裁定は淡々と進んだ。
モルガンは医師の資格と王宮の職を失った。「このモルガンの診立てに誤りはない」と繰り返していた白髭は、偽りの診断を一枚突きつけられると急に何も言わなくなった。虚勢は底が割れると早い。
家令は毒の手配と教唆を認めた。保身のためか、洗いざらい喋った。公爵家は家を守るため、すべての筋書きを「ユリアンの暴走」へ書き換えていた。
そして、ユリアン様の番が来た。
「ユリアン・ド・ロックフォードを廃嫡とする」
王の名代の声が広間に響いた。
「以後、北方領の管理を命じ、王都への帰還を生涯認めない」
「お、お待ちください、私は……私はただ、家の者の勧めに従っただけで——」
ユリアン様は最後まで言い訳を探していた。
けれど、隣に立つ公爵が——実の父が、一度も息子の方を見なかった。それが答えだった。
退出の際、ユリアン様はすれ違いざまに私を見た。恨めしさとも、ただの怒りともつかぬ目だった。
「……君さえ、あんな診断を信じなければ。君がもっと素直に病人らしくしていれば、こんなことには」
「あら。それは違うわ、ユリアン様」
私は、穏やかに返した。
「病人らしく死んでいたらこうなっていたの。あなたの誤算は私が健康だったことじゃない。私を死ぬと決めてかかったことよ」
ユリアン様は、何か言いそうに口を開いて、そのまま、何も言わずに連れていかれた。
婚約者を用済みにしようとした男が、今度は実家から用済みにされる。
(処方として、よく効いたこと)
胸がすく思いは確かにあった。あったけれど、長くは続かなかった。あの人は結局、誰かの描いた絵のなかで踊らされた、小さな駒に過ぎないのだから。
*
裁定が一区切りつくと、王の名代がこちらへ向き直った。
「此度の不正を暴いたるは、アルディス侯爵令嬢セレナ、ならびに軍医ギデオンの働きによる」
名を呼ばれて、私たちは前へ出た。
「侯爵令嬢には追って王より労いの品を遣わす。軍医については——ガラント侯より、お言葉を賜る」
英雄が、ゆっくりと立ち上がった。
広間の空気が自然とその人へ集まる。人に見られ敬われることに慣れた、けれどそれを鼻にかけない、穏やかな佇まいだった。
「軍医ギデオン」
「は」
「そなたの目は、王宮の誰もが見落としたものを見た。出世も忘れ、ただ一人の患者のために動いた。その目を王都の片隅に埋もれさせるのは惜しい」
英雄は穏やかに微笑んだ。
「勅任をもって、そなたを巡察医に任ずる。王命を帯び、いずこへも赴き、いずこの医をも検める職だ」
広間がどよめいた。
勅任巡察医。聞いたことのない役職だった。それもそのはず、たった今この人のために新しく作られたのだから。英雄が一言そう望めば、役職のひとつくらい王国は易々と生み出す。
ギデオンが深く頭を下げた。
「身に余る光栄に存じます。——ですが、ひとつだけ申し上げます」
「申してみよ」
「私の目は、相手が誰であろうと、不正があれば、それを不正と見ます。たとえ高きにある者でも」
不器用な、けれどまっすぐな忠誠の言葉だった。本人は職務への覚悟を述べたつもりなのだろう。
英雄、気を悪くするどころか、いっそう満足げに頷いた。
「よい目だ。そういう目こそ、いまの王国に要る。——どうだね、ギデオン。これからは、私とともにこの国の医を正していかぬか。膿は、まだ方々に残っている」
「光栄に存じます」
誤診を聞き流せず眠れなかった不器用な男が国を救った英雄に見込まれ、ともに膿を出そうと誘われている。これ以上ない、立身の光景だった。私も素直によかったと思った。
英雄の視線が、私にも向いた。
「アルディス侯爵令嬢」
「はい」
「そなたの聡明さは聞き及んでいる。よくぞ生き延びた。——人の死には、定められた形がある。そなたは己の力で、それを覆してみせた。見事なことだ」
「もったいないお言葉です」
私は頭を下げた。慈愛に満ちた、完璧な労いだった。それ以上でも、それ以下でもない。
*
任官の余韻が残る帰り道、馬車に揺られながら、私はふと気づいた。
ギデオンはこれから王命を帯びて、いずこへも赴く身になった。もう、この屋敷に来る理由はない。毒の検証も、危篤の芝居も、とうに終わっている。週に二度の往診も、今日でおしまい。
考えてみれば当たり前のことだった。事件が終われば、医者は去る。患者のもとにいつまでもいる医者はいない。
なのに。
(……あら?)
胸の奥が妙に落ち着かない。
毒の経路を解き、診断書の嘘を暴き、小物の企てを破綻させた、この私が。脈はいつだって正確に読めるのに——自分の心拍だけが、どうしてかうまく診断できないのだった。
*
裁きが終わると、私が生きていることはたちまち王都じゅうに知れ渡った。
社交界は「奇跡のご快癒」で持ちきりだという。神のご加護、不屈の祈り、侯爵家の篤い看護の賜物——尾ひれは好きに付けばいい。最初から健康だっただけなのだけれど。
ともあれ、これで私は晴れて生者に戻った。
毒見の要らない食事も、人前で齧る焼き菓子も、堂々と楽しめる身分に。
悪い人たちが裁かれて、私は生き返った。
いい日だ。それで、十分なはずだった。
——あの不器用な軍医の往診が、今日で最後だと気づくまでは。
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