03.別離
こうなることが分かっていたのでしょう。ヴァレリ司教は落ち着いて、迷子を相手にするようにセレスト様に話しかけました。
「あなたは長い間眠っておられたのです。その間にいろんなことを忘れてしまったのでしょう。ここはロザリオ大聖堂。教会があなたを守りますので、どうか安心してください。」
その瞳には、深い悲しみがこめられていました。
司教は私を連れて部屋を出ると、廊下で深いため息をつきました。
「ユスラ、よくお聞きなさい。聖女は、神の庭へと出向かれました。」
「ですが、お体は…」
「聖女セレストは天に還りました。あれはもう、聖女ではない。姿形はセレスト様ですが、全くの別人です。」
「そんな。」
「彼の処遇に関してはこれから協議しますが、悪いようにはしないので安心なさい。我々はしかるべき手続きにのっとり、ひばりの聖女セレストを葬らねばなりません。ユスラ、あなたには彼の世話役をお願いします。今はまだ体に戻ってきたばかりで何かと混濁しているでしょうから、幼子を相手にすると思って接してください。いいですか、決して彼をセレスト様の名で呼んではなりません。」
「では、なんとお呼びすれば?」
「教会が名を与えることはできません。世話するにあたって必要であれば、ユスラがつけなさい。」
「分かりました。」
分からなくても、今はそう答えるしかないのだと、ヴァレリ司教の表情で理解しました。
泣くな、と何度も自分に言い聞かせます。
私が泣くのは、セレスト様の美しい歌を聞いた時だけ。こんなことで泣いてはいけない。まだ仕事が残っているのだと、奥歯をかみしめました。
「失礼いたします。入りますね。」
お茶を淹れてセレスト様のお部屋に戻ると、その方は膝を抱えてベッドの上に座っていました。
「お姉さん、お水もってきてくれた人だよね?」
私はティーポットをサイドテーブルに置き、床に膝をつけて右手を胸に当てました。
「ええ、そうです。ユスラといいますよ。これからあなたの身の回りのお世話をさせていただくので、困ったことがあったら何でも言ってくださいね。」
その方は何か思い出せないかと私の顔をまじまじ見つめました。
「ねぇ、僕は何も覚えていないんだ。自分の名前も、どれくらいここにいたのかもわからない。どうしてだろう。」
「司教も言っていましたが、ずいぶん長く眠っていたのでそのせいかもしれませんね。これからいろんなことを一緒に思い出していきましょう。大丈夫です、このユスラがおそばにいますからね。」
大丈夫、自分にもそう言い聞かせました。そうでなければ、『僕』だなんていうセレスト様に耐えられなかったからです。簡単に受け入れられることではありませんが、かといって目の前で困っている小さな人を放っておくことはできません。
「君は、僕の名前をしってるの?」
「ごめんなさい。私もあなたのことを詳しくは知らないのです。でもそうですね…お名前がないと困るでしょうから、思い出すまではセリ、とお呼びしてもいいですか?」
「セリ…うん。しっくりくる名前だ。」
名前を与えられて少し安心したのでしょう。ひかえめに笑うお顔には、少年らしさが垣間見えました。
「良ければお茶をどうぞ。」
お持ちしたのはセレスト様がいつも美味しいと言っていたハーブティーです。これを飲めば記憶の一部がよみがえるかもしれない。そう思いましたが、セリは顔をしかめてちびちびと飲むだけでした。
翌々日、ひばりの聖女セレストの夭折が教会より正式に発表されました。
こうなってはセリが人の目に触れることは厳禁となり、私たちは厳重な警護のなか、伝道師が使用していた離れに住まいを移すことになりました。
セレスト様は私物をほとんどお持ちにならず、お召し物も聖女専用のものだったので、持っていくものはありませんでした。
セリに割り振られたのは教会の敷地の一番奥にある、鬱蒼とした茂みに囲まれた小さな平屋です。小さなキッチンがつき、ベッドとテーブル、椅子と小さなキャビネットだけがありました。日当たりはとても良くてそれだけはほっとしました。
セリの存在は徹底的に秘匿され、食事を用意して運ぶのは私が、洗濯や掃除は、教会に古くから勤めている口のきけない下男が請け負いました。
こうして、側仕えから世話役としての仕事が始まりました。




