02.永訣
誕生日を目前に不穏な発言をされましたが、その後のセレスト様は普段通りでした。
相変わらず喉の調子は悪そうでしたが、それでも問題なくお務めを果たされています。
セレスト様の御髪を整えるのも、側仕えの大切な役目です。巡礼者のミサの日には、その美しさが際立つよう、サイドの髪を細かく編み込んでいきます。どんなに美しくしあげても、セレスト様は鏡を見ようとはしませんでした。
「ユスラ、今日のミサはどうか泣かずに聞いていて下さい。私が歌う姿を、ひとつ残らずその目に残しておいてほしいのです。」
今日もミサのために、真っ白な法衣への着替えを手伝っていると、セレスト様はそうおっしゃいました。
「それは難しいですね。」
「私が歌い終わったその時を、お前の笑顔で迎え入れて欲しいのです。」
「わかりました。」
このところお辛そうだったセレスト様の声はますますかすれています。食も細くなり、ぼんやりと窓の外を眺めることが多くなってきました。
長引く不調で、セレスト様も不安だったのかもしれません。だとしたら、私が泣いている場合ではないのだと背筋を伸ばしました。
修道院を出て長い回廊を歩き、教会へ続く通路を歩いていきます。
その日のミサは、これまでお仕えしてきた中で一番素晴らしいものでした。
あの細い体から、一体どうしてこんなに声が出るのかと思うほど豊かな声で、聖堂の中に祈りと救済を満たしていきました。
巡礼者たちは泣いていました。つられて涙がこぼれそうになりましたが、ぐっとこらえて目を見開きました。
私は今日このミサを、生涯忘れることはなく、死の間際にも思い出すでしょう。こんなにすごい方が、まもなく聖女を降りるなんてことが本当にあるのでしょうか。
「セレスト様、今日はすごかったです。神様が降りてきた感じがして、この歌と光があれば他にはなにもいらないと思えるほど心のなかが綺麗なもので満たされていきました。」
ミサを終えて控室で聖衣を脱ぐお手伝いをしながら、私は胸にこみあげる思いをすぐにお伝えしました。
「ありがとう。私の歌を一番近くで聞き続けてきたユスラがそういうのなら間違いないのだろうね。」
「なんだかお疲れのようですね。夕食まで少しお休みになってはいかがですか?」
「そうするよ。ありがとうユスラ。おやすみ。」
とろりとまろやかな声で、セレスト様は私の名前を呼びました。
ずっとずっと、こんな風に呼びかけてもらえたら。そのためには最高の傍仕えにならなくてはなりません。
どんな時にも笑顔を絶やさないセレスト様ですが、今日はとてもお疲れのように見えました。もしかしたら明日の朝まで眠るかもしれません。目が覚めたら、とっておきのお茶をお淹れしようと思いながらセレスト様のお部屋を後にしました。
聖女信仰では華美な装飾を好みません。ですから教会も質実剛健で、明かりとりの窓にステンドグラスがはめ込まれている他は色味のない建築となっています。
歴代聖女が着用するのも質の良い生地に銀糸でさりげなく縁飾りの刺繍をいれただけのもので、日々のミサも大きな式典も、基本的には同じ聖衣をお召しになります。
そんな教会で唯一色鮮やかなのが薔薇でした。修道院の庭園や教会の周りなど、いたるところに様々な種類の薔薇が植えられています。
いつも花が絶えないように、花期の違う品種をいくつも植えているようで、真冬以外はいつでも芳しい香が敷地内を満たしていました。
そうだ。私は回廊を外れると、庭師に相談して、盛りの薔薇を数本切ってもらいました。そうして、良い夢が見られるようにとセレスト様のベッドサイドに活けました。
セレスト様の眠りはとても深く、海の底に沈んでしまったねむり姫のようでした。これだけぐっすり眠っているなら、明日にはきっと元気になっているはず。私はそっと退室しました。
ところが、翌朝セレスト様は目を覚ましませんでした。
いつもの起床時間より2時間ほどおいてから再び声をかけにいきましたが、いくら呼んでも体を揺すっても、セレスト様は動きません。胸がすこやかに上下しているので呼吸に問題はなさそうです。どうしたものかと、私はヴァレリ司教を呼んできました。
司教はセレスト様をひと目みるなり、息をのみました。それからしばらく黙ったあとで、ようやく祈りの言葉を口にしました。
「これから数日間は目を覚まさないでしょう。もしかしたらひと月、それ以上かもしれません。それまではこの部屋に寝泊まりをして見守りなさい。あとで簡易寝台を運ばせます。なるべくここから離れることのないよう、食事もこちらでとるように。」
司教のもの言いからすると、やはりただごとではないのでしょう。
「承知しました。いつも通り、誠心誠意仕えさせていただきます。」
「よろしい。この御方が目を覚まされても、決して驚かないように。いいですね?」
驚くようなことがあるのか気になりましたが、言われた通りにしようと黙って頷きました。
セレスト様はその後も眠り続け、その間巡礼者のためのミサは中断されました。
そして八日後の朝、深い眠りからとうとう目を覚ましました。
「セレスト様、おはようございます。ずいぶんよくお眠りになりましたね。今司教を呼んできますね。」
ベッドサイドを離れようと立ち上がった私の裾を、セレスト様がぎゅっと握りました。小さな子どもが、ここにいてとねだるように、ずいぶん幼い表情をされています。
次の瞬間、私はヴァレリ司教が驚かないようにと仰っていたわけを知りました。
「お姉さん、誰?ここはどこ?」
「ユスラですよ。ここはロザリオ大聖堂の敷地内にある修道院です。」
「知らない。」
セレスト様はそう言って目に一杯涙をためました。
「…セレスト様?」
「家に帰して。」
目の前にいる見目麗しい御方は、一体誰なのでしょう。どうしてそんなことを言うのでしょう。
私はひとまずセレスト様にお水を一杯差し上げて落ち着かせると、大至急司教を呼びに走りました。




