02.案内人
石段を登りきった2人を出迎えたのは、強い海風と奥にそびえたつ白亜の灯台だった。
ここに別荘を建てた所有者は何を思っていたのだろう。買い物にも人を招くにも不便で、けれども景色だけは抜群に素晴らしかった。風よけには頼りない木々に囲まれて、屋敷は静かに2人を待っていた。
6角形のホールには大きな出窓がとられ、両脇に細長く部屋が作られている。正面から眺めると翼を広げた海鳥のような小さな平屋で、きっとセリはこの出窓を気にいるだろう。沈みがちだったユスラの心が小さくさざめいた。
「今日からここが私とあなたのおうちですよ。」
「ユスラも一緒に住むの?」
「はい、お傍にいてもいいでしょうか?」
「良かった。独りぼっちになるのかと思って心配だったんだ。」
「そんなことは絶対にしませんから安心してください。さ、家の中を探検してみましょう。」
ユスラは小さな子どもを相手にするようにそう言うと、あずかった鍵で中に入った。長い間人が住んでいなかったと聞いていたが、事前に清掃されているのか屋敷は綺麗だった。
6角形のホールの奥にキッチンとバスルーム。それにベッドルームが2つだけという間取りだが、高い天井と広くとられたホールには午後の日差しがたっぷりと差し込んでいた。家具も収納も最低限だが、教会で暮らしてきた二人にとっては、十分すぎるほどだった。
家じゅうの窓をあけ、外に広がる海を眺めているとノックの音がした。どうやら荷物が届いたらしく、外にいたのはセリと同じ年頃の青年だった。
はしばみ色の髪を後ろで結い、ライトブラウンの瞳と良く日焼けした肌が白いシャツに良く映えた。背負い台にトランクを2つくくりつけ、さらに大きな肩掛けカバンを身に着けている。痩せているが、辛そうな様子はない。
「どうも。セルゲイさんに頼まれて荷物を運んできたハンスです。」
「伺っています。重いものをありがとうございます。」
ハンスはホールにトランクを運び込むと、ゆっくりと背負い台を下ろした。
「2人で住むって聞いてるけど。あー、いや…聞いていますが。」
若い荷運び人は不思議そうな表情で2人を見た。夫婦でも兄妹でも仕事仲間でもない。駆け落ちしてきた恋人にも見えない。どんな関係なのか、検討もつかないのだろう。
「普段通りに喋っていただいて大丈夫ですよ。こちらはセリ。私は彼の世話役ユスラと申します。」
「堅苦しいのが苦手でね、それじゃあお言葉に甘えてざっとこの家の設備について説明させてもらうよ。」
ユスラの後ろで様子をうかがうセリを見て、ハンスはそれ以上2人について聞くことはかった。
「蛇口をひねれば水が出るけど、井戸水でね。嵐の日なんかは海水が混じることがあるから気を付けて。あと必ず沸かしてから飲んだほうがいい。配達は、あっちの灯台守のゲオルク爺さんが週の中日に頼むんだ。同じ日でよければ配達料は安くしとくよ。」
「ありがたいです。ではそれでお願いします。」
「了解。どうしても急ぎのものがあって自力でもって上がれない場合は割増になるけど運ぶんで声かけて。」
ハンスはそう言って、自宅の住所を記したカードを差し出した。
「ここには長くいる予定?」
「そうですね、まだ先の見通しが立っていないのですが、当分はこちらにいるはずです。」
「配達以外に便利屋みたいなこともやってるから、何かあれば声をかけて。セルゲイさんから請け負ってここを掃除したのも俺でね、こう見えて家事も得意だからどうぞご贔屓に。」
金額は交渉次第だろうが、ひとまず頼りになりそうな男手を確保できたことで、ユスラの心をほんの少しだけ和らげた。
「ごひーきにって?」
ユスラの気持ちが緩んだのを敏感に察したのか、セリがようやく口を開いた。ハンスは、ああ、としばらく考えながら頭をかいた。
「いいお客さんになってねってこと。俺はここまで荷物を運んだり、困った時に二人を助けるのがお仕事ってわけ。」
「困った人を助けるのは当たり前じゃないの?どうしてお金をとるの?」
