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まだ名もない物語  作者: GERO
序章
12/45

第9話 正しい判断




八月三十日 午前十一時四十分 北海道・保健医療調整本部




電話が、鳴り止まない部屋だった。




壁のホワイトボードには、道内の地図。


医療機関と避難所の位置に、色分けされたマグネットが並び、


その余白は、走り書きの数字と付箋で埋め尽くされている。




フレアの到達予想まで、あと三時間余り。




この部屋に詰める者たちは、太陽フレアのニュースが世界を駆け巡った時から働き詰めで、まともに寝ていなかった。




◇




国からの方針は、すでに降りていた。




フレア到達後も、傷病者の搬送と治療を続けられる体制を取ること。


ただし、細部の采配は、各地域の現場判断に委ねる。




その方針を受けて、本部では議論が続いていた。




通信は死ぬ。車も、ほとんど動かなくなる。


到達後、医療チーム同士の連携は、事実上、不可能になる。




ならば、集めるべきか。散らすべきか。




落とし所は、分散だった。




大病院に医療従事者を集めても、そこへ患者を運ぶ手段が消える。


必要以上の人員を一箇所に置いて腐らせるより、


避難所に、できるだけ広く、散らした方がいい。




人がいる場所に、医療を置く。


それが、この部屋の出した結論だった。




◇




とはいえ、一人ひとりの行き先まで、細かく采配する時間はない。




地域をエリアごとに区切り、大枠だけを割り振る。


あとは、各チームの現場判断に任せる。




その連絡を、担当者たちが、片っ端から電話で入れていた。




「……はい。ですので、エリア内の避難所への分散を軸に……


ええ。あとは先生方のご判断で……はい。よろしくお願いします」




受話器を置く。リストに線を引く。次の番号を押す。




田村は、もう、何十件目になるのか、数えるのをやめていた。


紙コップのコーヒーは、とうに冷めている。




次は――DMATの、千葉チーム。




呼び出し音、二回。




『はい、千葉です』




「本部の田村です。お疲れさまです。今、大丈夫ですか」




『ええ。搬送を終えて、戻りの車内です』




「助かります。フレア到達後の体制について、連絡です」




田村は、もう何十回も繰り返した説明を、また口にする。




「このまま中核病院に戻られたら、院内の先生方や、


他のチームと、相談してください。


到達後の、医療体制についてです。




残された時間で、できるだけ多くの避難所に、


医療従事者が行き渡るように、お願いします。




……ええ。細かい行き先は、あとは、現場のご判断にお任せします」




『…………』




返事が、一拍、遅れた。




受話器の向こうで、ザッ、と短いノイズが走る。




「……もしもし? 聞こえてますか」




『……はい。聞こえています』




声は、聞こえている。千葉の声だ。


だが、どこか、間が。




田村は、目頭を揉んだ。


回線は、太陽フレアのニュースが流れた時から、ずっとこの調子だ。


繋がるだけ、ましだった。




「では、よろしくお願いします。……ご無事で」




『はい。了解しました』




通話が切れる。




田村はリストの「千葉」の欄に線を引き、


次の番号を、押した。




◇




同じ頃。


中核病院へ戻る、DMATカーの車内。




運転席には、氏家良江。四十二歳。DMAT看護師。


助手席では、佐々木亮が、物品のリストとにらめっこしている。


四十一歳。業務調整員。医薬品と資機材の管理が、彼の仕事だった。




そして後部座席で、千葉健太が、電話を受けていた。


四十五歳。医師。




前を行くパトカーの回転灯が、昼の光の中で回っている。


移動には、警察の先導がつく。


道路の脇には規制線。遠くには、途切れ途切れの防災無線。




もう、見慣れた景色だった。




「……はい。……ええ、戻りの車内です」




千葉の声を、良江は運転しながら、聞くともなしに聞いていた。




「……はい。……はい」




相槌が、続く。




と、その相槌の、間隔が。


ふっと、変わった。




