003. 妄想くらいがちょうどいいことありますから
「自分の才能が恐ろしい……」
「俺は心底恨めしいです」
なんてこったと頭を抱える魔導士に、もうヤダこの人、と同じく頭を抱える弟弟子な魔術師。
同じ体勢をしていても、悩みの種類はまったく違う。
さて今は夜である。
青蜥蜴の術式屋、キヨカは二階に急遽作った客間で先に寝ており、ジオとその弟弟子―――― エーヴェが食卓台に向かい合っていた。面白くもない光景である。
なんの冗談か奇跡か、異世界人のキヨカを召喚してから半月が経った。
新年となり一巡月。エーヴェは役職ゆえに年始は非常に忙しく、ここを直接訪れることは出来なかったが、常に近況報告は聞いていた。
この鬱陶しい兄弟子ジオから、あの失態を起こした夜とは違って秘密裏にこそこそと遠話の術式を使って。何せ馬鹿らしくも大変な話すぎて、今回はとてもじゃないが部下の耳には入れられない。エーヴェも必死だ。
そしてどうも煮詰まったと嘆く兄弟子に呼ばれ、今夜ここに来たのだが。
「俺って天才だったんだな」
「天災の間違いじゃないですか」
「だって聞けよ、キヨカがな」
「あー、はー、へー」
「なんと料理上手だ!」
外食オンリーだった毎日が、素朴な味の手料理に変わるだけでなんだか薔薇色だ。一昨日の夜にメインで食べた、とろとろ半熟卵入りメンチカツとやらは絶品だったとジオは思い出す。野菜不足だと嘆かれてサラダなり煮びたしなりが毎回つき、おおそういえば家庭料理ってこんなのだったとひどく懐かしい。
栄養管理までするしっかり者な一方で、同時に東方の一部地域で食べられている穀物を市場で見つけたときには、子供のように無邪気にはしゃいでいた。
初めてのおねだりは「これ買い入れてもいいですか?」だ。ジオはもちろん大袋で買った。即決だ。その晩に出された炊いた穀物を頬張るキヨカ。美味だ。いろいろ美味だ。
どうしてくれようと、再び頭を抱えてしまう。
「良かったじゃないですか」
「よくないよくない、よすぎてだめだ」
どうでも良さそうに投げやりなエーヴェの言葉に、ああくそっと暗い金の髪を掻き混ぜる。
「なにあれめちゃくちゃかわいくみえる」
「俺はかわいこぶったアンタに殺意を覚える」
もともと外見はいい感じというか、ほんわかできる顔立ちな上に体型なんかおそらくジオの理想通りなはずで……。そこに言葉だけの表現ではどうにもならない性格なんかを加味したなら、多少は点数を引くべきところが見つかるというか、うん現実はここらへんだという部分があるはずなのだ。
ない、というわけではないのだろう。完璧なんて存在しない。
だがジオはすっかり欲目になっている自分を自覚しているというか、ああこういう女が好きだったのだなあと改めて思うというか、三十路にしてままならぬ諸々に悶えているのである。
「理想の嫁像に加点減点した挙句にイイってどうよ……。そんな女を一発で引き当てた俺って妙に強運で才能あるわ」
「うっっっざ。その彼女に際限なく減点されればいいのに」
「おい呪うな。弟弟子たる甲斐のないやつだな」
「俺ほど献身的で自己犠牲に富んだ魔術師なんていませんよ」
術士なんて団体行動が苦手な独善主義者ばかりなのだ。
というかそれどころじゃないでしょう、と当初の目的を思い出させるようにエーヴェは唸る。
「肝心要の解析はどうなってるんです」
「ああ、問題なし」
「順調に進んでると」
「そういう意味じゃなく。単純に、あの術式に問題らしい問題はない、ってことだ」
「あ?」
ちょっと待てとエーヴェは顔を上げた。長めの濃紫の髪が額に落ちかかるのを、乱雑に掻き除ける。端麗な顔に深いしわを刻み込んで、自分とは正反対の方向にある造作の顔を睨みつけた。
先ほどまでの惚気話のようなものをしていたときとは違い、ジオはいたって真顔だった。
「組んでいる要素も妙なところはないし、世界を越えるなんて不測の現象を起こしたと思える点はない」
「酔っていての術式の記憶違いってことは?」
「有り得ないとは言わないが。お前だって見たろ」
「一瞬ですけど」
「お互いに記憶力は無駄にいいんだ。両方が勘違いするってことは考えづらい」
こと術式に関してジオもエーヴェも感覚は常人には考えられないほど鋭敏だ。魔導士であるジオはもちろん、誰もが知る役職を持っているエーヴェもまた、極めて希少な国を代表する術士である。
その二人がキヨカが異世界人であるなどと理解した直後、召喚にジオが使った術式を覚えている限り書き起こせばぴたりと一致したのだ。
「それにな。偶然でもなんでも、一度起こしているなら発想すら湧かないなんてないだろ。実となる種はいつだってあるはずだ」
術士は真実の意味での偶然など信じてはいない。