「…すみません。私たち教会と縁が深かったもので。」
「なるほどね。どうりで雰囲気違うなって思った。オーケー、セリ。困った人を助けて腹いっぱいになるか?ならないだろ?空腹のままだと次に困った人が現れても助けてやることができない。だからありがとうの気持ちと一緒にお金をもらってうまいものを食べて、力をつける。そうしたらまた人を助けられる。分かったか?」
「うん。」
なんと答えたらいいのか分からなかったユスラには、すらすらと答えられるハンスがまぶしく見えた。それに見た目と喋り方がまったくそぐわないセリに対しても、丁寧に接してくれる。
「まぁ、今日は来たばっかだしこれはサービス。セリも腹がへったら困るだろ?」
ハンスはそう言ってセリにパンの入ったカゴを差し出した。
「ありがたく頂戴いたします。」
セリはそれを恭しく受け取った。教会で献花を受け取っていた頃と同じ、美しくそろえられた指先にユスラは目を見張った。
「あー、ここは教会じゃないから、そういう時は一言ありがとうでいい。」
「ありがとう?」
無言で頷くハンスに、ユスラはほんの少しだけ怨恨めいたものを覚えた。せっかく彼の中に残っていたセレスト様の欠片を、どうして消してしまうのだろう。聖女の名残をとどめておかなくては──
ユスラはゆるゆると首を横に振った。
「セリ、人に親切にしていただいた時には…。」
「ユスラも、ありがとう。」
「え?」
「だって、僕にいちばん親切にしてくれるのはユスラでしょう?だから、ありがとう。」
はい、と答えるユスラの声は小さく震えていた。目の前には、別の魂がある。それを否定したらきっとセレスト様が悲しむ。
そんな気がして、ユスラもハンスに「私も、ありがとうございます。」と頭を下げた。
寄せては返す波のように、セレストの残像が光っては消えていく。その光をしるべにすることはもうできない。ユスラにはセリを見上げて、良かったですねとほほ笑むことしかできなかった。
ハンスはあちこちで依頼があるらしく、用が済むと足早に町へ戻っていった。深入りも詮索もせず、さっぱりしたハンスの距離感がありがたい。
その日の夜は、缶詰とパンで簡単な夕食をとると寝床にはいった。ずっと馬車で寝泊まりしていたから、ベッドが恋しかった。湯を沸かすのは明日にしようと、ユスラは2人ぶんの寝巻とそれぞれの寝室の用意をした。やっとゆっくり休めるはずだった。
「ユスラ、一緒に寝よう?」
寝室に送りとどけたセリが、ユスラの寝巻のすそを握って離さない。
「セリ、ベッドは1人用なのです。私は隣のお部屋にいますから、」
「くっつけば2人で寝れるよ。」
セリの精神年齢はおそらく学童期手前。初めての場所でひとり寝に不安を感じるのはもっともだと、頭では理解している。けれど、体格も容姿も年頃の男性であるセリと同衾するのに気持ちがついていかない。
セリの形の良い唇がぎゅっとかみつぶされている。その唇は、美しい歌を紡ぐものであって、そんな風に駄々をこねるためのものではないのに。
それに、いくら小さいからといって教会ではどんなに泣いても誰かと一緒に寝るなんて許されなかった。甘えているのでは?ユスラはほんの少しだけ苛立った。疲れていたのだ。
「セリ、わがままを言わないでください。あなたが眠るまで手を握っていますから。夜中目が覚めて怖くなったら、私を呼んでください。すぐに行きますから。」
ユスラはなんとかセリをなだめるとベッドに寝かせ、上掛けをかけて額を撫でた。
それから手を握ると、子守り歌代わりに子どものためのミサ曲を歌った。小さな子どもでも聖女の教えを自然と身に着けることができるようにと、平素なメロディと歌詞で作られた導入曲。
聖女セレストが孤児たちに何度も歌っていたものだ。
目を輝かせて聞きいる孤児の輪を思い出して、ユスラは少しだけ優しい気持ちになった。
窓の外ではどぉん、どぉんと、波が岩を打つ音が遠く響いていた。