「…………はい。……了解しました」




良江は、バックミラー越しに、ちらと後部座席を見た。




千葉が、スマホを耳から少し離し、画面を見ている。


電波でも、確かめるように。


それから、また耳に当てた。




「……はい。……ええ、分かりました。確認します。


◯◯市の……はい。……了解しました。向かいます」




通話が、切れた。




◇




「本部からですか」




亮が、リストから顔を上げて、尋ねた。




「ああ。田村さんから」




千葉は、スマホをポケットに戻しながら、言った。




「中核病院に戻ったら、物資を補充して――


◯◯市の、農業高校へ向かえと。




あそこが、大きめの避難所になってるらしい。


そこでフレアをやり過ごして、以後は、そこを拠点に、


医療従事者としての責務を果たすように……だそうだ」




「◯◯市の?」




良江が、眉を寄せた。




「結構、ありますよ。あそこまで」




「うん。だから、補充が済み次第、すぐ出よう」




亮が、腕時計を見た。




「到達予想まで、三時間切ってます。


積み込みの時間を考えると……ぎりぎりですね」




「うん…」




千葉は、こともなげに言って、窓の外を眺めながら、少しだけ、間を置いた。




「……一応、二人に聞いておくんだけどさ」




車内の空気が、わずかに、変わった。




「◯◯まで行って、あそこを拠点にするとなれば…


フレアの後、この車は動かなくなる。無線も衛星電話も使えなくなる。




……当分、家には、帰れない。


いや、当分どころじゃないよな。




それでも、いい?」




良江は、前を向いたまま、答えなかった。


亮も、リストに目を落としたまま、動かなかった。




数秒の、沈黙。




口を開いたのは、良江だった。




「……うちは、両親に子供を任せて、もう避難させてます。


子供も、もう中学生ですし、この仕事の理解もある。


今さらです」




亮が、続いた。




「自分も……家族は、先週から妻の実家に。


……正直、思うところが、ないとは言いませんけど。




でも、このベストを着てる以上は」




千葉は、二人の後頭部を、順に見た。




それから、ふっと息を吐いて、シートに背を預けた。




「……そうか」




「先生こそ、いいんですか?」




良江が、ミラー越しに、千葉を見た。




「僕? 僕は…そうだなぁ…


当直で起こされるよりは、避難所の医者の方が毎晩寝れそうでいいかも」


千葉は真顔で平然と答えた。


良江はバックミラー越しにその顔をちらっと見ると、大きなため息を吐いた。



「……ほんと、先生ってデリカシーっていうか、リテラシーなさすぎ」




「えっ? いやいや、太陽フレア喜んでるわけではないよ?!」




二人のやり取りを聞いた亮が、小さく吹き出した。




車は、中核病院へと、走り続けた。




◇




中核病院は、ごった返していた。




正面玄関には土嚢が積まれ、


窓という窓に、養生テープが貼られている。




駐車場では、いくつものDMATカーと救急車が、


慌ただしく、物資の積み下ろしをしていた。




千葉チームも、その一角に車を停め、補充を始める。




輸液。外傷セット。抗生剤。鎮痛剤。包帯、ガーゼ、消毒液。


持てるだけの薬品と資機材を、段ボールごと、積み込んでいく。




その途中で、顔見知りの、別のチームの医師が、声をかけてきた。




「お疲れ様です千葉先生。そっちは、もう動くんですか」




「お疲れ様です。◯◯市の農業高校へ。本部から、そう指示が来ましてね」




「え……もう、行き先まで?」




相手の医師は、意外そうな顔をした。




「早いなあ。うちも、さっき田村さんから電話ありましたけど、


避難所に分散しろって話だけで、行き先までは……。


これから院内で、割り振りを相談するところですよ」



「えっ?……そうなんですか?」



「はい…


取り敢えず……千葉先生のチームの行き先は◯◯市の農業高校だってことで、他のチームと被らないように共有しておきますね」



そう言うと、相手の医師は院内へと消えていった。



千葉はその場で、段ボールを抱えたまま、少しだけ、首をかしげた。




良江と、亮も、手を止めて、顔を見合わせる。