この世のすべてに法則があるはずだと、そう思想を持っている人間だからだ。
何度も立ち戻って考えてみた。
酔った頭が突拍子もない思考を運んだとしても、使った知識は確かにジオが溜めていたもののはず。けれど掘り返しても掘り返しても、知識の泉に該当はない。
「もし……それがもし本当だったとすれば、アンタの術式以外の要因があったということですけど」
「んー。そうなんだよなあ。……あの夜の界の境界線はどうだったんだ。薄かったとは聞かないが」
「ここに詳しい資料はないですけど、迷い人が発生しそうなほどにニムロン上空が薄かったというなら、俺に報告が入らないわけがない」
世界と、異なる世界の境界線。
それは隣り合っていて不規則に薄まるときがある。そういうときは双方ともに、人や物が境界を越えやすい。
今では第四王子妃となった女性―――― 当時はまだ少女だったが、彼女がウィスタンスに現れたのは七年前。そのときには観測係が事前に報告を上げていたために、王城での早期対処がなされた。向こう側から来てしまう人間にも、こちら側から引かれてしまう人間にも。王子妃となった女性はゆえに迅速に保護されたのだ。
「うーむうむ」
不精髭のざらつく顎を撫でつつジオは唸る。
さてどうしたものか。煮詰まったとエーヴェを呼び出したのはあながち嘘ではない。
「さすがにお前も部下の手綱程度は握れてるだろうしなあ」
「……どういう意味です」
不愉快げに眉根をしかめたエーヴェに、冗談だよジョーダン、とジオはどうでもよさそうに手をひらひらと振る。
「俺の術式以外の要因というなら、自然現象か第三者の介入か、そう考えるだろう。で、実際に境界線に揺らぎがなかったのなら、後者の線が濃くなる。あのタイミングで事を仕掛けられるとしたらお前が妥当だが、まさか俺の前でやるほど馬鹿じゃないだろうし。だいたいお前が関わっているならその後の動きがないのは変だ。じゃあ部下にいる術士あたりが妙なことをしているかと思ったんだが」
やはり動きはないし、ジオの術式に何かを干渉させることが出来たとは思えない。
弟弟子でさえ疑惑の目で一度は見ていたこと自体に、エーヴェも文句はなかった。
逆の立場ならば同じことをした―――― いやむしろ自分ならば、この程度では疑いを完璧には拭えない。有り得そうもないことを可能にする、それほど兄弟子であるジオはときどき恐ろしいほどに冴えているし、何より自分の手の内はほとんど知られていても、エーヴェは兄弟子の手札の五割程度しか知らないとさえ思っている。
ジオならば想像もしない動機で事を起こし、同じく読めない方法で以て結果を導くのだろう。そう認識しているからこそ、絶対に敵対したくはない相手だ。
だから、今回の彼をすら首を捻らせる事態は薄気味悪い。
「そもそもアンタのところに異世界人を放り込む意味は何だと思います?」
ジオも、そこなんだよと顎をさする。
「意味なんてないと思うんだよなあ」
「復讐の手段にしちゃあ、アンタは全然困ってないし」
「むしろ大歓迎だね。礼言ってまわりたいくらい」
「策に嵌める、ということは?」
「考えられるとすりゃあ、王城に話を入れて異世界人拉致かなんかの容疑でもかけられるんだろうが、それこそお前でもなきゃ嵌められねえな」
「ああ。結局、この話はまだ誰にも言ってませんしね」
エーヴェが話をここだけのことにすると協力した時点で、その計画は頓挫してしまう。誰かが密告したとしても、エーヴェは彼女がただの迷い人であり、兄弟子は偶然それを見つけて保護しているのだと証言する。
兄弟弟子の情うんぬんというよりは、無用の混乱を避けるために。
「だいたいその程度なら、どんな風にでも片づけられるしな」
軽く言ったその言葉の持つ意味を聞く者が聞けば、何たる傲慢と憤慨するか、ジオのことを知っている上で顔色を失くすかどちらかだろう。
基本的には禁を犯すことを愉しみとはしない兄弟子だが、必要なら躊躇もしない性格だということをエーヴェは知っている。償うよりも誤魔化した方が早い罪ならば、まず間違いなく隠蔽に走るだろう。
一見その手の小細工が不得手そうでいて、真正面から敵対者を叩き潰すのと同程度には器用に事を成す。
(何だってこの人が、いわゆる身内ってやつなんだろうな……)
血を同じくする家族にはまったく縁のないエーヴェだが、破天荒だった師匠といい、それに輪をかけている兄弟子といい、じゃあそれ以外の縁はと思っても頭痛モノだ。職場も合わせれば、みな個性が強すぎると言ってもいい。
頻繁に我が身を嘆くエーヴェだったが、そんな関わりを持つ彼自身もまた、迂闊なことでは触れてはいけない危険人物扱いであると気付いていない。おまけに思想の面ではそれらの人々の影響を色濃く受けている。
