06.領主
「送るよ。」
朝の身支度を終えて家を出ようとしたユスラは、えっと声をあげた。
いつも家を出るのはセリの方が後で、確かに時間はあるのだろう。肌を重ねたからか、朝からセリはなにかと過保護だった。
「嫌?」
「いいえ。でも、セリも仕事がありますし、大丈夫。体もなんともありませんから。」
自分で言っておきながら恥ずかしくなって口ごもったユスラを見て、セリは自分の鞄を手に取った。
「じゃあ、一緒に家を出よう。僕はついでに遠回りしていく。それならいい?」
断る選択肢はどこにもなかった。
「セリこそ眠たくありませんか?」
朝市が立つなかを歩きながらユスラがそう聞くと、セリはうんと頷いた。その返事の仕方が、まだ幼かった頃を思い出させる。
「今すごく元気なんだ。」
「ふふ、無理しないでくださいね。」
屋敷へ続く道に入ると、空気がしんと冷たくなった。街路樹が多いせいだろうか。冬の気配がかすかに感じられる。
「ロスタンの冬はどんな感じでしょうね。」
「雪、積もるといいね。」
「ファヴェルでは雪遊びなんて、とてもじゃないけどできなかったですもんね。」
あまりの風の強さと冷たさに、泣いている子もいた冬将軍の威力をふたりは懐かしく思い出した。
「ハンスさんもゲオルクさんもお元気でしょうか。」
バタバタと、ゆっくり別れを告げる間もなく去ってしまった。自分たちの生活が落ち着いた今、気になるのは残してきたふたりのことだった。
この街に来てからファヴェルの話題を避け続けていたので、北の漁師町が今どうなっているのかは分からない。
「一度手紙を出してみよう。誰かに読まれても差出人が分からないようにして。」
セリの提案に、ユスラはぱっと顔をあげた。
「いいですね。ゲオルクさんのお誕生日が来月なんです。カードを送りましょう。」
そんな楽しい計画を立てているうちに屋敷について、セリはユスラの頬にキスをひとつ落とすと自分の仕事場へと向かっていった。
*
屋敷には珍しく来客があった。
このあたりでは珍しい黒髪の男性は、ウォルトンと名乗った。人懐っこい垂れ目がいかにも女性の心を掴みそうな、いわゆる色男だ。
正直、レディ・アメリアとの接点も共通点も全く見いだせない。不思議に思いながらも応接室へ案内した。
「ユスラ、お茶をお願い。そうね、キームンがいいわ。こないだ頂いたティーセットの中に入っていたでしょう?あれを開けてちょうだい。」
「かしこまりました。」
言われた通り、ユスラは東方の高価な茶葉をティートロリーに乗せて運んだ。
普通の紅茶とは淹れ方が違うかもしれないと、缶に書いてある説明書きを読めば、お湯を入れてすぐ一度捨てると書いてあるのでその通りに淹れる。
レディ・アメリアが口を挟まないところをみると、これで合っているのだろう。ウォルトンはそれを、物珍しそうに眺めていた。
「失礼いたします。」
ティーカップをふたりの前差し出すと、ウォルトンが感心したように口をひらいた。
「ペルシス語が読めるメイドなんて、一体どこでこんな子見つけてきたんです?」
「ふふ、それが雇用斡旋所からきたのよ。それにしてもあなた、どこでペルシス語を覚えたの?」
突然話を振られて、ユスラは一瞬戸惑った。教会では他国の宗教への理解を深めるためにも、外国語を学ぶ機会があったが、そのまま説明するわけにはいかない。
「以前住んでいた場所で、勉強する機会がありましたので。」
ざっくりした答えになってしまったが、レディ・アメリアはそれ以上追求してはこなかった。
「へぇ。機会があっても勉強しない人間の方が多いのにねぇ。勤勉でお茶を淹れるのがうまくて控えめで可愛い。ねぇ奥様、この子嫁に貰ってもいいですか?」
ウォルトンはまるで猫でももらい受けるようににこやかに聞いた。
冗談なのだろうが、突然突拍子もないことを言われてユスラはドキリとした。それでも、顔に出してはいけない。茶菓子も出したし、ここはもう下がったほうがいいだろう。
ユスラは失礼いたしますと下がろうとした。
「待ってよ。もう少し話をさせてよ。」
ウォルトンの表情はにこやかだが、その黒い瞳の奥にはユスラに対する深い興味が渦巻いている。
ね?と小首を傾げたウォルトンに、レディ・アメリアが「おやめなさい」とぴしゃりと制した。
「なんでですか?奥様だっていつも言うじゃないですか。30にもなってふらふらしてないで、早く身を固めなさいって。」
「どこの世界に初対面のメイドに結婚を申し込もうとする領主がいるのですか。」
「ここにいるじゃないですか。」
そう言って笑うウォルトンと、深いため息をつくレディ・アメリアは対照的だ。
「領主様…?」
ユスラは思わず声に出してしまった。
「あれ、言われてなかった?そう、俺がこのロスタンの領主ウォルトン・イェイツ。どう?なかなかの好物件でしょ?」
「好物件かどうかは相手が決めることでしょう。それにこの子には良い方がいます。あなたの出る幕はありません。」
「そうなんだ、残念。」
ちっとも残念そうではない口ぶりで、それでもウォルトンはユスラを見定めている。
何も考えずにお茶を淹れてしまったが、レディ・アメリアに淹れ方を聞けばよかった。ユスラは軽はずみな行動をひどく悔やんだ。
セリの容姿は目立つから、領主に目をつけられてしまえばどうなるかは分からない。
ファヴェルを通して教会に居場所を知らされることだって…。
指先の感覚がない。ユスラの全身から血の気が引いていくようだった。




