07.過去
その後、仕事の話をするからとユスラは下がるよう命じられ、ウォルトンはそのまま帰っていったらしい。
再びユスラがティーセットを片づけに戻った時、部屋に残っていたのはレディ・アメリアだけだった。
彼がいないことを確認してあからさまにホッとしているユスラを見て、アメリアは気の毒そうな表情をみせた。
「さっきはごめんなさいね。」
「いえ、領主様もご冗談でしたから私はなにも。」
「あの子の父親、先代領主とは昔からの付き合いでね。そのせいかウォルトンは私のことをずいぶん気安い存在だと思っているのよ。でも、一線引くところはきっちりひかなきゃね。あなたのことを探らせたりはしないから安心して。」
ユスラが訳ありだと確信しているのだろう。それでもレディ・アメリアは優しくて、ユスラには深い感謝の気持ちを伝えることしかできなかった。
「あの、そういえば私も奥様とお呼びした方が良いのでしょうか。」
この家の主人はレディ・アメリアだ。夫はずいぶん昔に亡くなって、子どもはいないと聞いている。
仕事をする上で誰がトップか分かっていれば十分だったので詳しく聞かなかったが、領主であるウォルトンが当たり前のように奥様と呼ぶのを聞いて今更ながら不安になってきたのだ。
しかしレディ・アメリアはすぐにユスラの不安を退けた。
「奥様と呼ばれるのは好きじゃないの。今まで通りでいいわ。」
「かしこまりました、アメリア様。」
「理解が早く手助かるわ。」
アメリアはソファに深く身を預けると、眼鏡をはずしてサイドテーブルに置いた。
「私の夫だった人はそれはそれは無能な男でね。仕事もできない、やらないのに外で飲んで遊んでばかりで。当時ようやく品種改良に成功した林檎の収益を、全部賭け事に溶かしてくれたわ。あの時、この家の主人になる決心がついたわね。
元夫の両親、つまりこの屋敷の先代夫妻はね、実の息子の代で家を潰されるより、嫁に家を守らせるほうを取ったのよ。この家を頼むって、屋敷の全権限を私に委ねて奥様のリウマチの療養にでかけたきり帰ってこなかった。旅先で流行り病に倒れられてね、元夫は私を責めたわ。お前がでしゃばるから両親が死んだんだって。」
誰かに話したかったのだろう。レディ・アメリアの横顔には、未だに夫への恨みがにじんでいるようだった。ユスラは黙って頷き続けた。
「だから私はひかえめに夫を支える妻になろうとした。夫がギャンブルと女遊びに熱中しているのなら、思う存分楽しめるように支えてあげようと、快く賭博場へ送り出したわ。そうね、夫がツケ払いの度に発行していた小切手の引き落とし先にしていた口座をうっかり解約してしまうくらいには支えたわね。
ツケを払いきれなくなった夫は、不渡りの小切手とともに街外れの池で浮いていた。
心の底から安堵したわ。これで家を守れる、マシューズ家の縁者に家督を譲るまで、自分さえしっかりしていればいいのだとね。私は彼を殺した罪で裁かれるかしら。あなたはどう思う?」
意外な話を聞いて、突然意見を求められてもユスラには答えられなかった。
「私にはわかりません。直接手を下したわけではないのなら、アメリア様が本当に罪を犯したのかどうか、最終的に判断するのは神なのでしょう。」
「神はお許しになると?」
「わからないから、人は結局信じたいことを信じるしかないのでしょう。」
レディ・アメリアは深く頷いた。
「普通の使用人ならね、たいていは奥様の言う通りですって答えるのよ。」
答えを間違ってしまったかと、ユスラははっと顔をあげた。
「申し訳ありません。」
「別に責めてないわよ。分からないことは分からないとはっきり答えられるあなたのことは気に入ってるの。大なり小なりみんな事情があるわ。でも、私はきっちり仕事をしてくれればそれでいいと思っているの。あなたには長くここにいて欲しいわ。」
ほっそりとしたレディ・アメリアの手が、ユスラの手を包み込んだ。
細い腕で、ひとりで戦ってきたのだろう。その瞳には深い慈しみに満ちていた。
「もしウォルトンのことで何かあれば、すぐに私に知らせなさい。」
過去について、アメリアはユスラに意見や共感を求めてはいないのだろう。
ただ聞いただけ。それでいいのだと、ユスラは再び深く頭を下げた。
*
家に帰り、食事の支度を終えた頃にセリが帰ってきた。
ドアを開けた瞬間、ふわりと懐かしい香りが鼻腔をくすぐった。セリの鞄に一輪だけくるまれた薔薇がささっていた。
「帰りに見かけてね、ユスラが好きだったんじゃないかと思って買ってきたんだ。生の花を初めてみたけど、いい香りだね。」
「ありがとうございます。大好きです。」
ユスラは少し涙ぐんでから、薔薇を水差しに活けた。
たった一輪の薔薇が、部屋中を明るくしてくれるようだ。昼間の一件で少しナーバスになっていたユスラの心がじんわりとほぐれていく。
「このあたりでは薔薇が育つんですね。」
ちょん、と愛おしそうに花弁に触れながら、ユスラは教会の庭園のことを思い出していた。
もう少し暮らしに余裕が出てきたら、育ててみてもいいかもしれない。薔薇以外にも、花やハーブを沢山植えるのだ。
そんな話をすると、セリは少しだけ泣きそうな顔で笑った。
「どうしました?」
「ううん。ただ、やっと未来の話ができるようになったと思ったら嬉しくて。」
「そうですね。」
いつも、その日を生きて、ひとつ先の季節までの見通しを立てるだけで精一杯だった。
「楽しい計画を沢山たてましょう。」
私だってできれば長くここにいたいのだと、ユスラは強く思った。