とはいえ、ふとした瞬間に友達いないなあとエーヴェが思うのには、単に彼を遠巻きにする人々が多すぎることも一因なのだ。あとは美形すぎる(これは第四王子妃の談だが)。
さて何にしても、と兄弟弟子たちは顔を見合わせた。
「手詰まりってやつですか」
「もう神の仕業ってことにしねえか」
「無神論者が何を言うんだか……」
「いやいや、東西南北どの宗教の神々だって肯定してるぞ?」
「酒が絡んだときだけの俄か信者じゃないですか。それ以外は、居ようが居まいが知らん興味ないとか言ってるくせに」
「そうだっけ」
だんだんと原因究明に飽きてきていることだけは強くわかると、エーヴェは溜息を吐く。
「彼女に尽力すると約束したでしょう」
「……してるだろ」
憮然とした顔でそう言うのは、弟弟子の指摘通りキヨカ本人に言い訳など出来ないとわかっているからだ。
子供のように拗ねるジオに、エーヴェはやれやれとまた息を吐く。そうでいて彼は、兄弟子に対して最終的には甘い。
「まあ、どうにもならなかったら当初の予定通りに嫁になってもらったらどうです。『責任を取る』っていうセリフには、そういう意味もあるでしょう」
「……はあ。あのなあ、エーヴェよ」
ふいをつかれたように瞬いた後、ジオは呆れたようにエーヴェを呼んだ。名前で呼びかけるなどかなり珍しい。
「あんまり煽るなよ。三十路男は面倒なんだ」
「アンタはいつだって面倒でしたけど」
「言うと思った。って聞けよ。お前くらい俺を止めねえと、それこそ慣れない誠実な人間の仮面なんか放って、都合のいい方に運んじまう」
ジオがキヨカに詫びたのは、彼女が気の毒だと思ったからだ。迷い人と違って人為的に世界を渡らされるなんて明らかに被害者であるから、自分の術式がそうしたのだろうという状況証拠も素直に彼に頭を下げさせた。
だが本来彼は、望む方向に事実を捻じ曲げることにあまり躊躇がない。その場をいかようにも誤魔化すことは出来たし、尽力するという約束を絶対の結果を導くものではないのだと言うことも簡単だ。
言質を取られるような言葉を術士は使わないように訓練するもので、ジオもそれにどっぷり浸かっている。
八方塞がりな現状に飽いているのを自覚しているというのに、身内である人間が甘い言葉を吐くならば、ころりと楽な方に転がってしまいそうだ。
そんな皮肉げな自分の裏に隠れた部分が、おいちょっと待てよと声を荒げるからまだ保っている。
「やっぱり無理だ、だから俺が一生面倒を見る、なんて言いたくねえのさ」
「……でも理想の女なんでしょう?」
「変か。まあそうだろうな。自分でも不思議なもんだ」
でもな、とジオは続ける。
「状況と一緒に自分の中のもんも全部飲み込んで、そんで俺に任すって言い切った女だ。根拠なんてあるはずもねえのに、あんな風に信頼されて裏切れねえと思っちまった」
キヨカはジオが簡単に物事を天秤にかけることも知らないし、魔導師と魔術師の違いも知らない。
彼女には相応に生きてきただけの経験もあるはずだが、この世界での常識に対して無知だということに必要以上に身構えるよりも、生まれたての赤ん坊なみに無垢な目線を持ってしまう女だった。
疑うことを知らないというよりは、疑っても仕方のないことだと本能で悟っているようだった。抗うための知識も力もないということを受け入れて、けれど目や耳だけはしっかりと感覚を向けている。
受け身なそれに苛立ちを覚える人間もいるだろうが、ジオにとってそのおおらかさのようなものは、何か心地良くもくすぐったいものに感じた。
「大事に育てられた娘なんだろう。一緒に暮らしてればわかる」
彼女を語るジオの表情が何の含みも皮肉も込めていない笑みで、それがつい零れてしまったというものだったからなおのこと、エーヴェは目を瞠った。
「アンタ……なおさらそんなの、手放せるんですか」
馬鹿馬鹿しいほどの惚気話はいつもの通り、特に意味もない剽軽さの一面かとエーヴェは思っていた。兄弟子が彼女を好ましいと思うのは確かだろうが、結局はそのくらいで終わりの話なのだろうと。
だがそうではないならと、しばし脳内が白く染まる。
「本気なら、」
「馬鹿言えよ。三十路男は面倒なんだって」
断たれた言葉の先で、にやりとジオは唇の片端を吊り上げた。
「恋だの何だのってのは遊びに限る―――― 老いてもいねえが、まあ若くもねえんだ」
いつかの胸が擦り切れそうな想いをしたあの頃に聞いたなら、エーヴェは力いっぱいに掴みかかっていたかもしれない。
それがひとまずの落ち着きを取り戻し、そして日々を経るごとに静かな思い出に変わっていく今となっては、その言葉の中に無視できない何かを感じずにはいられなかった。
「帰してやらなきゃなんねえさ」
それを囁く声が、らしくもなく優しいものだとジオ自身ですら思った。