3.銀の音叉
送られてきた住所を見て、カイルの疑念が確信になる。アリサが相続した家は、いわくつきのお化け屋敷だ。だから即座に電話をしたが、アリサは出ない。たった今、メッセージを送ってきたのに? おかしい。絶対に、これはおかしい。
一瞬だけ躊躇して、レンタカーを借りに走った。空港からタクシーを飛ばすよりはたぶん安いし、あの列に並ぶよりはきっと早い。最初に話を聞いた時は、絶対に詐欺だと思った。だが、送られてきた資料は具体的で、大量の写真もあった。十九世紀の物件にしては状態は悪くなく、インフラも生きている。手入れをすればかなり価値はあがるだろう。でも手入れに相当な金がかかる。そうカイルが言ったところで、アリサが言った。「そのへんの請求をされるんじゃない? やっぱ、詐欺だよねぇ」カイルが口にするより先に、アリサがそう言ったのだ。カイル自身は、ピアノの写真にくぎ付けになってしまった。これはP社のやつじゃないか? 透かし彫りの譜面立てに、特徴的な脚の装飾。資料には「壊れていて修理不能」と書いてあったが、シリアルナンバーは書類にも記入され、そのアップの写真もあった。そこにロゴがはっきり見える。社名はないが、このロゴは間違いない。印刷ではなく金属板に打ち出されたものだから、偽造ではありえない。そもそもP社を偽称しても、ほとんど意味はないだろう。P社のピアノは十九世紀に高く評価されていたが、生産数が限られていて市場には滅多に出ない。たとえ修理不能でも、かなりの値がつく。そうは言っても知る人ぞ知るメーカーだ。詐欺の餌に使うなら、誰でも知ってる有名どころを使うだろう。 そして、本当にP社の製品ならば、修理不能はまずありえない。すべてのパーツが頑丈で、基本的に壊れない。ちょっと埃を払ってやれば、そしてきちんと調律すれば、確実に蘇る。妖しく魅惑的なその音色と、不死にも等しい頑丈さから、吸血鬼とさえ呼ばれるピアノだ。カイル自身がその写真に魅入られていた。壊れているなら、おれが直す。そんなことを、たぶん言った。絶対見たいと、おれが言った。
こんなに話が進むとは思わなかった。アリサはわりとしっかりした子で、騙されそうなタイプではない。興味本位で連絡を取っただけで、それ以上には進まない。外国にある古い家を相続しても、重荷にしかまずならない。面白そうな物件だから見学はしてみたいけど、相続は放棄する。そう言ってなかったか? 見学するなら、おれも一緒についていく。おれはそう言わなかったか? うん、いいよ。アリサはそう言わなかったか?
帰省したのは、気になることがあったからだ。「P社のピアノがある邸宅の怪異について」というタイトルの古い手稿が実家にあったのを思い出し、それを確認したかったのだ。オカルト好きな父のコレクションで相当に読みにくいものだったのだが、それは不思議な話だった。ホラーというより淡々と記録された極めて不可解な手記なのだが、邸の住所は明記があった。架空の住所ではなく今も現実に存在するもので、※※※※マップで検索したらそれらしい邸があった。航空写真で見てみたら、まさにゴシック・ホラーな館。ざっと検索してみたら、オカルト好きにはちょっと知られた物件らしく、いくつも記事がひっかかった。ドラゴン邸とかガーゴイル荘とか、ホラーめいた綽名がついてる。何度も事故や事件があってずっと空き家になっているのに、取り壊されることもなく倒壊もしない。そしていくつか、体験談も語られている。ピアノの音が聞こえてくるとか、絶世の美青年がいたとか、あるいはヴィクトリア朝スタイルの黒衣の美少女が泣いていた、とか。十九世紀の廃屋に現れるならお約束の怪異だが、妙に気になる。気にはなるが、住みたくはならないだろう。そこにもう引っ越した? そもそも相続の手続きって、十日もかからず済むものか? しかもアリサは日本人で、手続きがしちめんどくさい国際相続になるはずなのに? あり得ない。絶対にあり得ない。
だいたいの場所はわかっていたはずなのに、カイルは迷った。ナビによれば5分以内で着くはずなのに、その数字が全く減らない。同じところをもうニ十分もぐるぐると回っている。市街地であるはずなのに、街灯もなく真っ暗だ。どの家にも灯りはなく、寝静まっているらしい。確かに真夜中を過ぎているが、それにしても妙じゃないか? このあたりには老人しか住んでないのか? それともみんな、バカンスにお出かけか? 車を降りてスマホのナビを立ち上げてみる。車のナビとやっぱり同じだ。目的地は歩いてもすぐそこだ。もう一度、アリサに電話をかけてみる。かからない。アプリでも、電話でも、圏外と表示が出て発信できない。バッテリーはある。5Gに繋がってるしアンテナも普通に立ってる。なのに、アリサにかけようとすると「圏外」になる。過去のメッセージすら、アリサのだけが表示されない。圏外? 圏外って、どういう意味だ? イヤな予感にからだが震える。ポケットに突っ込んできた、銀色の小さな音叉を握りしめる。父の書斎に、手稿と一緒にあったやつだ。冷たい金属を護符のように握りしめ、アリサの名を大声で呼ぶ。アリサ、どこだ? 君は無事か!
誰かが部屋の灯りをつけて、窓を開けて悪態をつく。その光が、邸の風見に反射した。尖塔のてっぺんにあるドラゴンのかたちの風見が、火を吐いたように見えた。