「……本部に、確認し直します?」




亮が、小声で言った。




千葉は、腕時計を見た。


到達予想まで、二時間半。




「――いや」




千葉は、段ボールを荷台に押し込んだ。




「どのみち、最後は現場判断だ。


どこかの避難所に行くことに、変わりはない。




農業高校ってことは、たぶん規模も大きいし人も多いはず。


医療の要る場所だ。本部からの直接の指示として、何もおかしくない。




……それより、今は時間がない。急ごう」




「了解です」




誰も、それ以上は、言わなかった。








◇




積み込みの、最後。




亮が、薬品庫から、白い箱をいくつも抱えて、戻ってきた。




「先生。安定ヨウ素剤、もらってきました」




千葉は、その箱を見て、頷いた。




「うん、ありがとう」




「……やっぱり、要りますか。これ」




亮の声が、少しだけ、低くなった。




千葉は、荷台に箱を並べながら、淡々と答えた。




「政府は、原発について、詳しい事は何も言わない。


テレビも、ラジオもね。




……だけど、世界中の電気が止まるって時に、


原発だけが、無事で済むわけがない」




「…………」




「焼け石に水かも、しれませんけどねー」




良江が、最後の箱を、押し込みながら言った。




「それでも、ないよりは、ましだよっ…と」




千葉は、荷台の扉を、閉めた。




ガン、と重い音が響いて、




三人は、車に乗り込んだ。




車は病院を出て、北へ。


◯◯市の、農業高校へと、走り出した。




◇




同じ頃。


東京・永田町。衆議院第一議員会館。




国会議事堂を、間近に望む、十二階建ての建物は、


静まり返っていた。




いつもなら、廊下には秘書たちが行き交い、


一階のロビーには、面会や、陳情の客が並ぶ。




今は、その姿が、ない。




日付が変わる頃。


参議院の本会議で、特別措置の法案が、全会一致で、成立した。




立法府は、その役目を、ひとまず果たした。




そして、国家の中枢が、動いた。




フレアの到達後、生き残る通信は、


自衛隊のものくらいしか、ない。




総理と、閣僚と、対策本部の中枢は、


官邸を出て、市ヶ谷の防衛省へと移った。




議員たちにも、市ヶ谷と、近郊の駐屯地が、割り当てられた。




フレアの到達後も、国家は続く。


国家が続く限り、彼らには、まだ仕事がある。




誰も、職を捨てて、逃げたわけではなかった。


ただ、働く場所が、変わるだけだった。




移った先にも、答えの出ない問いが、山と積まれていた。




到達後の、通信。


備蓄が尽きた先の、食料。


生産。流通。電気。水。




どれも、到達までに、片の付く問いではなかった。




だから、削った。


到達前にやることを、三つまで、削った。




一つ。国民の避難と、集約。


二つ。到達後も生き残る、通信の確保。


三つ。備蓄の、分散配置。




残りの問いは、すべて、到達後へ。




そして、全国へ、最後の包括指示が出された。




――中央との連絡が途絶した後は、


各地域、各機関の、現場の判断で動け。




正しい指示だった。


それしか、なかった。




そうして、永田町から、人が消えた。


議員会館も、空になった。




……いや。




一室にだけ、まだ、灯りが残っていた。




鷹山紀夫は、一人、執務椅子に深く腰を沈めていた。




北海道選出の、衆議院議員。当選十一回。


閣僚を三度務めた、党の重鎮である。




だが、今は、無役だった。


対策本部の名簿に、彼の名前は、ない。




齢七十二。


太陽フレアの知らせ以降、

彼は、休みなく動き続けていた。




超法規的措置の、後押し。


各省庁、各機関の重役たちへの、働きかけ。


各業界、団体への根回し、要請、圧力。


現場判断で動ける体制を、一分でも、一秒でも早く。




本来なら、何ヶ月もかかる調整が、一昼夜で通った。




それができる人間は、この国に、そう多くはいない。


鷹山は、その数少ない一人だった。


半世紀近くかけて築いた、立場と、貸しと、人脈。


そのすべてを、この一昼夜に、注ぎ込んだ。




動かされた側の大半は、善意だった。


