第16話 深夜のオンラインゲームと、初めての笑顔
恋愛映画。
恋愛ドラマ。
ラブコメ。
同居もの。
告白もの。
アリスの視聴履歴は、いつの間にか恋愛作品だらけ。
理由は――自分の中に増えた「未分類反応」を知るため。
そんな夜。
二人が始めたのは、なぜか協力ゲームでした。
動画配信サービスの履歴を開いたのは、夜中の一時を少し回った頃だった。
今日は映画を見るつもりではない。
何となく次に見るものでも探そうとして、画面へ並んだサムネイルを眺めていただけだった。
恋愛映画。
恋愛ドラマ。
ラブコメ。
同居もの。
幼馴染。
職場恋愛。
告白。
別離。
少しスクロールしても、似た系統が途切れない。
「……アリス」
「はい」
ソファの隣で端末を見ていたアリスが顔を上げた。
クリスマスに渡したヘアピンは、今日も髪に留められている。淡い琥珀色の石がテレビの光を拾い、小さく明滅していた。
「最近、こればっかりじゃない?」
画面を指す。
アリスは履歴へ視線を向けた。
「はい」
「否定しないんだ」
「事実です」
「俺が寝てる間にも見てる?」
「低活動状態へ移行しない時間帯に視聴しています」
「思ってたより本格的だね」
一覧の端には、俺がタイトルすら知らない作品まで並んでいた。
「教師データを増加させています」
「何の?」
「未分類反応の解析です」
それ以上は続かなかった。
でも、何を指しているのかは大体分かる。
手を繋いだとき。
俺が別の女性と話していたとき。
抱きしめたとき。
そして、理由を説明できないまま頬へ触れた夜。
「恋愛ものに偏ってるのは、そのせい?」
「はい。対人行動、非言語反応、感情候補の比較対象として有効です」
「なるほど」
それで十分だった。
アリスが自分で調べ、自分で考えているなら、答えを先回りして渡す必要はない。
「凪」
「ん?」
「心拍数が上昇しました」
「このタイミングで報告しなくていいかな」
「原因候補を提示できます」
「それも今は大丈夫」
「了解しました」
あっさり引く。
そこまで含めて、少しずつ変わってきた気がした。
「分かるといいね」
「はい」
アリスはまた履歴へ視線を戻す。
俺も、それ以上は聞かなかった。
*
「今日は映画じゃなくて、これやってみない?」
恋愛作品だらけの画面を閉じ、棚からゲーム機のコントローラーを二つ取り出した。
「ゲームですか」
「オンライン協力型。今夜は二人用のプライベートルームで進めるやつ」
「勝利条件は?」
「ステージごとに違うけど、基本は二人でゴール」
「競争ではないのですか」
「今日は競争しない方」
アリスはコントローラーを受け取ると、ボタン配置へ一度だけ目を落とした。
それだけで、指が所定の位置へ収まる。
「理解しました」
「早いね」
「入力形式は単純です」
「俺、一応これ三日くらい練習したんだけど」
「その情報は事前に必要でしたか」
「今ちょっとだけ傷ついた」
「意図していません」
「分かってるよ」
プライベートルームへ接続する。
二人分のキャラクターが画面へ並び、軽い電子音とともに最初のステージが始まった。
アリスはソファの背もたれへ身体を預け、パーカーの長い袖を少しまくっている。
戦闘時なら人間には追えない速度で動く指が、今は小さなコントローラーの上に収まっていた。
開始から一分もしないうちに、嫌な予感は当たった。
「アリス、これ初見だよね?」
「はい」
「なんで敵の攻撃、全部避けられるの?」
「予備動作から軌道を推定しています」
「ゲームでもそれやるんだ」
「回避可能な攻撃へ被弾する合理性がありません」
もっともすぎて返す言葉がない。
飛び出す床。
回転する刃。
敵の射撃。
一度見れば周期を読み切るらしく、アリスのキャラクターは俺が何度も落ちた区間を平然と抜けていく。
人類最強の戦闘アンドロイドにアクションゲームをやらせると、ゲームバランスというものはかなり脆いらしい。
「本気でやったら、俺いらなくならない?」
半分冗談で口にした。
先を走っていたアリスのキャラクターが止まる。
「凪は必要です」
返事が早すぎて、今度はこっちの指が止まりそうになった。
「ゲームの話だよ?」
「理解しています」
「アリス一人でほとんど進めそうだけど」
「このゲームは二名での協力を前提としています」
「まあ、そうだけど」
「したがって、凪は必要です」
画面の中の話なのに、その言葉だけが妙に残る。
隣から視線を感じた。
「異論がありますか」
「ないよ」
コントローラーを握り直す。
「じゃあ、必要とされるくらいは頑張るかな」
「はい」
アリスのキャラクターが、俺の方へ引き返してきた。
*
中盤へ入った頃には、アリスのプレイそのものが変わっていた。
それまでは最短距離で敵を避け、必要なスイッチを正確に踏み、俺が追いつく頃には次の仕掛けの前で待っていた。
狭い足場が連続する区間へ入る。
一つ進む。
アリスも一つ進む。
俺が止まれば、向こうも止まる。
