03.灯台守
翌朝、ユスラはひとり町へ買い出しに出かけた。
最低限の食料品と日用品はハンスが用意してくれたが、細々としたものや新鮮な野菜を買い足したかった。町を歩き回ることに不慣れなセリを護衛もなしに連れていく自信がなくて、まだ眠そうなセリには家にいるようによく言い聞かせて出てきた。
「見ない顔だね。新入りかい?」
挨拶がわりのようにそう聞くのは、船乗りが多く出入りするからなのだろう。恰幅の良い魚屋の女将が、物珍しそうに魚を眺めるユスラに声をかけた。
「はい。岬の屋敷に越してきました、ユスラといいます。」
「そうかい、あのお屋敷にねぇ。どっから来たんだい?」
「ロザリオからきました。」
「じゃあ、魚介はなじみがないだろう?ここの魚や貝は新鮮だからね。食べ慣れると、よそじゃ食べられなくなるよ。」
「そうなんですね。初めて食べるならどんなものをどのように調理するのがおすすめですか?」
「まずは切り身がいいよ。肉と同じようにソテーしたり揚げたり、白ワインで蒸すのもうまい。あとは貝ならナイフで殻からはずして焼いたり煮込んだりが簡単だね。火を通し過ぎないのがポイントだよ。」
「教えてくださってありがとうございます。」
「ここは荒くれ者が多い町だからさ、あんたみたいに優雅で若いお嬢ちゃんが来てくれるのは嬉しいよ。貝はサービスしておくから気に入ったら次は買っておくれ。」
セレストの側仕えとしてふさわしいふるまいを徹底してきたユスラにとって、お世辞でも優雅だと言われるのは容姿を褒められるよりも嬉しいことだった。
それからユスラは自分で持ち帰れるだけの買い物をして帰った。
新鮮な葉野菜やチーズ、卵。それに石鹸やクリームなどセリに使っても大丈夫そうなものを吟味して購入していく。ずいぶん安くしてもらっていくつかの総菜も買ってみた。今日の夕食はこれを食べようと、ユスラは石段を急ぎ足で登って行った。
「ただいま戻りました。セリ?」
屋敷の中はしんとしていた。寝ているのかと寝室をのぞいてみてもからだった。もしかして、1人でいることが怖くなってどこかへ行ってしまったのではないか。
見た目は青年でも、セリはまだこの世界に馴染んで数週間。ユスラはごとりと紙袋をテーブルに置くと、走って家を出た。
屋敷の周りは、防風林を抜ければ岬の突端だ。柵もない断崖絶壁には強い潮風がふいている。もしここから落足を滑らせていたら…?恐怖からくる吐き気をこらえながら、ユスラは必死でセリを探した。
その時、ふいにどこからか煙の匂いがした。煙草だ。誰かがいる…
セリが襲われていたらどうしよう。
「セリっ…!」
「ユスラ?」
岬の開けた場所で、セリは見知らぬ老人とベンチに座っていた。ユスラが嗅ぎ取った煙の匂いは、老人のくわえ煙草だった。
頑丈な体躯に短く刈った白髪と髭。麻のシャツにロングベストを羽織っているが、よく手入れのされたブーツを履いている。
彼が灯台守なのだろう。ユスラは堅い表情で老人に向かって頭を下げた。
「そう警戒しなさんな。あそこで灯台守をしている、ただの老いぼれだ。」
長いこと寂しい場所で暮らしてきたからか、老人の自己紹介はひどくぶっきらぼうなものだった。
「ゲオルクさんですね。お隣に越してきたユスラといいます。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。」
「ハンスから聞いてるよ、昨日越して来たんだろう。」
「ユスラ、ゲオルクはずうっとここに住んでるんだって。僕らも同じだね。」
小さな子どもがお揃いを喜ぶように、セリは無邪気に笑って屋敷の方へ駆けていった。
頑強な灯台守は、おそらくとてつもなく長い時間を、ここで過ごしてきたのだろう。そんな相手に、よそから越してきたばかりの青年に同じだと言われて気を悪くしないかユスラは内心ひやひやしたが、ゲオルクに気にするそぶりはなかった。
「すみません。セリが失礼なことを…」
「子どもの言うことだ。それに、まともな生き方をしてこなかったという点では儂もあんたらも同じだろう。」
ユスラが返答をひかえて、2人の間には短い沈黙が生まれた。
明らかに青年の容姿をしたセリを、子どもだと言った灯台守は、自分たちのことをどこまで知っているのだろう。
「まともな生き方って、なんでしょうか。」
ひたむきに神に仕え、民の為に祈ってきた人なのに。小さな憤りを抱えながら、ユスラはぽつりとそう返した。
「生まれ育った町で結婚して子どもを産んで、なにも考えずただ働いて…そうやって皆同じように生きていくのがまともなんだと、昔さんざん言われたよ。10年ぶりにできた隣人がそういうまともな人間じゃなくて良かったと思ってるんだがね。孤立暮らしが長いもんで、どうやら伝え方を間違えたらしい。あんたらのことは歓迎してる。」
深い皺の刻まれた顔の奥で、ゲオルクの瞳がじっとユスラをとらえていた。海のように凪いでいる、綺麗な目だった。
「セリを見ていただきありがとうございました。」
一瞬、2人の間に走った緊迫感が、ユスラのほほえみでゆっくりととけた。
「礼を言うのはこっちの方だ。誰かと腰を落ち着けて話すのは久しぶりでな。楽しかったよ。」
片手をあげて、灯台守はゆっくりと持ち場へ帰っていった。
首が短く丸まった背中は、長年の孤独に耐えてきたようだとユスラは思った。