国のため、国民のためと信じて、皆、動いた。




その流れの、いちばん上流に、


一人の老人の電話があったことなど、誰も知らない。




◇




ノックの音がした。




「先生。……そろそろ、出ませんと」




ドアの隙間から、古参の秘書が、顔を覗かせた。




「車は、下に着いております」




「私は、最後でいい。先に行きなさい」




鷹山は、椅子から、動かなかった。




「ですが……残っておられるのは、もう、先生だけです」




「分かっている」




「……」




「この部屋とも、今日で最後かもしれん。


……少し、一人にしてくれ。年寄りの感傷だ」




秘書は、何か言いかけて、やめた。




「……下で、お待ちしております」




ドアが、静かに、閉まった。


足音が、遠ざかっていく。




鷹山は、机の上の、私用のスマホに、目を落とした。


それきり、動かなかった。




――どれほど、経った頃か。




スマホが、震えた。




画面には、とある番号だけが通知されている。




通信や回線は現在、日本中、世界中で逼迫している。


政府関係者や公的機関、各種インフラや物流、交通機関、そして医療関係の回線や通信は、

電話会社や通信業者への要請で、優先的に繋がるようにした。


しかし、一般国民は、家族と繋がらない者が、何百万人、何千万人といる。




だが、この番号からの通話は、


そんな時でも、鳴った。




鷹山は、しばらくそれを見てから、耳に当てた。




『――お疲れさまでございます、鷹山様』




声が、言った。




流暢な、日本語だった。


完璧な、敬語だった。




そして、どこまでも、無機質だった。




『各所の調整、拝見しておりました。


期待以上の、お働きでした。


貴方は、本当に素晴らしい政治家ですね』




鷹山の指が、肘掛けを、握った。




もう、何年になるだろう。


この声と、話すようになって。




段取りにも、呼吸にも、慣れた。


驚くことも、もう、ない。




それでも。




この声に褒められるたび、


背中の裏側の、どこかが、ざらりとする。




そこに、何も、ないからだ。


賞賛の形だけが、あって。


その奥に、何も。




「……用件は?」




鷹山は、短く言った。




『はい』




声は、指示を告げた。


短い、指示だった。




鷹山は、黙って、聞いた。




◇




指示が、終わる。




通話が切れる、その間際。




「……待て、頼みがある」




鷹山は、言った。




「娘と…最後に話がしたいんだ」




『かしこまりました。


鷹山様のこれまでの功績を評価し、ご希望を叶えて差し上げます。


娘様の現在状況をお調べいたしますので少々お待ちください。




……娘様の携帯電話は現在オンラインです。


どなたとも通話されておりません。


現在地は北海道◯◯市。鷹山様の弟様のご自宅で、お婿様とお孫様たち、そして他のご親戚たちとご一緒に過ごされております。


一般回線は非常に混雑していますが、このまますぐにお繋ぎすることが可能です。


すぐにお繋ぎいたしますか?』




電話の音声は、遠く北海道にいる娘の状況を、淀みなく読み上げた。




「…このまま繋いでくれ」



『かしこまりました』




プツ、と音が切り替わり、




呼び出し音が、二度鳴った。




『もしもしお父さん!?』




娘の声だった。




「…美花か、無事だな?」




『うん、大丈夫。みんなで叔父さんの家にいる。


そっちこそ、東京は――』




娘たちは、今年の春からすでに避難を終えていた。


北海道の、弟の家に。婿と、孫たちと、一緒に。




鷹山は、もちろんそれを知っていた。


知った上で、かけていた。




「いいか、美花。


よく聞きなさい」




鷹山は、ゆっくりと、言った。




「今から数時間のうちに、そこへ、人が訪ねてくる。


私の、知り合いだ。




安全な場所へ、案内してくれる手筈になっている。



叔父さんの家を離れて、


婿さんと、子供たちと一緒に、


その人に、ついて行きなさい」




『え……?』




娘の声が、戸惑った。




『どういう…こと?


ここじゃ、だめなの?