「アリス」
「はい」
「先に行って大丈夫だよ」
「待機します」
「敵のパターン、もう分かってるよね?」
「解析済みです」
「だったら一人で向こうまで行けるでしょ」
「可能です」
「最短ではないよね?」
すぐ返事が来ると思った。
けれど、アリスは画面を見たまま少し黙った。
「単独攻略としては、そうです」
「じゃあ、何で待ってるの?」
「現在の目的に適合しています」
「目的って、クリアじゃないの?」
「クリアのみではありません」
画面の中で、二人のキャラクターが並んでいる。
「凪と共同で進行することを含みます」
俺の方が黙る番だった。
「……じゃあ、置いていかれないように頑張るよ」
「置いていく予定はありません」
真顔で言われ、胸の奥が少し騒がしくなる。
気を取られたまま一歩踏み出し、見事に足場を外した。
「あ」
キャラクターが奈落へ消える。
復帰地点へ戻された俺の横で、アリスは何も言わない。
「今のは見なかったことにしてもらえる?」
「記録済みです」
「削除は?」
「不要です」
「厳しいな」
「再発防止に有効です」
「ゲームなんだから、そこまでしなくてもいいと思うけど」
そう返した瞬間。
アリスの口元が、ほんのわずかに動いた。
見直す。
もう、いつもの表情に戻っていた。
気のせいだったのかもしれない。
そう思いながらも、今の小さな変化だけは妙に目へ残った。
*
最後のステージは、二人で別々の装置を同時に操作する仕組みだった。
アリスにタイミングの問題はない。
問題は俺だった。
「三、二、一――今」
二人でボタンを押す。
わずかにずれた。
「ごめん」
「〇・二秒遅れています」
「数字で言われると余計にへこむね」
「次回は凪の反応時間を含めてカウントを補正します」
「俺基準にしてくれるんだ」
「共同作業ですから」
その一言に少しだけ気を取り直す。
二回目。
「三、二、一――今」
今度はぴたりと合った。
画面の奥で扉が開く。
二人のキャラクターが並んでゴールへ入り、小さなファンファーレが鳴った。
「よし」
思わず右手を上げる。
アリスが俺の掌を見る。
「何ですか」
「ハイタッチ。うまくいったときによくやるやつ」
「接触の必要性は?」
「ないよ」
アリスは掌を見たまま動かない。
やっぱりしないかな、と思って手を下ろしかける。
その前に、右手が上がった。
ぱちん、と掌が重なる。
柔らかな人工皮膚。
その奥にある、抑えられた力。
触れたのは一瞬だった。
「クリア、お疲れさま」
「凪も」
手が離れる。
その直後。
アリスの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
大きく笑ったわけじゃない。
ただ、唇の端がわずかに上がった。
さっきと同じだった。
今度は見間違えない。
「今、笑った?」
表情が止まる。
「否定します」
「いや、笑ったよね」
「口角変化は許容誤差です」
「そんな誤差ある?」
「あります」
「初めて聞いたけど」
アリスの視線が画面へ逸れた。
追及しかけて、やめる。
「じゃあ、誤差ってことにしておこうか」
少し間が空いた。
「……記録の削除は不要です」
思わず笑った。
「分かった」
「はい」
口元はもう元へ戻っている。
それでも、見なかったことにはしたくなかった。
*
ゲーム機の電源を落とすと、部屋が急に静かになった。
時計は二時を回っている。
「そろそろ寝ようか」
「はい」
立ち上がろうとしたところで、隣のアリスが動いていないことに気づく。
「どうした?」
「確認があります」
「何?」
「先ほどのゲームでは、単独で最適行動を選択した場合、平均攻略時間を一八・六パーセント短縮できました」
「やっぱり速くできたんだ」
「はい」
「でも、そうしなかった」
「はい」
アリスは暗くなったテレビを見る。
もうキャラクターもスコアも映っていない。
「凪と同時に進行する方を選択しました」
「うん」
「今後も、同様の選択を希望します」
「ゲームで?」
「ゲームでも」
そこで言葉が切れた。
続きを待つ。
「現実でも、凪の隣にいることを希望します」
冗談で返せば、簡単だった。
でも、そうしたくなかった。
「俺も、アリスが隣にいるのは嬉しいよ」
アリスが俺を見る。
ほんのわずかに、口元が緩んだ。
今度は何も言わなかった。
アリスも否定しなかった。
深夜二時を過ぎた部屋で、俺たちはもう少しだけ、隣に座っていた。
本気を出せば、アリス一人の方が速い。
それでも凪を置いていきません。
「共同プレイの最適行動です」
そしてクリア後のハイタッチ。
アリスの口元が、ほんの少しだけ緩みます。
初めて見えた、小さな笑顔。
さらに夜の終わり。
「現実でも、凪の隣にいることを希望します」
「俺も、アリスが隣にいるのは嬉しいよ」
今度は笑ったことを、アリスも否定しませんでした。
次回。
そのまま深夜二時――アリスが「同じベッド」を希望します。




