28.急転
出立が明日に迫っていた。
まずは乗合馬車でゴーグへと向かう。表向きはそう、ちょっとした観光というていで。
日没をむかえる前に、ユスラはトランクの荷物を確認していた。これで何度目だろうか。何かしていないと落ち着かなくて、無駄に荷物をつめなおしてしまう。
セリの方は落ち着いていて、ゲオルクのところへお茶をしにいっていた。
冬の間に作ったブランケットやパッチワークは、ゲオルクに引き取ってもらった。
色味のなくなった屋敷は静かで、できた経緯を考えれば巨大な棺のようにも見えた。
ユスラはうつわ様と呼ばれた元聖女のことを想った。60年前、真新しいこの屋敷で彼は一体何を思っていたのだろう。
この場所にセリを閉じ込めた教会の意図に、うつわ様が迎えた結末に、心底悲しくなった。
ユスラは布にくるんでいたステンドグラスの欠片を取り出した。
セレストからもらった唯一の贈り物。まさかこれが遺品になるだなんて思いもしなかった。
礼拝の時に欠かさず持っていた聖女が彫られたメダイユを、手にとることはもうない。
ユスラは濃いすみれ色とレモンイエローのちいさな欠片を掌におさめるとそっと握りしめた。
「セレスト様。どうか私たちをお守りください。」
屋敷の外に出ると、ゲオルクとセリがこちらに歩いてくるところだった。2人のまわりを、デイルがぐるぐると走っている。この景色も見納めだなと、ユスラは目を細めて2人を迎えた。
「空を読む限り、明日の天気は良さそうだ。旅立ちには申し分のない一日になるじゃろう。」
ゲオルクはそう言って、ユスラに封筒を渡した。
「これは儂からの餞別だ。」
中には古びた紙幣が入っていた。一瞥した限り、かなりの金額になりそうだった。
「ゲオルクさん、お気持ちは嬉しいのですが、これは受け取れません…。」
「良いんだ。この金はな、儂の出自に関しての口止め料として親父がロザリオの教会から受け取ったものだ。儂が引き継いだんじゃが、こんなところで暮らしてたんじゃ使うあてもなくてな。お前さんたちの路銀にしてほしい。元聖女をこの町から送り出したことで、ここか出られなかった儂の無念も少し晴れるじゃろう。」
そう言われたら、無下にに突きかえすこともできなかった。
ユスラは小さな体でゲオルクを抱きしめた。
「なにからなにまでありがとうございます。落ち着いたら手紙を書きますね。誕生日を教えてください。お祝いのカードも贈りますから。」
「そりゃあ良い。何しろ生まれてこの方手紙なんてもらったこともなくてな。楽しみに待っているよ。」
無骨で大きな手が、ぽんぽんとユスラの背中を叩いた。
灯台へ戻って行くゲオルクの背中を見送って、ユスラは裏庭からウツボグサの花を摘んできた。それをサテンの白いリボンで束ねてテーブルの上に置いた。
「誰にあげる花?」
「うつわ様に、家をお借りしたご挨拶を。」
「もう2度と、僕みたいな人間がここに住まないといいな。」
「そうですね。」
なんとなく話すこともなくなって、2人はそのまま椅子に腰を下ろすとホールの窓から海を見ていた。
まもなく日没が、世界の全てを引き連れて海のかなたへ死んでいく。
そんな思いにふけっていると、外から誰かが走ってくる音がした。それは、ここにやってくるはずのないハンスだった。
「ハンスさん、どうしたんですか?」
ここまで全速力であがってきたのだろう。汗だくになったハンスは肩で息をしている。
「ユスラ、セリ。逃げろ。」
「え?」
「イザイが部下を大勢連れてこの町にやってきた。セリが高位聖職者の落とし子だったから保護するつもりだと触れ回ってるらしい。見かけたら知らせてくれと。」
「そんな…。」
あと1日遅ければー。
そんなことを考えても仕方がない。ユスラはトランクと肩掛けカバンを持ってきた。
「すぐにここを出ましょう。どこかで夜を明かして、朝一番の馬車にのれば…。」
「だめだ。あの人数じゃ乗合の停留所もすぐに押さえられる。」
「漁船を借りるのは?」
セリの提案に、ハンスは渋い表情で首を横に振った。
「交渉するには時間がなさすぎる。それにセリを見かけた船乗りが謝礼目当てにすぐ居場所を知らせるだろう。」
じゃあどうすればいいのだろうか。最悪セリだけでも逃がせればー
ユスラがイザイを足止めしてなんとか時間を稼げないかと考えていると、隣に立っていたセリが怖い顔でユスラの肩を叩いた。
「ユスラ、それはダメだよ。」
「私、何も言ってませんよ?」
「言わなくても何を考えてるかくらい分かるよ。ゲオルクに相談してみよう。呼びに行ってくるから。」
セリはそのまま灯台へと走っていった。からっぽになった屋敷に、ユスラとハンスだけを残して。
再びしんとした屋敷で、ハンスが口を開いた。
「なぁユスラ。前に自分の商会を立ち上げるのが夢だって、話しただろ?」
「はい、覚えていますよ。」
「俺は自分で決めたことは必ずやり遂げる。このあたり一帯で顔が効くような大商会の会頭になって、必ずあんたらのところに商売しに行く。だから、生き延びろよ。」
別れの挨拶ににじむハンスの苦しみを、全て受け止めるつもりでユスラはまっすぐ彼を見つめ返した。
「わかりました。ハンスさんならきっと大きな商会にするのでしょうね。でも、昔のよしみでお安くしてくださいね。」
そう言ってユスラが笑うと、ハンスは泣きそうな顔をして頷いた。