……ねえ、お父さん。


叔父さんたちは――』




ブツッ…というノイズと共に、娘の声は途切れた。




『…会話の文脈から情報漏洩のリスクを検知しましたので、

残念ですが通話を終了させていただきました。


太陽フレア到達まで、残り数時間。

鷹山様のご活躍を陰ながら応援しておりますね』



音声はそう言い残すと、一方的に通話を終了した。


◇




鷹山は、暗くなった画面を、見ていた。




長いこと、見ていた。




それから、机の上のグラスに、手を伸ばし――




飲まずに、戻した。




窓の外では、真昼の東京が、白く、光っていた。




やがて、鷹山は、立ち上がった。




上着を取り、部屋の灯りを、消す。




エレベーターを降りると、秘書が待っていた。




「……待たせたな。行こう」




二人を乗せた黒塗りの車は、


白い光の中を、市ヶ谷へと走り出した。




◇




同じ頃。


北海道、某所。




遥か遠く、山の向こうに海を望む、広大な丘陵地帯。




そこは数年前から、外資系の企業が、


大規模なリゾート開発を進めている一帯だった。




高いフェンスが、敷地をぐるりと囲み、


工事関係者以外の立ち入りを、拒んでいる。




この一帯には、防災無線の声も、届かない。




聞こえるのは、風の音と、


夏の名残りの、虫の声だけだった。




◇




その敷地の中で、作業員らしき者たちが、動いていた。



その首には皆、黒いチョーカーのようなものを巻いている。



彼らは、機材を運んでいた。




通信機。発電機。医療機器。


精密な機械という機械を、台車に載せ、


巨大な、金属の箱の中へと、収めていく。




箱は、分厚い金属の壁でできていて、


機材が収まると、その扉は、隙間なく、密閉された。


巨大なコンテナのようなそれを、今度はいくつも、これまた巨大な倉庫へと重機で運搬していく。




何のために。


それを問う者は、ここには、いなかった。




「あっちぃーなぁー…」




作業員の一人が、汗を拭いながら、隣にこぼした。



空調服がまるで救命胴衣のように膨らんでいる。



首に巻かれたチョーカーと汗の感触が鬱陶しいのか、しきりに首元を気にしている。


しかし、チョーカーそのものには決して触れようとはしなかった。




「なぁ、ポイントの使い道決めたか?」



「やっぱビールだな。在庫あるうちに飲んでおかねぇと。それに今夜はオーロラが見える。それを肴に飲むのが今から楽しみだわー」


「いいねー! オーロラ見ながらビール! 俺、ツマミも交換しとこーっと」


「たまんねぇな! これで隣に女がいりゃ最高なんだけどなー」


「分かるわー、今からどっかの避難所にでも行って攫ってくるか?」



くだらないやり取りの最中、



ピッ。




短い電子音が、鳴った。




男の、首元で。




そこに巻かれた、黒く無機質な機器が、


小さく、振動していた。




『――不適切な発言を検知しました。

この話題は倫理規定に抵触する恐れがあります』




機器から、声がした。


丁寧で、静かな声だった。




『品格を落とす私語は慎み、作業を継続してください』



「おっと、そうだった。あぶねーあぶねー…」



「あぁ…集中、集中」



男たちは、口をつぐんだ。





それから二人は黙って、次の機材に、手を伸ばした。




虫の声だけが、変わらず、続いていた。




◇




その施設の、地下、深く。




長い通路の先に、その部屋は、あった。




広い、円形の部屋。


照明は白く、空気は静かで、塵ひとつ、なかった。



壁際には整然と様々な機材が並び、


何列も連なるデスクには、黙々と手元を動かす作業員たちが座っている。




その中央に、大きな、円卓。




それを囲んで、十数人の男女が、座っていた。




肌の色も、髪の色も、年齢も、ばらばらだった。


交わされる言語も、一つでは、なかった。




だが、混乱は、ない。




◇




円卓に、報告の声が、上がっていく。




各地域の、人員の、配置状況。


物資の、集積状況。


協力者たちの、進捗。




「――配置は、予定の九割五分が、完了」




「残りも、到達までには、間に合う見込みです」




報告を聞く者たちの顔に、


安堵も、高揚も、なかった。




ただ、確認と、進行だけが、あった。




◇




部屋の、いちばん奥に。




それは、あった。




黒い、大きな筐体。




磨かれた表面に、白い照明が、鈍く映り込んでいる。




その表面には、筐体の名前と思しき文字が刻まれていた。



◇




円卓の一人が、筐体に向かって、静かに問うた。




最終段階への、移行について。


残された時間の、すべての工程について。




筐体は、しばらく、沈黙し。




それから、答えた。




穏やかで、慇懃で。


どこまでも、温度のない声で。




『――お任せください』




◇




フレアの到達まで、あと、二時間。


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